第10話「一枚葉」
「貴様……この葉を、誰から受け取った!!」
冒険者ギルドの応接室。ガシャンと砕けたティーカップの破片を気にも留めず、旧ギルド長は俺の胸倉を掴まんばかりの勢いで身を乗り出した。
「誰からって、俺の師匠の爺さんだけど。ベレンって名前の」
「ベ、ベレンだと……ッ!?」
その名前を聞いた瞬間、旧ギルド長は雷に打たれたように硬直した。
同席していたミナが、慌てて間に入る。
「ちょ、ちょっとギルド長! いきなりどうしたんですか! この葉っぱが何なんですか!?」
旧ギルド長は震える手で押し葉をテーブルに置き、ドサリと椅子に座り直した。
「……これは、ただの葉ではない。今から四十年前、この国中に張り巡らされていた『旧環路』の施設……その中枢へ入るための、最上位の通行証だ」
「通行証?」
「そうだ。そして、君が言った『ベレン』という名。ギルドの最奥に保管されている古文書に、たった一箇所だけその名が記されている」
旧ギルド長は、ゴクリと唾を飲み込み、重々しい声で告げた。
「その男は、数多の命を奪った忌まわしき『断流罪人』として記録されている」
応接室に、ひんやりとした沈黙が落ちた。
ミナが息を呑み、護衛として壁際に立っていたダインも剣の柄に手をかけた。
罪人。しかも、数多の命を奪ったという。
緊張に包まれる部屋の中で、俺は腕を組んでうーんと唸った。
「……罪人、ねえ」
「カイ……」
ミナが心配そうに俺の顔を覗き込む。
だが、俺はニカッと笑ってテーブルを叩いた。
「まあ、あの爺さんならやりかねないな! 夕飯の鍋を焦がした罪なら俺が証人になるぞ! あの時は本当に俺の命(腹)が危なかったからな!」
ズコーッ!
ミナが盛大に椅子から滑り落ち、旧ギルド長も口をパクパクと開閉させた。
「お、お前……自分の育ての親が大罪人かもしれないと言われているのだぞ!? 少しは動揺せんか!」
「動揺って言ってもなぁ。俺にとっては、カビた葉っぱを干して泣いてるただの爺さんだからな。昔何をやったにせよ、俺がもらったこの葉っぱで手紙が開くなら、それ以上のことは後回しだ」
俺の言葉に、旧ギルド長は深く長いため息をつき、ひび割れた声で笑い出した。
「ふ……ふははっ。そうか、お前はそういう男か。あの狂気の設計者の弟子にしては、ずいぶんと空が抜けている」
旧ギルド長は立ち上がり、扉の方へと顎をしゃくった。
「よかろう。旧倉庫の地下へ案内する。ただし、地下は未だに魔力が淀み、崩落の危険がある。特別討伐隊の指揮官であるダイン、君にも同行してもらうぞ」
「はっ。承知いたしました」
ダインが短く頭を下げた。
旧ギルド倉庫は、昨日ダインたちが討伐した大型魔獣の死骸が運び出された後で、ひどい有様だった。
倉庫の床は大きくひび割れ、そこから地下へと続く巨大な螺旋階段が口を開けていた。
俺たちは松明の明かりを頼りに、薄暗い地下へと降りていった。
「すげえな……地下にこんな空間があったなんて」
そこはただの地下室ではなかった。
見上げるほど高い天井。壁面には青白い光を放つ鉱石が埋め込まれ、中央には干上がった巨大な水路のような溝が真っ直ぐに伸びていた。
それが『旧環路』だった。
「これが、かつて自然魔力や地下水、あらゆるエネルギーを街から街へ循環させていた大動脈の跡だ」
旧ギルド長が懐かしむように、しかし苦々しく言った。
「だが、見ての通りだ」
俺たちが進んだ先、巨大な流路は完全に塞がっていた。
長年の放置による岩盤の崩落と、そこに魔獣が持ち込んだ泥や倒木が何重にも絡み合い、強固なダムのように流路をせき止めていたのだ。
「この詰まりで、森へ流れる分が減っていたのね」
ミナが呟く。
「ああ。この詰まりのせいで森の魔力が遮断され、数日前の森の異常や、魔獣の暴走を引き起こしたんだろう」
俺は流路の壁に手を当て、『残り見』の感覚を広げた。
壁の向こう側で、行き場を失った膨大な自然魔力と地下水が、今にも弾けそうな圧力で渦巻いているのがわかる。
「下流の水門は開いてるか? 人は避難したか? いきなり全部流したら、今度は街が水浸しになる」
「ギルド長が確認するまで触るな。仮の逃がし溝を掘り、少しずつ圧を落とす」
「わかった。ミナ、上へ伝えてくれ。ダイン、避難の合図が来たら岩を頼む」
俺は瓦礫の山の前に立ち、息を深く吸い込んだ。
水門の開放と避難完了の合図が、階段の上から届いた。「ダイン、頼む!」
「――ハァッ!」
ダインの長剣が閃き、強固な瓦礫の要となる大岩が三つ、四つと綺麗に両断された。
瓦礫のバランスが崩れ、せき止められていた水と魔力が牙を剥いて溢れ出そうとする。
「いっけえええええっ!!」
俺は両手を突き出し、その膨大な圧力を自分の中へ『通した』。
壁の向こうの水を引っ張り、風を巻き込み、巨大なスクリューのように回転させて瓦礫の山へと叩きつける。俺の《環流術》と、ダインの物理的な破壊が合わさり、瓦礫の間に狭い通り道ができた。流れる量を抑えながら、残りの泥を上流側へ寄せる。
ゴォォォォォォォォッ!!
