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雨の回廊 ―四十人、三十日。廃都の水から国をつくる―  作者: 八夜巡


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第12話 市場町の公開審理

 拘束されたカイへ、縄は掛けられなかった。

 ナディアが、試験契約中の護衛責任者を水役家だけの命令で牢へ入れれば、共同隊商をすべて門外へ戻すと言ったからだ。

 ハリムは反論しなかった。

「逃げるつもりがないなら、縄は要らない」

 そう言って、隊商宿の一室へ水役家の見張りを二人置いた。

 窓から、ネレイの穀物市場が見えた。

 タルサを出る前より、人が多い。量り台の前には大麦袋が積まれ、値を書いた板を見上げて客が声を荒らげている。水売りは青い鉢を鳴らし、家畜市場からは羊と騾馬の臭いが風に乗ってきた。

 タルサの泉が戻ったという噂は、この町では希望の言葉ではない。

 穀物を買う者が増える。荷車が西へ取られる。水役家の権利が揺れる。値段と仕事と、誰が決めるかを変える言葉だった。

 正午前、商業評議会が公開審理を認めた。

「身柄拘束の可否だけじゃない」

 面会に来たミラは、抱えた記録板を寝台へ置いた。

「ハリムは、タルサとの試験交易自体を止める動議も出しています」

「止めれば、ネレイの荷車も帰ってこない」

「それを承知で、水利秩序を先に戻すべきだと主張するつもりです」

「勝てるか」

 カイが聞くと、ミラは眉を寄せた。

「審理は勝ち負けではありません」

「負ければ牢に入る」

「なら、負けないように事実を並べます」

 ミラは四つの束に記録を分けた。

 観測。工事。権利。交易と井戸汚染。

「予測と、もう確認したことを混ぜないでください」

「ハリムは混ぜる」

「だから、こちらは分けるんです」

     *

 ネレイ商業評議会は、市場の量り台を見下ろす石造会館にあった。

 半円形の卓に七席が並ぶ。隊商、倉庫、水役家、宿と厩、車大工と鍛冶、小商人、周辺牧畜民の代表。それぞれの背後に組合旗が掛けられている。

 傍聴席へ入りきらない市民は、開けた扉と窓の外に立った。カイが証言台へ出ると、偽路守、井戸泥棒という声が飛び、別の場所から、タルサへ行った息子を返せという声もした。

 七席の中央に座る隊商代表が、秤の形をした鐘を鳴らした。

「本日の審理は、路守カイ・レヴァルの拘束、水役家ハリム・サーレクが求める対タルサ交易停止、および汚染井戸に関する共同調査を扱う。発言は記録され、同じ旧帝国共通語の写しを市場へ掲示する」

 最初にハリムが立った。

 白い長衣、銀の帯。昨日と同じ装いだが、その手には古い水路鍵が握られている。

「ネレイは二十三年、水を数えて生き延びた」

 低い声が会館へ通った。

「泉が戻るという話は、これが初めてではない。偽の井戸を売った者、雨乞いのため家畜を集めた者、古い図面を頼りに畑を掘り、塩を噴かせた者。彼らが去った後も、我々は残った」

 傍聴席が静かになった。

「この若者は、五か月後とも七か月後とも言う雨を理由に、ヴァラドから四十人を動かした。今や二百人以上がタルサへ集まり、穀物価格は上がり、荷車は西へ流れている。予測が外れたとき、誰がその者たちを養うのか」

 ハリムはカイを見た。

「タルサには二十三年間、住み続けた者がいた。四十人の武装した一団が入り、水源と役所を作った。その同意は自由なものだったのか。古い住民の水を使い、ネレイの食料を買い、ヴァラドの資材を費やしておきながら、彼は何の権利で執政官を名乗るのか」

