第19話「祭りは全部高い、でも全部うまい」
東の街道を巡る商隊の護衛と、いくつかの村での野営を経て、俺たち『一枚葉』の四人(途中でザザが正式に加わった)は、再び第二葉がある河港リュドの街へと戻ってきていた。
「うおおおおっ! なんだこれ、すっげえ人だぞ!」
街の入り口をくぐった瞬間、俺はあまりの熱気に目を丸くした。
数日前に出発した時の落ち着いた物流拠点の面影はない。大通りの両側には色とりどりの布で作られた天幕がズラリと並び、ジュージューと肉を焼く煙や、甘い果実の香りが街中を満たしている。広場の方からは、陽気な楽器の音色と人々の歓声が絶え間なく響いてきた。
「今日は年に一度の『河港祭り』の日よ。水運の安全を祈願して、街の商人たちが一斉に屋台を出すの。豊作祝いも兼ねてるから、王国中から人が集まるのよ」
ミナが誇らしげに胸を張って解説してくれた。
「祭り……! 山で爺さんと二人でやってた『冬越しおめでとうの会』みたいなもんか!」
「多分規模が数千倍違うと思うけど、まあそんなところね」
ミナは苦笑しながら、腰の革袋から銀貨一枚と、銅貨をジャラッと十枚ほど取り出し、俺の手のひらに乗せた。
「はい、これ。今回の商隊護衛で稼いだ、あんたの分の『娯楽費』よ」
「娯楽費?」
「そう。生きるためのご飯じゃなくて、純粋に楽しむためだけに使っていいお金。お小遣いよ」
俺は手のひらの上の硬貨と、ミナの顔を交互に見た。
「いいのか? こないだ予備費がどうのこうのって怒ったばっかりじゃないか」
「ちゃんと目的別に分けた中からの出費だからいいの! あんた、お鍋を買ってから一度も自分のためにお金を使ってないでしょ。たまにはパーッと発散しないと、商売のモチベーションが保てないわよ」
ミナがウィンクをすると、横からザザが身を乗り出してきた。
「そうよカイ! せっかくのお祭りなんだから、宵越しの金は持たない勢いで使い切ってなんぼよ!」
「ザザ、あんたは自分の小遣いをもう半分も工具の部品代に使ったんだから黙ってなさい」
ミナに釘を刺され、ザザが口を尖らせる。
「よし……わかった! 俺、自分のためにこの金を使ってみるぞ!」
俺は硬貨を握りしめ、ダインも巻き込んで、お祭りの人混みの中へと飛び込んでいった。
「お兄ちゃん、特製の豚串はどうだい! 秘伝のタレが自慢だよ!」
「こっちは川魚の丸揚げだ! 塩とレモンでさっぱりいけるぜ!」
屋台の熱気は凄まじかった。
俺は早速、一番いい匂いがする豚串の屋台に飛びついた。
「おっちゃん、これ一本くれ!」
「あいよ! 銅貨三枚だ!」
「……は?」
俺は財布の紐を緩めようとした手を止めた。
「ど、銅貨三枚!? この肉の切れ端が三つ刺さってるだけの串が!? ぼったくりだ!」
「なんだと坊主! 祭りの屋台は場所代もかかってるんだ、文句があるなら他を当たりな!」
「だって、山なら自分で猪を狩ればタダだぞ!? 銅貨三枚あれば普通の宿でパンとスープが……」
「いいから払いなさいよ!」
後ろからミナに小突かれ、俺は泣く泣く銅貨三枚を支払った。
たった一本の串焼きに、これほどの大金を払うなんて。やはり街の人間は狂っている。
俺は恨めしそうに串焼きを睨みつけ、端っこの肉をガブリと囓った。
「…………っ!!」
その瞬間、俺の脳天を雷が打ち抜いた。
カリッと香ばしく焼かれた表面。中からは溢れ出す熱い肉汁。そして何より、果実の甘みと香辛料のピリッとした刺激が絶妙に混ざり合った『秘伝のタレ』の味が、口の中いっぱいに爆発したのだ。
「う、うめええええええっ!!!」
俺は目をひん剥いて叫んだ。
「なんだこれ! ただの肉じゃないぞ! このタレ、どれだけの時間と手間暇かけて煮込んでるんだ!? この味は山じゃ絶対に作れない!!」
「へへっ、わかるか坊主! そりゃあ三日三晩煮込んだ特製だからな!」
親父さんがドヤ顔で胸を反らす。
俺は残りの肉を一瞬で平らげ、手の中の銅貨を見つめ直した。
「……安い」
「えっ?」
「この味と手間で銅貨三枚は安すぎる! おっちゃん、あと三本くれ!」
「おいおい、さっきと真逆じゃねえか。毎度あり!」
そこからの俺は、完全にタガが外れていた。
「うおおおっ、このシロップ漬けの果物、甘くてすっげえうまい! おばちゃん、これ二つ!」
「川魚の揚げ物、衣がサクサクで最高だぞ! ダイン、お前も食ってみろ!」
「む。確かにこの香草の使い方……油のしつこさを見事に中和しているな。参考になる」
俺が次々と屋台の食べ物を買い漁り、ダインがそれを真面目に料理人目線で分析し、ザザが横から「あたしにも一口よこしなさいよ!」と奪い取っていく。
「祭りは全部高い! でも、全部うまい!! 最高だぞ!!」
俺は両手に食べ物を抱え、次から次へと目に付く屋台を制覇していった。
食べ物に手間をかけた人たちの顔が、屋台ごとに違う。ミナは「共同財布の分はここまで」と銀貨一枚を俺に渡した。使い切ったら終わり。その決まりまで含めて、祭りが楽しい。
