↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨の回廊 ―四十人、三十日。廃都の水から国をつくる―  作者: 八夜巡


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/28

第8話 人が来れば水が減る

 東門の外に、朝から荷車の列ができていた。

 荷台には寝具、工具、煮炊きの鍋。車輪の間には歩き疲れた子供が座り、日除け布の下で老婆が目を閉じている。石工は槌を腰へ吊り、織り手は巻いた敷物を抱え、家畜商は細った山羊を縄でつないでいた。

 壊れた門楼の上から見れば、その列は町へ血が戻ってくるようだった。

 カイは嬉しかった。

 第一月の終わりまで、タルサの朝に響く音は槌と滑車ばかりだった。今はそれに赤子の泣き声、値を争う声、平焼きパンを石板へ貼る音が混じる。空き家の戸口には布が下がり、二十三年閉じていた煙出しから細い煙が上がっている。

「次の組を入れてくれ」

 門番へ言うと、横にいたミラが帳面を閉じた。

「入れられません」

「まだ日が低い。登録なら昼までに終わる」

「登録する場所がありません」

 門内の天幕では、昨夕着いた者たちが名と職能を申し出ていた。列は受水庭の端まで続いている。壊れた壁の影には荷物が積まれ、通路の中央で山羊が糞を落としていた。

 タルサの住民は、その朝の登録で二百人を越えた。

 水は出ていた。地下泉から細水路へ入り、沈殿槽を通った水が、一日に必要な飲用分を満たしている。だが、人数を帳面の末尾へ一行足すたびに、パンと豆は一人分ずつ減った。寝場所は壁一枚分狭くなり、便所の穴は早く満ちた。

「西の主水路に、あと三十人要る」

 カイは列の中にいる石工と木工を見た。

「雨までに受水庭を三つ生かすなら、今の人数では遅い」

「人を増やせば、増えた人が水路を直してくれる。人を増やせば、増えた人が水を飲み、食べ、眠り、捨てる」

 ミラは淡々と言った。

「後半だけ数えていません」

 カイが答える前に、受水庭の方からダリヤが来た。革手袋を外す暇もなく、右手に土の付いた木杭を持っている。

「執政官。南の仮便所を止めろ」

「何があった」

「昨夜来た連中が二本、勝手に穴を掘った。片方は古い排水溝の真上だ」

 ダリヤが杭を地面へ突き立てた。

「あの排水溝は割れて、下の貯水槽へつながっている。今すぐ埋め戻せ。次に雨が降れば、人の汚物を泉へ流し込むぞ」

 門外で赤子が泣き出した。

 列の先頭にいた男が、荷車から降りてきた。日に焼けた指に、車大工の黒い油が染みている。

「いつまで待てばいい」

「日暮れまでには決める」

 カイが答えると、男は荷台を振り返った。

「母はヴァラドで三日待った。ここでも門の外か。水が戻った、職人を呼ぶと言ったのは、あんたたちだろう」

 そのとおりだった。

 報告を受けたヴァラドは、最初に修理職人と働ける家族の移住を認めた。ネレイからも、泉の噂を聞いた者が自分の食料を積んで来た。評議会は一日ごとの到着人数を求めていたが、伝令より人の方が早かった。

「水はある」

 男は言った。

「井戸町で、水があるのに入れないのか」

「水だけで町にはならない」

 口にした言葉は、ダリヤの言葉を借りたものだった。それでも、門を閉じたまま言えば、言い訳に聞こえた。

「正午まで待ってくれ。日陰と水は門外へ出す。ここに来た順番は崩さない」

 男は納得しなかった。だが、荷車へ戻った。

     *

 カイはダリヤと斥候を連れ、城壁内を一周した。

 空き家ならいくらでもあるように見えた。屋根が残っている家は少なかった。梁が白蟻に食われた家、夜の冷えを防げない家、地下室に塩水が溜まった家。壁だけを数えれば百世帯が入る。今夜、人を寝かせられる場所は二十世帯分もなかった。

 北壁沿いでは、昨日来た染工が染料壺を開けていた。鮮やかな赤い水が路地へ流れ、子供が裸足で跨いでいる。

「止めろ。その水をどこへ流すつもりだ」

「工房を使っていいと言われた」

 染工は、戸口に貼られた条件付き使用の木札を示した。

「仕事をしなければ食えない。仕事をすれば止められる。どっちなんだ」

 カイには答えがなかった。木札には、屋根と炉を修繕し、共同負担を果たすことしか書かれていない。染め水を捨てる場所までは決めていなかった。

 西の中庭では日陰を巡って二家族が争っていた。一方は先に敷物を置いたと言い、もう一方は幼い子供が熱を出したと言う。治療係が子供の首を濡れ布で冷やしていた。病ではない。日差しと疲労だった。

 古い穀倉の前では、輸送担当が残りの袋を数えていた。

「同じ量で配れば、十二日」

「次の便は」

「ヴァラドから十日後の予定だ。荷車がそろえばな」

「減らせば」

「働ける者から倒れる。今だって豆の汁は、鍋の底が見えるほど薄い」

 水場では桶の列が伸びていた。水量そのものは足りている。だが、一つの吐水口へ人が集まり、順番を抜かした、桶が大きすぎると口論になる。その隣で、修理用の石灰を練る桶が空のまま待っていた。

