第七話 最初の水法
最初の桶を前にして、六十七人が三つに割れた。
「二十三年、槽を守った者が先だ」
ファリヤの後ろで、タルサの住民が声をそろえる。
「泥を出し、水路を開いた者が先だ」
遠征隊の作業者は、ひび割れた手を見せた。
「熱のある者と、昨日落ちかけた作業者が先です」
治療担当は飲用桶へ手を掛け、誰にも動かさせなかった。
水面は静かだった。
争っている間にも、細水路から次の水が沈殿槽へ落ちている。量は一日に約百人の最低飲用分。全員が喉を潤すだけなら足りる。だが治療、煮炊き、作業、濾過槽の洗浄、翌日の備えまで数えれば、何を先にするかで足りなくなる。
「隊長が決めろ」
遠征隊から声が飛んだ。
「ここを見つけたのは路守だ」
「見つけた?」
ファリヤが振り返った。
「私たちが入口を見せなければ、今も地上を掘っていた」
「こちらが道具を持ってこなければ、塩の下だ」
言葉がまたぶつかる。
カイには、遠征隊長として先に受け取る一椀が割り当てられていた。長時間の巡察と指揮をする者を倒れさせないための、ヴァラドの規則だ。
合理的な規則だった。
その一椀を飲んだ後で、全員へ我慢を命じるのでなければ。
カイは自分の木札を外し、飲用桶の蓋へ置いた。
「隊長優先は使わない」
遠征隊側が静まった。
「俺も同じ順番へ入る」
「順番を譲っても、順番そのものは決まらない」
ミラが言った。
「だから先に、何のための水かを分ける」
彼女は監査板を地面へ置き、五本の線を引いた。
「第一、生命維持。ここにいる全員が、その日を越える最低量。旧住民か遠征隊か、役職があるかで変えない」
最初の線の横へ、人数を書き込む。
「第二、治療。発熱、怪我、煮沸、傷の洗浄。治療担当が患者名と量を記録する」
「働く者が三番目か」
石工が不満を見せる。
「第三、修理。飲用水を増やす作業と、水源を汚さない衛生作業に必要な分。すべての仕事ではありません」
「家畜は?」
タルサの住民が聞いた。
「第四、最低生活。煮炊き、共同便所の清掃、乳幼児、生活に不可欠な家畜。畑、洗身、家畜を増やす分はまだ出せない」
最後の線を、ミラは二重にした。
「第五、備蓄。夜の事故と、翌朝の母水。ここを使い切れば、全員の明日がなくなる」
「誰が量を決める」
ファリヤが問う。
「私一人では決めない。治療担当、作業担当、タルサの水立会人と毎朝測る」
「その三人が仲間へ多く渡せば?」
「配水量と受取人を、公の鉢の横へ掲示する」
読めない者がいる、とオルムが言った。
「朝と夕方に読み上げます。異議もその場で記録する」
カイは五本の線を見た。
水を見つけた功績も、二十三年守った年月も、泥を出した労働も消えてはいない。ただ、今日生きる最低量より前には置かれなかった。
「それで始めよう」
カイが言った。
「始める、では困る」
ミラはまた止めた。
「今日はあなたが隊長分を譲った。明日、別の隊長が戻せと言えば終わる。順序を文章にする」
*
最初の配水規則は、欠けた公の水鉢の横で書かれた。
生命維持、治療、修理、最低生活、備蓄。
ミラが地域語と旧帝国共通語で記し、一条ずつ読み上げる。ファリヤは「家畜」の範囲を、ダリヤは「修理」の範囲を問い、治療担当は患者情報を公にしすぎないよう求めた。
規則は、最初に書いた形から三度直された。
配水が始まる。
最初の椀は、夜から熱を出していたタルサの老女へ渡った。次は、床穴へ落ちかけた作業者。その後、子供、老人、遠征隊、旧住民の順ではなく、同じ生命維持量が名簿順に配られた。
カイの番は二十六番目だった。
椀には、冷たい水が底から指二本ぶん入っている。
飲むと、かすかに炭の匂いがした。甘くも、奇跡の味もしない。それでも喉を通り、身体の中へ残った。
彼が受け取ったのは、英雄への褒美ではなかった。
六十七人の一人としての水だった。
規則は、その日の昼には試された。
石工が、沈殿槽の壁を固めるため追加の水を求めた。治療担当は、熱を出した老女の身体を冷やす水が先だと主張する。ファリヤは、乳を出している山羊だけでも飲ませなければ子供の食べ物が減ると言った。
