第16話 王命のない保護宣言
保護宣言は、白旗の下から届いた。
セヴラン辺境伯の使者は六騎でタルサ西門へ来た。先頭の槍には白布、その下に狼の歯を描いた辺境伯旗が結ばれている。王国旗はなかった。
使者は門内へ入ることを求めた。
カイは拒み、門前の日除けで文書を受け取った。ファリヤ、ミラ、バシュ、三都市開路協定の立会人が同席する。門楼には弓手を隠さず立たせた。
「隠す兵が少ないのか、隠さないほど自信があるのか」
使者が言った。
「文書を読め」
カイは答えた。
使者は巻紙を開き、旧帝国共通語で読み上げた。
雨の回廊は統治者を失い、井戸の毒殺、隊商襲撃、違法徴税、武装集団の争いが続く危険地である。セルド王国南辺境を守るロデリク・セヴラン伯は、人命と交易のため、西峠からヴァラド西縁までの井戸と幹線街道を一時保護下へ置く。
各都市と村は武装人員、住民、家畜、穀物、水源を登録する。街道井戸と迎雨標は辺境伯軍が管理する。従う住民には最低飲用水を保証し、略奪から保護する。抵抗する武装集団は井戸秩序を乱す賊として排除する。
「期限は」
ミラが聞いた。
「秩序が回復するまで」
「誰が回復を認めますか」
「辺境伯閣下だ」
「水と街道を返す条件は」
「保護を受けた者が、返せと先に問うものではない」
使者は当然のように言った。
ファリヤが、欠けた公の鉢を卓へ置いた。
「従えば水を保証する、と言ったな」
「老幼を問わず、一日の最低量を——」
「私たちは、もう飲んでいる」
ファリヤは門内の受水庭を示した。
「あんたたちが来る前から、自分たちで直して、決めて、飲んでいる。それを軍の物にしてから返すことを、保護と呼ぶのか」
使者の顔から笑みが消えた。
「二百人の町が、二千五百人の軍に何を守れる」
「王命を見せろ」
カイが言った。
「この宣言は辺境伯の印だけだ。セルド王の印も、王国評議会の認証もない」
「南辺境伯には国境防衛権がある」
「境界を越え、三都市の水を取る権限までか」
「回廊に、認められた主権者はいない」
使者は文書を巻き直した。
「三日後、回答を受ける。従わない場合も、保護は行われる」
「それは保護ではない」
「勝った側が呼び名を決める」
使者は馬へ戻った。
白旗が西へ消えるまで、門楼の弓手は弦を引かなかった。
*
同じ日、外国の旗が二つ、東門から入った。
ラウゼル公国の麦穂旗と、ザレーン三市同盟の三つ輪旗だった。
援軍ではない。
ラウゼル公国から来たのは、記録官、護衛、従者を合わせて十二人の観戦使節。ザレーンからは、商人保護官と護衛八人。軍旗を持たず、自分たちの食料と水を積んでいる。
「公国は、国境を越える軍事介入を約束しない」
ラウゼル使節は最初に言った。
「王命の有無、三都市の統治実態、居留商人と避難民の扱いを記録する」
ザレーンの保護官も、似た言葉を使った。
「三市は商人と信用状の保護を求める。街道が一人の軍人にも、一つの都市にも独占されないかを見届ける。兵は出さない」
「見ている間に町が落ちたら」
バシュが聞いた。
「落とした側と、残った商人の返還交渉をする」
保護官は答えた。
冷たいが、偽りはなかった。
彼らは三都市が守る価値のある国かを見に来たのではない。三都市が、自分たちで一つの約束を守れる相手かを見に来た。
白旗の使者も、外国の観戦者も、同じことを別の値段で測っていた。
*
ネレイで、三都市の緊急会議が開かれた。
ヴァラドは、自城の門と深井戸を守るべきだと主張した。
「西で負けても、ヴァラドの石壁は残る」
城門警備席の代表が言った。
「住民四千を、タルサのため空にできない」
ネレイは交渉を求めた。
「辺境伯が欲しいのは通行税と水だ。金額と駐屯人数を限れば、戦わずに済む余地がある」
宿・厩席が言い、倉庫席も同意した。
タルサは西峠で止めるべきだと主張した。
「峠を越えさせれば、次は私たちの家だ」
ファリヤは卓を叩いた。
「半年直した城を、最初から捨てる話をするな」
三つの案は、どれも自分の町だけを見れば正しい。
