第23話「小さい魔槽の優等生」
「触らないでください! これは王立魔術院の最新の導力回路設計図なんですから!」
王宮の麓へ続く石畳の道で、俺とぶつかって荷物をぶちまけてしまった灰色のローブの少女は、俺が差し出した手をピシャリと叩いて拒絶した。
分厚い丸眼鏡の奥の瞳が、神経質そうに吊り上がっている。
「あ、ごめん。よそ見してた俺が悪かった」
俺が素直に謝って一歩下がると、少女は地面に散らばった本や紙束を慌てて拾い集め始めた。
「まったく、王都の大通りを歩く時は周囲の魔力動態に気を配るのが……」
ブツブツと文句を言いながら、少女が最後に拾い上げたのは、真鍮でできた手のひらサイズの奇妙な計器だった。
それを見た瞬間、少女の動きがピタリと止まった。
「……え?」
少女は計器の針と、俺の顔を交互に見た。
「あの……あなた、冒険者ですよね。今、私とぶつかりそうになった時、無意識に風を操作して体勢を立て直しましたね?」
「おう! よくわかったな! ちょっと足元の風を借りたんだ」
俺がニカッと笑うと、少女は計器を俺の胸ぐらに突きつけるようにして迫ってきた。
「あり得ません! 風を操作したのに、あなたの体からは一切の『魔力残滓』が検出されていません! 魔槽から魔力を放出した形跡がゼロ……というより、そもそもあなた、魔槽の反応自体が完全に『ゼロ』じゃないですか!」
少女の鼻息が荒くなる。
「どうやって? 魔力を持たずに外部の風を制御するなんて、現行の魔術理論では不可能……いえ、待ってください、導力式を根本から見直せばあるいは……」
少女がぶつぶつと早口で呟き始め、俺は圧倒されて後ずさった。
「お、おいミナ、この子なんか怖いぞ。目つきがお前が帳簿をつけてる時と同じだ」
「失礼ね。でも、彼女は王立魔術院の生徒みたいよ」
ミナが前に出て、少女に声をかけた。
「あたしたちは『一枚葉』っていう冒険者パーティよ。今からその王立魔術院に、このカイの魔槽の再測定に行くところなんだけど、案内してもらえないかしら?」
「再測定……! なるほど、この異常なゼロ値をギルドの旧式測定器のエラーだと判断したんですね!」
少女は本を抱え直し、眼鏡をクイッと押し上げた。
「私はニア。魔術院の理論科に所属しています。ちょうどいいです、あなたのその『魔力ゼロで魔法を使う』という事象、私の研究対象として魔術院まで同行を許可します!」
なぜか上から目線で許可を出され、俺たちはニアの案内で魔術院へと向かうことになった。
王立魔術院は、王宮のすぐ横に建つ、白亜の巨大な塔とドーム屋根の施設群だった。
中に入ると、天井の高いロビーには、ニアと同じようなローブを着た若い学生たちや、杖を持った魔術師たちが大勢行き交っていた。
「すごいなー! 壁がピカピカ光ってるぞ!」
俺がキョロキョロと見回していると、すれ違った数人の学生たちが、ニアを見てコソコソと笑い声を上げた。
「おい、見ろよ。また『小魔槽のニア』が難しそうな本を抱えてるぜ」
「理論試験じゃいつも首席だけどさ、あいつの魔槽、下から数えた方が早い小ささだろ? こないだの実技演習でも、初級の火球すら満足に維持できなかったらしいぜ」
「いくら頭でっかちでも、魔力を貯められないんじゃ魔術師としては欠陥品だよな」
学生たちの心ない声が、ロビーに響く。
ニアは言い返すこともせず、本を抱える手にギュッと力を込めて、悔しそうに俯いた。
この国では、魔槽の大きさ……つまり『魔力をどれだけ自分の中に貯め込めるか』が、魔術師の絶対的な評価基準なのだ。
「……おい」
俺はすれ違った学生たちの背中に向かって、大きな声を出した。
「お前ら、わかってないな!」
学生たちが驚いて振り返り、ニアもビクッと肩を揺らす。
「魔力が貯められないから欠陥品? 馬鹿言うな。器が小さいってことは、それだけ中身の出し入れが素早くできるってことだろ!」
俺は持論を大声で展開した。
