153.まだ俺を語ろう
「おはよう」
誰に言うでもなくベットから体を起こして前を向いて
壁に向かってそうつぶやく。それが体に染みついて
日課のように朝に起きる旅にやっていた。時には
体がだるくて体が起こせない時も欠かさずに体を
起こさずとも、目を開いた天井に向かって同じように
おはようとつぶやく。そうやって俺の朝は始まった。
二階の俺の部屋から一階に降りる。家自体が少し古い
関係上、階段を一段また一段と降りるごとに歩みのリズムに
合わせてキシッとかミシッと足元から音が鳴る。俺は
この音があまり好きじゃない。理由は……確か……
……よくは覚えていない。家が古いとはいえ俺が生まれる
前に一度リフォームを施してあるから、根っからの古住宅
というわけではない。それでも型が古いだけあってやはり
ところどころでこうやってリフォームが足りていない部分が
あらわになる。
もしかしたら「自分の家が古い」ことを階段が奏でる
音楽が体現していることが嫌だったのかもな。
「いただきます」
リビングで俺は焦げた食パンをかじる。いつもいつも
トースターの火加減を間違ってこうなってしまう。
だからって焼かずにそのままは食べない。もそもそする
のが嫌だから。
「ごちそうさま」
食器をシンクに片付けて再び二階に向かう。今度は
音なんて関係なしにどたどたと何かを急かすように。
そして、着ていたパジャマを脱ぎ捨て、何らかの
キャラクターのモチーフが描かれたシャツを着る。
ズボンも最近冷え込んできたから長めのを用意する。
でも、あまり長すぎると遊ぶときに邪魔になるから
気持ち短めの長ズボンを選んで履く。
よし、と満足できるだけの格好になったらまたうるさく
階段を下りて洗面所に向かい、歯ブラシを構える。
いつも急ぐようなことはないが、どうにも落ち着きが
ないようにも見える。それでもせっせと準備をしたくて
たまらないんだ。
「ぅおーい」
あ、タケちゃんだ。
朝からそんな大きな声がよくもまぁ出せるよなぁ。
毎日とは言わないもののほとんどの日はこの声が俺を
外に連れ出す合図になる。
その元気で鬱陶しい大声を聞くといつも俺は余計に
急いで支度を始める。そんな急がなくてもまだまだ
登校時間には余裕で間に合うというのに。
「いってきます」
俺は部屋から持ってきていたずっしりと無駄に重たい
カバンを背負う。中身は教科書、ノート、それと例の
あの本と、実に勉強とはかけ離れたどうでもいい遊具
にも見える道具たち。おとなしめの性格とはいえ、俺も
昔はお昼の休みとなれば我一番と教室を飛び出して
校庭に飛び出したもんだ。
といっても必ず一番に校庭につくのはタケちゃんで
俺が一番遅かったりするんだがな。
「おまたせ」
「おっそ!!」
「タケちゃんが早いんだって」
時間は8時の少し前、このままてくてくと歩いて、
途中で花の香りに誘われふらりと道草を食ったとしても
学校には余裕綽々と付く。その道を時には競争だったり
花をむしり倒してでっかいタンポポの花束を作ったり
コンクリートから這い出るアリを追い回したりしながら
遅くも早くも登校する。
これが日常であってこれが俺と俺たちの普通だった。
「今日の宿題はやったの?」
「学校にあるからできるわけねーじゃん」
「持って帰りなよ」
「持って帰ってもやらないんだから別にいーだろ」
タケちゃんは宿題を期日に出せたことは一度たりとも
ない。そんなことがあったとしたら次の日は地震か
雷か、火事かおやじだよ。
「あ、先生おはよう!!」
「おはようございます」
「タケ、ちゃんと****みたくございますってつけろっ」
「ございます!」
「よし!」
それでいいのか、先生よ。
ただでさえ、こっ早い俺たちよりも学校に付いてる
先生方は一体いつ学校に来ているんだろう。
俺たちが会ったのは……くそっ、また名前が出ない。
まぁ、その先生は学校でも有名寄りの先生で決して俺らの
担任なりを持っていたわけではないが、長らく俺たちの
登校を見続けているから名前を憶えられているのだろうな。
その先生は毎日のように一つの大きな交差点の端っこで
