第68話 コンラートの想像
ティナはすぐには答えず、リブームの盤を見つめた。
(絶対の信用はできないけれど……、弟であるロバートさまのことを考えているのは本当なのかもしれない……)
古物商の「ハリル」で、フットマンのレイモンドがロバートを非難していたときも、事情を察するや否やすぐに庇ってくれた。どうでもいいと思っていたら、ぱっと動くことのは難しいように思う。
「あの……ティナさん?」
盤を見つめて固まっている彼女に、コンラートが声を掛ける。
それに答えるように、ティナは顔を上げた。
「少なくとも……」
ティナは一度そこで言葉を区切ってから、改めて言葉を続けた。
「私にはそのようなことは頼まれてはおりません」
「本当に?」
「本当です」
だが、コンラートは納得いかない表情を浮かべた。
「……でしたら、どうしてすぐに答えてくださらないのですか。まるで、どう答えようか迷っているかのようでした」
「最初に申し上げたはずです。私は、あなたのお父さまに雇われている者であることを。契約の内容を簡単に口にすることはできません」
「では、嘘を言ったのですか?」
コンラートが眉を寄せるので、ティナは首を横に振って否定した。
「いいえ。私がロバートさまにリブームを教える件については、単に『興味を持てるものが一つでもあってほしいから』としか聞いておりません。ゆえに、強くなることを求めてはいらっしゃいませんでした。これは私の推測ですが、きっとロバートさまが幾人もの家庭教師を追い出したからだと思われます」
「そう、ですか……」
「信じていらっしゃらないご様子ですね?」
「父がそんな安易な理由で、あなたを捜し出したと思えなくて……」
「お気持ちは分かります」
コンラートは、はっと顔を上げた。
やはり何らかの理由があったのだろうと思ったに違いない。
ティナはそれに気づいてしまったので、失礼だとは思ったが彼の顔を見て先回りした。
「誤解なさらないでください。コンラートさまが思っているような理由があるのかどうかは、本当に私には分からないのです」
「……」
「ただ一つ付け加えるのであれば、私は一介の家庭教師に過ぎません。ですから、スイングラー家のご当主の意図があるのかどうか……というのは、一切分からないというのが正直な答えです。私ができることは、ただただリブームをロバートさまに教えるということだけでございます」
「……もしかして、ロバートを強くさせることもできるのですか?」
肯定はしなかった。
だが「強くなるように指導してくれ」と言われたら、不可能ではない。
そのため、ティナは声を硬くして答えた。
「ヴィヴェルシュさま、もしくはロバートさまが望んだのであれば、私は拒否することはできません。しかし、私個人としては強くなるだけのリブームの指導はしたくありません」
「したくない? 何故です……?」
「勝利だけを追い続けた者は、孤独だからです」
その瞬間、コンラートは息を呑んだ。
ティナの「盤上の王」という輝かしいような、はたまた厳かなような異名の陰に、何があったのか多少なりとも想像力が働いたに違いない。
「……」
「私は『勝ち続けることだけ』を求められて生きてきました。勝利できなければ用済みになるような存在でしたからね。生きるために、必死になって強くなりました。でも、強い者の傍にいてくれる人はそうはいません」
「ですが、理解してくれる伴侶がいらしたのでは?」
ティナが「主婦」であることを通しているので、コンラートはそう思ったのだろう。
「……いました」
過去形である。
意味が分かったからか、コンラートの目が泳いだ。
「……す、すみません! 踏み込んだことを聞きました……!」
「いえ、いいんです。そんな……謝らないでくださいませ」
「ということは、一人……なのですか?」
ティナはこくりとうなずく。夫との間には、子どもはいない。
二人が逃亡生活を送っていたことも含めて、子どもを育てられるような環境ではなかったというのが大きい。
「ええ。ついでに申しますと、今でも『主婦』であることを名乗っているのは、気が楽だからです。そのうち『未亡人』になるのでしょうけれど……。自分から訂正するのは何だかできなくて……。自然と変わっていくのを、ただ待とうと思います」
「そうですか……」
ティナは、ふと右のほうに視線を向けた。
両開きの窓のすぐそばに紅葉を迎え、半分ほど葉を落としたカエデノキがある。それが秋の光りを優しく透かしていた。もう少しで、ロルディにも冬が訪れる。
彼女は目を細め微笑んだのち、コンラートのほうを見て言った。
「このように申し上げるのは大変失礼なことかと思いますが、私はロバートさまに強くなってほしいなどとはほんの少しも望んでおりません。ただ、リブームを通して相手とのやり取りを楽しんでもらえたらいいなと……、それだけを願っております。ですから、コンラートさまが懸念されているようなことは私自身は考えておりません」
「……分かりました。教えてくださって、ありがとうございます」
そう言って、コンラートはティナに対して頭を下げた。それほどまでに本気だったということの表れなのかもしれない。
ただ、ティナとしては彼のことを信じ切ることはできなかった。
今日話したことが、ティナにとってもロバートにとっても悪いほうにいかないことを祈るしかない。
「いいえ……」
都市地主の後継者が頭を下げているのに、ティナが何もしないわけにはいかないため深々と頭を下げて応えた。
(一年間、ちゃんと教えることができるといいけれど……)
ティナはそんなことをぼんやりと思いながら、お互いに話したことは秘密にしておくことを約束し合って、コンラートとのやり取りと終えたのだった。




