第36話 フットマンのレイモンド
「ねぇ、隣に立って歩いてよ」
宿泊施設の外に出ると、ロバートは後ろを振り返って言った。ティナはずっとロバートの二、三歩後ろを付いてくるのだ。これでは話をしたくてもできない。
ロバートの要望に、ティナは少し困った表情を浮かべる。
「そう申されましても、立場が違いますから隣に並んではいけないのですよ」
ロバートは二歩戻ってティナの傍に来ると、彼女の顔を見上げた。
背はティナのほうが、ロバートの頭一つ分高い。
「『先生』と『生徒』なのに? 『先生』のほうが『生徒』よりも偉いんだから、いいんじゃないの?」
するとティナは首を横に振った。
「『家庭教師』と『雇われ主の子息』では、『家庭教師』のほうが下です」
ロバートは肩を落とした。
ただでさえ物事が通らないことばかりなのに、こんな小さな要望ですら叶わないことにロバートは不満に思う。
「……変なの」
「私のことはお気になさらず前をお歩きください。ちゃんと付いてまいりますから」
気にせずに前を歩くのは嫌である。
だが、ティナが「ちゃんと付いて行く」と言ってくれているのだ。これ以上面倒なことを言って、「一緒に行きません」と言われたらそれこそつまらない。仕方がないので、ロバートはティナが付いて来てくれるだけでも良しとすることにした。
「分かった……」
唇を尖らせながらも、ロバートは馬車が待っているところまで黙って歩いた。
宿泊施設前の通りに出ると、赤や黄色に染まった街路樹が等間隔で歩道に植えられている。その通りを少しばかり西に行くと、一台の馬車が停まっていた。ロバートが乗ってきたものである。
今日は馭者のほかに、一人の若いフットマンが付いている。馬車の前まで来ると、ティナより少し背の高い彼が挨拶をした。
「お初にお目にかかります、エジンさま。私、フットマンを務めておりますレイモンドと申します。普段、当主さまのお出かけについて行ったり、外の仕事をしたりしておりますのでお会いする機会がありませんでしたが、これを機にどうぞお見知りおきを」
レイモンドは恭しく頭を垂れる。
ティナは彼の様子を見て、少し焦りながら「私はそのような礼を取っていただくような身分ではありません」と言ったのち、自分も挨拶をした。
「ティナ・エジンです。ロバートさまの家庭教師をしております。どうぞよろしくお願いいたします」
「はい、よろしくお願いします。——では、早速馬車にお乗りください。行き先などの話は中でいたしましょう」
レイモンドはそう言うと、ロバートとティナをてきぱきと馬車に乗せ、最後に自分も中に入った。そしてティナのほうを向いて言う。
「行き先をお聞きしましたら私も馭者台のほうに移りますので、少しばかりお付き合いください。まず今日は、一日ロバート坊ちゃんに付き添うようクイーズリーさまから言われております。エジンさまもあまりロルディに詳しくないとのことでしたので、少しでもお役に立てれば幸いに思いますので、何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
レイモンドは茶色い瞳を細め、甘い笑みを浮かべた。ロバートはその様子をじっと見つめる。
ロバートの傍にはメイドがいることのほうが多いので、ほかの使用人たちのことはほとんど分からない。
もちろん、本邸に来たときにクイーズリーに使用人たちの紹介はしてもらってはいる。知らないと困るだろうから、と。
しかし、困るも何もメイドに頼めばほとんどのことが事足りるし、小難しいことになれば父かクイーズリーに言えば解決してくれるのである。
そのため、レイモンドのことも実はよく知らないのだ。
今日出掛けることになり、「それならレイモンドをお傍に付けさせます」とクイーズリーに言われて彼は付いてきた。クイーズリーに選出されるくらいだから、きっときちんとした人なのだろうが、ほとんど接したことのない人と一緒に出掛けて大丈夫だろうかという不安が少しあった。
「それでは行き先をお伺いいたしましょうか」
レイモンドがティナに笑顔を向けると、彼女はおずおずと言う。
「あの、その前にお聞きしたいことが……」
「何でしょうか」
「……私が普段行くところにロバートさまをお連れしてもいいのでしょうか?」
するとレイモンドは笑顔を浮かべたまま、小首を傾げた。
「何か問題でも?」
「問題と言いますか……、庶民が通うようなところですから、都市地主のご子息が行って良いものかと……。変な噂が立ってもことですし……」
「ああ、なるほどそういうことですね。ですが、ご心配には及びません。当主さまが許可なさっているのですから問題ありません。それにエジンさまもクイーズリーさまのご指示に従って、ドレスを着てくださったではありませんか。傍から見たら『伯母と甥が出掛けている』くらいにしか見えませんので大丈夫です」
ティナは自分の着ているドレスをちらりと見て「そうでしょうか?」と呟く。それに対し、レイモンドは「はい」と言ってきらきらとした笑顔を向け、言葉を続ける。
「まぁ、馬車はスイングラー家の紋章が入っておりますが、細かいところまで詮索するような者はいませんよ。あってもクイーズリーさまが上手く片付けてくれますので、問題ありません」
「そうですか……。あと、もう一つお聞きしたいことが」
「何でしょう?」
レイモンドが聞くと、ティナはロバートのほうを見、そして右隣に座るロバートを左の掌で示しながら言った。
「ロバートさまは、このままでお店に出入りされるのですか?」
「どういうことです?」
「瞳の色です。隠さなくて大丈夫でしょうか。この宿泊施設は身分の高い方が出入りされているのでいいでしょうけれど、私が紹介する場所に行くのでしたら隠したほうが良いかと……」
ティナの気遣いに、ロバートは目を見開いた。
(気にしてくれていたんだ……)
ロバートが出掛けるときは、いつもクイーズリーやメイド長が気を使って帽子や眼鏡を用意してくれる。
そのため、今日もちゃんと用意してあった。つばのある黒い帽子である。
しかし、まさかティナも気にしてくれているとは思わず、ロバートは温かな気持ちになった。