 嘘ではなかった。

 雨の予測には幅がある。タルサの人口増がネレイの穀価へ影響したのも事実だ。最初の二十七人に対し、遠征隊は四十人、今は二百人を越える。

「水は、飲みたい者へ好きに配れば守れるものではない」

 ハリムは鍵を卓上へ置いた。

「責任を負う家、帳簿、備蓄、止める権限が要る。彼の作る規則は、危機のたび多数の声で変わる。雨が来なければ混乱を残し、来れば水を巡る争いを招く。審理まで拘束し、試験交易を停止すべきだ」

 水役家席の隣で、一人の書記が発言を速記していた。

 灰色の上衣を着た、二十代後半ほどの女だった。水量の数字だけは、略号を使わず正確に書いている。

「レシア・ヴェン」

 隣にいたナディアが小声で教えた。

「ハリムの帳簿書記」

     *

 カイの番が来た。

「雨は戻る」

 最初にそう言いかけ、ミラが分けた四つの束を見た。

 戻ると断言すれば、分かりやすい。自分を信じろと言えば済む。

 だが、それではハリムと同じように、判断材料を一つの手へ集めるだけだ。

「大雨の到着は、最短で五か月余り、最長で七か月近い幅がある」

 会館がざわめいた。

「今日を基準にした日付ではない。最初の兆候から数えた幅だ。観測が欠け、里程標も壊れている。俺の予測は外れる可能性がある」

「では認めるのだな」

 ハリムが言った。

「予測に幅があることを認める。タルサで水が出たことは、予測ではない」

 カイはミラへ場所を譲った。

 ミラは、証拠を一つの物語にしなかった。

 最初に、ヴァラドで行った独立測定を出した。井戸水位、塩分、風、小精霊、硝子羽の蛾、里程標の反響。欠測日と、反響がなかった日も読み上げる。

 次に、タルサの封印試料を置いた。採水時の旧住民立会印、ヴァラド水利役所の再検査、日ごとの塩分低下。予測値とは別の板に並べた。

 三番目はダリヤの工事記録だった。主水路を開かなかった理由、低圧洗浄口、沈殿、濾過、煮沸、一日に出せる量。できたことだけでなく、まだ直していない施設も読む。

「雨の帰還時期は予測です。地下泉の淡水化は確認済みです。タルサの主水路が雨を受け止められるかは、工事途中です」

 ミラは三枚の見出しを掲げた。

 予測。確認。未確認。

「この三つを同じ確かさでは扱いません」

 続いて、ファリヤが証言台へ出た。

 共同隊商に乗ってきた彼女は、タルサの欠けた公の鉢から持ってきた小片を卓へ置いた。

「私はタルサの水を預かってきた。四十人へ最初に矢を射た側だ」

 ファリヤは、三日契約を結んだ経緯を話した。武器を双方が持ったこと。共同調査を二名ずつにしたこと。一日二樽の飲用水を遠征隊が出したこと。新しい水源を誰の物にもしなかったこと。

