第81話 贈り物
ロバートの瞳からは、ぼたぼたと涙が零れる。
ティナが書いた手紙を濡らしたくないのに、その上にどんどん大粒の雫が落ちていった。
(先生らしい……。家庭教師の体裁を繕っているくせに、ちゃんと温かさがある……)
ふっと笑ったロバートは、ぐずぐずと鼻を啜りながら、白い紙に包まれたものを開いてみた。
「これって……」
中に入っていたのは、インクの入った瓶だった。瓶は表面が黒く塗られているので、中に何色が入っているのか分からない。だが、付いていたタグを見てみると「カールバンク」と書いてあった。
秋晴れの日、ティナと一緒に入った古物商の「ハリル」で見たインク入れである。
「買っていたんだ、これ……」
そして、包まれた紙の内側には次のようなことが書いてあった。
——時期は早いと思いますが、夏に生まれたあなたの成長に祝福を。
(……誕生日にくれるつもりだったんだ……。先生、俺の生まれた日のこと、知っていてくれたんだ……)
スイングラー家の息子としてなら、沢山の祝いの品を持って来てくれる人がいる。
だが、もう誰も、「ロバート」という個人として祝ってくれる人はいないと思っていた。
唯一、祝ってくれそうだったティナも夏を前にいなくなってしまったから、無理だと諦めていたのに、最後の最後で彼女は最大の贈り物をロバートに用意していてくれた。
ロバートはインクの瓶と手紙を胸に抱き、ベッドに横たわる。熱い涙が次から次へと頬を伝い、シーツを濡らした。
「先生……、ありがとう。手紙は嬉しい。書いてくれたのは本当に良かったと思っている。でも、……でもさ……。こんな別れ方したくなかったなぁ……」
ティナが自分に手紙をしたためてくれていたことは素直に嬉しい。
だが、もらったものに「ありがとう」と言いたかったし、嬉しい気持ちを伝えたかった。
それがもうできない。
「……っ」
ひとしきり泣いたあと、ロバートはすっかり疲れ果てていた。目と鼻の辺りがぼんやりとしていて考える気力もないが、気持ちはすっきりしている。
ベッドの上で仰向けになると、窓から差し込む光は弱くなり、空が淡い紫色に染まっているのが分かった。
彼はベッドから起き上がると、袖でごしごしと顔を拭き、ティナからもらったインクの瓶を机の上へ、手紙は引き出しにしまった。
「……」
ちょうどそのとき、扉を叩く音が聞こえた。
「ロバートさま、そろそろ夕食のお時間なのですが、いかがなさいますか?」
メイドのアレイの声である。ロバートはすぐに返事をした。
「ありがとう。今、行くよ」
「かしこまりました」
ロバートはアレイの足音が遠ざかるのを聞いたのち、インクの瓶をするりと触った。そして暫し見つめたのち、すっと体を動かすと、まるで未練などないかのように部屋を出るのだった。
*
ティナから手紙をもらってから三か月が過ぎ、季節は夏を迎えた。
あの日以来、ロバートは至極真面目に勉強に取り組み、どんどん家庭教師たちから知識を吸収していった。
それだけではない。
時に色目遣いをしてくるような者には皮肉を言ったり、遠回しに嫌味を言ったりして牽制できるまでに成長していたのである。
「メイドたちが感心していたよ。家庭教師に対しても物怖じしないって」
そう言ったのは、久しぶりに会った兄のコンラート・スイングラーである。兄とは昨年の秋に再会して以来だ。
「あっそ」
弟の素っ気ない返事に、コンラートは寂しそうな表情を浮かべる。
「何だよぉ、久しぶりに会ったっていうのにその興味のない態度。もう少しお兄ちゃんとの会話を楽しんでくれない?」
「はぁ?」
二人が馬車を共にしているのは、ロバートの誕生日が近いこともあって、兄から「遊びに来ないか?」と手紙で誘われたからだ。話を聞くと、父が親しい友人たちを招いて誕生会を催そうとしているため、その前に兄なりの祝福をしたいと考えているようである。
コンラートは現在、貴族たちとの交流を兼ねてクレイルンの町にある大学に通っている。クレイルンだったのは、ここにスイングラー家の別荘があるからだ。そのため、ロバートを呼び寄せ、少しの間共に過ごそうという話をしていたのである。
それにしても弟に対する愛情が、会わないうちに以前にも増して強くなっている気がする。年上だからと言って丁寧な口調にしなくてもいいというのは有難いが、自分のことを「お兄ちゃん」と言ったことに背筋がぞわぞわしたため、ロバートは窓の外に視線を逸らして言葉を続けた。
「楽しい会話だったら俺も譲歩するよ。でも、勉強のことやスイングラー家のことを言われても詰まらない。面白くない。話したくない」
「まぁ、それもそうか」
「あと、俺がどんな態度とっても兄上が怒らないどころか挫けないから、怖い……」
「ええ⁉ 何で⁉」
「何でも……」
「そう言われてもなぁ。砕けた口調で話をしてくれるのって、距離が近い感じがして嬉しいから、怒るとか、挫けるとか思わないんだよね」
「……あっそ」
「うん」
小さくため息をついたコンラートだったが、落ち込んでいる様子はない。寧ろにこにこと笑っている。それに気づいたので、ロバートは顔を顰めた。
「何か企んでる?」
弟の問いに、兄はにっこりと笑って答えた。
「別に。でも、ロバートは気づいているんだろ。ここがティナさんが育った故郷だってこと」