「いいか! デカい鍋はたくさんのスープを作れるけど、お湯が沸くまでに死ぬほど時間がかかる! でも、小さい鍋なら一瞬でお湯が沸くし、火加減の微調整もすぐできる! 器が小さいのは、それだけ繊細で素早いってことだ。長所じゃないか!」
シーン、と静まり返るロビー。
「……はぁ? なんだこいつ、田舎者が魔術を鍋で語ってやがる……」
学生たちは気味悪そうに顔を見合わせると、足早に去っていった。
「ダイン、俺、何か間違ったこと言ったか?」
「いや。少々例えが野生的すぎるが、魔法の制御精度という点においては、あながち間違ってはいないな」
ダインが真面目に頷くと、俯いていたニアが、ポカンとした顔で俺を見上げていた。
「……鍋。私の魔槽が、鍋……?」
「おう。俺の相棒も鉄鍋だからな。小さいからってバカにする奴は、俺が許さないぞ」
俺が胸を張ってニカッと笑うと、ニアの丸眼鏡の奥の瞳が、みるみるうちに熱を帯びて輝き始めた。
「カイさん! 素晴らしい着眼点です!」
ニアが突如として俺の両手をガシッと握りしめた。
「私の小容量の魔槽を高精度の『制御弁』として運用する理論……それを感覚的に理解するなんて! やはりあなたはただ者ではありません! さあ、教えてください! あなたが風を操作する時、外部環流の結節点に対する魔力干渉の係数はどう計算しているんですか!?」
「えっ?」
「風の流体に対して、自身の魔力を媒介とせずに指向性を持たせるための導力式です! 大気中の魔素濃度が及ぼす影響は無視しているんですか? それとも、瞬時に逆算して……」
「ちょ、ちょっと待て! な、なんの話だ!?」
俺はニアの口から機関銃のように連射される専門用語に、完全にパニックに陥った。
「だから! 外部魔力を制御するための数式です! どうやって頭の中で構築しているんですか!」
「数式!? 計算!? そんなのやってないぞ! 俺はただ、そこにある風を『ほっ』て借りて、『そらっ』て返してるだけだ!」
「『ほっ』と『そらっ』で魔法が発動するわけないでしょう! 物理法則を舐めないでください! もっと論理的に、言語化して説明を……!」
ズイッ、ズイッと迫りくるニアの圧に、俺は後ずさった。
ミナが帳簿を開いた時と同じだ。数字と理屈のシャワー。山育ちの俺の脳みそが一番拒絶反応を起こす攻撃だ。
「ひえええっ! 怖い! この街の女はなんでみんな揃いも揃って理屈っぽいんだ! ごちゃごちゃ計算ばっかりしやがって! 俺はもう帰る! 山に帰るぞ!」
「ああっ、逃げないでください研究対象!」
俺がロビーの出口に向かって全力で逃げ出そうとした瞬間、背後からダインの太い腕が伸びてきて、俺の首根っこをガッチリと捕獲した。
「落ち着け、カイ。ここは王立魔術院だ、騒ぐな」
「放せダイン! 俺の脳がショートする!」
「まあまあ。でもこれでわかったでしょ、カイ」
ミナがため息をつきながら近づいてきた。
「あんたの野生の勘だけでやってる魔法が、街の常識からどれだけ外れてるか。だから、ちゃんと試験を受けて証明しなきゃいけないのよ」
「……試験、ですか」
俺を取り逃がして息を切らしていたニアが、眼鏡を光らせて立ち上がった。
「カイさんがこれから受ける適性試験……通常なら、書類審査と基礎測定で何日もかかる面倒な手続きです。でも、今の彼の身体能力と未知の術式を見れば、そんな悠長なことをしている場合じゃないのは明白です」
ニアは腕を組み、ロビーの奥にある教官室をキッと睨みつけた。
「私が教官に掛け合います。カイさんの実力を証明し、私の『小魔槽制御理論』の正しさを立証するためにも……特例として、彼の適性試験を『今日一日』で全行程実施するように手配しましょう!」
「えっ、一日で!?」
ミナが驚きの声を上げる。
「うおお! よくわからんが、何日も待たなくていいなら最高だぞ、ニア!」
俺がダインに首根っこを掴まれたまま歓喜の声を上げると、ニアは自信満々に胸を張った。
こうして、魔力ゼロの俺と、小魔槽のニアによる、魔術院の常識を覆す一日だけのドタバタ適性試験が幕を開けることになったのだ。