「カイは、私たちから町を取ったか」

 牧畜民席が尋ねた。

「取っていない。だから、取らせない規則を作った」

「執政官に選んだのは」

「評議会の六人だ。私も賛成した。六十日。三十日目に審査。四人で辞めさせられる。土地と水を決める権限はない」

「四十人に囲まれて、断れたか」

 ハリムが問う。

 ファリヤは彼を見た。

「断った。最初の日から何度も。ダリヤはカイの工事を止めた。ミラは命令を記録した。私は水路を閉じる鍵を今も持っている。断れない町なら、この男はここへ一人で来ない」

 傍聴席のどこかで、短い笑いが起きた。

     *

 汚染井戸の証拠は、最後に出した。

 北方軍用の結び紐。セヴラン領の支給刃。三つの井戸が記された測量図。井戸から回収した灰と油の封印試料。

「セヴラン辺境伯の命令だと言うのか」

 ハリムが聞いた。

「言わない」

 カイは答えた。

「装備は北方軍とセヴラン領を示す。命令書はない。捕らえた男も所属を認めていない」

「誰かが、北方を陥れるため置いた可能性もある」

「ある。だから、ネレイと一緒に残り二つの井戸を調べたい」

 ハリムは、断定させられなかったことにわずかに眉を動かした。

 次にナディアが、三冊の帳簿を卓へ積んだ。

 タルサの売水と通行料。ネレイから出た荷と帰った空車。参加した商人ごとの売上、運賃、損耗。毒井戸で無償提供した清水まで記されている。

「試験交易に参加したネレイ商人は、私以外に五組」

 ナディアが言った。

「三年間の独占を提案したのは私。断られた後、一か月の公開条件を受けたのも私。商人全体が独占を求めているというハリム殿の主張は、少なくともこの五組には当てはまらない」

 小商人席が帳簿を受け取り、参加者の印を確かめた。

「利益は出たのか」

 倉庫席が聞いた。

「出た。最初の十二台だけなら、独占した方が多く出た。二便目以後も安全に通れるなら、公開条件の方が長く出る」

「穀価が上がった」

「上がった理由を一つにしないで」

 ナディアは倉庫別の在庫表を開いた。

「タルサ向け需要は増えた。同時に、使える荷車が西へ偏り、東の穀倉からネレイへ入る便が遅れた。倉庫には穀物があるのに、市場へ運ぶ車がない日もあった。買い占めと輸送詰まりは、同じ値上がりでも解き方が違う」

 傍聴していた車大工たちが声を上げた。修理待ちの車輪が何本あるか、壊れた車を水役家が先に使っている、と数字が飛ぶ。

 秤の鐘が三度鳴った。

     *

 七席から、カイへ求めるものを述べよと言われた。

 タルサとの全面同盟。

 一瞬、その言葉が浮かんだ。北方の斥候はすでに来ている。井戸を汚し、伏兵を置いた。ネレイの兵と倉庫と水が一度に動けば、街道全体を守れる。

 だが、雨の予測を審理している日に、戦争まで委ねろと言うことになる。

「一か月の試験交易を、もう一か月延長してほしい」

 カイは言った。

「それと、三つの街道井戸を共同で調べる。水役家、商人、タルサから一人ずつ立ち会い、採水量、売水量、修理費を同じ帳面へ記す」

「それだけか」

 隊商席が聞いた。

「今、確かめられるのはそれだけだ」

 評議会は半刻、非公開で協議した。

 戻った七席のうち、五席が限定協力へ印板を置いた。水役家席と宿・厩席が反対した。

 カイの拘束は解かれる。試験交易は一か月延長。三井戸の共同調査を行い、汚染対策、護衛、修理負担を記録する。そのため水役家は、街道向けに販売した水量と費用の帳簿を、商業評議会の監査人へ開示する。

 ハリムの水利権限は残った。

 だが、その帳簿を水役家の外の目が見るのは、非常管理が始まってから初めてだった。

 決定が読み上げられる間、レシアは公開用の水量帳を写していた。

 筆が、ある月の数字で止まった。

 彼女は手元の小さな写しを袖の陰で開き、公開帳簿と見比べた。指先が一度だけ震えた。すぐに閉じ、何事もなかったように速記へ戻る。

 カイの位置から、数字までは見えなかった。

 ただ、見つけてはいけないものを見つけた者の顔だけは分かった。

     *

 審理が終わるころ、会館の外で馬車の音がした。

 ヴァラドの青灰色の旗を付けた荷車が三台、市場広場へ入ってくる。先頭から降りたのは、第一評議員エドラン・ヴェスカだった。

 彼は旅塵を払う前に、ネレイの決定書を読んだ。

「三つの井戸を、三都市で調べることになったか」

「一か月だけです」

 ミラが答えた。

「ちょうどいい」

 エドランは、後ろの荷車に積んだ図面筒を示した。

「ヴァラドの井戸も、タルサの受水庭も、一都市だけでは雨に間に合わない。三つの水路と道を、同じ期限の中で直す話を始めよう」

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