第9話 教え子
少数部族の出身でありながら、貴族であるグロリア侯爵の屋敷に出入りしていた少女。
少女の名は、ソフィア・クロイエ。
彼女は「ある計画」のため、家族も同意の上でその貴族の家に連れて来られていた。
何故ティナがそのことを知っているのかと言えば、「ある計画」遂行のため、ソフィアに「リブーム」を教えるよう、グロリア侯爵から直々《じきじき》に頼まれたからである。
侯爵の家には少女より年下の子息と息女がいたが、グロリア侯爵は「特にソフィアに集中して教えてくれ」と言った。
ティナはそれを、仕事を受けてグロリア侯爵の家に最初に訪問した際に説明された。
少女のためを思えば、断るべきだったのかもしれない。
しかし、そのときは今と違って金銭的に切実な事情があり、我が身可愛さに断ることができなかった。
(都市地主と少数民族の間に生まれた子、か……。何もないわけがないわね)
この国では、いつもどこかで少数民族たちが割を食っている。
そして、セルディア王国の中でも金や権力を持っている者たちに利用される少数民族たちは、より一層辛い目に遭う。
セルディア王国の者になることもできず、少数民族の中に戻ることもできない。
ソフィアの場合は家族が承認していたとはいえ、一度その世界に入れば、どちらか一方の世界に通じる道を閉じない限り、安寧の道はない。
二つの世界を跨ぐということは、常にその間にある自分だけが通れる道を作って歩いていくしかないということなのだ。
そしてロバートは、ソフィアよりも深く、両方の世界にはまっているのではないだろうか、とティナは思う。
彼は両方の血を継いでしまっている。父親である都市地主の血も、母親である少数民族の血も。
ここまで成長するまでに、出生に関して何もなかったなどほとんどあり得ない話だろう。
(……ソフィアのことを思い出したら、不思議と落ち着いてきたわね)
ティナはゆっくりと深呼吸をした。
先ほどまで苛立ちが心を支配していたが、だいぶ和らいだ。
彼女は決して、心の広い人間ではない。自分のことを優先することもままあるし、やはり嫌なことを言われれば相手が子どもだろうとも腹は立つ。
だが、ソフィアのことを思い出すと、同じ過ちは繰り返すまい――と思うのである。
(私はあの子に、「勝負」しか教えなかった。「リブーム」はそれだけじゃないのに……。戦うことばかり教えてしまった……)
だから、ティナは思う。この子には――今目の前にいる、ロバートに対しては、「勝負」はするけれども、「リブーム」がそれだけではないことを教えよう、と。
「……ロバートさま」
「何?」
ティナが内心慌てているだろうと思っているからか、ロバートの声は楽しそうだった。しかし彼女は静かに、そして芯を持った声で、ロバートの問いを改めて否定した。
「ロバートさまがいくらお疑いになっても、私とご当主との間には家庭教師の依頼をされた以外の繋がりはございません。私は、一介の主婦です。ご当主さまと噂されるような関係になったところで、お互いの足を引っ張り合うだけでございます。ですから、『愛人』というのはあり得ないのです」
「しゅ……、主婦?」
ロバートは目を瞬かせた。意外な回答だったらしい。
「はい」
「主婦なのに……『リブーム』の家庭教師?」
その問いで、ティナはまた「なるほど」と思った。
彼は、「主婦」であるティナが、「リブームの家庭教師」が勤まると思っていなかったのだろう。その上、教える相手は都市地主のスイングラー家の子息である。ティナの裏社会の異名を知らない人なら、誰でも不思議に思うに違いない。
「そうです」
「信じられないな」
「ロバートさまがそう思われるのも無理はありません。私自身、勤まるとは思っていなかったので、最初は断ったのです。あとは先ほど申した通りです。ただ、一つだけドレスのことについては回答いたしましょう」
「納得のいく説明をしてくれるということか?」
「はい」
「とりあえず、聞いてやろう」
「ありがとうございます。——これは当主さまが、私が持っている服でここを訪れると、怪しまれることを懸念して用意してくださったものです。私のような身分の低い者が、スイングラー家の門をくぐっているのを見られたら、疑問に思う者もいるだろう、と……。それで、当主さまの指示に従いました。信じられなければ、お父上にお聞きくださいませ」
「怪しまれる?……まあ、確かに、ぼろの服でこの屋敷に来たら、泥棒だと思われるかもしれないものな」
ロバートには「盤上の王」の名について話していないため、彼なりに想像したのだろう。ティナは、にこりと笑ってうなずいた。
「……そうでございますね。——さあ、次に並び方を教えますよ」
ロバートが少し素直になったところで、ティナはすかさず「リブーム」のルールに話を変えた。
「駒は、手前のマスに左から右に向かって★を二つ、次に●を一つ、▲を一つを置き、また★を二つ並べます」
ロバートは向かい側のティナの並び方を見ながら、同じように駒を並べる。
「こうか?」
「はい。合っています」
「次はどうするんだ?」
「今度は、駒を置いたところから一つ上の列を見ます。先ほど置いた●の上に■を置き、▲の上には◆を置きます」
「置いた。駒の数は全部で八個か。でも、★だけは四個あるんだな。ほかは一個ずつ……」
「ええ、そうです。★特に、動きが制限されている駒なので、四つあるんですよ」
「どういうふうに動きが制限されているんだ?」
「それは他の駒との兼ね合いものあるので、もう少しゲームの概要お話してから実際にやりながら覚えて行きましょう」
「……分かった」
「次に、勝負の付き方を確認いたします。『リブーム』は自分の駒と駒の間に、相手の駒を挟んで取るゲームです。『リブーム』の勝負の付き方はご存じですか?」
「……駒が一つになったとき……、負ける」
「状況によって変わることもありますが……、それも一つの正解です」
「『状況による』ってことは、違うのか?」
「必ずしも絶対の正解というわけではないということです」
「説明はしてくれないのか?」
「勝敗の付き方について分かったとき、理由は自ずと分かりますよ。それから時間制限がある場合もありますので、それも勝負の付き方としてありえますね。ただし、これはいつでもあるわけではないので、時間制限のルールが追加されたときにあるのだ、とだけ思っていただければと思います。他の勝ち方は分かりますか?」
ティナが尋ねると、彼はふいと首を庭のほうに向けた。
「……俺がわざわざ言うことじゃないだろう」
(これは……)
「知らない」ということだろう。
しかしティナは、彼が「知らない」ことに気づかないふりをして、話を進めた。
「それもそうですね。では、説明いたします。それは、『●もしくは、▲のどちらかの駒を取った場合は、相手の残りの駒の数に関係なく勝ち』になります」
ロバートはちらっと、盤を見る。
「●と▲……」
すると、彼は何かに気づいたようにはっとした顔をして、ティナに質問をした。




