第65話 任せる理由
大陸歴一四〇七年八月十九日
ローデンへ残された家族を救い出すための下準備は、レオンに任せることが決まった。その役目については、本人も迷いなく引き受け、必要な人員や方法についても考え始めている。
あれなら任せられる。少なくとも、その点については安心して良いだろう。
問題は、その結果として空いてしまったもう一つの役目だった。
元々は、レオンへ任せようと考えていた仕事である。
レオンをローデン方面へ回すと決めた以上、誰か別の人間へ任せなければならない。後回しにしても構わないのだが、準備も出来てきているし何より後々の発展を考えるなら必要な行為なので、可能ならさっさと始めたい。
アルスの頭へ、一つの名前が浮かぶ。
――ヨアヒム。
マティアスが、推薦した名前だった。
正直思いもしない人選に聞こえたが、あのマティアスが何も考えずに人を薦めるとは思えない。
あれは、一体どういう意図だったのだろうか。必ずその理由は有るはずだ。
アルスは腕を組み、小さく考え込んだ。
ヨアヒムだから駄目。
そんなことは、一度たりとも思ったことがない。ただ何となく不安というか……。
ヨアヒムはミュラー家離散の際、共に逃げ、山へ入り、この拠点を作ってきた仲間の一人である。
それこそ俺が幼い頃から見ていた顔なので、良く知っているという意味では拠点内でも有数である。
問題はそこではない。
その仕事を熟している姿が、自分の中で結び付かなかっただけだった。自然と、拠点の他の仲間たちを思い浮かべる。
ゼダン、マティアス、クラウス、オットー、ヴァルター。
共にローデンを抜け出した皆は、それぞれ代わりの利かない仕事を抱えている。
その後に加入した組も似たようなものだ。
ティムはなんだかんだ言って狩りの主を担っている。
ローザは無理、十二歳の少女へ任せるには荷が重い。
ウォルフとヘルガは建設の中心人物。
トビアスは、ローザと同年。まだ経験が足りない。
リッキーやゲーフも頭を過るが、どうにも違う気がする。
そうして一人ずつ消していくと、不思議なことに最後まで残る名前は一つしか無かった。
ヨアヒム。
なるほど。消去法で考えれば、確かにそうなる。だが、きっとマティアスはそんな理由で薦めた訳ではない。
アルスは改めて、ヨアヒムという男を思い返した。
忠誠心は疑いようがない。
山で怪我をした際、自らを置いて行けと皆へ告げたこともあったが、あれは演技ではなく本気で皆を生かそうとした言葉だった。
反面普段の仕事は、まあそれなりである。
余り気乗りがしないらしい採集でも、出れば最低限の仕事はしてくる。頼まれたことはそれ以上のことまではやらないが、一応最後までやり遂げはする。
優秀という訳ではないし、愚痴もよく零す。手を抜ける好機とみたら迷わず手を抜く。
それでもなぜか憎めない人間だった。少し変わった男であるというのが大きいのだろうか。
皆が真剣な話をしている最中でも、どこか力の抜けた一言を口にして空気を変えてしまうことがあり、本人は狙っている訳ではなく、天然なのだ。
だからこそ、時々笑わせてくれるのだが、その場の空気は柔らかくなる。
トビアス兄妹は今でも随分懐いているし、大人たちも、気付けばヨアヒムをからかって笑っていることが多い。
うーん……。結局、何が優れているのだろう。
忠誠心。
雰囲気。
なんだか違う気がする。
考えても答えが出ず、アルスは隣を歩くゼダンへ視線を向けた。
「ねえ、ゼダン」
「何でしょう」
「マティアスが言ってたヨアヒムの件なんだけど、どう思う?」
ゼダンは少しだけ考え、それから静かに頷いた。
「私も、最初聞いたときは意外でした」
「やっぱり?」
「ええ。ですが考えてみると、納得できる部分も有ります」
その返答の方が、アルスには意外だった。
「ゼダンまで?」
「はい」
アルスは思わず苦笑する。
「俺さ、ずっと考えてるんだけど、これと言った決め手が見付からないんだよ。まあ、特別悪いところも見当たらないんだけどね。ヨアヒムをマティアスが薦める理由が良く分からない」
ゼダンは穏やかに笑った。
「それではないですかな」
「それ?」
「砦主は、ヨアヒムを貶す者を見たことが有りますか」
