第18話「鍋は裏切らない」
「あーっ、もう! なんでここでヒビが入るのよ! 使い切ってなんぼでしょーが!」
煤で顔を黒く汚した小柄な女は、俺たちに向かってそう怒鳴ると、再び小さな金床に向き直って手元の金槌をカンカンと叩き始めた。
「おい、あんた。俺の顔を見て怒鳴ったくせに、無視して作業に戻るのかよ」
俺が呆れて声をかけると、女は鬱陶しそうにゴーグルを額の上に跳ね上げた。
「あたしはザザ。見りゃわかるでしょ、忙しいの。この『鉄砕き』の柄にヒビが入ったから、当て木をして直してる最中なのよ」
「直すって……それ、もう柄が折れかけてて、鉄の部分もボロボロじゃないか。新しいのを買った方が早くないか?」
俺が素朴な疑問を口にすると、ザザと呼ばれた女は信じられないものを見るように目をひん剥いた。
「はあ!? あんた馬鹿!? これはあたしが故郷を出る時から使ってる、最高級の鋼を打った特注品よ! 道具ってのはね、綺麗に飾っておくもんじゃないの。ヒビが入ろうが欠けようが、直しながら限界まで『使い切ってなんぼ』なのよ!」
ザザは金槌を天に掲げ、熱弁を振るう。
「いい物は、今すぐ使い倒して最大の成果を出す! それが鉱山街カレドの女の生き様よ!」
鉱山街カレド。
確か、俺の地図に印が打たれている『第四葉』がある場所だ。
「へえ、カレドから来たのか。俺はカイだ。使い切るって考え方、山育ちの俺には結構わかる気がするぞ」
「……カイ?」
ザザは俺の顔から視線を下ろし、俺の背中に背負われた黒光りする『鉄鍋』に目を留めた。
「あんたの背負ってるその鍋……ドワーフの工房の特製品じゃない! いい鍋持ってるわね!」
「だろ? 昨日俺が自分のお金で買った、初めての持ち物なんだ!」
俺が自慢げに鍋を前に抱えると、ザザの目が職人のそれに変わった。
「でも惜しいわね。その鍋、底の厚みがありすぎて、焚き火の熱が中まで通るのに時間がかかるでしょ? あたしに貸しなさい。底にいくつか小さな穴を開けて、そこに熱伝導の良い銅のピンを打ち込んであげる。そうすれば熱効率が跳ね上がって、もっと早く肉が煮えるわよ!」
「なっ……!?」
俺は血の気を引かせ、鍋を抱きしめて後ずさった。
「ば、馬鹿野郎! 買ったばかりの俺の相棒に穴を開ける気か! 駄目だ、絶対に渡さないぞ!」
「いいじゃない、減るもんじゃないし! 道具は限界まで改造して使い切ってなんぼだって言ったでしょ!」
「鍋は俺を裏切らないんだ! 穴なんか開けたら汁が漏れるかもしれないだろ! あっちへ行け!」
俺とザザが鍋を巡って押し問答をしていると、背後から氷のように冷たい声が響いた。
「……ちょっと、あんたたち」
ミナだった。
彼女は手元の帳簿をパタンと閉じ、ザザの前に立ちはだかった。
「今、『使い切ってなんぼ』って言ったわね?」
「言ったわよ。あたしのポリシーだからね」
「最悪のポリシーね。商人として、絶対に相容れないわ」
ミナは腕を組み、ザザを真っ向から睨みつけた。
「いい? 良い道具やお金は、今すぐ使い切るためにあるんじゃないの。価値を『残して』、明日の不測の事態に備え、私たちの選択肢を守るための盾なのよ。あんたみたいに何でもかんでも使い切ってたら、いざって時にどうするの?」
「いざって時は、その時に持ってる全部の力でなんとかするのよ! 今を全力で生きなきゃ、明日なんか来ないでしょ!」
「備えがなきゃ、全力すら出せないわよ!」
「備えてばかりで出し惜しみしてたら、今日死ぬかもしれないじゃない!」
バチバチバチッ!