水と魔力が、確保した逃がし溝から旧環路へ流れ込んだ。強い流れだが、水門の監視員が下流の量を見ている。
淀んでいた空気が一掃され、清浄で冷たい風が地下空間を満たした。
「……素晴らしい。森の息吹が、街へ戻っていくのがわかる」
旧ギルド長が、感極まったように目を閉じた。
「おおーっ! やったなダイン! 俺たち、結構いいコンビじゃないか!」
「……無茶苦茶な術だ。だが、悪くない」
ダインが剣を鞘に納め、わずかに口角を上げた。
泥水が引いた流路の奥に、金属製の重厚な扉が現れた。
扉の中央には、葉っぱの形をした窪みがある。
「さあ、カイ。手紙の時間よ」
ミナに促され、俺は首から下げていた押し葉をその窪みにはめ込んだ。
カチリ、と小さな音が響き、重い扉が自動で開く。
中には小さな石の台座があり、そこに一通の封筒が置かれていた。
俺は震える手で封を開け、中の手紙を取り出した。
きっと、何かすごいことが書かれているに違いない。世界の秘密とか、師匠の過去とか、魔法の真髄とか。
手紙には、ただ一行、見慣れた爺さんの字でこう書かれていた。
『この街で一番いいものを自分で見つけろ。帰ったら聞かせろ』
「…………」
「…………」
俺とミナは顔を見合わせ、数秒の沈黙の後、盛大に吹き出した。
「あははははっ! やっぱりただの爺さんだ! ここまで来てそれかよ!」
「もう、本当に変な師匠ね! でも、あんたにはぴったりの手紙じゃない」
ミナが涙を拭いながら笑う。
俺は土産話用の白紙の手帳を取り出した。
この街で一番いいもの。
屋根がたくさんあったこと。布団がふかふかだったこと。風呂が気持ちよかったこと。それから、まだ財布に残る銅貨で買って味見した、街の塩。
どれも最高だったが、俺は最初のページに、大きく二文字だけ書き込んだ。
『塩』
「……ちょっと、カイ。さんざん色んなものを満喫しておいて、塩?」
ミナが手帳を覗き込んで呆れ声を出す。
「最初の銀貨で、門を通って、宿に泊まって、それから塩を買った。山で削っていた岩塩より細かくて、ダインの鍋にひとつまみ入れたらうまかった。あれが一番だ」
「安上がりな男ね。でも、あんたらしいわ」
ミナがクスリと笑った。
数日後。
俺たちは、ミルヴァの街の正門前に立っていた。
旧環路の流路を修復したことで、森の魔獣の異常はすっかり収まり、街は日常を取り戻していた。俺とダインの活躍はギルドの噂になり、いつの間にか街の連中は、俺の鉄鍋に刻まれた不格好な印を見て、俺たちを『一枚葉』と呼ぶようになっていた。
「旧ギルド長は、いつでも街に寄ってくれと言っていたぞ。どうする、次はどこへ向かう?」
ギルドの救助隊の任を終えたダインは、「避難路と旧環路を次の町でも確かめたい」と同行を申し出た。ミナが報酬分配を決めるまで、まずリュドへ一緒に行く。巨大な荷物を背負った彼が聞いた。
「ええと、地図の『第二葉』がある場所は……」
「河港リュドよ。ミルヴァから馬車と徒歩で十日くらいね。もちろん、旅費はあたしが徹底的に管理するから、無駄な買い物は一切許さないわよ!」
ミナが分厚い帳簿をポンと叩く。
「おう! リュドってことは、川沿いの街だな! 美味い魚がいっぱい食えそうだ!」
財布には塩を買った釣りが残っている。魔槽測定は相変わらず0表示だ。
でも、背中には大好きな鉄鍋があるし、隣には頼れる(そして口うるさい)仲間がいる。
街の全部が贅沢で楽しいこの旅は、まだまだ終わらない。
「よし、行くぞ! 出発だ!」
俺は青空に向けて、力いっぱい拳を突き上げた。




