第29話 「ガーネット」
「『二の三』」
「合っております」
「うん……」
ロバートは上の空の返事をしながら、次の手を考えている。
彼は悩んだ末に、「五の三」に置かれていた◇を一マス前進させ、ティナの陣に入った。
「ひっくり返してくださいませ」
ティナは言った。
◇というのも、☆と同じように敵陣に入ると性質が変わるのだ。
◇は元々「前後左右一マスずつしか動けない」が、陣を越えると◯のように「何マス」でも動くことができるようになる。ただし、◯には「前後左右斜め」の動きができるが、◇は陣地を越えても「斜め」の動きだけはできない。
「分かった」
ロバートはティナの指示に従い、◇をひっくり返す。
駒の裏側には、黒色をした●の形をした小さな石がはめこまれている。◇の効果が変わり、◯に似た性質を持ったことが分かるようにしているのだ。
(さて、どうしようかしら……)
すでに打つ手は考えてある。
だが、その手にするか、別の手にするかで迷っていた。決めている手を使えば、恐らくあと数手で決着がつくだろう。それがいいかどうか――。
ティナはちらっとロバートを見る。彼は空色の瞳で、真剣に盤上を見つめていた。
(侮らないほうがいいわね)
こちらが手を緩めてロバートが勝ってしまったら、「勝負とは手ぬるいもの」という基準で「勝つ感覚」を身につけてしまうだろう。折角ロバートがリブームの試合に入り込んでいるのだ。
邪魔になるような手よりも、次の試合に繋がる手を打ったほうがいい。
ティナは「三の五」に置いてあった▲を手に取ると、右斜めに二マス飛んだ。▲は、右斜めもしくは左斜めの方向に何マスでも動くことができる駒である。
そして▲を「五の三」の位置に置いた。
すると、先ほどロバートがひっくり返した◈が、ティナの「五の五」に置いてある★と▲に挟まれる。
「あっ……!」
ロバートの口から声が漏れる。
「ロバートさま、私が置いた駒の位置をおっしゃってください」
「『五の三』……」
「正解です」
ティナは満足そうにうなずくと、ロバートの◈を取って、盤の外に置いた。
「そうだった。▲は斜めに何マスでも動けるんだった……。見落としていた」
「でも、これでまた『▲は斜めに動く』ということが思い出されましたね。リブームは何回も繰り返していくうちに覚えて行くものですから、それでいいんですよ」
「うーん……」
励ましはしたが、ロバートの表情は晴れなかった。
渋い顔をしたまま、△を「三の一」から「一の三」へ移動させる。これまで触ってこなかった駒だが、ティナが動かしたことで「自分も使ってみよう」と思ったのだろう。
生徒が、先生の動きを真似するのはよくあることだ。しかも、駒まで取られてしまっては、「先生がやった動きをすれば自分も同じように駒を取ることができるのではないか」と思うものである。
しかし、盤上のゲームはそう易しくはない。師と同じことをしたからといって、似たような結果が導き出せはしないのだ。
次にティナは、「二の三」に置いてあった✪を一マス前進させ「二の二」の位置に置く。
そして、ロバートは「四の二」に置いてあった□を、ティナから見て左に一マス動かし、「三の二」へ移動した。
(ロバートさま……、これはもしかすると「あれ」を忘れてしまっているわね)
ティナは「二の二」に置いてあった✪を、左に一マス移動させた。すると、✪の下には、さっきロバートが動かした△があり、さらにその下にはもう一つティナの✪がある。要するに△は彼女の駒に挟まれてしまったのだ。
そして△が取られたら、残った駒の数など関係なくその者は負けとなる。
「『ガーネット』」
ティナは、「勝ち」を意味する言葉を口にした。その瞬間、ロバートはぱっと顔を上げ、信じられないといった表情を浮かべる。
「え⁉」
「ロバートさま、私の勝ちです」
「だって、まだ駒があるのに……!」
「△は『取られてしまったら負け』です」
ティナにそう言われ、ロバートはティナが✪で挟んでいる駒を見た。
「△……」
自分が負けた理由が分かると、彼は大きくため息をついた。
「あー……、それでか」
「はい」
「また負けた」
ロバートは右の頬をテーブルに付け、はあ、とため息をつくとリブームの難しさをぼやいた。
「あー……、難しい。こんなの上手くなれると思えないよ。俺、全然上達しないし。さっきあんたはさ『人に教えるときがいずれくるかもしれない』なんて言ってたけど、きっと無理だな」
「まだ始まったばかりではありませんか。少しずつ練習していけば上達しますよ」
始まって二週間しか経っていない。
そんな期間では、「誰かに教えるなんてできない」と思うのが普通である。
「そうかなぁ。あんたみたいなのって、天才っていうんじゃないの?」
ティナは一瞬目を見開いてから、穏やかに笑った。
「ロバートさまにそう評していただけるのは嬉しいですが、私はそんな大層な者ではありませんよ」
「でも、こうやって人に教えている。それでお金を稼げているんだから、元々素質があったということだろ?」
「さあ、素質があったのかどうかはなんとも……。偶々、私は色んな境遇が重なって、強くなってしまっただけですよ。それがいいのかどうかは分かりませんし……」
「強いとダメなの?」
ロバートに問われ、ティナは苦笑した。
「ロバートさまに、『駒を置くのが早すぎる』と言われてしまいます」
「ああ……」
「それに、あまり強いのは……孤独になります」
「孤独?」
ロバートが首をもたげて聞き返す。
ティナは静かにうなずいた。
「ええ。リブームは『強さ』や『勝ち負け』だけではないのです。ですが強くなりすぎると、どうしてもそこばかりが強調されてしまいます」
「でも父上は、強いことを嬉しそうに語るよ。今の俺より小さいときに大人を相手していたって……。強かったみたいだけど?」
(ああ、なるほど……)
ロバートは、父が語る「父の幼いころ」と「今の自分」を比べているのだ。
スイングラー家の当主のリブームの強さが、どれくらいなのかはティナは知らない。噂でも「強い」というようなことは聞かないので、人並み程度の実力であろうと思う。
だが、父親というのは、子どもに対して自分を良く見せたくなるものである。また、自分を越えてほしいと願っているのもあるのかもしれない。
ゆえに、時折「父親」という生き物は、子どもに対して己の過去の栄光を語ることがあるのだ。大抵の場合、子どもの足を引っ張るとも知らずに。
そのため、ティナはきっぱりと言った。
「誰かと比べる必要なんて全くありません。それが誰であろうと、お父上であろうとも気にする必要がございません」
ロバートは姿勢を戻すと、ティナを見た。空色の瞳を丸くしている。
「……そうなの?」
「上達する早さは人によって違います。どんなに上手くなりたいと思っていても、時間がかかる子もいます。ですから、いいんです。誰かと比べてしょげるくらいなら、比べなければいいんです」
「でも、『切磋琢磨する相手がいたほうが、上達は早い』って父上が言ってたよ?」
上達に関して言えば、一理ある。
だが、これには色々な良い条件が重ならなければ難しいのだ。




