第35話 扉の前
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次の日のこと。
晴れ渡る秋晴れの下、ロバートは屋敷の外に出た。彼にとっては数か月ぶりの外出であり、本邸へ来てから自分の意志で出たのはこれが初めてのことである。
そして彼は今、ティナが宿泊している部屋の前に立っていた。「302」という番号の部屋である。
すでに呼び鈴は鳴らしている。そもそも彼女の部屋に訪れることは、昨夜クイーズリーが連絡済だ。そのため、ティナはロバートと出掛けるための格好をして出てくることだろう。
少しばかり待っていると、濃い茶色の木でできた重厚な扉がガチャリと開いた。
だが、全開にはしてくれない。
顔の半分くらいしか分からない程度の隙間から、ティナの恨めしそうな顔が覗いていた。
昨日の話から、まさか直接教え子が迎えにくると思っておらず、このような顔をしているのだろうことは、ロバートにも容易に想像ができた。
「……おはようございます、ロバートさま」
低い声で挨拶をする彼女とは対照的に、ロバートは愛想のいい笑顔を浮かべ、明るい声で挨拶する。
「おはよう、『先生』」
いつも「あんた」としか言わないロバートが「先生」と呼んだからだろう。ティナは益々《ますます》眉間にしわを寄せ、顰めっ面をした。
「……」
「一緒にお出かけするって聞いているよね?」
「聞いてはおりますが……」
「じゃあ、早速行こう。準備はできた?」
だが、ティナはその質問には答えなかった。代わりに、「……どうしてこんなことをなさったのです?」とロバートに尋ねる。
「どうしてって?」
ロバートはきょとんとして聞き返した。
「別に私と出掛けなくとも良いではありませんか。授業が休みの日まで教師の顔を見たいという生徒はおりませんよ」
「……え?」
ティナの言葉には、普段の会話にはない棘がある。
突き放すようにも聞こえる言い方に、ロバートは形の崩れた笑顔を無理に保たせながら彼女に問うた。
「何で? 駄目なの? それとも昨日の言ったことは嘘だったの? 付いて来ていいってことじゃなかったわけ?」
「『興味がありましたら古書店でも、古物商でもクイーズリーさまに連れて行ってもらえばいいじゃないですか』と申したんです。最初から一緒に行くとは申しておりません」
はっきりと「『行く』とは言っていない」と言われ、ロバートはかっと腹を立てた。
(そんなこと言われたって、あんな言い方じゃ分からないよ!)
そんなに嫌だったら、最初からちゃんと言ってくれればよかったのに。
だが、いつもならするりと出て来る罵倒の言葉が出てこない。
「……け、け……ケチ!」
やっと出てきた言葉だったが、ティナはため息交じりに残念そうに言った。
「昨日もそうおっしゃっていましたね。『ケチ』と思うなら、私に構わなければいいんですよ。そうしたら『ケチ』とも思わなくなります」
(何だよ、それ……)
悔しい気持ちがロバートの腹の底から湧き出てくる。だが、どう言い返したらいいか分からない。
ティナには「父上に叱られるよ」とか「仕事を辞めさせられるよ」というような脅し文句を言っても効果はない。
彼女は元々別の仕事をしていたため、家庭教師を辞めさせられたとしても戻る場所がある。そのため、父の権威を使っても無駄なのだ。
(ううっ……、どうしたら、どうしたらいい……?)
ロバートは太ももの脇に握った拳をわなわなと震わせて怒りを耐えたのち、口をついて出たのは駄々をこねる子どものそれだった。
「何だよ! どうして駄目って言うんだ!」
ロバートが少し声を荒げたとき、丁度同じ階の宿泊客が部屋から出て来る。
ガチャリと扉の開く音がしたため、ロバートは反射的に廊下の奥のほうである左側を見てしまった。
すると髪をきれいに整え、茶色のスイーヴィル(=動物の毛で織ったスーツのこと)に身を包んだ五十歳くらいの紳士が、ロバートとティナのほうをちらっと見た。
「……っ」
紳士はあっという間に階段のほうへ消えてしまったが、恥ずかしいところを見られたように思えて、ロバートは顔が熱くなるのを感じる。
紳士の出現にロバートはすっかり調子が狂わされた。
どうしたらいいか分からず顔を俯けていると、頭上から、はあ、というため息が聞こえる。ティナが呆れているのだろう。
(何を言われるんだろうか……)
ロバートは緊張していた。
ティナには散々酷いことを言っているし、悪口も言っている。悪態もついた。
そういうことをしてきていながら、「どうして一緒に出掛けては駄目なんだ」という問いをしている自分が惨めだった。ティナに嫌なことを言われたくなかったら、そうならない態度を取らなければならなかったのに。
しかし今更どうしようもない。
ロバートが足元に見える真新しい革の靴を見て黙っていると、ティナが口を開いた。
「『先生の休暇を暴きたい』などと言われたら、誰だって尻込みすると思いますが
?」
ロバートは彼女の言葉を何度か頭の中で反芻したのち、ゆっくり顔を上げた。
「……え?……何、それ?」
「昨夜、クイーズリーさまからのお電話でそのように言われました。『ロバートさまが教師の休暇を暴きたいとおっしゃっているのでお付き合いくださいませ』と」
ロバートは顔を顰める。
(「先生の弱点を知りたいから、休日の尾行をしたい」……とは言ったけど、「暴きたい」とは言っていない……。うん? 「知る」と「暴く」って一緒なのか?)
「……」
「それと、『朝一番にお迎えに上がりますので、準備しておいてください。そして一日、あなたの休日をロバートさまにお見せください』とも言われました。クイーズリーさまにそのようにおっしゃったのでは?」
「……えっと……、そういうことは言っていないと思う……」
ロバートがもじもじと言う。ティナはそれを見て、きょとんとした表情を浮かべた。
「そうなのですか?」
「……確かに、『先生の弱点を知りたいから、休日の尾行をしたい』とは言ったけど……」
ティナはすぐに眉を寄せて、反射的に言い返した。
「似たようなことをおっしゃっているではありませんか」
「違うよっ」
「……」
確かに似たようなことかもしれないが、中身は違う。
本当はそう言いたかったのではないのだ。
ロバートは観念して、本心を打ち明けた。
「俺はただ本当に……、あんたの行く古書店とか、古物商とかに行ってみたかっただけで……」
どういう答えが返ってくるのだろうか。
そう思っていると、ティナが扉を大きく開いた。黒いドレスを着たいつもの彼女の姿がそこにはあった。
「あまり面白くないと思いますが、それでも行きますか?」
ティナに問われ、ロバートは徐々《じょじょ》に目を輝かせた。
「……うん。うん! 行く!」
するとティナはくすっと笑った。ようやく笑顔を見せてくれたため、ロバートもほっとする。
「分かりました。では、まいりましょう」
そう言って、彼女は部屋を出ると鍵を掛ける。そして、ロバートの隣に並びながら宿泊施設の外に出た。