立って俺ら児童が来るたびに「おはよう」と挨拶を
してきてくれる。こういう当たりが優しい先生というのは
やはり人気が出るもので、学校内でもいろいろとあの
先生についてのコイバナなんかが流行ったり流行らなかったり
していた。
「今日は早いんだね、君たち」
「いつもよりは近道した!」
「そうかぁ、でもちゃんとした通学路で来てね。じゃないと
いつもここを通るのにいなーい!って不安になるからね」
「ここには絶対来るから大丈夫だよ先生」
「そっか、よかったよかった。この先工事中だから
気を付けるんだよー」
「はーい」
あの交差点さえ通ればいいのかよ。今になって思うが
あの先生は優しいのか、ただ単純に子供に対して甘々なのか
よくわからないな。
この辺りはやっぱり時代背景ってのがあるよな。まだ
「体罰」はおろか「イジメ」なんて言葉すら現れても
ままならなかった頃の話だ。そういうゆったりとした
時間があった時期といってもいいだろうな。
あの先生は工事中とは言ったものの工事中なのは
俺たちがいつも歩く通学路とは逆方向の歩道で危なげの
”あ”の字もない。毎度のごとく俺らの通学を見届けて
いるにしてはずいぶん的外れな道案内をするもんだが
それはまぁここで討論すべきことじゃない。
「いくぞっ!」
タケちゃんが率先して走り出す。それに負けじと俺も
走り出す。道中のいつもワンワカうるさい柴犬も時期の
寒さで黙りこくっている。
もう夏とは言えないほどに朝が冷え込むような季節。
紅葉も猛り、へくしゅと可愛げの残るくしゃみが校舎の
いたるところから聞こえてくる。そんな変わり目の時期だ。
キーンコーン
朝一番のチャイムが通学路から聞こえる。朝が早いだとか
なんだかんだ言っている俺自身、クラスの誰よりもこの
音を聞けることが楽しみでもあった。誰よりも先に
「一日の始まり」と会える。そんな気がしたからだ。
タケちゃんもチャイムに合わせて足を速める。それに
合わせて俺も急ぐ。まだ何もない学校はまだしんと
静かではあるが、それもまた俺たちをワクワクさせた。
校門が眼前に迫る。
「いよっし一番!!」
タケちゃんが校門に向かって大きくジャンプで飛び込む。
瞬間、横の畑からタケちゃんよりも図太くどが付くほど
でかい声が聞こえてくる。
「お、タケ! お前昨日の水やりどうした!」
「あ、坂田先生おはよう!」
「おはよう! 元気だけはいいな! 昨日お前水の当番
だっただろ!」
「でも先生やってくれたから大丈夫!」
ガチン
「俺がやってあ・げ・た・ん・だ。バカものォ!」
「そんな殴らなくても」
「何回目だと思ってるんだ!」
「まだ4回目です」
「ばかもーん!!」
うーわいたそー。けどあの程度でオイオイ泣くような
ひ弱な神経を持っていないことは俺も坂田先生も知って
いる。からこそ、殴れる。
あの「坂田先生」だけは揉め事ばかりで印象が強く
名前を覚えていた。と言っても俺が密に関係している
ことは一度たりともなかったが。
そんなことをしている間に俺はすすっと校門を抜け
校舎前の玄関に触れる。それに気が付いたタケちゃんが
「あ!」と振り向き声を上げる。
「いよっし!!いっちばーん!」
「***!! ずるいぞ!!」
「昨日の当番忘れたほうがわるいんだーい!!」
「くっそーー!!」
ここぞとばかりのイキり倒しをタケちゃんに見せる。
なんともその光景は滑稽でくだらないが、そんなのまったく
お構いなしさ。
「ガッハッハッは」
タケちゃんの隣で坂田先生が大声で笑った。
「そういやタケ、お前昨日まで何連続で負けなしよ!」
「9連勝!」
「ガッハハ、もう少しで二ケタだったってのにな! 当番忘れて
負けるんじゃねぇって、お前!」
タケちゃんは殴られた頭を抑えて、つられるように笑う。
俺もなんだかおもしろくなって吹き出してしまう。あぁ、
朝っぱらから、先生といい子供といい無駄に元気なもんだ。
「それで先生」
「どうしたタケ」
「”にけた”ってなんだっけ」
「「……」」
笑っていた俺と先生はスンと表情を戻す。
早朝から笑ったり、笑わなかったり顔から体まで
つかれっぱなしだ。




