第71話 良い選択
「傍目に見ていても、あの子はティナとのやり取りに慣れてきている。君に慣れているっていうことは、ちゃんと大人の話を聞くことができるし、習う姿勢ができるということだろう? だからそろそろ、違う教科の教師を呼ぼうかなと思っているんだ。以前のように拒否をするようなこともなさそうだからね」
確かに、彼は半年でだいぶ変わった。
最初に出会ったときに、ティナを騙して追い出そうとしていた暴れる少年の姿は消え、彼女を困らせるようなことも少しずつ減った。今は、学びに興味を持った落ち着いた少年になっており、時々「先生」と呼んでくれることもある。
しかし、ティナには何となく、ロバートに他の家庭教師と接触させるのは時期尚早のような気がした。もう少し、今の状態を続けたほうがいいのではないか、と。
だが、「今を続ける」ことが良い選択である根拠は何もない。ティナの勘である。それに彼女には何も言える権利もないため、静かにうなずいた。
「……そうでございましたか」
ティナの心境に気づいていないヴィヴェルシュは、喜々としながら彼女への賛辞をさらに重ねた。
「それにしても、まさかここまで成長するとは思ってもみなかった。リブームを教えるというだけのはずが、ロバートはティナという教師を得てからすっかり変わった。勉強嫌いだったあの子が、君に色んな質問をしているというじゃないか。もう、見違えたよ。全て君のお陰だ。本当にありがとう」
ティナは何とも言えず、頭を下げる。
「過分のおほめにあずかり恐縮です。ですが、私は頼まれた仕事を全うしただけのことでございます」
本当のことだった。自分ができることはリブームについて教えることだけである。
確かに、コンラートが来たあの日以来、ロバートと時折一緒に外出するようにもなり、彼の知らないものを教えるようなことはあった。
当たり前のことだが、教えられる事柄はティナが知っているものだけである。しかも、彼女は知らないものは正直に「知りません」と言ってしまう。
しかしティナが度々「知りません」と言うので、ロバートは「知らないことを知りたい」と思ったらしい。冬のある日「家庭教師に頼らなくても勉強できる方法はないのか」とティナに尋ねたのである。他の家庭教師が来るのが嫌だったのだろう。
ゆえに彼女は、部屋にあった本を指さして、「読んでみたらいいのでは」と助言した。「これなら家庭教師がいなくても学ぶことが可能ですし、私が知らないことも沢山書いてあると思いますよ」とも言った。
ロバートは字を習ったことがなかったため、背表紙に何が書いてあるかすら分からなかったが、彼はティナに尋ねながら少しずつ、少しずつ文字を覚えていった。
「学びたい」という意欲のある者の上達する速度はとても速い。ふた月ほどで彼は文字を読めるようになり、書けるようにもなった。これまで疑問だったことも本を読むと分かることを知り、さらに色んな物語がこの世界にあることを初めて知ったのだ。
しかし一般的な考え方からすると、一人で勉強をするには限界がある。特に、ロバートは基礎的な学問ができていない。
文字や簡単な計算ならティナも教えてやれる。
だが、セルディア王国の歴史や都市地主の一員として生きていくのに必要な、経済や法律の知識などは無知に等しい。だが、その学びを手伝ってやることはできない。
(私が教えることにも限界がある。そして、その限界も近い……。だとしたら、ロバートさまにとってはいいことなのかもしれない……)
ロバートの将来を考えたら、ヴィヴェルシュが言うように別の強化の教師が必要なのは確かだ。そう考えると、ロバートの気持ちを勝手に推測して「まだ早いのではないか」と言うのは、見当違いかもしれないと思い直した。
「ロバートさまに新たな家庭教師を付けられるのは、いつからなのでしょうか?」
ティナは頭を上げて、ヴィヴェルシュに尋ねた。
「準備が出来次第と思っているが、来週には始めようかと思う。ロバートの教育は、スイングラー家としては全くできていない状態だ。あの子も今年で十六。本格的に勉強をさせないと、都市地主の子息として恥をさらすことになってしまう。だから、まずは半日、別の家庭教師を付けて勉強させるつもりだ」
「ということは、私の仕事も半日ですね……」
「給金のことなら心配しないでくれ。半日になってしまったとしても、これまでと変わらない金額を出すし、生活場所もきちんと提供し続ける」
ティナの声が少し弱かったからだろうか。ヴィヴェルシュは、ティナが「給与が減るかもしれない」と勘違いしたらしい。
だが、言い直すことはしなかった。勘違いしているなら、そのままのほうがいい。
ティナは苦笑しつつ、彼が思い込んだ通りの流れで答える。
「有難いですが、それはさすがにいただきすぎかと……」
「いいんだ。クイーズリーとも話して決めた。君にはロバートをあそこまで変えてくれた恩義もある。だから、最初に提示した分の報酬を渡したいんだ」
「……分かりました。では、有難く頂戴いたします」
「うん」
話しがついたところで、ティナはティーカップを手に取った。お茶はまだ半分ほど残っている。
そのときふと、ロバートは家庭教師を増やす件について知っているのか疑問に思った。




