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 芭磁・バスティード。もうすぐ四十になるかという歳の大柄の男で、口ひげを生やし人懐っこい笑顔をその顔に乗せている、バスティード商会の会頭だ。

 バスティード商会は璃華がいた孤児院の町にも来ていて、彼はその頃からの付き合いがある相手だ。

 旅を始めた最初の頃にもたくさん世話になった。旅をするという事がどういう事で、どうするべきなのかを教えてくれた師匠のような存在である。

 彼は家族も含めた数十人の大所帯で旅をしながら商いをしている隊商の長だ。


「ここで会えるとは思わなかったなぁ。少し背が伸びたか?」

「え、そう? 変わらないと思うけど」


 芭磁と最後にあったのは、もう半年以上も前のことだ。

 そのころ璃華はバスティード商会と数ヶ月をともに旅していたのだが、璃華が商いとは全く縁のなさそうな場所に興味を持ったので、彼らとはそこで別れた。


(そういえば、夜煌と初めて会ったのって、その直ぐ後だったっけ)


 ふと雪の中の遺跡を思い出したが、すぐに目の前の男に意識を戻す。


「みんな元気にやってる?」

「おう、相変わらずだぞ。お前さんが居なくなって寂しいとか嘆いている奴らはいたけどな」

「……ああ、うん」


 どうやら本当に相変わらずらしい。

 酒を飲んでは――飲まなくとも絡んで来る男たちを思い出して璃華は嘆息した。

 その反応に芭磁は豪快に笑う。


「花散祭に来たって事は踊るんだろう?どこでやる」


 芭磁の言葉に璃華は小さく首を振った。


「まだ決めてないよ。たぶん広場でがメインになると思う」

「ならうちでも一回やってくれ」

「了解」

「……ところでお前さんもやっと色気づいてきたか」

「は?」

「おじさんは嬉しいぞ。でも他の奴らは嘆くだろうなぁ。いや、からかうか」

「いやいや、なんの話?」


 芭磁は一人でうんうんと頷いていているが、璃華には何の事か分からない。したり顔で笑う芭磁は璃華の背後に目をやった。


「お前さんの後ろにいるのは彼氏だろう?」


 にやにやしながら彼女と夜煌を交互に見ている芭磁に、璃華はすっかり夜煌の存在を忘れていた事に気付いた。

 慌てて夜煌を自分の横に引っ張ってくる。


「これ、あたしの専属バイオリニストで兼用心棒。この前から一緒に旅してるけど、そういうんじゃないから」


 彼女に押し出させるように前に出された夜煌は、小さく頭を下げて芭磁に挨拶した。

 夜煌を見る芭磁の目が、興味深そうに細められる。


「初めまして、夜煌です。この前から璃華にお世話になっているバイオリニスト兼、用心棒らしいです」

「おう、よろしくな」


 軽く握手を交わして、夜煌はそのまますっと下がった。

 その興味がなさそうな態度に小さな呆れた溜め息を吐いて、璃華は芭磁に向き直った。


「芭磁さんたちも商売を?」

「もちろん。この時期のレリルに商人として来ないなんて選択肢は無いだろう。この街の花散祭は他の場所よりも派手だし、街のあちこちで飲めや踊れやのドンチャン騒ぎ。物は売れるし、楽しいしで俺たちには良い事ずくめだな。大抵の旅商人はかき入れ時だつってわんさか来てるぞ。観光客も合わせると、この時期のレリルの人工は普段の三倍だとよ」


 確かにいつもより広場での観客の人数も多かった気がする。


「踊り子の仕事も、酒場かなんかで沢山あるんじゃないか? ……お前さんもなぁ、仕事も良いが、早く恋人の一人や二人、三人や四人作っても良いだろうに」

「いや、それは作りすぎだって」

(とき)()は行く街々で取っ替え引っ替えしてるぞ?」

「はっ? 何それ、良いの? 芭磁さん!」

「別に良いんじゃないか。あいつの人生はあいつのもんだ」


 秋沙とは璃華の親友で芭磁の娘である。

 誰もが振り返るほどの美少女なのに、性格はさばさばしている姉御肌。街から街へと渡り歩く隊商の一員であるからして、特定の恋人と長続きしたことはなく、それを取っ替え引っ替えと言ってしまえばそうなのかもしれない。