三つとも必要だった。
以前のカイなら、飲用水を増やす修理が最優先だと決めていただろう。今も、その答えが最短に思えた。
だがミラは、最初に全員の生命維持分と治療分を取り分けた。その残りを測り、ダリヤへ示す。
「この量で壁を固められる?」
「全部は無理だ。日陰側だけ仕上げる。西面は夕方に回す」
作業時間を変えれば、水の必要量も変わる。山羊には飲用不適の塩井戸水を薄めて与え、乳を出す二頭だけ新水を足した。
誰も望んだ量を得なかった。
それでも老女の熱は下がり、日陰側の壁は固まり、二頭の山羊は乳を止めなかった。規則は正しい答えを一つ選んだのではない。足りない水で、失うものを減らした。
夕方、母水として残した桶を見た遠征隊の若者が、「今日はもう使わないなら作業へ回せ」と求めた。
カイは断った。
「明日の最初の一杯を、今日の俺たちが飲む権利はない」
言ってから、それが父の教えではなく、自分たちで決めた規則の言葉だと気づいた。
*
三日間の仮契約が終わる前に、次の問題が現れた。
遠征隊が帰れば、細水路を誰が管理するのか。残れば、どの家へ住むのか。さらに人が来たとき、既住民と新しい者をどう区別するのか。
「仮契約を三日ごとに書き直していたら、水路より紙が先になくなる」
オルムが言った。
「町の決め方が要る」
ファリヤも認めた。
旧住民だけで決めれば、四十人は労働力でしかない。遠征隊だけで決めれば、二十七人は発見前からいた障害として扱われる。
ミラは六席の暫定再建評議会を提案した。
タルサ旧住民から二席。遠征隊と今後の新入居者から二席。水利の記録・配分から一席。職人と修理作業から一席。通常の決定には四席の賛成を要し、土地と水の恒久権利は扱えない。
「カイは?」
遠征隊の一人が尋ねた。
「席を持たない」
ミラが答える。
「治安、作業順、緊急時の避難を執行する役が別に必要です。評議会が選び、期限を付ける」
「ヴァラドの隊長なのに、タルサが選び直すのか」
「三十日後、ヴァラドの命令は切れます。ここで働き続ける権限まで、自動では残らない」
カイは反論しなかった。
評議会の六席が決まり、ファリヤとオルム、遠征隊から輸送担当と治療担当、ミラ、ダリヤが最初の代表になった。
その六人が、カイを六十日限定の再建執政官へ選んだ。
「六十日は長すぎる」
ファリヤが言い、
「三十日では次の報告を受ける前に切れる」
ダリヤが返した。
結果、六十日。ただし三十日目に継続審査を行い、評議会四席で途中解任できる。カイは治安と作業を調整できるが、土地、水源、水路の恒久権利は決められない。
「受けるか」
ファリヤが聞いた。
「受ける」
「今度は、必要なだけ、とは言わないんだな」
「六十日だけだ」
ファリヤは初めて、ごく小さく笑った。
*
その日のうちに、住民登録が始まった。
タルサにいた二十七人も、ヴァラドから来た四十人も、同じ帳面へ氏名、家族、職能、現在使っている住居を記す。先にいた者の住居を取り上げず、空き家、農地、工房は条件付き使用とする。
使用者は修繕し、共同水路と道の負担を果たす。三年間住み、修繕と共同負担を続けた後、初めて相続可能な所有権へ移せる。それまでは売却も、古い証書による追い出しも認めない。
水源、水路、受水施設、幹線街道は、誰の私有にもならない。
カイ自身の名も登録簿へ入った。
職能、路守。使用住居、未定。土地権利、なし。
自分へ適用された一行を見て、ようやく規則が他人へ課す命令ではなくなった。
夕方、東の仮橋を渡ってヴァラドの伝令が来た。
封印試料の再測定結果と、評議会からの返答を持っている。
――タルサ地下泉の淡水化を確認。帰還兆候の証拠として認める。
短い歓声が上がった。
その次の一文を、ミラが読み上げる。
――ただし、家族移住は安全な住居、衛生、三十日以降の食料確保を報告した後に審議する。それ以前の子供・高齢者の移動を認めない。
水が証明されても、人を養える証明にはならなかった。




