13-4 マネキンそのもの
終業後のホームルームを終えた後、木崎教諭は職員室でパソコンの画面とプリントアウトされた用紙とを見比べて考え込んでいた。
一一年前のT市で起きた生徒複数の行方不明事件。
それはもうネットの中でかき消えていた。深く沈んでいるだけなのかと執拗に検索を繰り返したのだが、ものの見事にヒットしない。キレイさっぱり失せていて、そんな事実などあったのかという素っ気なさが在るだけだった。
普通、こういった刑事事件はアーカイブなどに残るものだと思っていたが。
だが昨今では珍しい事では無いのかも知れない。
紙に印刷された新聞記事ならばいざ知らず、ネット上では時事ネタや政治記事なども、それを掲載していたサイトが閉鎖してしまえばもう見ることは出来ない。別サイトに移管している記事は確かに在るが、決して大多数じゃなかった。
ネット界隈の統計を信じるのなら、一〇年で四割近いウェブページが消失しているのだという。
そしてサーバーの容量の問題もあって、些末な記事はデジタル化すらされていないというこの現状。
どうやらネットが膨大な知識の保管庫というのは幻想らしい。溜め込んでおきたいのならその都度、自前の記憶媒体に移し込んでおけ。そういう結論になりそうだ。
この分だとクラウドサービスだって一〇年後はちょっと怪しい気がする。
此の世のことは、ただひたすら消え去るのみ、ってか?
ネットの世界こそ諸行無常という言葉がピッタリだ。これだけ日々情報の洪水に押し流される場所など他には無かろう。個人の日常なんて子供が吹くシャボン玉よりも呆気ないに違いない。
そうだ、T市の市営図書館なら当時の新聞を保管しているかも。
そう思ってネットに上がっている分だけでも調べてみたのだが、これもまた空振りだった。主要な記事はデジタル化されているものの、どういう訳だか自分が探して居る事件だけ、その関連記事ごとゴッソリすっぽ抜けているのである。
まるで、誰かが意図的に排除しているみたいに。
「……」
傍らにある用紙には、一人の女生徒の写真と簡単なプロフィールが印刷されていた。読む限りでは何の疑念も湧いてこない。いや、湧く隙すらない簡素な経歴だ。
個人情報の漏洩防止云々があって不必要に書いていないだけなのだろうが、別の意図が在りそうに思えるのは、果たして自分の考え過ぎなのだろうか。
用紙の中からは蔦のようなくせっ毛の、転入したての女生徒がジッと見つめ返している。まるでコチラの腹の底を見透かすような眼差しだった。
霧林紀美子はポツンと夕刻の校庭の隅に居た。
目の前では、放課後の部活動に勤しむ運動部員の歓声で賑わっていた。「女生徒」はそれを日に焼けたベンチに座ってジッと眺め、身じろぎだにしない。
「霧林、帰らないのか」
ぎこちなく振り返って見ると中年の男性教師が立って居る。少女は少し小首を傾げて眉根を寄せた。何かを思い出そうとする素振り。
そんな様子にむしろ戸惑ったのは声を掛けた側で、「どうした」と苦笑交じりに重ねて訊いた。
「まるで自分の担任を忘れたような顔だな」
「いえ、忘れて居ません。思い出そうとするのに手間取ったダケです。まだ慣れて居なかったダケです」
「?お、そ、そうか」
「木崎先生。何か御用ですか。どこか不自然でしたか。それともルール違反?」
「ひとり寂しく座って居るから、ちょっと気に為ったダケだ。何処か入りたい部でも見つかったか。確か霧林は部活やってなかっただろう」
「入らないとダメですか」
「駄目という訳じゃない。新しく何かに挑戦してみるのも悪くないぞと、それだけの話だ」
「見てただけです。喋りかた、歩きかた、転びかた、走りかた、ボールの蹴りかた、歓声の上げかた、笑いかた、怒鳴りかた、返答の仕方、その他いろいろ。参考になります」
