第32話 変な家庭教師
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「それでは、ロバートさま。また来週、お伺いいたします」
昼食後に行った午後の指導も終わったあと、ティナは盤の上に並べられた駒を片付けているロバートにそう言った。
「来週?」
ロバートは、駒を箱に仕舞う手を止めて聞き返す。
「ええ。明日と明後日は、週二日のお休みです」
(そうだった……)
ロバートの父は、ティナに週二日の休暇を与えている。
家庭教師という職業だと、このように週に二回程度の休みがあるのが普通なのかもしれない。だが、彼にとっては「働いている者に週二日の休みがある」というのが慣れない事柄だった。
ロバートが少数民族の中で生活していたころ、生活費は母が稼いでいた。
近所に住む同族たちは誰もが貧乏で、その日暮らしの状態だった。
家は薄い木の板を立てた壁に、雨風をとりあえず凌げるような屋根の付いた小さなものである。そういう家が、通りにずらりと並んでいた。
四、五歳くらいまでの子たちは家々が密集する中でも比較的大きい通りで遊んでいるが、六歳くらいになると家の手伝いをする。そうやって家のことを子どもがして、大人が出稼ぎに行かないとやっていけないのだ。
少数民族が使える土地は広くない。
セルディア王国の土地は元々国王のもので、それを下賜された貴族が管理している。
言い換えれば、セルディア王国の全ての土地に貴族の目が行き届いているということ。ゆえに、「国に認められていない少数民族」が住める場所はほとんどないのである。
だが、国境付近だけは貴族の監視も緩やかだった。
母と二人で暮らしていたころ、周囲の大人たちが時折口にしていたことだが、「国境付近は隣国との緩衝地帯になっているため、セルディア王国の民以外の者が住んでいたとしても、口出しをしていないのだろう」という話だ。
セルディア王国は、隣国との関係が悪い。そのため、「戦いが起こったとしても、最初に犠牲になるのはそのような場所に住んでいる少数民族だ」くらいにしか考えていないのだろう。
現にセルディア王国の国境付近は、少数民族たちが何とか暮らしていける状態にある。
だが、少しでもその範囲から出ようものなら、管理している貴族たちに追い立てられてしまうのだ。そのため、作物を作る土地を広げたいと思ってもできないでいる。
作物を十分に作れない場合は、外から買うしかない。
そうはいうものの、少数民族の働き口はないに等しい。あったとしても、人がやりたがらないような仕事である。給金もまともにもらえない。
それでも彼らが生きていくためには、少しでも給与のもらえる仕事をしてお金を稼ぎ、売っている食料を買うしか生活をするしかないのだ。
母がどういう仕事をしていたのか直接話してくれたことはないが、ロバートは何となく察しがついていた。多分、身売りをしていたのだ。
母は、息子にそのことを知られたくないようだった。
だが、彼女がいない間に、近所の男たちや主婦たちが、ロバートに言うのである。「お前は母親が外で作ってきた子だよ」「そうでなければ、お前の髪が黒髪になるものか」と。
ロバートが生活していた少数民族というのは、金髪に空色の瞳をした「セレイアヌ」という一族だった。そのため、ロバートのように黒髪が混じっていると目立つのだ。
さらにセレイアヌの考え方も、ロバートを孤立させた。
彼らは自分たちを高潔な存在と思っている。セルディア王国の中で酷い扱い受けているのは、ほんの一時的なもので、必ず報われるときがあると信じて日々を過ごしていた。
そのため、ロバートは「美しい一族の中にいる汚らしい混血」だと思われていたようで、大人たちは彼のことを邪険に扱った。
ロバートは大人たちから受ける悪口や暴力を甘んじて受けてはいたが、母のことになると胸が痛んだ。
母は身売りの中でも特に稼ぎがよかったようなのである。
ゆえに、母の兄弟たちが彼女が稼いだものを奪うようなこともあった。抵抗しようとすると、いつも「ロバートにあのことを聞かれても言いのか」と言った。
恐らく身売りのことだろうと思う。母は、どうしても息子にそのような仕事をしていることを言いたくなくて、兄が来るたびにお金を渡していた。お金を渡さなければ、もう少し母は楽ができたであろうし、月に数回の休みがあっても良かったはずである。
だが、兄にお金を渡してしまうと、ロバートに食べさせるお金がなくなる。そのため、母は必死に働かざるを得なかった。
「どうかなさいましたか?」
手を止めたまま考えごとをしていたらしい。
ティナが心配そうにロバートの顔を覗いた。
ドレスを着ているくせに、化粧っ気のない顔をしている。
(変な人……)
ロバートはそう思った。
彼がスイングラー家に迎えられてから、父の親しい人たちを招いた。息子であることを紹介したかったらしい。
ロバートは上流階級の生活などこれっぽちも知らないので、ただただ煌びやかな服に身を包んだ者たちを、呆然と眺めていた。
特に女たちは派手なドレスに合わせて化粧もし、髪を結い上げ、煌びやかな宝石類で己を着飾っていた。肌からは、奇妙な甘いにおいがした。あとでクイーズリーに聞いたところ、花の香りを集めた「香水」というものを吹きかけているということだった。
体臭まで装飾するのは身売りをする女だけではないのだと思い、上流階級の世界はよく分からないと思ったのだが、ティナは全くそういうことがない。
「ロバートさま?」
「……別に。何でもないよ。考えごとをしていただけ」
「そうですか」
ティナはそう言うと、「では」と言って椅子から立ち上がった。持ち物は何もない。普通、家庭教師なら「教えるための道具」を持ってくるものだろうが、彼女にはそういうものが一切ない。
きっと、リブームの盤と駒はロバートの部屋にあって、教えることも彼女の頭の中に全て入っているからなのだろう。
(本当に変な人だよな……)
彼女が来るまでにスイングラー家に来ていた家庭教師たちは皆、ロバートの姿を見るなり、良くも悪くも態度や言葉によって表した。
端正な顔立ちのロバートを見て顔をしかめる男もいれば、うっとりする女もいた。一番面倒だったのは「空色の瞳」である。
余程珍しく、引き込まれるような美しさなのか、家庭教師と話をしていると彼らの視線が、自分の瞳そのものに向かうのが分かるのだ。
「セレイアヌ」の人たちがいた中では、「黒髪」を異物として見られ、セルディア王国の首都に出てくれば「空色の瞳」を物珍しいものとして見られる。
その上、彼らは皆、スイングラー家の当主に「気に入られよう」とか「取り入ろう」というような下心が透けていた。
ロバートは耐えられなかった。
自分のことを好奇心で見る者たちの目も、本当に何かを教えようとしてくれているわけではない者たちの気持ちが近づいてくるのも。
苛立ちはいつしか蜷局を巻いたような激しい怒りの炎となり、ロバートの腹の中をぐるぐると巡った。そしてそれが爆発したとき、ロバートは家庭教師たちを次々と追い出した。
家庭教師たちも、それを用意した父親も困ればいいと思った。
誰も自分のことなど気遣っていない。考えてもいない。見てもいない。
ここにいる意味は何もないと思った。
そのため最終的には自分が追い出されてもいいと思って、無茶なことをした。
ティナが来たときもそうである。
彼女にリブームの駒を盗ませたように見せて追い出そうと思ったのだ。
きっと狼狽えるだろうし、見苦しい言い訳をするのだろうと思ったが、想像もしなかった結果になったのである。
彼女は逃げることも、隠れることもせず、ロバートと面と向かって戦ったのだ。




