第59話 ティナの休息
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「疲れた……」
ティナは宿泊施設にある、自分にあてがわれた部屋に戻るや否やそのままベットに突っ伏した。暫くその状態でいたが、気持ちいいベッドの上にいると、結んでいる髪も解きたいし、ドレスと靴も脱ぎたくなる。
「……」
ティナはもぞもぞと動いて、髪を留めていた紐などを外し、行儀は悪いがこの状態で蛇が脱皮するかの如く、器用にドレスから身をするりと抜け出した。
下着の状態だが、気にしない。ティナはその状態のままで、ベットの脇にあるテーブルにの上にあった水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。
「はあ、生き返る……」
空になったコップに再び水を注ぐと、今度はそれを持って窓辺に移動した。
コップを一人用のソファに付いた木でできた肘掛けに置き、レースのカーテンと両開きの窓を開ける。すると、秋の冷えた空気がすうっと入ってきた。
「ううっ、寒い……」
さすがに下着姿では寒かったので、ソファに掛けてあった黒いズボンと白いシャツを着てから、もう一度窓の外を見た。
水色の空には、柔らかな黄色や薄い橙色に染まった雲がゆったりと流れている。
「……結局、仕事をしたようなものね」
ティナは、ふうーっと長いため息をつくと、ソファにどかっと座った。
休みだったはずの今日は、結局、家庭教師の仕事をしているときと同じ時間までスイングラー家のことに付き合わされてしまったのだった。
(まあ、断るに断り切れなかった自分がいけないんだけど)
「帰ろう」と何度も思ったのだが、できなかった。
「帰ろう」と決断し、いざ「帰ります」と言おうとしたとき、ついロバートを見てしまったのである。すると彼が懇願するように目を向けてくるのだ。その目が「行かないでほしい」というふうに見えてしまったのである。
ゆえに、「自分が傍にいたほうがいいのかもしれない」と思って、ずるずると最後まで付き添ってしまったのだった。
(「ハリル」のお店で、フットマンとのあんなやり取りを見せられたらね。私も少しは考えてしまうよ……)
古物商の「ハリル」の店にいるとき、ティナは、ロバートがフットマンのレイモンドに責められているのを見てしまったのだ。
レイモンドは実に上手く、ロバートを自分の体で隠していた。見る角度によってはすっぽりと隠れているだろうし、傍目には主人と従者が話をしているようにしか見えない。そのため、他の客も店主も気づいていなかったに違いない。
レイモンドは、陰湿な行動をとるのに長けている。きっと、周りがどう自分に目を向けるのかをよく分かっているのだろう。
もし、ティナもロバートのことにそこまで関心がなかったら、気づかなかったかもしれない。
しかし、彼女を口実にしてまで外出していたがっていた子である。何となく、屋敷の中で使用人と父親、そしてロバートの三者の中で嚙み合わない部分があるのではないかと懸念していたのだ。
そのためティナは、ロバートが一人になったあと、さりげなく様子を観察していた。
あの店は棚に背板がないものも多い。そのため彼女は、いくつか棚を隔てたところで、棚板の間から彼らの様子を見ていたのである。
すると、レイモンドがロバートを責めていたのだ。
何を言われていたのかは分からない。周囲に聞こえないように注意を払って、小さな声で話していたのだろう。
だが、ロバートの硬くなっていく表情や、ぽろぽろと落ちた涙を見たら、傷つくようなことを言われていることは分かった。
そこで、一旦馬車にいる馭者を呼ぼうと思って外に出た。少し離れた場所に止まっているだろうから、行って戻ってくるまでには時間がかかると思ってたところに、偶然にも丁度馬車から下りたコンラートがいたのである。
ティナが、その馬車を見て「スイングラー家……?」と呟いたとき、コンラートは何かを直感して彼女に話しかけた。お陰であっという間に状況が収まったのは良かったことである。
しかし、そのあとが予想外だった。
ロバートの様子を見る限り、兄とは久しぶりに会ったのだろうことが窺えた。また、コンラートは半分血が繋がっているはずの弟を、「養子」として受け入れるよう父親に進言した張本人でもある。
何故、スイングラー当主の血を引いた弟を「養子」としたのか。
これまでのロバートの話を聞く限り、兄の真意を知らないようだったのできっと一緒にいるのは気まずいだろうなとティナは思ったのだ。
そのこともあって、少しだけロバートの傍にいようと思ったのである。
ティナは、家庭教師とはいえスイングラー家の中では唯一の赤の他人。雇われている使用人ですらない。そのため、「家」との関りは家庭教師の契約くらいなものである。
そういうスイングラー家との関係が薄い自分がいれば、多少はロバートの気が和らぐと思ったのだ。
しかしほんの少しだけいるつもりが、宝石商との取り引きに同席させられ、コンラートが新調する指輪に付ける宝石を決めるまでいるしかなくなった。
それが終わったあと、やっと退散できると思ったが、昼食に誘われたため、スイングラー家でいただき、今度こそ帰れると思ったらコンラートがリブームの対局をしたいというので、相手をする羽目になってしまったのである。
ハンデを付けてほしいというので、普通のルールであれば、「◯もしくは△が取られたら駒がいくつ残っていようとも負けになる」とするところだが、コンラートには「◯と△|が両方取られた場合に負けとなる」というルールを適用してほしいといわれ仕方なくその方法で戦った。
先攻はコンラート。
確かにハンデを付けないとまともな試合にならないくらいに弱かったため、ティナは気を使って同等で戦えるように配慮した。リブームの平均の手数は六十手から八十手と言われる中で、何とか頑張って四十手まで伸ばしたのは自分でも褒めたいくらいである。
「無事に終わってよかった……」
大変な一日だったが、何とか乗り越えた。
あとは、明日しっかり休んで、明後日の通常業務に備えたいと思ったときだ。
部屋の扉が、コンコンコンと鳴ったのである。




