第63話 例外
大陸歴一四〇七年八月十九日
三十人もの新しい仲間を一度に迎え入れた影響は大きかった。
昨夜は寝床の割り振りだけでも一苦労となり、食事の準備から道具の不足まで、拠点中が慌ただしく動き回ることになったのである。
一夜明けた今も、その混乱が完全に収まったとは言い難い。
荷馬車から運び込んだ物資の整理は続き、新しく加わった元ナユリ兵たちはウォルフやリッキーに連れられ、拠点内を見て回っている。
料理人は早速オットーと炊事場を覗き込み、農民は畑を見ながら何やら農家夫婦と話し込んでいた。
ヘルガは三名の新入りの女性を自宅に招き、何やら話し込んでいるみたいで、ウォルフは今日は単独で長屋建設の指揮をとっている。
人が三十人増えれば、それだけ仕事も増える。
昨日まで五十人だった拠点は、一日で八十人規模となり、今はその変化へ皆が対応している最中だった。
そんな中、アルスは一つだけ先に確認しておきたいことがあった。
「マティアス、少しいいかな」
「構いません」
ゼダンと共に、近くで荷物の確認をしていたマティアスへ声を掛け三人で、少しだけ人の少ない拠点の隅へ移動する。忙しい最中ではあったが、この話だけは後回しにしたくなかった。
「悪いね」
アルスは切り出した。
「まだ色々と立て込んでるところだけど、少し時間を貰えるかな」
「もちろんです」
マティアスは穏やかに笑う。
「砦主のお話でしたら、そちらを優先します」
その様子はいつもと変わらない。
だからこそ、アルスは単刀直入に尋ねた。
「今回の襲撃なんだけど」
一度言葉を切る。
「結果としては大成功だった。だけど、今でも一つだけ理解できないことがある」
マティアスは静かに耳を傾けていた。
「どうして、あそこまで強く襲撃を勧めたんだ?」
小規模な奴隷商隊を狙うというのが、これまで皆で決めてきた方針だったにもかかわらず、今回だけはマティアスが珍しく強く主張し、それにゼダンも異を唱えなかった。
実際に勝ちはしたし、戦果も申し分ない。
だが、勝ったからこそ、その判断の根拠を知っておかなければならないとアルスは考えていた。
マティアスは一瞬だけ目を伏せる。
そして小さく頷いた。
「なるほど」
静かな声で答える。
「その理由を聞かせろという話ですね」
マティアスは一度だけゼダンへ視線を送り、それからアルスへ向き直った。
「まず前提として、一つ申し上げておきます」
穏やかな口調だった。
「私が今回の襲撃を勧めた理由は、勝てると判断したからです」
アルスは思わず首を傾げる。
「勝てると?」
「ええ」
マティアスは迷いなく頷いた。
「あの程度の規模の奴隷商隊であれば、現在の拠点の戦力をもってすれば何の問題もなく制圧可能だと見ておりました」
あまりにも断言するので、アルスは少し驚く。
「結果としては、その通りになったけど……」
「結果論ではありません」
マティアスは静かに言葉を重ねた。
「襲撃前から、その程度の相手であれば負ける方が難しいと考えていました」
その言葉を聞いても、アルスにはまだ実感が湧かなかった。
「そこまで言い切れるものなの?」
「言い切れます」
返答は即答だった。
「少なくとも私はそう判断しました」
そこで横に立つゼダンが、小さく頷く。
「私も同意見ですな」
アルスはゼダンを見る。
「ゼダンも?」
「ええ」
穏やかな表情のまま答える。
「無論、戦というものは相手の策一つで勝敗が覆る世界です。絶対などとは申しません」
一度言葉を切る。
「ですが、純粋な戦力だけを比較するのであれば、現在の我々は決して弱くありません」
マティアスも続けた。
「恐らく同数であれば、よほど相手に主導権を握られない限り、正規兵を相手にしても簡単には負けないでしょう」
「……え?」
アルスは思わず声を漏らした。
そこまで強いという認識は、正直なかった。
皆が頼もしいことは知っているし、日々の訓練も見てきたのだが、それはあくまで拠点内での話であり、実際の正規兵と比べてどの程度なのかまでは分からなかったのである。
「そうだったんだ……」
思わず漏れた呟きに、マティアスは少しだけ笑う。
「砦主は戦場へ出る機会がありませんでしたからね」
