第37話 出発
それでしたら、ロバートさまは帽子を被る予定になっておりますので問題ないかと。ですよね、ロバートさま?」
レイモンドに聞かれたので、ロバートは座席のお尻の辺りに置いてあった帽子を取り出して、被って見せた。
「どう?」
ティナは少し視線をずらして見てみる。すると懸念した事項は緩和されたようであで、何度か首を縦に振った。
「これなら見えにくいですね」
レイモンドは「はい」とうなずいたあと、言葉を付け加える。
「それに店員とやり取りすることになったら私が対応いたしますので、直接見られることはないかと思います」
「そうですか。レイモンドさんが対応されるなら安心です。よかった」
ティナはそう言って、小さく息をつく。
よっぽどロバートの見目のことを気にしていたらしい。
(やっぱり変な家庭教師だよな)
ここまで気を配れる人はそうはいない。少なくとも、ロバートがこれまで接してきた中で、ティナほど気にしてくれる人はいなかった。
「セレイアヌ」にいたころは隠しようもなかったが、こちらがいくら「見た目を気にしている」としても周囲はそれを茶化した。
スイングラー家に来たときは、使用人たちは皆、最初からロバートの見目について何も言わず、「スイングラー家の子息」として当たり前に扱った。初めは「すごいな」「差別されない場所に来たんだな」と思ったが、次第に父の命令が行き届いているからだと悟った。
そうでなかったら、彼らが見飽きるまで、きっと珍しいものを見る目で見られたに違いない。
ティナ以外の家庭教師たちがいい例である。
彼らは、雇い主であるヴィヴェルシュに何も言われなかったのか、それとも言われたにもかかわらず忘れていたのか、ロバートを好機な目で見た。自分の顔立ちがきれいかどうかはよく分からないが、空色の瞳は己が鏡を見ても魅惑的な何があるのは確かだと思う。
しかし、ティナにはそれは効かない。
彼女にこの瞳にいくら念を込めて見つめたところで、ロバートの思い通りには動いてはくれないのである。
だからこそ、ティナがロバートを案じてくれているのが、彼にとって嬉しかったのだった。
「質問はもうありませんか?」
レイモンドがティナに尋ねる。彼女は満足そうに「はい」とうなずいた。
「でしたら、行き先をお尋ねいたしましょう。ロバートさまは行きたいところがあるんですよね?」
ロバートは「うん」と言って、ティナのほうを見る。
「あんたが行っているっていう、古物商に行きたい」
するとティナは肩をすくめた。
「分かりました。私が行っている古物商は、『ハリル』という名前です」
「場所はどの辺りです?」
「この大通りを南に進んでください。下通りに入ったら、右へ曲ります。その通りの左側にある二軒目がそのお店です」
「分かりました。では馭者に頼んでまいりますね。私も馭者台におりますから、何かありましたらこの――」
と言って、彼は自分の後ろにあるレースのカーテンが掛けられた小窓を、白い手袋をした手で示した。
「窓からお知らせください」
「分かりました」
「では、目的地に着くまで。ごゆっくりお過ごしくださいませ。着きましたらお知らせいたします」
レイモンドはそう言って愛想のいい笑みを浮かべると、さっと馬車を下りてドアを閉める。そして馭者に行き先を告げたのか、間もなく馬車が動き出した。
カタッ、カタッ、と心地の良いリズムを刻みながら、石畳の道をゆっくりと進む。今は路面に落ち葉がある場合が多く、速度を出すと馬車の制御が利かなくなることがあるのであまり速度を出さないのだ。
ロバートは、右の窓に掛かっているレースのカーテンを少しだけ開けて、そっと外を覗いた。国の中心地ということもあって、沢山の馬車が行きかい、歩道にはちらほらとおめかしをした人が立っている。ちょうど店が開いたくらいの時間なので、お出かけをしようとしているのかもしれない。
また、石畳は日の光りに照らされきらきらとしており、葉の色が赤や黄色に変わった街路樹を見上げれば、真っ青な秋の空によく合う。
本当はずっと外を見ていたいがそういうわけにもいかない。外では誰がこの馬車を見ているか分からないので、「あまり顔を出さないように」と父に言われているのだ。
そのため、ロバートは名残惜しそうにカーテンを元に戻した。仕方なく座席に埋まるようにして座っていると、左側から声を掛けられる。
「お出かけするのは久しぶりですか?」
「え?」
目的地まで黙っているものだとばかり思っていたので、ロバートは少し驚いてティナを見た。
「あ、いえ……。答えたくなければそれでよいのですが……」
ロバートの気に障ったと思ったらしく、ティナはすぐに質問を引っ込めようとする。そのため彼は座席から背を離し、首を横に振った。
「違うっ、そうじゃない!」
「そうなのですか?」
「そうだよ。ただ、何て言ったか聞き取れなかっただけだ……」
理由を聞いた彼女は目を見開くと、ふっと表情を緩める。
「そうですか」
「……うん」
ロバートはそれを不思議な心地で眺めていた。
(この人、こんな風にも笑うんだ……)
ロバートと和解してからのティナは、時折笑うようになったが、それでも優しさのようなものを見せるようなことはしなかった。
彼女はいつでも、生徒からの「攻撃」に対して備えており、防衛線を張っている。
しかし、それがどの領域にあるのかはロバートにも分からない。
というのも、ティナはリブームをしている間に限っては、大抵の質問に答えてくれるし、我儘も聞いてくれる。
ゆえに、ロバートはティナが「養父母に育てられ、リブームを教えてもらい、いつの間にか強くなって周囲が彼女のことを「強者」と見るようになった。そして主婦で、彼女のことを理解してくれる夫もいる」というようなことは知っているのだ。
防衛を張るなら、こういうことすらも話さないのではないかと思うのだが、ティナは平気でいる。
そのため、何に対してロバートとの間に壁を作っているのかが分からない。
ただ、その壁があるというのが、彼女の表情から何となく分かるのである。それが、今は「解除」されているように思えた。
(いつもと違うことをしているからか……? それともこの人がよく行くところに行くからか?)
ロバートがそんなことを思っていると、ティナが改めて質問をした。
「お出かけをするのは久しぶりですかとお聞きしました」
はっと我に返り、ロバートは問いに答える。
「……うん、そうだね。夏に父と出かけて以来だ」
「夏はどちらに?」
「ロルディの街をぐるっと回った。知らないだろうからって……」
「そうでしたか。楽しかったですか?」
ティナに聞かれ、ロバートは背もたれに背を預けると小さく答えた。
「……あんまり」




