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比較的綺麗な宿の中。沈み始めた夕日が窓から差し込み、部屋の中を淡く照らしていた。
祭りの前日にも関わらず、この宿が空いていたのは幸いだったと言うべきだろう。
璃華たちはいつも宿では二人部屋を取っていた。二つ部屋を取るくらいならばそのお金で綺麗ないい宿が良いという彼女の主張ゆえだ。
荷解きも済み、璃華はすることもなかったので窓際の寝台に転がる青年を見つめた。
夜煌の真っ白な髪は、いまは陽を吸収して淡いオレンジ色に染まっている。
何を考えるのでもなくその色を見ていると、彼が璃華の視線に気付いて体を起こした。もしくは気付いた振りをして。彼ならばきっと、璃華の視線など初めから感じ取っていたのだろうから。
寝台の上で胡座を掻いた夜煌は、璃華の視線に首を傾げた。
「何?」
「別に何でもないよ」
そう答えると、彼は怪訝そうに眉を顰めた。
その瞳は今の空色よりもずっと濃く鮮やかな、血の色にも炎の色にも見える真紅だ。
これが彼の本来の姿だ。真紅の瞳に真っ白な髪。そして、尖った耳と首筋から覗く複雑な刺青。
彼の容貌は目立ちすぎる。端正な貌に真っ直ぐに伸びた背筋、唯でさえ人を魅了するものを持っているのに、普通の人間には持ち合わせてない色まで持っていては、色々と厄介な事が起こるだろう。
そして、人の形と明らかに違う耳の形は、ある種族を表すもので、また刺青はその種族が必ず体のどこかに浮き出てくるものだ。
だから夜煌はいつもは魔法で耳の形を変え、刺青を消し、髪は亜麻色に、瞳は紅茶色に変えて、人ではない証を全て隠していた。
彼がこの姿を晒すのは璃華とふたりの時である。
夜煌はさっきとは逆側に首を傾げた。
「あのさ、前から思ってたんだけど、やっぱり男と二人部屋ってどうなのさ?」
「どうって?」
彼女が聞けば彼はより難しい顔になった。
「だから、普通駄目でしょ。何かされるとか思わないの?」
「何かって何?」
「分かるでしょ」
むっとして言い返す彼に、璃華は苦笑して肩を竦めた。
「男と思われてないんじゃない?」
「こんな男前捕まえてウソだぁ~!」
他人事のように言ってやれば、夜煌は情けない悲鳴をあげて寝台に沈む。
璃華は彼にばれないように小さく笑った。
「だって経費は節約しないと」
「もっと他に削れる所はあるだろう!」
「衣装とかはケチりたくないし」
「なら俺がお金作る」
「人道に外れるズルは駄目」
きっぱりと言い放った彼女に夜煌は頭を抱えた。
急に黙り込んでしまった夜煌を怪訝に思って、璃華は少し意地悪な言葉を付け加える。
「違う部屋にしたら、わたし次の日には夜煌を置いていなくなってるかもしれないよ?」
その言葉に、夜煌はがばっと起きあがって璃華を見据えた。
その瞳の怖いほど真剣な色に、体が金縛りに遭ったかのように動けなくなる。
真紅の瞳が真っ直ぐに自分だけを映していた。
「君がどこに行っても俺は見つけ出すよ。本気で俺から逃げたいと思ったら、俺を殺せ」
静かに告げられた言葉は、璃華の中を駆け抜けて心に突き刺さる。
いつもとは違う雰囲気が、彼が真剣であると告げていた。
突き刺さった何かで心が痛くて、璃華の口からは思わず反抗的な言葉が出てきた。
「あんたを殺せるような人間がこの世に居る訳無いじゃん!」
「居るよ」
「誰さ!」
「璃華」
「――ッ!」
「璃華になら良い。璃華になら殺されても良い」