「このイカの姿焼きも、そっちの焼きそばみたいなやつも、全部一口ずつ食いたい!!」
俺がさらに追加の屋台へ突撃しようとした、その時だった。
「……うぐっ」
不意に、胃袋がズシリと重い悲鳴を上げた。
「お、おい、カイ? 顔色が青いぞ」
ダインが心配そうに覗き込んでくる。
「……た、食べすぎた……」
俺は道端の木箱に手をつき、がっくりと膝から崩れ落ちた。
いくら山育ちの頑丈な胃袋とはいえ、串焼き十本、揚げ物五つ、果物三つ、謎の甘い汁を立て続けに詰め込めば、限界を迎えるのは当然だった。
「あーあ。だから言ったじゃない、少しはペース配分を考えなさいって」
追いついてきたミナが、呆れ顔で俺の背中をさすってくれた。
「くそっ……俺の胃が敗北するなんて……でも、悔いはない……げふっ」
俺が木箱にもたれて息も絶え絶えになっていると、広場の方から突如として、地響きのような大歓声が沸き上がった。
「おおーっ! グランツ総監だ!」
「バンザイ! 王立充足院バンザイ!」
熱狂的な声に惹かれ、俺たちは人混みの隙間から広場の中央にある大きな演壇を見た。
そこには、王都の紋章が描かれた立派な旗が掲げられ、一人の初老の男が立っていた。
銀色の髪を後ろに撫でつけ、隙のない豪奢な礼服を着こなしたその男は、威厳に満ちた厳しい顔つきでありながら、民衆を見渡す目にはどこか深い慈愛のようなものが宿っていた。
「あの人が、王立充足院の総監。グランツ様よ」
ミナが小声で教えてくれた。
「この国の備蓄制度のトップ。今回の河港祭りに合わせて、中央から視察に来ていたのね。……すごい歓声。さすがは民衆の英雄だわ」
演壇の上のグランツが手を挙げると、広場の歓声がピタリと止んだ。
『リュドの民よ! 本日の豊かな祭りを共に祝えること、心から喜ばしく思う!』
魔法で拡張されたグランツの声が、広場中に行き渡る。
『我々充足院は、この一年も各地の備蓄倉に滞りなく魔力と食料を蓄えてきた! いかなる飢饉が来ようと、魔物災害が来ようと、我々が管理する中央備蓄がある限り、王国の民が飢えて死ぬことはないと約束しよう!』
ウオォォォォッ!! と、再び割れんばかりの歓声が上がる。
『本日は祭りの祝いとして、このリュドの街の備蓄倉を特別に解放し、集まった者たちにパンと魔力晶の配給を行う! 我々の備えを、皆で分かち合おう!』
「うおおおおっ! 一生ついていきます、グランツ様ぁーっ!」
民衆は涙を流さんばかりに熱狂し、演壇に向けて手を合わせていた。
「へえ……。すごいな、あの人」
俺は胃の痛みを堪えながら、素直に感心した。
備えを蓄え、それを必要な時に民に配る。それによってこんなにも多くの人間が笑顔になり、安心を得ている。
「いいおっさんじゃないか。みんな嬉しそうだ。ミナが言ってた『明日の選択肢を守る』ってのを、国全体でやってる人なんだな」
「ええ、そうね。充足院の制度そのものは、本当に素晴らしいものなのよ」
ミナが頷いた。
だが、その時。
演壇の上、グランツの少し斜め後ろに控えていた随行員の一人が、チラリとこちらへ視線を向けた。
「……あっ」
目が合った。
綺麗に撫でつけられた髪と、人を小馬鹿にしたような細い目。
枯れ村の村人から不当な前借り契約で水を奪い、俺たちと剣を交えた男。悪徳実務官のセルドだった。
セルドは、遠く離れた人混みの中にいる俺たち『一枚葉』の姿をはっきりと捉え、一瞬だけ憎々しげに顔を歪めた後、すぐに涼しい顔に戻ってグランツの後ろに隠れた。
「……おい、ミナ。あいつ、あのセルドって奴、あんな偉い人のすぐ近くにいるぞ」
「ええ……。やっぱり、充足院の中でそれなりの地位にいるみたいね。厄介なことにならなきゃいいけど」
祭りの喧騒を抜け、俺たちは少し腹ごなしをするために、裏通りの静かな路地を歩いていた。
ダインは宿の確保に向かい、ザザは鍛冶屋の出店へ走っていったため、今は俺とミナの二人だけだ。
「ふう、だいぶ胃が落ち着いてきたぞ」
「もう、だから言ったのに。ほら、そこの角を曲がったら川沿いに出るから……」
ミナが先を歩く中、俺は路地の片隅にひっそりと店を構える『古道具屋』の店先に、ふと目を留めた。
薄暗い店先には、錆びた剣や用途不明の魔導具の部品、古い食器などがガラクタのように積まれている。
そのガラクタの山の一番上に、手のひらサイズのくすんだ真鍮のプレートが転がっていた。
「ん……?」
俺は吸い寄せられるようにそのプレートを手に取った。
表面には、見覚えのあるマークが深く刻み込まれていた。
俺の持っている『押し葉』。そして、俺の鉄鍋に刻んだのと同じ。
『七つの葉っぱが円を描く印』だ。
「なんだこれ……。爺さんのマークが、こんなところにも……」
「おや」
俺の呟きを聞きつけて、店の奥から背中の曲がった古道具屋の店主が顔を出した。
「お客さん……ずいぶんと若いのに、その印を知っているのかい?」
店主の奥まった目が、俺の手の中のプレートを鋭く見つめていた。