西峠へタルサの兵を集めれば、二千五百人に押し潰される。ネレイだけが交渉すれば、辺境伯は倉庫と水を得て、東西の軍を分けられる。ヴァラドが城壁を閉じれば、タルサとネレイを取った敵が、二つの都市の補給で最後の一都市を囲む。
「別々に守れば、敵は一都市ずつ相手にできる」
カイは地図へ三本の短い棒を置いた。
「俺たちは毎回、三分の一の兵で戦う。向こうは毎回、全軍で戦える」
「なら、ヴァラドの兵を誰に渡せと言う」
エドランが聞いた。
三都市開路協定の交渉で、一度退けられた問いだった。
今度は、答えを先に紙へ書いていた。
「都市内政は渡さない」
カイはミラが用意した案を開いた。
「各都市の配水、裁判、徴税、住民登録、城内警備は、その都市のまま。共同にするのは、戦争、講和、協定区間の軍事行動だけだ」
「戦争目的は」
「セヴラン辺境伯の軍を、三都市と十一村から排除する。それ以上は追わない。セルド王国へ侵攻しない。辺境伯領を占領しない」
「指揮官は」
「三都市が別々に批准した者を一人置く」
カイは、自分の名が書かれた行を見た。
「俺を候補とする。ただし、期限は敵軍の撤退・降伏、または就任から三十日の早い方。継続には三都市がもう一度、それぞれ批准する」
「途中で目的を変えたら」
「合同戦時評議会が止める」
評議会は六席とした。三都市から一席ずつ。十一村を西、中央、東の三地区へ分け、一席ずつ。通常の監督決定は四席。戦争目的の変更、講和拒否、期限延長には三都市すべての同意と、村地区二席以上を要する。
「カイが前線にいる間、タルサの執政は」
ファリヤが聞いた。
「再建評議会が担当する。俺が再建執政官だったことを、戦争の名で他都市への権限に変えない」
「徴発は」
「軍が必要量を記録し、出した都市・村へ受領証を渡す。水源、迎雨標、土地は接収できない。無記録の徴発命令は拒める」
エドランは文書を最後まで読み、紙を伏せた。
「前の協議で、君は三都市を一つに指揮したいと言った」
「今も、別々に戦えば負けると思っている」
「何が変わった」
「指揮を一つにすることと、都市を一つの支配へ入れることを、同じにしなくて済む案ができた」
エドランは、すぐには頷かなかった。
「案ができたのは、ミラの仕事だな」
「そうだ」
「では君の仕事は?」
「期限内に敵を出して、権限を返す」
*
三都市は、それぞれの会場で審議した。
タルサ再建評議会は五対一。
ネレイ商業評議会は四対三。
ヴァラド七席評議会は、エドランが最後に賛成へ印板を置き、四対三。
三つの批准書がそろったのは、セヴラン使者が回答を取りに来る前夜だった。
十一村の三地区代表も、ケルマ村で作った請願書を根拠に署名した。
カイは、ネレイの市場広場で臨時総指揮官の軍印を受け取った。
以前なら、その重さを兵の数として感じたかもしれない。
今は、印の縁に刻まれた日付を先に見た。
「この権限は、セヴラン軍を三都市と十一村から排除するためだけに使う」
集まった市民、兵、村代表、外国使節の前で読み上げた。
「各都市の内政、水利、裁判、土地を決めない。敵が撤退または降伏した日、もしくは三十日後に失効する。継続も、俺一人では決めない。終われば軍印と徴発権を、三都市へ返す」
歓声は、期限を読み上げたところで一度弱くなった。
それでよかった。
力を渡す約束だけでなく、取り返す日まで聞かせる必要があった。
セヴランの保護宣言には、終わる日がなかった。
*
翌朝、こちらの回答書を白旗の使者へ渡した。
井戸と街道はすでに住民の共同管理下にあり、軍有化を認めない。武装解除、住民・穀物・水源の軍籍登録を拒む。王命のない部隊は協定領域から退去せよ。
使者は読み終え、紙を折った。
「三十日で終わる指揮官が、終わらない戦を始めたな」
「始めたのは、峠を越えた方だ」
「まだ本隊は越えていない」
使者は笑った。
「だが、保護はもう始まっている」
その言葉の意味は、正午に届いた。
十一村西地区のセダル村から、泥まみれの伝令が来た。
「兵が井戸を囲った」
伝令は、折られた村印を卓へ置いた。
「柵を立て、辺境伯の登録を受けた者だけ水を取れると言った。拒んだ家は村外へ追い出された」
水を保証するという宣言は、最初に井戸を閉ざした。




