第75話 ティナの過去
「セレ、イアヌ……って言った?」
彼の声が震えていた。無理もない。「セレイアヌ」は、ロバートの出自と関わる少数民族の名である。子どものころに彼は、その中にいて生活していた。
きっとティナの話を聞いて、気づいたことがあったかもしれない。
「申しました」
「……」
「私が仕えていた主人が、『闇取引』において欲しいものを手に入れるには、二つの方法がありました。一つは競売、つまりお金をかけて競り勝って持ち帰ること。もう一つは『闇取引』で行われるゲームに勝って、一番になること。リブームはそのゲームの一種だったのです」
「じゃあ、先生は……」
ティナはそこでようやくロバートを見た。
空色の瞳がゆらゆらと揺れながらティナを見ている。
「そうです。子爵の欲するものを手に入れるため、私は『闇取引』で勝ち続け、『盤上の王』という称号を手にすることになったのです」
「『盤上の王』……」
「ロバートさまのお父上が、私に家庭教師を依頼したのもこの称号があったからです。どのような経緯でお知りになったのかは存じ上げませんが、私のことを知っているようでした」
はっきりとは言わなかったが、彼の父親が「闇取引」のことを知っているかもしれない程度のことは暗に仄めかすことはできたであろう。
これがいい方向に進むか否かは、分からない。
だが、ロバートの兄であるコンラートが、父親の指示によって弟が「闇取引」に関わることを警戒していることを考えると、ほんの少しばかり触れるくらいはしていてもよいと思った。
多少の毒に触れることで耐性が付くように、悪を知ることでロバートの考える何かの足しになるかもしれないと思った。
「勝ち続けた……」
ロバートがぽつりと呟く。父のことでもなく、「盤上の王」の称号でもなく、彼はその言葉が引っかかったようだった。
きっとその一言に意味や感情が込められているのだろう。怒っているかもしれないし、責め立てたい気持ちになっているかもしれない。
しかし何となく推測はできても、分かりようがなかった。同じ民族の者が、ティナの行為によって犠牲となったのだ。決して計り知ることのできないものが、彼の中にはあるに違いない。
「ええ……。ですから、血塗られた仕事なのです。私が勝つたびに、主人には景品が手に入りました。時には宝石や絵画を手にしたこともありましたが、ほとんどは『人』です。それにより、何人の女性が犠牲になったか分かりません。ですが、私は生き延びるために勝ち続けるしかありませんでした。リブームで勝つことを求められた私に『負け』は全ての終わりです。女性たちにはすごく申し訳ないことをしたと今でも思っていますし、悔やまない日はありません」
「それは……養父さんたちにお金を渡したくて、子爵と契約したことを、後悔しているってこと?」
養父母のことを問われると思わなかったので、ティナは少し目を見開き、少し考えてから答えた。
「その点については何とも申せません。子爵がこれほどまでにリブームへの勝利に固執しているところを見ると、取り引きを蹴ったところで私は誘拐されていたかもしれませんから……」
「誘拐……」
「はい……」
もしそうなっていたら、養父母には一レイル(=約一円)もお金は入っていなかっただろう。
比べることではないことは分かっているが、一レイルすらもらえないくらいなら、ちゃんと取り引きをしてお金をもらったほうがいい。
そう思うと、子爵に目を付けられた時点で、ティナの「闇取引」の道が開かれてしまったと言えるだろう。
「……そういえば、レストランで働いていたって言ってたけど、それは嘘?」
ティナは、「どうしてそんなことを聞くのだろう?」と思いつつも、誠実に返答した。
「本当のことですよ。子爵から逃げ出したあと、リブーム以外の仕事をしなければなりませんでしたから」
「逃げ出した?」
聞き返され、合点がいった。
言われてみれば、「闇取引」と「レストランで働いていた」というのは、組み合わせが妙である。
ティナは、納得して話を続けた。
「はい。私はリブームで勝ち続けながら、子爵から逃げ出す機会を伺っていました。子爵の元で働き始めたのは十七歳のときで、逃げ出すことができたのは、その五年後の二十二歳のときでした」
「でも……、どうやって?」
「子爵の側近だった者と一緒に逃げたのです。その人は後に、私の夫となりました」
「……」
「しかし、子爵は私たちを執拗に捜していたのです。恐らく、警官に子爵の所業をバラされるのではないかと警戒していたのだろうと思います」
「それでどうなったの?」
「逃げ出してから三年後、私たちの隠れ家は見つかってしまいました。何とか必死に抵抗し、私は無事だったのですが、夫は私を庇って足に銃撃を受けてしまったのです。手当てをして傷は治りましたが、足は不自由になってしまった……。そのため、私は彼と共に生きるために仕事をしていたのです。子爵に追われている間はずっと表に出ないような仕事を転々としていましたが、夫が怪我をしたことで、子爵が警官に捕まりました。お陰で、表に出ても問題がなくなったため、レストランのウエイトレスをしていたのです。一番割のいい仕事でしたから」
「割のいい仕事だったとしても、俺の家庭教師はもっと給与が良かったんじゃないのか? 父上が出し渋るはずがない。二人で生活していくには、沢山もらえたほうがいいはずだろう?」
「それはそうかもしれませんが……、夫は数年前に亡くなりました」
彼の空色の瞳が、大きく見開かれる。
「……え?」
「以前から体が弱っていたのです。子爵に仕えていた際に、相当暴行を受けたようでした。そして足の怪我もあって、とても大変だったと思います。ですが懸命に生きました。本当に、私に沢山の知恵を授け、励ましをくれた人でした……」
「……」
ティナはロバートのことを見つめると、しっかりとした声で言った。
「ロバートさま、私が子爵の元から何とか逃げ出し、生活することができていたのは、夫が知識を持って色んなことを考えてくれていたからです。もし彼がいなかったら、私は逃げ出したところですぐに捕まっていたでしょうし、逃げ出すことすら不可能だったかもしれません。ですから、ご自身のためにもちゃんと勉強をなさいませ。自分にきちんとした態度を心に持っていれば、相手に飲まれることはありません。……ロバートさまなら、きっとできますよ」