ミナの『貯める』価値観と、ザザの『使う』価値観が、火花を散らして真っ向から衝突していた。
俺とダインは、その凄まじい気迫に押されて、焚き火の端っこで小さくなっていた。
「ど、どっちも一理あるから、止めづらいな……」
「ああ。だが、二人とも商隊や我々の安全を思っての主張だ。悪気はないのだろう」
ダインが冷静に分析する通り、二人の口論は本気の喧嘩というより、哲学のぶつかり合いのような妙な熱を帯びていた。
結局、二人の論争は決着がつかず、「じゃあどっちが正しいか、これからの旅で証明してやるわ!」という売り言葉に買い言葉で、なぜかザザが俺たちの野営の輪に加わることになった。
昼前になり、商隊は『一枚葉野営地』を引き払い、再び街道を進み始めた。
道中、別の街から来た行商人の馬車とすれ違い、ミナが『目的別の共同財布』の予備費から、これからの旅に必要な共有の道具をいくつか購入した。
丈夫な麻のロープと、藪を切り裂くための鉈だ。
「よし。これで山道や谷間でも安全に進めるわね」
ミナが満足げにロープと鉈を荷台に置くと、ザザがずいっと身を乗り出してきた。
「ちょっと待って。せっかく新しい共有道具を買ったんだから、まずは『名前』をつけないと」
「……は? 名前?」
ミナが怪訝な顔をする。
「当たり前でしょ! 道具には愛着と気合を入れなきゃ、いざって時に力を発揮してくれないわよ! あたしの金槌が『鉄砕き』って名前みたいにね!」
「おおっ! それいいな!」
俺は即座にザザに賛同した。自分の鍋に葉っぱの印を刻んだ時の高揚感を思い出したのだ。
「じゃあ、この鉈は『草刈り丸』ってのはどうだ!」
「ダサいわねカイ。鉈なんだからもっと尖った名前にしないと。『断末魔の牙』とか!」
「ザザ、それはちょっと物騒すぎないか? じゃあ、ロープの方は『ニョロニョロ縄』で……」
「駄目だ、二人とも。聞いていられないな」
突如、馬車の横を歩いていたダインが、深刻な顔で会話に割り込んできた。
「いいか、これは我々『一枚葉』の部隊の備品だ。有事の際に名前を呼ぶ時、そんなふざけた名では規律が保てんし、威厳もない。鉈は『聖断の白刃』、ロープは『結束の絆』とするべきだ」
「「ダサっ!!」」
俺とザザの声が見事にハモった。
「なっ……騎士団では武具に威厳のある名を……」
「ダイン、お前料理の時はあんなにセンスいいのに、ネーミングセンスは最悪だな!」
「ちょっとあんたたち!」
ミナの怒号が飛んだ。
「ただのロープと鉈でしょ!? 名付けなんてどうでもいいから、早く荷台の奥に片付けなさいよ!」
「どうでもよくない! よし、多数決だ! 俺の『ニョロニョロ縄』に一票!」
「あたしは『絞殺の蛇』!」
「『結束の絆』だと言っているだろう!」
「だから! ただのロープよ!!」
それから次の休憩地点に着くまで、俺たちの馬車の周りでは、終わりの見えない道具の命名会議が延々と繰り広げられた。ミナのツッコミは、最後まで無視され続けた。
その日の夜。
新しい野営地で、ダインの(無料草を入れさせてもらえなかった)完璧なスープを堪能した後。
ザザが、商隊の荷馬車の一つに積まれていた木箱を開け、中身の確認をしていた。
「……ん?」
ザザの動きが止まり、顔つきが険しくなる。
「どうした、ザザ。命名会議の続きなら俺は負けないぞ」
俺が声をかけると、ザザは木箱の中から拳大の青い石を取り出し、俺の目の前に突きつけた。
「これ、見て。商隊が運んでる『蓄魔晶』の原石よ。あたしの故郷、カレドの鉱山で採掘されたものなんだけど……」
俺が『残り見』の感覚でその石を見ると、普通なら石の中に渦巻いているはずの魔力のゆらぎが、極端に薄くなっているのがわかった。
「魔力が……ほとんど入ってないな。すっからかんに近いぞ」
「やっぱり、あんたにもそう見える?」
ザザはギリッと唇を噛んだ。
「おかしいのよ。カレドの鉱山で採れる石は、もっと魔力密度が高くて硬いはずなのに。これじゃあ、ちょっと衝撃を与えただけでボロボロに崩れちゃう。まるであの村みたいに、魔力を無理やり『吸い尽くされた』後のカスみたいだわ」
ザザの言葉に、俺とミナは顔を見合わせた。
旧ギルド倉庫の地下流路の詰まり。前借り契約による水源の搾取。
そして今度は、鉱山都市カレドの鉱石の異常。
俺の地図に記された葉印の街に近づくにつれ、世界の『流れ』がどこかで不自然に歪められている気配が、ますます色濃くなっていた。




