第20話「金で取り戻したいもの」
「数十年前、ひどく煤けたローブを着た風変わりな旅の魔術師が、金代わりに置いていったガラクタさ。なんの魔力も残っちゃいないが、珍しい細工だから店先に並べておいたんだ」
古道具屋の店主は、俺の手の中にある真鍮のプレートを見てそう語った。
七つの葉っぱが円を描く、古い刻印。
「……そっか。やっぱり、爺さんはこの街にも来てたんだな」
俺はプレートの表面を指でなぞりながら、少しだけ嬉しくなった。
爺さんの足跡が、確かにこの世界に残っている。俺が旅をしている道は、かつて爺さんが歩いた道なのだ。
ミナが交渉して、そのプレートを銅貨数枚で買い取ってくれた。これも目的別の共同財布の『予備費』からの出費らしいが、今回は特別に許可が出た。
その日の夜。
祭りの喧騒が少し遠のいた裏通りの宿屋で、俺たち『一枚葉』の四人は、食堂の丸テーブルを囲んでいた。
「さあ、食え。祭りの食材は新鮮で安かったからな。今日は川魚のつみれを主役に、白菜とキノコで出汁を取った特製塩鍋だ」
厨房を借りて料理をしていたダインが、湯気を立てる大きな鉄鍋――俺の相棒の鉄鍋だ――をテーブルの中央にドンと置いた。
「うおおおおっ! 待ってました!」
「ダイン、あんた本当に騎士より料理人の方が向いてるんじゃないの?」
俺とザザが、真っ先に木の器を差し出す。
フーフーと息を吹きかけて、熱々のつみれを口に放り込む。
「……はふっ、う、うめええええっ!!」
魚の生臭さは全くなく、ふわふわの食感の中から溢れ出す強烈な旨味が、喉の奥まで染み渡る。
今日、祭りの屋台で食べた串焼きも揚げ物も、確かにとんでもなく美味かった。
だが、こうして気心の知れた仲間たちと一緒に、一つの鍋をつつき合いながら食べるこの味は、どんな高級な屋台の味にも負けない気がした。
「おかわり! ダイン、汁多めで頼む!」
「あたしも! 次こそは具をたくさん残しておきなさいよ、カイ!」
「ふっ。慌てるな、量はたっぷりある」
ダインが少し誇らしげに微笑みながら、俺たちの器に次々と鍋の具材を取り分けていく。
美味い飯と、騒がしい仲間。
所持金は共同財布の中で少しずつ増えているし、魔槽値は0表示のままだけど、俺は今、世界で一番贅沢な時間を過ごしていると本気で思っていた。
食事が終わり、ダインが剣の手入れのために部屋へ戻り、ザザも「金槌の柄の漆が乾いたか見てくるわ!」と嵐のように去っていった後。
食堂の隅のテーブルには、俺とミナの二人だけが残っていた。
ミナはランプの灯りの下で、分厚い帳簿を開き、羽ペンを走らせている。
「……なぁ、ミナ」
俺は食後のエール(俺は相変わらず水だ)を飲みながら、ずっと気になっていたことを切り出した。
「ミナって、なんであんなにお金に厳しいんだ?」
「ん?」
ミナの手が止まり、顔を上げる。
「いや、ほら。俺が報酬を全部寄付しようとした時も本気で怒ったし、いつも『明日の選択肢を守る盾』とか言って、銅貨一枚までしっかり管理してるだろ? もちろん助かってるんだけどさ、なんでそこまで必死にお金を貯めてるのかなって思って」
ミナは少しの間、瞬きをして俺を見つめ、やがてパタンと帳簿を閉じた。
「……あんたに話してなかったっけ。あたしの個人的な目標のこと」
「聞いてないぞ」
ミナはふうと息を吐き、テーブルの上で両手を組んだ。
「あたしの実家はね、王都の裏通りにある小さな宿屋だったの。お父さんとお母さんが二人で切り盛りしてる、本当に小さな、でも温かい宿だったわ」
ミナの目が、少しだけ遠くを見るように細められる。
「でも、あたしが十五の時に両親が流行り病で亡くなって。残されたあたしには、宿を回すノウハウも、運転資金もなかった。そこを悪徳商人に目をつけられて、法外な利子の借金を背負わされちゃったの」
借金。その言葉に、俺は枯れ村の連中を苦しめていた『前借り契約』を思い出した。
「結局、借金のカタに宿は奪われて、あたしは着の身着のまま追い出されたわ。それから数年間、死に物狂いで商売の勉強をして、一人で行商をしながらお金を貯めてきたのよ」
ミナは組んだ手にギュッと力を込めた。
「あたしの目標は、あの宿を買い戻すこと。あそこは、あたしと両親の思い出が詰まった、世界でたった一つの『帰る場所』だから」
「買い戻すって……いくら必要なんだ?」
「……今の持ち主が示した買い戻し額は、五百金貨よ。値が変わらないうちに手を打ちたい」