「おいおい、まるで一切合切何もかも忘れたみたいな口ぶりだな」
「何度繰り返してもなかなか馴染まなくて」
「……随分と人物観察に熱心だ。絵でも描こうと思っているのかな。それとも自主制作の映画を撮りたいとか?」
「絵でも描こうと思っている、それとも自主制作の映画を撮りたい……出来ますか」
「うちには美術部もある。映画は同好会があったな、確か」
「美術部もある、映画は同好会があった、どちらも在る。どちらかに入ったら先生は安心しますか。違和感を感じずに済みますか」
「わたしがどうこうじゃない。霧林がどうしたいかだ」
「どうしたいか……少し考えます」
「そうか。観察に熱心なのもいいがもう陽が暮れる。暗くなる前に帰るんだぞ」
「もう陽が暮れる、大丈夫です。もう、帰りますので。陽が暮れる前に家に帰りますので」
女生徒はするりと影のように立ち上がった。そして「失礼します」と深々と腰を折ると、傾いた陽が形作る長い校舎の影を踏み去って行った。
トボトボと物寂しげな後ろ姿、夕刻の中へ女生徒の制服が溶け込んでゆく。目を離せば消えてしまいそうな儚さが在った。
霧林、あんな子だったろうか。
もう少し快活で、歯切れの良い物言いをする生徒だと思ったのだが。
木崎はそこはかとない引っかかりを感じつつも、ただその後ろ姿を見送り、やり残した仕事を片付けるべく職員室へと踵を返した。
少年は転校したばかりで友人が居なかった。
何とかクラスに馴染もうと、慣れない社交性を発揮して苦慮している最中、親しげに話しかけてくる男子が居た。随分と世慣れして居るようで何処か達観した物言いの男子だったが、仲良くなって「夜の学校に肝試しに行こう」と誘われた。
閉ざされた夜の校門を乗り越え、校舎に忍び込み、そして実習棟の最上階に到達した所で少年の全てが終わった。
仲良くなった男子に、その場で首をへし折られたのである。
別にその少年が特別という訳ではない。他に例を挙げれば、友達の少ない女生徒であったり、クラスから爪弾きにされている素行の悪い男子であったり、自らを孤高と勘違いして居る生徒だったり、実に様々だ。
敢えてその傾向はと問われれば、周囲へ関わろうとする意思や立場が無い者、交友関係が希薄な者といった所だろうか。
だがそれも絶対という訳では無かった。餌とされ、失せた後でも騒がれにくい。もしくは代替品がすり替わったとしても、周囲に気付かれにくい者がよく対象となった。餌の群れは、静かであればあるほど都合が良いからだ。
そして抜けた穴を埋めるべく、ナリ替りどもは素知らぬ顔で家族に潜り込む。日々の食物と住処を確保する為に。
ヒトの社会に潜り込めば、外敵は極端に少なくなるが故に。
それこそがアレなモノどもに捕食寄生され蚕食される、人間世界の在り来たりな日常風景だった。
しかしだからと云って、ヒトがそのまま納得する筈も無い。
故に駆除者が居るのだ。
食堂に運ぼうと、餌の襟首を掴んで教室から引きずり出そうとした刹那、某かを感じ取り瞬間的にバックステップ。途端、いきなりその腕が切り飛ばされた。
どんっ、と大きな音。
大振りな刃物が教室の柱に突き刺さる。
それは投擲された大鉈だった。
小さな舌打ちの音が聞こえ、「避けやがった」と呟きがあった。
「首を狙ったのに。勘のイイやつめ」
それは教室の入り口に現われた女生徒のシルエットだった。
クセの強い蔦を思わせる黒髪が踊り、腰に下げたもう一本を、予備の大鉈を抜き放つ。踏み込んだ途端、片腕を切り飛ばされた少年が飛ぶ。窓を蹴破り、闇に沈む校舎の外へ。
「逃がさんっ」
間髪置かず邑﨑キコカは後を追い、二つの影は夜陰の中へと消え失せた。
