第10話 浅い川と重い荷
「いたた、さっきから右足が沁みすぎて
立ってられないわ」
川の浅さに、今は感謝しつつ右足に注意して、
俺は腰を落とした。
オートリペアで回復が進むまで
うつむいていると、下半身を包む川の水が、
喉の渇きを思い出させた。
リュックは橋の上だ。
我慢できず、手ですくった水を一口。
「うっま」
変な成分でも出てんのかと思ったが、
体は止まらず、気づけば顔ごと水面につけて、
流した汗や血を取り戻すように飲んでいた。
息継ぎで顔を上げると、あらかた水面が落ち着き、
鏡のような清流に――
……深緑色の陰が、反射して見えた。
引きつった顔を上げると、まだいる。
なんで、霧散しない?
まだ、生きて……
固まったまま動けなかった。
動けば、次の瞬間に殺される。
あの衝撃だけが、何度も脳裏を抉った。
「ぷぅ?」
!?
「ち、チロ」
川辺のチロが不思議そうに鳴く。
止まっていた息が戻り、現実を直視する。
「大丈夫だから。濡れちゃうから入ってきちゃダメだよ!」
しっかりしろ。心肺は止まっている。
微細な動きも、この距離であの魔力も、ない。
じゃあ、霧散しないのは――元・野生生物か。
チロと同じだ。
味方のいない獣が、いきなり狙われて生き延びた。
寝る場所すらなかった、はずだ。
「同情はしないよ、ボタン。敵同士、やるかやられるかだった」
重層区で生き残るなら、間引きは避けられない。
俺も稼がなきゃ餓死する。
だから勝った方が進む。
選択肢なんて、どちらにもない。
だけど、お祈りだけはさせてくれ。
掌を合わせる指先が、まだ戦いの震えを覚えている。
深緑の毛並みに触れず、ありのままの気持ちだけを向けた。
情けない話だ。――だが、生きる方が先だ。
◇
「お、重すぎるっ」
なにがって? ボタンの死体だよ!
お祈りはどうしたって?
それはこれ、これはこれ。
こいつの体丸々素材の塊なんだぞ。
今日は採取した魔草も直食いしたし、
服もいよいよダメになった、靴もつぶれた。
このままじゃモンスターじゃなくて金欠が俺らを殺すんだよ。
ある程度怪我を直した後は、民家の倉庫から一輪車を失敬して、
ボタン乗せて気合いで川から上がって、今帰ってんだ。
覚えてよかった魔力の集中強化ぁ!
足腰の安定感が段違いだぜ!
こんな事に自分の技使われて、ボタンも草の根で泣いてる――
目の前にいるけど。
「もうちょい頑張れよ一輪車。俺も頑張っから」
文句言うなら何でパンクレスじゃないんだよ。
一瞬でパンクして、途中まで敬語使って応援してた
俺の頑張りを返してほしい。
ここで壊れられても困るから応援はするけどさぁ!!
「チロぉ、索敵マジ頼む。
これ奪われたらご褒美無しになるぞ」
ご褒美どころか、俺のご飯が怪しくなる。
「ぷぷぅ!」
先頭の頼もしい鳴き声を聞きながら、
地面にタイヤの潰れた後と、
一匹と一人の足跡を残しながら進んだ。
◇
ゲートからギルドまでが大変だった。
門番の人達が、遠目から魔力の圧が跳ね上がった時は
死ぬかと思った。
あとちょっと声出すのが遅れたら、弓矢とかで死んでたと思う。
さすがは重層区から人類圏の境界を守る
精鋭って感じ。耳も良くて助かったよ。
門番の人もそうだが、
通り過ぎる人々に嫌な顔されるから、
下手な愛想笑いしながら進んだ。
先頭のチロが居なかったら、
何言われたか分かんないぜ。
早くギルドのお姉さんに対応お願いしよう。
「……大型の魔物、ですか。
探索者クマ様、こちらの用紙に記入を」
「はい。あの、可能なら査定と、
必要なら鑑定もお願いします」
「それでは隣の買取所まで運搬をお願いします」
「分かりました」
用紙に名前を書いている間、
受付の向こうでパリッとした音がした。
乾燥果実の甘い匂いが、
魔物の臭いの残る俺の鼻先まで届く。
「はい」
「……」
「どうしたんですか。運んでください」(圧)
「いや、チロ離してください」
「?」(何言ってんだこいつの目)
正気かよこの人。
マジで邪魔だって目で訴えかけてくるぞ。
しかも何処から出したのか、
チロに乾燥した果物あげつつ、マッサージして愛でてる。
おい、ご褒美に考えてたハーブより高そうなもの上げるなよ。
ご褒美がしょぼくなるだろ。
両手だけに慈愛が乗り移ってるかのような
手つき。マジ離さない気っぽいから、
取り合えず預けるか。
チロが懐いているから、
悪い人ではないだろう。チロにとっては。
「チロが嫌がったら離してあげてくださいね」
俺は一応注意を伝えて、ボタンを運ぶ。
買取所へ向かう廊下の角で、
受付の声が漏れてきた。
「あの子、可愛いわね。
従魔持ちって、羨ましい」
「……あの探索者、昨日まで見なかったわよ。
ブサいし、なんでアレだけ持ち込めるの」
笑い声が続く。俺は足を速めた。
耳には、ちゃんと届いた。
その先で、並んでたナンパ野郎共と
強火の女性達から通り過ぎるときに、
「目立ちやがって」「動物頼りかよ」
「身の程を知りなさい」「ブサ男」とか、
ありがたいお言葉を男女から受け取った。
(あんな恐ろしい人狙うか!