 カイが欲しがった三十人が来れば、水路工事は進む。

 その三十人のために、便所を掘り、屋根を直し、配給を量り、争いを止める者が要る。さらにその者たちの水と食料が要る。

 門楼から見た列は、町へ戻る血に見えた。

 近くで見れば、一人ずつが空腹と荷物と、眠らせる家族を持っていた。

     *

 正午、六席の評議会を門前の天幕で開いた。門外の者にも聞こえるよう、布壁は上げた。

 カイは先に言った。

「今日来た者は入れたい。水路修理に必要な職人もいる」

「全員か」

 ファリヤが聞いた。

「全員だ」

「食べ物は十二日。次の荷車は十日後。二日の余りで、車輪が折れない保証をするのか」

「できない」

「では、何人なら養える」

 カイは答えを探し、見つけられなかった。

 人数なら数えられる。泉から出る桶数も、水路へ入れる働き手も数えられる。だが、十日後に来るはずの荷車、直せる屋根、熱を出す子供、汚れた排水まで、一つの数字にはできない。

 ミラが四枚の板を卓上へ置いた。

「受入れを止めるための規則ではありません。入れた人を死なせないための条件です」

 一枚目は登録。到着前に人数、年齢、職能、持参食料、家畜を知らせ、門で確認する。連絡なしに来た者も追い返さないが、安全な待機場所で空きと配給を確認する。

 二枚目は住居。屋根と壁を点検した家だけに居住札を出し、中庭ごとに火の場所と夜番を決める。

 三枚目は共同作業。水路だけでなく、便所、廃棄場、日除け、炊事場、道の清掃も再建の仕事として登録する。職能のない者にも、体力と家族事情に応じた当番を割り当てる。

 四枚目は衛生。便所と生ごみは南東の城壁外、地下水路と雨の流れから離した場所へ集める。染め水、油、石灰水は別の沈め穴へ運び、飲用水路へ捨てた者は作業を止める。

「一日の受入れ人数は、前夜に評議会が食料、屋根、便所の余裕を見て掲示します」

「毎日変わるのか」

 オルムが聞いた。

「荷車が着けば増やせます。病人が出れば減らします。水だけを基準にはしません」

 ダリヤが四枚目の板を指で叩いた。

「子供と年寄りをまとめて呼ぶのは、次の食料便と新しい便所が使えるのを見てからだ。今日来ている者を家族から引き離せとは言わない。これ以上、先に動かすな」

 門外の車大工が、天幕の外から声を上げた。

「俺の母親はどうなる」

「屋根を一つ空ける」

 ファリヤが答えた。

「代わりに、あんたは門外の日除けを組め。次に待つ老人が倒れないように」

 男はしばらく黙り、それから腰の油布から鑿を抜いた。

「材木をくれ」

 六席すべてが四枚の板へ賛成した。

 カイも、執行する者として名を記した。

 ミラは四枚の板を重ねると、もう一枚、日付だけを書いた板を開いた。

「今日で、再建執政官の就任から三十日です。継続審査を行います」

 配水、住民登録、住居修理、衛生、作業事故、受領証。カイの名で執行した決定と、そのたびに出た反対を、六席が一件ずつ確かめた。

 主水路を急ぐあまり、住居と便所の不足を後回しにしかけたことも記録へ残った。それでも解任を求める席は四に届かなかった。

 カイは残る三十日だけ、再建執政官を務める。六十日目には再選も自動延長もなく、権限は失効する。その点も、門外の者に聞こえる声で読み上げられた。

     *

 日が傾くまでに、門外へ柱が立ち、荷車の帆布が日除けになった。城壁内では使える家をもう一度調べ、独り者には共同寝所を頼んだ。南東門の外では、ダリヤが排水の傾きを確かめながら廃棄穴の位置を決めた。

 カイは主水路へ回すつもりだった人員を、便所掘りと屋根直しへ振り分けた。

 進みは一日遅れる。

 それでも夕方、門外にいた最後の家族が登録を終えた。車大工の母親は、修理済みの中庭へ運ばれた。男は自分の寝床を見る前に、明日の日除けに使う梁を削っていた。

 受水庭では、二百人を越えた桶が並んでいる。

 カイは一桶ずつではなく、その後ろにある口と寝床を見ようとした。

 来た人数は、復興の数になる。

 だが、明日も食べさせ、汚れを流し、働く場所を渡せる人数までしか、共同体の数にはならない。

     *

 ネレイのナディアには、同じ知らせが三つの値段で届いた。

 最初は、ヴァラドの封蝋が残る試料検査の写しだった。タルサ地下泉、塩分低下、飲用可能。ナディアは水判官の印を確かめ、写しを帳簿の左に置いた。

 二つ目は注文だった。車輪の鉄輪、滑車綱、石灰、油を塗っていない水樽。送り主はタルサ暫定再建評議会。支払いは銀貨だけでなく、修理後の固定通行料から差し引く案が添えられている。

 ナディアはそれを右へ置いた。

 三つ目は、穀物市場の値札だった。

 大麦が五日前より二割高い。豆と塩も上がっている。タルサへ人が向かうという噂だけで、仲買人が袋を押さえ始めていた。

 組合の古参商人は、タルサには金がないと言った。

 そのとおりだった。だから彼らは動かなかった。

 ナディアは倉庫別の在庫表と、隊商宿に停まっている荷車の一覧を重ねた。穀物はある。豆も塩も、冬を越せる量がネレイにある。足りないのは、一度に西へ運べる車だった。

 泉が本物なら、最初に不足するのは金ではない。

 荷車だ。

 彼女は空いている車を押さえ、馬と騾馬の持ち主へ信用状を書いた。積荷は大麦、豆、塩、乳用の山羊。帳簿の最後に、泉の優先使用、倉庫一棟、三年間の隊商独占と記した契約書を挟む。

 夜明けに西へ出る隊商の先頭車へ、自分の印を付けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。