そして静かになったその後に、入り口から新たな人影が迷い込んで来たのである。
以前はここじゃない何処かで生活して居た。
だけどソコは生活を邪魔するモノが現われて逃げるコトになった。逃げた先でしばらく暮らして居たけれど、邪魔するモノが出て来てやっぱり逃げ出す事になった。
逃げても逃げても同じだった。ちょっと落ち着けたかなと思うと、また居られなくなって今まで居た所を離れるハメになる。
そうやって点々と移動し続けた。何度も何度も住み着いてはすぐ移動してを繰り返した。そしてその都度に全部を取り替えていかねばならないのだ。
大元は一緒の筈なのに、ちょっとでもナニかが違うと直ぐにおかしくなる。何も問題無いと信じているのに、周りからはオカシイと言われる。そしてそうなると直ぐに目立って爪弾きにされる。結局、紛れるコトが出来なくなって逃げ出すハメになった。
そうやって何度も何度も繰り返した。飽きる程に繰り返した。
それこそ数え切れない程に。
余りに何度も繰り返したので、段々ナニがホントで何が正しくないのか分からなく為っていった。
最初の頃は分かっていた筈なのに。
そして今ではよく分からないモノがてんでんばらばらにくっついた、モザイクか万華鏡の中の風景みたいになっていた。
全部が全部あやふやで、何をどうして良いのかすら分からなかった。通い慣れた筈の通学路すら迷いそうになる。歩道を歩いていてもソレが正解なのかすら分からない。
ましてや毎日の様に学校に通い、毎日の様に授業を受けて、毎日の様に帰宅して自宅という名の檻の中で家族の一員というものを演じ、夜を迎えて朝になる。その繰り返し。
似ているようで全然違う、長い長い時間の迷い道。
全く同じじゃないから困るのだ。ゴールはいったい何処に在る?そもそも何故わたしは繰り返して居る?明日は何故やって来るのだ。
分からないコトばかりで誰も答えを出してくれない。不親切だ、誰か教えてくれれば良いのに。
分からない、分からない、全然判らない。分かっているコトなんてまるでなくて、分からないコトばかりが攻め寄せてくる。
いったいこれから何をすれば良いのか、自分が何者かすら……
「だからこうしてわたしは途方に暮れている」
幾人ものオスやメスの未成体を次々にもらい受け乗り替えながら、疑問の答えを探し続けてた。
「どうすれば良いの」と眼下の少年に尋ねてみたのだが返事は無かった。そりゃあそうか、もうこのコレは生きるのを止めてタダの肉塊になっているのだから。
仕方が無い。いつものように、頭蓋骨の中に収まっている神経節のカタマリに直接訊いてみるとしよう。
そう決めてソレに跨がった時だった。
「ここで何をしている」
唐突に声を掛けられて、振り返ると人影が在った。その顔は見覚えが在るような無いような。ただ、幾ばくか歳を経たオスの成体というコトだけは見当が着いた。
「ええと、どちらさま?」
素直な疑問であったのだが、何故か相手は「ふざけるな」と、怒気を孕んだ声を絞り出すのである。
「ああ、そうそう、そうです。思い出せました。霧林紀美子の担任教師、名前は……ええと」
「そうだ、おまえの担任の木崎だ。コレは、この有様はいったいどういうコトだっ」
男性教師の目の前では、暗い教室の中で裸の男子生徒に跨がる女子生徒の姿が在った。その女生徒もまた男子生徒と同じく素裸で、どう見ても情事の最中に踏み込まれたとしか見えなかった。
その筈なのに、霧林という名の女生徒は落ち着き払い飄々と受け答えるのだ。
そしてそんな彼女とは裏腹に、男子の方はピクリとも動かぬ異様さなのである。
眠って居るのか。
しかし、かちりと硬く固まり呼吸の気配すら無く、それはまるで床に放り出されたマネキンそのものといった風情……




