第6話 盤と駒
「連れ出してきた……?」
ロバートが掴む力を緩めたため、ティナはその隙にするっと自分の手を引き抜いた。彼女は掴まれたところを、さりげなくさする。
「私は当初、この仕事を引き受けるつもりはありませんでした。つまり、あなたさまに『リブーム』を教えるつもりはなかったのです」
「……父上が連れ出すほどということは、お前は相当に優れた指導者なのか?」
尋ねたロバートに対し、ティナは小さく肩をすくめる。
「さあ、どうでしょう。それこそご自分でお試しになってみては?」
「試すって?」
「『リブーム』で対戦をするということです。ロバートさまが、私と『リブーム』の勝負をすれば分かると思いますよ」
それに対し、彼は嘲笑った。
「はっ、ふざけるな。お前は『リブーム』の指導者だ。俺が勝てるわけがないだろう」
ロバートの一人称が「俺」になる。もしかすると、こちらのほうが素なのかもしれない。
そして彼は勝敗にこだわっているようだった。ティナは、ロバートに「私に勝ってみなさい」とは言っていない。「勝負をしましょう」と言っただけである。
(これは利用できそうね)
ティナは、ふっと笑うとロバートに提案した。
「でしたら、私の指導を素直に受ければよいではありませんか?」
「何?」
「確かに最初は、あたなさまの指導をするつもりはございませんでした。しかし私は、ここにいます。昨日も申しましたが、あなたさまののお父上に雇われて『リブーム』の指導することになったのです。教える限りは本気ですから、手は抜きません」
「俺が、あんたに勝つ日が来るっていうのか?」
「さあ、それはやってみなければわかりません。ですが、『リブーム』というのは戦っていると相手のことも分かってくるものです。——どうでしょう。試してみますか?」
ロバートは空色の瞳で、ティナを見定めようとする。
彼女はただ静かに、ロバートが決断するのを待っていた。
北風が吹く中、じっと待っていたので手が冷えてくる。内心「早くしてほしい」と思いながらも、口出しするとロバートが口を閉ざしてしまうような気がして、気合いで耐える。
「……いいだろう」
ようやっとロバートが答えを出したので、ティナはほっとする。とりあえずこれで、雇い主であるヴィヴェルシュの要望には添えそうだ。
「分かりました。お教えいたします」
ティナが答えると、ロバートはテーブルの盤と駒を指さしながら、近くにいた髪の短いメイドの一人に命令をした。
「おい、お前。これを片付けて、代わりに試合用のものを出してくれ」
「承知いたしました」
彼女は命令通りすぐに動くと、テーブルの上の盤を持ち上げる。
すると、近くにいた髪を三つ編みにしているメイドも傍に来た。駒もバラバラで入れ物もないため、一人で持って行くのが大変だからだろう。
駒に関しては、普通、箱のような入れ物があるはずである。
だが、それがここにはなかった。もしかすると、ロバートはここに持ってくる際に、箱から出して持って来たのかもしれない。
髪の短いメイドがテーブルの上に置いてあった「リブーム」の盤を持ち、三つ編みの子が手に駒を持って行く。途中で、木陰に隠れていた別のメイドが「手伝いますか?」と声を掛けていたが、二人は「大丈夫そう」と応えていた。
「では、少々お待ちくださいませ」
頭を下げて二人で屋敷の中に戻ろうとしたときである。ロバートが「ちょっと待て」と言って引き止めた。
二人のメイドはすぐに振り返ったが、少し戸惑っている様子である。何か不手際をしたのかと思っているのかもしれない。
ティナも、ロバートが彼女たちを引き止める理由が思い浮かばず、何を言うんだろうかと見守っていると、彼はティナを指さして言った。
「この人に何か掛けるものを持ってきてくれ。見ているほうが寒い」
ティナは目を見張る。
先ほどまでロバートは、彼女を追い出そうと画策していたはずである。そのため、気を使われるなど思いもよらず驚いてしまった。
一方のメイドたちは、あまり表情を変えなかったが、安堵したような、もしくは少しばかり嬉しそうな様子で「かしこまりました」と応対し、屋敷の中に戻っていった。
メイドたちが思ったよりも早く戻ってきてくれたため、ティナは毛皮のコートを羽織らせてもらう。
冷たい風を通さないので暖かいのは間違いないが、あまりに上等なもので本当に使ってよいのか心配になった。
そのため、髪の短いメイドに「本当に使っていいのですか?」と尋ねると、「大丈夫です。執事のクイーズリーさまが、『エジンさまに必要なものがあれば、この部屋から使ってよい』とおっしゃっていたところからお持ちしましたので」と笑顔で返事をされた。
必要になることを、主人が見越していたのだろう。
ティナを見つけ出した執念もさることながら、ヴィヴェルシュの用意周到さには脱帽するしかない。
「さて、やりましょうか」
ティナは気を取り直して、テーブルを挟んでロバートと向かい合って座った。もちろん、その上には、盤と駒が用意されている。
今度こそ、試合でも使えそうなものだ。
だが、木目が美しい盤に、白い石と黒い石を■、◆、●、▲、★に切り出し、つるりと磨かれた駒は、一般人が手に入れるには難しい上等なものだ。ティナがウエイトレスをしていたころなら、三ヶ月分の給料を全て叩かないと買えない。
しかし、これにまた文句を付けても仕方あるまい。この家にはこれしかないのだと割り切る。
ティナは、箱の中に入った駒を取り出しながら、指導を始めた。
「ルールは分かりますか?」
「リブーム」をやるには、まずはルールを知っていなければならない。
ティナは、ヴィヴェルシュの話を思い出す。
——あの子は、「リブーム」が好きみたいなんだけど、やってくれる相手がいないもんで、つまらなくしている。
ヴィヴェルシュがティナを「リブームの家庭教師」として呼んだのは、「上達させるため」と「対戦相手として構ってやってほしい」ということだと思われた。そのため、ルールは知っているだろうと思いつつも、念のために聞いてみる。
すると、ロバートはそっぽを向いてぼそぼそと答えた。