その言葉に本気を感じて、璃華の胸がぎゅっと締め付けられた。からかわれているだけかもしれないと心のどこかで思うのに、なぜか泣きたくなる。
もし夜煌が本気で言っているのなら、彼にこんな事を言わせたのは自分なのだ。だから璃華に泣く資格なんか無い。
俯いて涙を堪える。こんな顔を見せるわけにはいかない。
「……ごめん。そういうつもりじゃない」
溢れ出た声は、自分でも吃驚するくらい弱々しいもので、これではいけないと唇を噛む。
静かで怖いほど重い空気を消してしまいたい。
そんな璃華の心情を察したのか、今度は戯けた調子で夜煌が言う。
「まぁでも、璃華が俺から離れたいと思うはずがないし?」
「……なんでよ?」
「だって俺、色男だし」
訳の分からない理屈に脱力した。
同時に溜まった息を吐き出すと、先程までの重苦しい空気が嘘のように、いつもの居心地の良い空間が戻ってくる。
だから璃華は、悔し紛れに呟いた。
「魔王のくせに」
夜煌が喉の奥で笑う。
「魔王ですけど何か?」
夜煌は魔王だ。この世界には、人間や動植物以外に魔族というものが存在する。魔族は人とは魔力の器が違い、また価値観や倫理観も異なり、人間よりもずっと残酷で冷酷だ。
魔族は人間が暮らす人界とは次元の異なる魔界と呼ばれる地に住んでいて、滅多に人と関わる事はない。まれに人界に現れても人間を玩具のように弄び、怯え苦しむ姿を愉しむのがほとんどだ。
ゆえに魔族の起こす厄介事は『魔の災厄』と呼ばれ、人間にとっては魔族自体が恐れの対象である。
夜煌のように人と共に生活をし、人の間のルールを守り、一緒に旅をしているなど普通なら考えられない。
ましてや、彼は魔王なのだ。
魔王とは魔族の頂点に君臨する者の事。つまり彼は魔族の中の誰よりも強いという事だ。
それを璃華が知ったのは二ヶ月前である。
璃華は旅の途中に寄った小さな村で、気紛れに現れた魔族が村を蹂躙している所に出会した。
まさしく阿鼻叫喚の中で、自分一人逃げ出すならばそれほど難しい事ではなかっただろう。弱き獲物を狩る事に夢中になっている魔族に気付かれずに逃げられたはずだ。
だが璃華には目の前の惨劇を見て見ぬ振りをすることが出来なかった。愚かしいと分かっていても、まさにいま人間を殺そうとしている魔族の前に飛び出した。
当然、人間より遙かに力を持った魔族に多少魔力があるていどの璃華が太刀打ちできるはずもない。
数ヶ月前からともに旅をするようになった白猫が飛び出してきたのは、魔族との絶望的な力の差に彼女が死を覚悟したときだ。
咄嗟に守らなくてはと白猫に伸ばした手は虚空を掻き、魔族が振り下ろした鋭い爪は後ろへと弾き飛ばされた。
何が起こったのか分からず呆然とする璃華の前にはすでに白猫の姿は無く、代わりに猫の毛並みに似た白い髪と血のように真っ赤な瞳を持った青年が立っていた。
魔族特有の長く尖った耳、頬をつたう刺青は、見える範囲だけでも広い。刺青の大きさは、その魔族の強さに比例するのだと、どこかで聞いた事があった。
璃華を一瞥してから対峙する魔族に向き合った青年の背中からは、明らかな怒気が伝わってきた。
赤い瞳に射貫かれた魔族が、一瞬で顔を引き攣らせた。
驚愕と恐怖に染まった顔。震えを押さえられない声が「魔王」と呼ぶ。
魔王は振り向き、彼女に問うた。
『璃華、どうしたい?』
『あいつら、やっつけて!』
魔族を指さして叫んだ璃華に応えるように、魔王は一瞬で魔族との間合いを詰めた。そこから先は、何が起こったのかよく分からない。
