第12話「一日三食と元騎士の鍋」
ミナがギルドで引き受けてきた『商隊護衛』の仕事。
それは、河港リュドから東の街へ向かう五台の荷馬車を、盗賊や魔物から守りながら随伴するというものだった。
「右後方、森の影が深い! 斥候を少し広げろ。カイ、風の音に異常はないか?」
「おう! 今のところ獣の匂いもしないぞ!」
街道を進む商隊の列で、ダインのよく通る声が響いていた。
彼はミルヴァの谷崩れで出会った頃からずっと生真面目だったが、護衛の任務となるとさらに規律に厳しくなった。ダインの的確な指示のおかげで、俺たち『一枚葉』の三人は商隊の護衛たちの中でもすっかり中核として頼りにされている。
「……しかし、街ってのは本当にすごいな。毎日が驚きの連続だ」
俺は荷馬車の横を歩きながら、配られたばかりの干し林檎をかじり、しみじみと呟いた。
「何がよ。あんた、さっきからそればっかりじゃない」
帳簿を片手に馬車の荷台に乗っていたミナが、呆れたように首を振る。
「だってさ! 朝起きて飯を食って、昼にも飯を食うんだぞ? さらに太陽が沈んだら夜飯まで出るっていうじゃないか! 『一日三食』だなんて、王様みたいな贅沢だ! しかも、馬車が休憩するたびに『おやつ』って言って甘い実まで配られるんだぞ!?」
「あのねえ。歩き通しの商隊なんだから、カロリーを補給しないと倒れちゃうでしょ。普通のことよ」
「普通じゃない! 山じゃ、朝起きて水飲んで、日が暮れる前に木の実か肉をかじるのが普通だったんだからな! 三回も飯が食えるなんて、この世の春だ!」
俺が干し林檎を天に掲げて感動していると、前方を歩いていたダインが苦笑しながら振り返った。
「そんなに喜んでくれるなら、今夜の夕食も腕の振るい甲斐があるというものだ」
「えっ、ダインが作るのか?」
「ああ。護衛の合間に、商隊の料理長から今夜の鍋の仕込みを任されてな。期待していてくれ」
ダインは青いマントを翻し、妙に自信に満ちた顔で頷いた。
やがて日が暮れ、街道沿いの開けた場所に商隊の野営地が構築された。
護衛たちが交代で見張りに立つ中、野営地の中央ではいくつもの焚き火が焚かれ、大きな鉄鍋が火にかけられていた。
「塩加減はこれでよし……次は香草だな。肉の臭みを消しつつ、野菜の甘みを引き出すためには……」
ダインはいつの間にかマントを外し、腕まくりをして真剣な表情で鍋と向き合っていた。その姿は、剣を構えている時よりもずっと隙がない。
「おおーっ、いい匂いだな!」
俺はダインの横にしゃがみ込み、グツグツと煮える鍋を覗き込んだ。
確かに美味そうな匂いだが、山育ちの俺から見れば、少し具材のボリュームが足りない気がした。
「よし、ダイン! 俺が少し量を増やしてやるよ!」
「ん? カイ、何か持っているのか?」
「おう! さっき見張りのついでに、その辺で『シブミ草』をいっぱい摘んできたんだ! これ、生で食うと死ぬほど苦いけど、鍋に入れれば腹の足しになるぞ!」
俺が腰の袋から、緑色の雑草の束をわっさりと取り出し、鍋の上へ放り込もうとした瞬間だった。
「――何をしているッ!!」
バシィィィッ!!