「ミュラー家に居た頃も、戦場に出る機会がありませんでしたから、実感が湧かないのも無理はありません」
その横でゼダンも静かに口を開いた。
「逆に申し上げれば、その程度の戦力も無いのであれば、私は砦主を敵前へ立たせるような計画は立てません」
その一言で、アルスははっとした。
確かにそうだった。
今回の襲撃では、自分が前へ出て敵と向き合い、最後には護衛へ止めまで刺した。
あれは偶然そうなったのではなく、最初から計画へ組み込まれていた。
ゼダンは普段こそ厳しいが、自分に対しては過保護に過ぎると言っても良い。
そんな男が、勝算もないまま自分を危険へ晒すはずがなかった。
「なるほど……」
アルスは小さく息を吐いた。
「そこまでは理解した」
確かに思い当たる節はある。
だが、それでも一つだけ疑問は残っていた。
「だけど、それならなおさら聞きたい」
アルスは真っ直ぐマティアスを見る。
「勝てると判断したことと、今回この商隊を選んだことは、まだ別の話だよね」
その問いに、マティアスの表情がわずかに変わった。
何かを言うべきか迷っているようにも見えたが、やがて小さく息を吐く。
「……申し訳ありません」
静かに頭を下げた。
「今回の件は、私情が入っておりました」
「私情?」
アルスは思わず聞き返す。
商隊へ恨みでもあったのか、それとも捕らえられていた奴隷の中に知人でも居たのだろうか。
そんな考えが頭を過ったが、どう考えてもそれは有り得ない。ではどういうことだ?
「以前、ローデンからの避難民を迎え入れましたよね」
「うん」
アルスは頷く。
「今も皆、拠点で頑張ってくれているね」
「あの避難民の中に、私の家の近くへ住んでいた者がおりました」
その言葉で、アルスは思い出した。
「ああ……」
街道で突然飛び出して来て、マティアスへ声を掛けてきたという男である。
「その者から聞きました」
マティアスは静かに続ける。
「妻も子も、まだローデンで生きていると」
アルスは息を呑んだ。
なるほど、理解した。そういうことか。
以前、家族を迎えに行きたいという話は確かにしていた。だが拠点を形にすることを優先し、その話は一旦棚上げにしていたのである。しっかり受け入れる準備が整ってから迎えに行こうと。
そこへ家族の生存が伝えられた。
生きていると分かり、拠点も少しずつ形に成ってきた今、一日でも早く迎えへ行きたいと思うのは当然だった。
「だから……」
アルスは静かに呟く。
「拠点をもっと早く大きくしたかったんだね」
「はい」
マティアスは迷わず頷いた。
「戦力を増やし、拠点を安定させ、家族を迎え入れられる段階まで、一日でも早く進めたかったのです」
その声には、普段の冷静さとは違う熱が混じっていた。
「だから私は、今回の襲撃を強く勧めました」
一度言葉を切る。
「ですが、それは決して無理を承知で進言した訳ではありません」
真っ直ぐアルスを見る。
「勝算があったからです。もし危険だと判断していたのであれば、私も申し上げませんでした」
その言葉に偽りは感じられなかった。
家族を想う気持ちと、戦況を見極める冷静さの両方があったからこそ、今回の進言になったのだろう。
マティアスは再び深く頭を下げた。
「ですが、それでも私情であったことは事実です」
静かな声だった。
「申し訳ありませんでした」
アルスは黙ったまま考えていた。
マティアスもゼダンも、その間は何も言わない。
今回の件をどう扱うか。
内容を考えると、それはマティアス一人の話ではなくなっていた。
家族を助けたいという気持ちは痛いほど分かる。もし立場が違えば、自分も同じことを考えたかもしれない。
だが、だからといって何でも認めてしまって良いのだろうか。
今回の襲撃は成功した。
しかし、成功したから良かったで済ませてしまえば、次からも同じことが起きる。
誰かが自分の都合を優先し、結果さえ出せば許されるという空気になれば、組織は少しずつ歪み始める。
つまりこれは抜け駆けを是とするか否とするかという話と、同じ類の話なんだろう。決まりを破っても結果を出せば許されるのか、それとも結果以前に決まりを破ったことを叱責すべきなのか。