「貶す?」
アルスは少し考えた。
「……笑う人は居る」
「ええ」
「でも、貶す人は居ないね」
からかわれることも小馬鹿にされることもあるのだが、悪意を感じることはない。
本人も気にしていないから、最後は皆で笑って終わる。
不思議な男だった。
ゼダンは静かに続けた。
「特筆すべきものは何も無いが、それでも人に貶されない。それが一番大きな才能なのでは有りませんかな」
「才能?」
「ええ」
ゼダンは頷く。
「見ず知らずの相手から信用を得るというのは、簡単なことではありません。ですがヨアヒムなら、本人が何もしなくても、気付けば相手の懐へ入り込んでいる気がします」
その話を聞いたアルスの中で、何かが繋がった。
「あ……」
思わず声が漏れる。
そうか、自分は交渉力や対応力ばかり見ていた。
判断力、会話術、立ち回り。
だから最初からレオンしか居ないと思い込んでいた。
だが相手に警戒されず信用されることも大切な要素だ。
いや、それこそが最初の一歩なのだ。
「そうか……」
アルスは何度も頷く。
「信用か」
ゼダンも穏やかに笑った。
「もちろん、一人で行かせるとなれば不安材料はいくらでも有ります。ですが、何人かで動かすのであれば、責任者として据える価値は十分有るかもしれません」
アルスは小さく息を吐いた。
なるほど。そういう見方もあるのか。
自分一人では、恐らくこの答えには辿り着けなかっただろう。
「ありがとう」
自然と笑みが浮かぶ。
「何だか、少しヨアヒムが違って見えてきたよ」
ゼダンとの話を終えたあとも、アルスはその場を動かなかった。
信用される能力。
それは今まで一度も、人を選ぶ基準として考えたことのないものだった。
分かりやすい能力ばかりへ目が向いていたのである。
だから今回も、最初からレオンしか居ないと決めつけていたのだ。
そもそも、その仕事をレオンに任せようと思った理由は何だったのか。
アルスは静かに考える。
安心だから?それとも失敗しないと思ったから?そこまで考えて、ふと足が止まる。
では、それで良いのだろうか。
安心出来る者にばかり仕事を任せ続ければ、その者はさらに経験を積み、他の者との差は開いていく。
反対に、任されない者は経験を積む機会すら得られない。
そうして、いつまでも「まだ任せられない」と言われ続けるのではないだろうか。
それでは、人は育たない。
任せるからこそ経験を積み、安心して送り出せる存在になるのではないか。
それに結局のところ、やらせてみないと何も判断が出来ない。
そう考えると、一つの答えが見えてきた。
失敗して取返しが付かないような物なら別だが、そうでないなら任せてみるべきかもしれない。
もちろん、何でもかんでも任せれば良い訳ではなく、向き不向きは考える必要がある。
だからこそ今回も、ゼダンと話し、ヨアヒムの持つ「信用される」という力に納得することが出来た。
向いている力が有るのならば、一度任せてみる価値はある。
駄目なら駄目で次の手を打てば良いだけだ。
最初から失敗を恐れて何も任せない方が、組織としては余程損失が大きい。
「……よし」
アルスは小さく頷いた。
「まずは話をしてみよう」
その一言で、自分の中の迷いは消えた。能力を見るだけではなく、人を育てることもまた、砦主の役目なのだろう。
そう考えながら歩き出したところで、ふと気付く。
「そういえば」
ゼダンが横で苦笑した。
「ヨアヒムなら、もう採集へ出かけましたな」
「だよね……」
アルスは思わず立ち止まった。
考え込んでいる間に、当の本人はとっくに拠点を出ていたらしい。
「もう昼だもんな」
「ええ」
ゼダンも静かに頷く。
「夕刻までは戻らんでしょう」
アルスは苦笑した。
「それじゃ仕方ないか」
急ぐ話ではあるが、今日この瞬間でなければならない話でもない。
夕方に戻って来たら、その時改めて話をすれば良い。
そう考えると、不思議と焦る気持ちは無かった。
むしろ今は、ヨアヒムとの話がどうなるのか。
何を考えてるか分からない所の有る男だけに、全く想像が出来ないのだった。
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