 だがそれを実の父親が言うのはどうなのだ。

 そうは思ってみても、昔からこの父娘はこのようなさっぱりした関係だった。


「あー、そう」


 呆れたように返すと、芭磁はガハハと笑って大きな手で彼女の頭を叩く。

 璃華の身長が本当に伸びていたとしても、確実に今縮んだだろう。




「そうだ璃華。お前さん、夜中はひとりで外を出歩いたりするんじゃねえぞ」

「ん?」


 ふと声を低くして真剣みを帯びた芭磁に、璃華は何事かと目を丸くした。

 芭磁は周りを憚るように声を小さくして言う。


「まだ公にはされてねえが、最近きな臭い噂が流れてる。このレリルで若い娘が次々に姿を消してるってな」

「失踪? 誘拐?」

「まだなにも分からん。ただ気をつけとけ。かなり臭う」


 長年商人としてあらゆる町を回ってきた芭磁の、この手の感はすこぶる当たる。

 璃華は素直に頷いた。


「分かった。気をつけるよ、ありがとう」

「なんかあったら、気軽に俺んとこ来い。兄ちゃんも、こいつから目を離さねえでやってくれ」


 最後に芭磁が夜煌に向かって言うと、彼は当然というように頷いた。


「なにもなくても後でうちに来いな。秋沙も、他の野郎どももお前さんに会いたがってるからよ」

「うん」


 璃華が答えると、芭磁は自分たちが商売をやる場所を教えて自分の商団に帰って行った。





「璃華」


 いま教えられた場所を忘れないように地図に書き込んでいた璃華は、自分を呼んだ夜煌の声に顔を上げた。


「花散祭って何?」


 ふたりになった途端に質問してくる青年に、先ほど芭磁に聞けばいいのにと思わない事もない璃華だ。

 夜煌は用事がない限り、自分から彼女以外に話しかけない。話しかけられれば返事をするが、必要以上の反応を返さないと言っても良い。

 そんな相変わらずな夜煌に呆れながら、それでも璃華は彼が興味を持った花散祭について説明をしてやる。

 花散祭とは、この国特有のお祭りで、夏の終わりと秋の始まりを祝うものだ。

 五日かけて行われるこのお祭りの最終日には、少しずつ寒くなってきている今も、いまだ変わらずに咲き誇っている花が秋の風に攫われて一斉に散る。花散り風と呼ばれるそれは、花びらを巻き込んで街中を吹き荒れ、しばらくのあいだ街を色とりどりの花びらで染めるのだ。

 この国の中で一番初めに花散り風が吹き、花散祭が行われるのが、ここレリルだ。

 レリルを切っ掛けに風は国を南下していき、毎年それを追いかけるように国のいたるところで花散祭が行われていく。


「綺麗なの?」

「うん。とっても綺麗だよ」


 そう言いながらも曖昧に笑う璃華に、夜煌が首を傾げた。

 苦い気持ちを飲み込んで説明する。


「孤児院にいた頃はさ、あんまりお祭りとか楽しむ余裕が無くて、旅を始めてからはそれどころじゃなくてさ」


 町の人間が孤児に対して向ける視線はそれなりに厳しい。祭などを一緒に楽しむような雰囲気はなく、町で祭があっても孤児院の人間は敬遠した。

 その代わりでもあるのか、孤児院の中では何かある度に、いつもお祭りのような騒がしさがあって楽しかったのだけれど。

 踊り子としての興行を始めてからは、仕事が優先になりゆっくり見物する暇もなかった。


「そうなんだ」

「うん。でも今回は夜煌がいるから……」


 言葉は途中で肩をぶつけられた事によって途切れる。

 入り口近くで喋っていた彼女たちはかなり邪魔だったようで、一目見て目を逸らしたくなるような極悪人面の男が、ぶつかった璃華を睨み付けて離れていった。

 その男に対して夜煌の眉間に皺が寄る。

 璃華自身も、別に態とぶつからなくても良いではないかとか、結構痛かったんだけどななどと思ったりはしたが、取り敢えず今にも極悪人面の男に突っ掛かっていきそうな青年の腕を取って思いっきり引っ張った。