ただ、気付いた時には村を蹂躙していた魔族は跡形もなく消えていた。
魔王は腰を抜かしている璃華を抱き上げると、恐怖に固まっている村人たちを置いて、その場からあっという間に離れた。空間を飛ぶという、人間にはぜったい出来ない魔法で。
周りになにもない平原で璃華を降ろした魔王は、いまだ呆然としている彼女を覗き込み、その頬に手を伸ばした。
頭の中が混乱したまま座り込んでいた璃華は、いきなり自分の方に伸びてきた手にビクリと体を震わせた。
それを見た彼は、手を止め顔を顰めた。その赤い瞳に傷ついた色がはしる。
それを不思議に思いながら見上げていると、魔王は地面に膝を着いて璃華と同じ視線になり、口を開いた。
『俺が、こわい?』
訊ねる彼の声のほうが怯えている。
璃華はゆっくりと首を振った。
この者が彼女を傷つける事はないと、一瞥された時に分かった。血のようだと思った瞳は、輝く宝石のようにも、燃え盛る炎のようにも見える。
その瞳を正面から見た瞬間、璃華は彼が自分を傷つけないと確信したのだ。
『ま、おう?』
『……違う、俺は夜煌だよ』
夜煌とは、璃華が寂れた神殿で拾った白猫に付けた名前だ。
璃華と魔族の間に飛び出した猫の姿はどこにもない。いや、夜煌は確かにこの青年へと姿を変えた。
『や……こう?』
『うん』
目の前の青年が頷く。懇願するような眼差しを向けてくる彼に白猫の姿が被る。
『どうして、……助けてくれたの?』
夜煌の姿はどう見ても魔族のものだ。どうして人間である璃華を守り、同族のはずの魔族を倒してくれたのだろうか。
魔王は複雑な心の内を表現できなかったかのような、ぎこちない笑みを浮かべた。
『君が、歌を歌った時、俺の世界が変わったんだ。君が俺の世界になった』
真摯な声と瞳。嘘の混じらない言葉に、璃華は深い溜め息をついた。その途端に不安げに変わる夜煌の顔に彼女は苦笑する。
彼が言った言葉の意味全部が理解出来た訳ではなかったけれど、それが目の前の青年にとってとても大事な事なのだという事は分かった。
そして、きっと否定してはいけないのだという事が。
『ありがとう』
礼を言って彼の手を取ると、夜煌は驚きに目を瞠って固まった。それから、躊躇うように、縋るように、その手をぎゅっと握り替えしてきた。
『俺、まだ璃華の傍にいても良い?』
恐る恐る聞いてくる青年に笑いかけて、璃華は白猫に言った言葉と同じ言葉を紡いだ。
それは、始まりの言葉、これから先へと繋がる約束の言葉だ。
この後、村に置いて来てしまった彼女の荷物や、これからの彼の行動で何悶着かあったが、それから二ヶ月経って、今は共に順調な旅をしている。
璃華は溜め息をついて窓の外へと視線を逃がした。陽はとっくに沈み込んでいて、すっかり夜の気配に満ちている。
時計を見るとまだ早い時間だが、明日から仕事が入るかもしれないし、旅の疲れは取っておくに限る。
なにより、先程の会話は十分に璃華を疲弊させた。
「わたしもう寝るよ。夜煌も早く寝なね」
「うん。おやすみ」
寝台に潜り込んだ璃華に夜煌の穏やかな声が届く。
その声に導かれるように瞬く間に睡魔が襲ってくる。瞼が重くなっていき、旅の疲れが溜まっていた事を実感した。枕に沈み込むように体の力が抜けていく。
(……やっぱり、少し疲れた)
側に人のいる気配を感じながら眠るのはどこか安堵する。
眠りに落ちる瞬間、大きな手が髪を梳きにくるのにはもう慣れた。
そうして璃華は夜の帳にゆっくりと身を沈めた。
明日の午前中に、もう一話追加します!