俺は息を呑んだ。
金貨五百枚。金貨一枚が銀貨十枚だから、銀貨なら五千枚だ。
この前、月光草を売ってもらった『金貨一枚』であんなに震え上がった俺にとって、五百金貨など想像もつかない天文学的な数字だった。
「五百金貨……」
「宿のための貯金は王都の商会に預けてあるけど、いま三百金貨にはまだ届かない。旅先で持ち歩く共同財布とは分けてあるの。だから旅の経費も、先の出費も計算する。あの宿を、ちゃんと働いて買い戻したいのよ」
ミナの目は、炎のように真剣だった。
俺は、無意識のうちに口を開きかけていた。
『宿なんてなくても、地面で寝れば無料だろ? 屋根なんて、雨の時だけ葉っぱで作ればいいじゃないか』
山育ちの俺の価値観なら、間違いなくそう言うところだ。
家なんて、ただ雨風をしのぐだけの箱だ。それに五百金貨なんて大金を払うくらいなら、毎日美味い飯を食った方がいい。
でも。
俺は、喉まで出かかったその言葉を、ぐっと飲み込んだ。
俺にとってはどうでもいい『屋根のついた箱』が、ミナにとっては、両親との思い出が詰まったかけがえのない『帰る場所』なのだ。
俺が鍋の美味さに感動するように、ミナはその場所を何よりも大切に思っている。
俺の価値観が正しいからといって、他人が大切にしているものの価値を、俺の物差しで測ってへし折っていいはずがない。
「……そっか」
俺はコップの水を一気に飲み干し、ドンとテーブルに置いた。
「五百金貨。とんでもない額だけど、不可能じゃないな!」
「えっ?」
「だって、俺たちはたった数日で特別報酬まで稼いだんだぜ! ダインもザザもいるし、俺の山の知識と《環流術》があれば、どんな護衛依頼も採取依頼もこなせる! ミナのその宿、絶対に取り戻そうぜ!」
俺が身を乗り出して力強く言うと、ミナはポカンと口を開け、それから顔を真っ赤にして俯いた。
「……ば、馬鹿じゃないの。あんたにお手伝い頼むなんて一言も言ってないわよ」
「いいじゃないか、仲間なんだから! 俺も、ミナが育ったその宿屋のふかふかの布団で寝てみたいしな!」
「……ふふっ。言っておくけど、うちの布団はそんじょそこらの安宿よりずっと質がいいんだからね。一晩寝たら、もう二度と野宿なんかできなくなるわよ」
ミナが少し照れくさそうに笑う。
その笑顔を見て、俺はなんだか胸の奥がくすぐったくなるような、不思議な温かさを感じていた。
部屋に戻った俺は、ランプの明かりを頼りに、小さな土産話帳を開いた。
第一葉のミルヴァの街で『塩』と書き込んだ次のページ。第二葉の置き手紙を見つけたこの街で、俺が「一番いいもの」として残す言葉。
祭りの串焼き。金貨。綺麗な景色。
色々あったが、俺は迷うことなく羽ペンを走らせた。
『ダインの鍋』
高価な名物でも、貴重な魔法の道具でもない。
だけど、俺がこの街で一番幸せを感じたのは、ダインが作ってくれた温かい鍋を、ミナやザザと一緒に笑い合いながらつついていた、あの時間だったからだ。
インクが乾くのを待ちながら、俺はパタンと手帳を閉じた。
「さて、今日の良かったもの三つ」
ベッドのふかふかの毛布に潜り込みながら、俺は天井に向かって指を折った。
「一つ、祭りの串焼きが死ぬほどうまかったこと」
「二つ、ダインの鍋がそれを超えるくらいうまかったこと」
そして、三つ目。
「三つ。ミナが、宿の話をしてくれたこと」
昔、爺さんが三つ目をもごもごと誤魔化していた理由が、ほんの少しだけわかった気がした。誰かとの大切な話や、心が温かくなった瞬間ってのは、なんだか口に出すのが少し照れくさいのだ。
「まあ、俺は誤魔化さないけどな!」
俺は一人で笑い、目を閉じた。
翌朝。
朝食の席で、俺たちは地図を広げて次の目的地を確認していた。
「リュドの街でのやるべきことは終わったわ。次に向かう『第三葉』は……ここね」
ミナが指差したのは、地図の中央。レムナ王国の最も中心に位置する、巨大な印。
「王都グラード。この国で一番大きくて、一番何でもある街よ」
「王都! 一番デカい街か! どんなうまい飯があるんだろうな!」
俺が目を輝かせると、ダインが腕を組んで頷いた。
「あそこには王立魔術院もある。カイの魔槽ゼロの特異性について、何か新しいことがわかるかもしれないな」
「あたしも、王都の工房の最新工具が見てみたいわ!」
ザザも鼻息を荒くしている。
王都グラード。
俺の旅は、いよいよこの国の中心へと向かおうとしていた。