お前らの魔力センサー壊れてんだよ!
バーカ!!)
◇
隣の買取所に一輪車を押しながら入ると、モンスターの素材や、
俺と似たような魔物――野生生物が変異したもの――
を査定や解体してもらう人達で溢れていた。
待っているとガルド様が現れ、俺を一目見て。
「精進しとるようだのぉ」
「お世話になります、ガルド様」
俺の成長を感じ取ってくれたのだろうか。
ガルド様はうなずき、額の文様に魔力を走らせた。
前回より魔力の使い方の理解が深くなったせいなのか、
魔力の使い方が俺とガルド様で天と地の差があると感じた。
あの文様無しでは同じような魔力の使用は出来ない
だろうと、思わされるほどの感覚だった。
「そんなに見つめられるとワシも照れてしまうぞ?」
「す、すいません!」
魔力の使い方を参考にしようと、観察しすぎた。
「ふぉっふぉ、冗談じゃ」
「寛大なお心、感謝します」
ガルド様も冗談とか言うんだ。
チロもお触りしてたし、
意外とおちゃめな方なんだな。
「しかしすばらしい深緑の色じゃ。
故郷の大地を思い出す」
ボタンを撫でながら感慨深く言葉を漏らすガルド様が、
ひとしきり撫で終えるとこちらを見て。
「ところでお主、今回は更にボロボロじゃな」
いつか誰かから言われると思ったが、
やっぱ見た目ヤバいよな。
普通に事故った見た目と変わらないからね。
実際ボタンに一回轢かれ、わき腹抉られ、足も砕かれたし。
「新しく防具を作る予定はあるかの?」
「? 買うにしても、
作ってもらう予定はありませんでした」
もう一度ボタンを見ながら、
ガルド様が提案してくる。
「一度にこれだけ素晴らしい
素材が目の前にある。どうせなら
お主が活用するといいと思ったまでじゃ」
金欠すぎて売る事しか考えてなかったけど、
確かに言われればボタンは魔獣だから
倒した後は丸々素材が手に入った訳で、
効率よく活用するなら
その方が良いだろうとは思うけど。
「そのぉ、かなりお金が無くてですね。
売る事しか考えてませんでした」
正直に言うと、ガルド様は少し考えた後、
懐から取り出したメモ用紙に何かを記入しつつ。
「それならばこのボアと一緒に
この工房に行くとよい。奴も気に入るじゃろ」
といって、紹介状と住所を書いたメモを渡された。
「このまま持っていっていいのですか?」
「気分屋じゃからな。この方が興が乗るじゃろ。
腕は確かじゃよ?」
紹介状までもらってしまい、改めて頭を下げた。
最後に査定表をもらい、
ガルド様から背中を押される形で買取所を後にした。
チロを迎えに行って、
渡されたメモ通りに一輪車を押しながら、
擦り切れたスタミナを振り絞るように目的地に向かった。
◇
目的の場所に着いたわけだけど。
「すいませーん!」
店前でさっきから呼んでるけど、
全然出て来ないわけで。分かってる、お約束だな?
裏で武器作ってて聞こえないパターンだろ、知ってるぞ。
この場合作業場まで足を踏み入れると
ガチギレされるから、
作ってる音より大きい声で呼ぶのがマナーだと、
相場で決まってる。
「す・い・ま・せーーーーん!!!」
ドゴンッ!
奥の扉が開き、ドワーフが見えたと思ったら、
目を見開くと全速力でこちらに走ってきた。
なんか目、血走ってね?
普通に怒ってそうじゃね?
ここで追い返されたら、
今日の俺の膝がさすがに持たんぞ。
謝ろうかと思った瞬間、
そのままドワーフが突っ込んできて、
一輪車の上で行儀良くしてるボタンを情熱的に抱きしめた。
心なしか泣いてる。
「へっ」
変態だー! ネクロフィリアだ!!
ボタンの毛皮を全身で堪能する筋肉ダルマ・ドワーフ。
離れてほしい、ボタンだって嫌がって震えてるだろ?
死んでるから嘘、ごめん。
俺が怖すぎて握ってる一輪車の取っ手から
震えが伝わってるだけだわ。
ドワーフの知り合いはガルド様しかいないから、
あまりの違いに固まっていると、
次第に目の前のドワーフは鼻息を荒く、
舐めそうになってきたので、
さすがに止めてお話に移行した。
俺らって、まだ分かり合えますか、ドワーフさん?