ダインの手刀が、凄まじい速度で俺の手首を叩き落とした。
「いっっっっっつ!?」
俺は悲鳴を上げて草を落とした。ダインの目は、かつてないほど血走っていた。
「カイ! 貴様、私の完璧な味付けの鍋に、下処理もしていないその辺の雑草をブチ込む気か!」
「だ、だって量が増えるし、無料の草だぞ!?」
「量など問題ではないッ! 料理とは調和だ! 計算し尽くされた塩分濃度と、香草のバランス、肉から出る出汁の三重奏! それを無料だからといって苦い草でぶち壊すなど、万死に値する!!」
「ひえええっ、ごめんなさい!!」
ダインの放つ、騎士の威圧感……いや、料理人の尋常ではないプライドに、俺は思わず平伏した。
一部始終を見ていたミナが、お腹を抱えて笑っている。
「あはははっ! カイ、あんた本当に怒られる天才ね! ダインの料理のこだわりに泥を塗るなんて、百億年早いわよ!」
その後、ダインが丹精込めて完成させた鍋は、信じられないほど美味かった。
肉は口の中でとろけ、野菜の甘みがスープに溶け出し、塩と香草のバランスが絶妙だった。
「う、うめえ……! なんだこれ、ほっぺたが落ちるぞ!」
俺はダインがよそってくれた木の器を一瞬で空にし、三杯目のおかわりを要求した。
「ふっ。そうだろう。火加減には少し苦労したがな」
ダインは自分の器を上品に持ちながら、どこか誇らしげに微笑んでいた。
「ダイン、お前すげえな! 剣も強いし、指揮もできるし、こんなに美味い飯まで作れるなんて! 俺、お前のこと一生尊敬するぞ!」
俺が過剰なほどに敬意を表すと、ダインは少し照れくさそうに視線を落とした。
「騎士団にいた頃、野営のたびに部下たちの飯を作っていたからな。戦場で士気を保つには、何より温かくて美味い食事が不可欠なのだ」
「へえ、ダインって王都の騎士だったのか。そんなに優秀なのになんで辞めちまったんだ?」
俺が純粋な疑問を口にすると、ミナが「ちょっとカイ、失礼よ」と小声で窘めた。
だが、ダインは焚き火の炎を見つめながら、静かに答えた。
「……簡単なことだ。規律と、自分の信条が合わなくなった」
パチッ、と薪が跳ねる。
「ある討伐任務の最中、命令に背いて目の前の民間人の救助を優先した。結果として部隊の陣形を崩した責任を問われ、軍を抜けることになった。それだけだ」
ダインは一言で過去を語り終え、エールを喉に流し込んだ。
命令より救助。
俺はその短い言葉の中に、ダインという男の揺るぎない芯の強さを見た気がした。
ミルヴァの谷崩れの時もそうだ。彼は誰よりも早く怪我人の救助に動いていた。
「そっか。……ダインが俺たちの仲間になってくれて、本当によかったな」
俺が笑って言うと、ダインはフッと息を吐き、「契約書にサインした以上、護衛の任は全うするさ」と少しだけ柔らかい顔を見せた。
翌日。
俺たち商隊は、東の街道を横断する巨大な河の『渡し場』へと到着した。
ここから先は橋がなく、大きな渡し船に乗って対岸へと渡る必要がある。
だが、渡し場の様子がおかしかった。
「どうしたんだ? 船が全部、岸に繋がれたままだぞ」
俺が首を傾げると、商隊長と話していたダインが険しい顔で戻ってきた。
「足止めだ。川の様子がおかしいらしくてな。水面が異常に波立ち、船を出すと転覆する危険があるそうだ」
「川の様子が?」
俺は川岸へと歩み寄り、『残り見』の感覚を水面へと向けた。
確かに、ただの風や潮の流れじゃない。水の下で、無数の魔力が不規則に渦を巻いて衝突し合っているような、奇妙な『乱流』が発生していた。
「おい、見ろ! なんだあれ!」
護衛の一人が対岸を指差して叫んだ。
俺たちが目を凝らすと、ざわつく川の水面から、銀色に光る無数の河魚が、まるで何かに弾かれるように空高く跳ね上がっていた。
水しぶきの向こうで、商隊の荷馬車が一台、岸へ寄れずに傾いた。




