第22話 反省
「私は前に……、そうですね。十年くらい前でしょうか。あるお客さまに依頼されてリブームの指導をしたことがあるのです。指導の相手は子どもです。その子は当時、ロバートさまと同じくらいの……十四歳の子でした」
「……俺と一歳違いだ」
ロバートは十五歳なので、そう言ったのだろう。
「そうですね。……私は依頼主から、その子を強くすることを求められました。誰にも負けないように、必ず勝てるように、と……。私は言われるがままに、その子を指導しました。ですが、今は反省しております」
「どうして? 勝てるほうがいいんじゃないのか?」
確かに、彼の言う通りである。
勝負であれば、当然「勝ち」に拘ることになるのだろう。
実際ティナも、勝負の世界に五年ほどいて、常に勝つことだけを考えていた。お陰で「盤上の王」などという異名が付いたが、それは勝たなければ生きていけなかったため、必死にしがみついていただけの結果でしかない。
だが本来のリブームという盤上ゲームは、勝ち負けだけを決める遊びではないのだ。
「私もそう思っていました。勝てるほうがいい……と。それは、自分が勝負の世界に長く浸かってきたせいで、感覚が麻痺していたのだろうと思います。だから、その子への指導が勝つことだけに拘るものであったとしても、ほんの少しも疑問に思わなかった……勝ち続けることが全てであると思っていたのです。ですが、リブームは勝ち負けだけが面白さなのではありません。いえ、寧ろそれは本来の面白さではありません」
「……本来の、面白さ?」
問い返したロバートに、ティナは少し微笑んだ。
「そうです。リブームというのは、盤の上で動く駒を通して、言葉にならないものを通わせることのできるものなのです。それが養父母に教えてもらったリブームの楽しさでした。ですが、私はそのことをずっと忘れていたんです。……昨日ロバートさまにリブームのルールを教えましたね。ですが私は、愚かにも『強くなるための教え方』をしてしまったのです」
「『強くなるための教え方』?」
「はい。わざと、生徒に失敗をさせるのです」
つい声が冷たくなる。それに反応して、ロバートが息を呑んだ。
「わざと失敗……」
「といっても、本来は失敗でも何でもないのです。昨日のロバートさまのように、ルールがまだきちんと覚えていない人であったら、当たり前にしてしまう行為なのですから。それを私は、まるで『失敗』しているように見せてしまいました」
「……」
ロバートは静かにティナの話を聞いていた。彼女は言葉を続ける。
「強くなりたい子たちは、それでもいいのだと思います。『失敗』を経験して、次に同じことを繰り返さないようにしっかりと覚えますから、上達も早いです。……ですが、これが一番いい教え方だとは決して思いません。合う子もいるでしょうけれど、そうではない子もいます。その判断は、指導者である私がしなければいけなかったのに、私はロバートさまのお気持ちを無視しました。無視をして、自分のやり方に持って行こうとしたのです」
「……」
「昨日の指導のとき、斜めに一直線になる置き方が駄目であることを、私は事前に言いませんでした。言っていれば、少なくともロバートさまを試すようなことにはならなかったのではないかと思います……」
「……」
ティナはロバートをじっと見たあと、ゆっくりと頭を下げた。
「ロバートさま、昨日はあなたさまを侮るような態度をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。このような態度を取った教師に再び教えられるのは嫌かと思います。ですが、もし私に機会をいただけるのであれば、リブームの本当の楽しさを語らせていただけませんか?」
「……語れるのか?」
ロバートに問われ、ティナは顔を上げる。
真剣な表情だった。「お前は本当に俺を裏切らないか?」「言っていることを違えないか」と聞かれているようにも思えた。
(応えられたら……、どんなにいいだろうか)
ロバートの気持ちに、真っすぐ自分の思いを向けられたら、きっと彼ももう少し心を開いてくれるかもしれない。そんな期待が心によぎる。
しかし、自分は言ったことを間違いなく実行できるほどのできた人間ではない、とティナは思った。
(私の人生は……いつも大きな流れが押し寄せてきて、逆らうことができない。だから流されるままに身を任せてきた。養父母に守られているときはよかったけれど、そこから出るしかないときが来て、後ろ髪を引かれながらも「闇取引」の世界に入ることになった。だけどそこはとても厳しくて、戦うしか己の実を守る術がなくて……、だから自分のことばかり考えて生きてきた……。だけど、私は今、反対側にいるんだ……)
もし、昨日ティナがロバートの気持ちを汲み取って、上手く事を進めていたならば、ロバートは父親に「リブームができないこと」を秘密にし続けられたかもしれない。
秘密にしていたとしても、全く問題ない。
何故なら、ティナは毎日リブームの指導に来るのだから。
そうしている間に上手くなれば、「リブームができないこと」は嘘ではなくなる。
ロバートとヴィヴェルシュの言っていることに食い違っているところがあった時点で、ティナはロバートに何か事情があることは察していた。
だが、彼女は彼の気持ちよりも、自分のリブームのやり方を優先してしまった。
(ロバートさまにとって、私という存在は彼の生き方の何かを決定付けてしまうような川で、逆らうことのできない流れになってしまっている……。それだけじゃない。彼には、『スイングラー家』というもっと大きな川の中の流れに入ってしまっていて、抵抗するには小さい川をどうにかするしかないんだわ……)
ティナがスイングラー家に来たのは、ヴィヴェルシュに断れないほどの給金を提示されたからで、態度の悪いロバートに対して牽制をしたのは、スイングラー家に守られている彼から、自分を守るためのつもりだった。
だが、ここでの弱者はロバートである。
スイングラー家に連れてこられたことをどう思っているのかは分からないが、家庭教師たちを追い出している話を聞く限り、彼が望んでいることではないのだろう。
だから必死に抵抗している。「スイングラー家の息子」という立場を何とか使って、自分の思い通りに動くように必死なのだ。
しかし、ティナはそれをあっさりと壊してしまった。
彼の秘密が明るみになり、スイングラー家で居心地が悪くなってしまったのは、ティナではなくロバートのほうであろう。
(弱い者の気持ちを分かっていたはずなのに……。これもいつの間にか消えてしまったのね……)
ティナはゆっくりと息をはき出すと、少しだけ困ったように笑った。
「そう言われると自信はございません。ですが、語ることができたらいいなとは思っております」
ロバートは暫くティナの顔を見て、どう答えを出すか悩んでいたようだが、小さくため息をつくと仕方ないといった様子で答えた。
「そういうことなら、ちょっとは付きやってもいい」
「……本当、ですか?」
「……何だよ。取り消したほうがいいのか?」
むすっと言い返すロバートを見て、ティナはふふっと笑った。
「何だよ、笑うなよ!」
「違います。嬉しいのです。ありがとうございます」
「嬉しい? まあ、そうだよな。家庭教師を続けられなくなったらお金をもらえなくなるもんな」
ロバートは、腕組みをしてふふんと得意そうに言う。
しかし、本心ではないことは見ていてよく分かった。
「では、そういうことにしておきましょう」
「『では』って何だよ。面倒な奴。でも、昨日みたいな教えられ方は嫌だからな」
「はい」
「全部事前に教えろよ」
「さすがにそこまでは難しいですが……」
「はあ? 言った傍から嘘言いやがって」
「事例がないと難しいものもあるのです。できるだけ、ルールをお伝えするようにしますから――……」
この日は一日中雨が降り続いていたが、ロバートと少し心を通わすことができたときには、朝にあった憂鬱さがだいぶ和らぎ、雨の音が気にならなくなっているのだった。




