第76話 扉を閉じる
「先生……」
ロバートが空色の瞳でティナを見つめ返したとき、部屋の呼び鈴が鳴った。
きっと執事のクイーズリーか、メイド長のイレイヌがロバートを迎えに来たのだろう。
(時間ね……)
ティナは、ふいと彼から視線を外すと立ち上がり、扉の方へ体を向けた。
「話は終わりです。お帰りくださいませ」
そして扉のほうへ向かおうと歩き出したのだが、ロバートに右手を掴まれる。振り向くと、何か言いたげな顔をしていた。
「先生……!」
しかしティナは聞こうとはしなかった。代わりに「きっとお屋敷の誰かが迎えに来られたのでしょう」と言って彼に背を向ける。
だが、ロバートが少し強く手を握って放そうとしない。
「……」
「手をお放しください」
「……嫌だ」
(嫌だと言われてもね……)
扉の向こうにいる人を待たせるわけにもいかないし、そもそもこれ以上ロバートと話すこともない。ティナとしては、彼に他の家庭教師からちゃんと学ぶようにということと、自分は固執されるほどの立派な人間ではないということを伝えたかっただけである。
ロバートがティナに何か言いたいことがあったとしても、現状は変わらないのだ。変えられるのは彼の気持ちの持ちようだけ。それもティナが変えられることではなく、ロバートが変えなければならないのだ。
ティナは一つ息をはくと、「失礼します」と言って左手も使いながら、さっと彼の手を解いた。
「あっ!」
再び手を掴まれないようにするため、足早に扉へ向かいすぐに開ける。
「申し訳ありません、出るのが遅くなりました」
「あっ……、いえ、こちらこそ夜分遅くにすみません……」
扉の外に立っていたのは、クイーズリーだった。
青い顔をして、疲れたような顔をしている。きっと、ロバートがいなくなってから、気が気でない状態で捜していたのだろう。
「あの、こちらにロバートさまは来ていませんか?」
「いらしています」
「よかった……」
クイーズリーは安堵して力が抜けたのか、膝に手を当てて大きく息をはいた。今にもへたり込みそうな様子だったが、執事としての矜持が許さないのか、気力で耐えたようである。
ティナは部屋の中を振り返ると、まだベッドの縁に座っているロバートに声を掛けた。
「ロバートさま、クイーズリーさまが迎えに来られましたよ」
「……うん」
うなずくも、中々動き出さない。
その様子を扉の外から感じ取ったのか、クイーズリーは部屋の中に向かって少し大きい声で「ロバートさま、当主さまも怒っておりませんから、とにかく帰りましょう。ここにいたらエジンさまにも迷惑が掛かってしまいます」と言った。
彼が帰りたくないのは、「怒られるかもしれないと思っているからだ」とクイーズリーは解釈したようである。
ロバートがその言葉に心動かされたのかは分からないが、ゆっくりとベッドから立ち上がると、少しずつ少しずつ扉に近づいて来て、ようやくクイーズリーの目の前に立った。
「ロバートさま、心配しましたよ」
ほっとした笑みを浮かべるクイーズリーに対し、さすがのロバートも良心が痛んだのか、小さくなって「……ごめんなさい」と謝った。
「いいんです……、いいんですよ……。ご無事でなによりです」
目元と柔らげてそう言ったクイーズリーは、今度はティナのほうを向いて頭を下げる。
「エジンさまも申し訳ありません。今回の件についてはまた改めてお礼をいたします。当主さまも望んでいることと思いますので」
ティナはうなずくと、「……分かりました」と言って彼と同じように頭を下げた。
(お礼……ね。きっと何を話したのか聞いてくるのでしょうね……。ロバートさまがここにいることをすぐに連絡しなかったのだから……)
ロバートが来たことを、宿泊施設の受付窓口に言えば、すぐにスイングラー家に連絡して迎えを寄こしてくれたはずである。
しかし、ティナはそうしなかった。彼に勉強することを選んでもらうために、自分の話をしたのだ。
そして今回の件で、ロバートがティナに心を許していることがはっきりとしたはずである。恐らくヴィヴェルシュは、息子が肩入れしている家庭教師を長居させることはしないだろう。
(リブームをある程度学び、さらには他の家庭教師との繋がりができたら、私はお役御免ね)
「では、失礼いたします。よい夜をお過ごしください」
クイーズリーがそう言って、ロバートの背に手を添えながらティナの部屋を後にする。
「はい。おやすみなさいませ」
彼女はその様子を見届けると、ゆっくりと扉を閉じたのだった。