「ほら夜煌、こんな所で喋ってたわたしたちが悪いの。いいから、街に出よう」


 そう言いながら、璃華は早く男が視界から消えてくれないかと冷や汗を掻く。

 少しだけ文句を言いたそうな夜煌を、璃華は瑠璃色の瞳で一生懸命見上げた。目を逸らさずにじぃっと見詰めると、観念したように直ぐに紅茶色の瞳が緩められた。

 それに璃華はほっと息を吐く。

 夜煌の性格の問題点。璃華以外への興味が極端に薄く、彼女に少しでも危害を加えるものには容赦が無い。それはもう清々しいほどに。彼女にとっては冷や汗ものに。


「それで? これからどこ行くの」

「んと、取り敢えず街をぶらぶらしようかな。明日からは街中混むだろうから、今の内にどこにどんな店があるのか知っておきたい」


 すでに街中浮き足立っている雰囲気ではあるが、祭が開催されるのは明日からだ。明日の人工は今日の比ではないだろう。

 二人は賑やかなギルドから出て、街の中へ歩いていった。







 ────それから一時間後の事。

 賑やかな喧騒の中、璃華は一人呆然と立ち尽くしていた。

 まだ祭りの前日にも関わらず、大通りは行き交う人でごった返している。ぎりぎり他人とぶつからずに歩けるかどうかというほどの人通りの真ん中で、立ち止まっているのが迷惑なのは承知の上で、それでも璃華は固まっていた。

 璃華たちは基本的に衣類などを、買っては売ってを繰り返しながら旅をしている。

 その土地特有の服などは他の土地で高く売れる場合もあるし、旅をする身としては荷物は最小限にしなければならない。特に季節はずれの服などは持っているだけ無駄で、荷物にしかならないから売るに限るのだ。

 踊りの衣装は何か特別な事がない限り常に最新の物にするという拘りを持っていたが、璃華はもともと物に執着する質ではないので、必要でない物は簡単に売る事が出来た。

 夜煌も服装などには頓着しないので、いつも璃華が適当に自分と彼の分の物を揃えている。

 だからギルド帰りにいい店はないかと冷やかし半分で覗いていたのだが、……今この場にいるのは璃華一人だった。

 ついさっきまで確かに後ろを歩いていた青年はいつの間にかいなくなっている。

 璃華は十数秒固まったまま思案すると、ようやく現実を認めて天を振り仰いだ。


(──っ迷子かぁ!)


 祭りの日には安く売り出すと広告を出している店に気を取られていたのは、璃華の失態だろう。

 人は多く、つねに喧噪は耳元でさわがしい。だから買い物に目をやってばかりでは、後ろを歩く連れの気配など簡単に見失ってしまう。

 だが一人きりで立ち尽くしていると、ふつふつと苛立ちが募ってくるのを止められない。

 璃華はそれほど早く歩いてはいないし、道を大幅に外れるような事もしていない。間違いなく夜煌の方がふらふらとどこかへ行ってしまったのだ。

 つい先ほど芭磁に璃華から目を離さないと言っていたばかりだろう。その舌の根も乾かぬうちにこのざまだ。いや、夜煌は頷いただけで口は開かなかったのだが。

 だいたい一人では宿にだって帰れないだろうに、どうするというのだ。


 まあいい傾向でもあると、璃華は諦めて大きく息を吐き出した。

 沢山の人間がいる場所に不慣れな夜煌は、少しずつだが色々な事に興味を持つようになった。その興味も直ぐに薄れてしまう様子ではあるが、出会った最初の頃に比べたら随分とマシになったのだ。

 璃華は人々から頭半分飛び出ているはずの亜麻色の髪を探した。彼の長身はこういう時に探しやすい。

 しばらく来た道を引き返した璃華は、何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す青年を発見する。

 不安げな様子は無いものの、その仕草はまるっきり迷子のそれだ。


「夜煌!」


 辺りの喧騒に負けないように声を張り上げた璃華を、直ぐに気付いた夜煌が振り向く。

 目が合うとものすごく嬉しそうに笑顔を浮かべるものだから、たまたま横を通った女の子が頬を染め上げた。

 罪作りな男め、と思いながら人並みを掻き分けて青年の下へ駆け寄り、見上げた顔を睨み付ける。


「何ですぐいなくなるかなぁ!」

「俺がいなくなったんじゃなくて、璃華がいなくなったんだよ」

「子供の理屈かっ!」


 頭を沸騰させそうな勢いで叫ぶ。

 周りを歩いていく人たちが痴話ゲンカだと笑いながら流れていった。

 それに尚、顔を赤くして璃華は彼の腕を叩いた。


「さっさと行く。今度は捜してあげないからねっ!」


 そう言って彼に背を向けると、その手を後ろから掴まれた。

 驚いて振り返った先には、先程と同じ笑顔。


「はぐれないように」


 嬉しそうに笑う彼の表情に肩の力が抜けて、璃華は諦めの溜息を吐いた。

 結局自分は彼を置いて行く事も出来なければ、彼が迷子になればいつだって捜してしまうのだろうと思う。

 ――どうしたって、迷子の手は振り払えない。








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