第45話 「嬉しい」気持ち
「レイモンドに何か言われた?」
単刀直入だった。ロバートも回りくどい言い方は嫌いなので、はっきり言ってくれたほうがいい。
だが、レイモンドに言われたことをコンラートに言うのは、釈然としなかった。
「……何かって?」
「不快なこととか、嫌なことだよ」
「……別に。何も」
ロバートは、素っ気なく兄の質問に応える。
もちろん、レイモンドがロバートにしたことは癪に障るし、フットマンがロバートにあのような物言いをすることは、父やクイーズリーがいれば許されないはずなのだ。
それでも、兄に「レイモンドに意地悪なことを言われた」というのは気が引けた。自分が逃げているようにも思えるし、告げ口しているようにも思うからだ。
レイモンドには、彼なりの鬱憤が溜まっていたのだろう。立場が逆なら、自分も同じようなことを考えたかもしれないとロバートは思う。
しかし、謝る気はない。
(そもそも俺、レイモンドには直接、何も悪いことしていないし)
クイーズリーやメイドたちには悪いことをしたなという気持ちはあるが、レイモンドとまともに行動を共にしたのは今日が初めてである。それにもかかわらず説教めいたことを言われたと思うと、むくむくと怒る元気が湧いてきた。
「本当に?」
心配そうに聞き返す兄に、ロバートは「うん」とうなずく。
「そう。それならいいけど……」
コンラートがほっと息をついたときだった。ロバートの隣に座っていたティナが彼に対し、頭を下げて謝ったのである。
「コンラートさま、申し訳ありません。私の早とちりだったようです」
「ああ、いえ、そんな……構いませんよ。気にしておりません」
ロバートは話が読めず、眉尻を下げて微笑する兄と頭を下げるティナを交互に見て、「え? どういうこと?」と尋ねた。
「僕がうちの馬車に気づいて、あの店の前まで来たのは確かなんだけど、下りて店に入ったのは、ティナさんが神妙な面持ちで馬車を見ていたからなんだ。それが窓から見えて。ね? そうですよね?」
コンラートが同意を求めると、ティナは少し恥ずかしそうにうなずく。
「はい……」
ロバートは彼女の態度が気に入らず、きゅっと眉を寄せた。
「何でコンラートの馬車を見ていたのさ」
するとティナは、「コンラートさまが乗っていらっしゃる馬車だと知っていたわけではありませんが」と前置きしてから事情を説明する。
「私は『ハリル』での用が済んだので、ロバートさまを探しに店の中を歩いていたんです。そうしたらロバートさまがリブームの盤や駒が置いてある一角にいらっしゃるのを見つけたのですが、レイモンドさんの陰に隠れていらして……。それが何となく雰囲気が悪いと言いますか、レイモンドさんが何を話していらっしゃるのかは分からないんですけど、ロバートさまが微動だにしないので変だなと思って……」
「変?」
「お店にある商品を見てお二人が話をしているなら、身振り手振りをしたり、商品を指さしたりしますし、お互いの話が分かり合うのであれば相槌だって打つこともあるでしょう。そういう場合は、頻繁に顔が動くと思うのです。ですが、暫く見守っていてもほとんどそれがありませんでした」
「……」
ロバートはゆっくり目を見開いた。
確かにレイモンドに責められているときは、彼の顔をじっと見るか俯くかのどちらかだったように思う。
「それでロバートさまとレイモンドさんの間に入ったほうがいいと思ったんですけど、私ではあとでややこしいことになるかもしれないとも考えて困っていたんです。そうしたら丁度スイングラー家の馬車がお店の前に停まったのに気付いたので、助けを求めようと思いました。ただ、コンラートさまだとは思いもよらず……」
ティナがちらっとコンラートのほうを見る。すると彼は微笑した。
「父だと思ったのでしょう?」
「ええ」
「僕はこのところ首都から離れていましたからね」
「でも、お陰で助かりました……と言っても、私の勘違いだったわけですけど。申し訳ありません」
「そう何度も謝らなくて大丈夫ですよ。私は本当に気にしていませんから」
「そうですか……?」
「ええ」
兄と話すティナをロバートはじっと見ていた。
(気づいて、くれていたんだ……)
話している内容は聞き取れなかったのだろうが、妙な雰囲気を感じ取ってくれていたのだ。そしてどう対処しようかを悩んでいてくれていたのである。
「……」
ロバートは、ティナの黒いドレスのスカートの部分をほんの少しだけ摘まんだ。するとコンラートと話をしていた彼女がすぐに気づいて、隣に座る彼の顔を遠慮がちに覗き込んだ。
「ロバートさま? どうかなさいましたか?」
「ううん……。ただちょっと……」
「『ちょっと』?」
「……いや、何でもないよ」
ティナはコンラートと顔を見合わせる。二人とも何がどうなっているのだという顔をしていた。
それでいいのである。こんな温かい気持ち、「手に負えない都市地主の子息」と思われていた自分が感じているなんて、気恥ずかしかったのだから。
(嬉しい……。俺は、嬉しかったんだ……)
屋敷の中には、自分を認めてくれない者もいれば、「子息であるから」というだけで接している者もいる。血縁者である父も似たようなものだ。彼にとって一番大事なのは「スイングラー家」であって、ロバートではないことは薄々感じていた。
その中で、ティナだけは違う。唯一、自分を見てくれ、他人なのに心配をしてくれる人だ。
ロバートは、カタカタと揺れる馬車の中で、暫くティナのドレスをほんの少し掴みながら、カーテンの向こうの窓の外をぼんやりと眺めるのだった。