◇
「いかにも! 俺がガルドさんの紹介状にあるバルガンだ!」
ただの従業員であってほしかった。
だって今でも俺の事を見ているようで見てない。
店前に置いてるボタンに目が釘付けである。
少しでも仲良くなるために、
観察の心得で話題でも探そうとしたが、
やめておけばよかった。
目の前バルガンさんの充血した目と心肺と息遣いが
最高潮になってる事しかわからんかった。
ドワーフの大迫力興奮ASMR、やめてね?
トラウマになっちゃうから。
「ガルドさんは俺が小さい頃から世話になってる
恩人でな。あの人の鎧制作は俺も携わったんだ」
話を聞くと、このバルガンさん、
普通の武具鍛造技術はそこそこで、
本業は異世界由来の魔獣素材での
製造を生業にしていたらしく、
今素材が手に入らない為、めっちゃ暇らしい。
今日まで持ち前のセンスで
作った製品のクオリティを補って、
食いつないでいたらしい。
「まぁこの世界のネットは便利だから、
武具の制作技術を学習出来る。
暇さえあれば勉強してたんだ」
と言って、ポケットからイヤホンを出して
説明してくれる。
俺の声、聞こえなかったのは
イヤホンつけて勉強してたからかよ。
受験生みたいな生活してんだな、この人。
何かもっと頭より手を動かす
体育会系のイメージだったから、
想像してなかったわ。
「魔獣の素材はダンジョンの
モンスタードロップと違ってひと固まりで、
それぞれの工房がこぞって取り合うから、
手に入れられず焦っていた所を、
坊主がボアを持ってきたので取り乱して
しまったんだ。すまなかったな」
取り乱すってレベルじゃなかったですけどね。
とは言わないが、
せめて交渉が有利になる様に進めていこう。
素材が足りてないってんなら、
こっちは丸ごと素材がある。
毛皮で防具作ってもらえるなら、
後は好きにしてもらっていい。
漫画の世界で言えば、ドワーフお手製の
防具なんてめちゃくちゃ貴重なはず。
ガルド様の太鼓判も貰ってるし。
ここは最初からこっちが持ってる
カード全ベットして、絶対作ってもらう!
「ご相談なんですけど、
この毛皮で全身の防具作ってもらえれば、
後の残りは全部お譲りしたいと
思うのですが……」
「のったぁ!!!!」
早。
「すいません、言い忘れました。お金はないです」
「ないの?」
そこは乗ってくれないんだ。
「何とか出来ませんか?
今後手に入れた魔獣とか優先して
持ってきますんで。
こっちの相棒のチロが収納系のスキル持ってて、
成長すれば今回みたいに丸々持ってくる
事も出来ると思います」
「ぷぅ?」
最大限こちらの有用性をアピールすんだ、
手伝ってくれチロ!
「ほぅ・・・少し触ってもいいか?」
「チロ? バルガンさんにご挨拶して?」
掌に載せたチロを、バルガンさんの前まで
移動させて可愛さアピールする。
バルガンさんはゆっくりと
背や頭をさするように撫でるだけで、
まるで薄いガラス細工に触れるように遅かった。
やがてチロが自分から指に
鼻を擦り寄せると、
バルガンはほんの少しだけ口元を緩めた。
俺は頼むから、
ガルド様の髭を齧るみたいな事するなよと
願いながら、時間が過ぎるのを待った。
◇
「俺たちドワーフの故郷にも、
チロに似たような動物が居たんだ……」
チロを見て、やがてボタンを見ながら独り言を
ポツリと漏らすバルガン。
「ガルドさんがよこしたって事は、
何かしらの縁って事なのか」
やがて顔を上げ俺の事を見定め、決心するように
「良いだろう。俺も腕が鈍って仕方なかった。
悪い話ばかりでもないし、
先行投資だと思って作ってやるよ」
「ありがとうございます!!」
やったぜ、最高だ、ドワーフの防具や!!
運が俺に味方してるぞ!!!
「そうと決まれば採寸だ。
そのボアは先に裏に持っていってくれ」
急げ。ここで心変わりされたら、
店前で泣いてお願いする必要出てくる。
今日はそれぐらい疲れたんだ。
早く一輪車生活とおさらばしたい。
◇
「それで? 何か要望はあるか?」
「プロのお仕事にお任せします!」
「ふぅん? なら得物とスキルの内容と、
あのボアとの戦い方を聞かせてもらえるか?
参考にするからよ」
俺は今日の出来事を話しながら、
なるべく自分の動きを説明した。
「正面は食らった。横は逃がした。足は踏まれた」
「得物が斧なのは気に入った。俺も使うから、肩の可動域も分かりやすい」
「敏捷が低いが回復スキルがあるなら、
金属はあまり使わない方が良いな」
バルガンさんはメモを取りながらうなずいた。
「本来なら十日以上かかる。
だが、こいつは毛根に魔力が残ってる。
乾かしすぎると死ぬ皮だ。三日で形にする」
と言って、三日後にまた来いと言われ、帰路に就いた。
それまで、また学ランのまま、
目立たないフリをするしかない。
疲れて自分の部屋に戻ってからは覚えてない。
けど、今日の傷の痛みはずっと忘れないと思う。