今回の場合、自分の都合を優先させ拠点を危険に晒したとも言えるし、冷静な判断により拠点の力を向上させたともいえる。それが良いのか悪いのか。
これから先も拠点を大きくして行くのであれば、人数は百人になり、二百人と増えていく。そうなればどうしても決まりは必要になる。ゼダンが言う『アルスが掟』なんていうのが、いつまでも通用するわけがない。
だからと言って、能力も事情も全く違う人間を、全員同じように扱えば良いという話でもない。
人には差がある。戦える者も居れば、作る者も居る。情報を集める者も居れば、人をまとめる者も居る。それぞれ価値が違い、役割も違う。
ならばその役割を問わず、皆一律に同じ決まりで縛るのが正しいのだろうか。
いやそれは違う気がする。
何事にも例外というのは存在するのだ。
能力のある者へ、能力の無い者と同じ枠組みを守らせると成れば、その組織は前へ進めなくなる。
結局、足を引っ張る者に全員が合わせることしかできなくなるからだ。
それでは駄目だ。
有象無象の不満ばかり気にしていては、何も決められなくなる。
改めて今回のマティアスの場合を考える。
マティアスは確かに私情を理由に拠点を危険に晒した。それだけ見れば叱責されても仕方ない。
だが、その私情は拠点全体の利益とも一致していて、見事それを勝ち取ることが出来た。
またマティアスはローデン離脱の折より行動を共にし、元は一兵士という立場から、今では拠点にとって無くてはならない存在にまで昇華してきた人物だ。ここまで拠点を支えてきた人間を、新しく来た者たちと同じようには考えられない。
何より――。
家族を助けたいという願いは、マティアス一人だけのものではなく、オットーもヴァルターも同じ立場だ。
ここでマティアスを罰するというのは、拠点内の規律以前の問題で、家族を想う人の気持ちすら理解できず、ただアルスの目指す物に繋がる物だけ為せばよいという、手前勝手な理屈を押し通すことに成る。
果たしてそれは、己の都合でミュラーを滅ぼしたフォーゲルやエリクセンと、一体何が違うと言うのだろうか。
それでは駄目だ。
ならば、この救出を個人の願いとして終わらせるのではなく、拠点全体の目標であり、これはその作戦を実行するための前段階であったと俺が認めてしまえば良いのではないか?
だって、『俺が掟』なんだから。多少の無理は通す権利もあるだろう。
アルスの中で、答えがまとまった。
「状況は分かった」
静かに顔を上げる。
「なら、家族を迎えに行こう」
マティアスが驚いたように顔を上げた。
「え……?」
「元々、いつかはやるつもりだったことだ」
アルスは穏やかに笑う。
「準備が整ったなら、前へ進もう」
それはマティアス一人のためではなく、拠点全体のための決定だった。
マティアスは驚きと安堵が入り混じった表情で頭を下げた。
「ありがとうございます」
その礼へ、アルスは小さく首を振る。
「礼を言うのはまだ早いよ」
穏やかに言ってからゼダンを見る。
「実際、動けそうかな」
ゼダンは腕を組み、少しだけ考え込んだ。
「救出そのものは、いずれ行うべきでしょう」
静かに頷く。
「ですが今すぐという話になりますと、流石に難しいですな」
「やっぱり?」
「ええ」
ゼダンは続けた。
「何よりローデンの現状が分かりません」
守備兵の数や街の出入りに検問。それにフォーゲル軍の駐留状況。
「まずは情報を集めねばなりません」
アルスも頷く。
確かに知らないまま飛び込めば、それは救出ではなく自殺だ。
「それに」
ゼダンはさらに続ける。
「迎えへ行くだけでは足りません」
「と言うと?」
「内部で協力者を得る必要があります」
街へ入り、家族を探し、目立たず外へ連れ出すというのは、正面から押し入る戦とは全く違う。
「なるほど……」
アルスは納得した。
「まずは下準備が必要なんだね」
「ええ」
ゼダンは頷く。
「いきなりローデンへ向かうより、まずは旧ミュラー領内にある村のどれかに根を張り様子を見る方が良いでしょう」
「警戒もローデンほどじゃないか……」
「その通りです」
そこまで話してから、アルスはふと首を傾げた。
「そうなると……誰を行かせよう」
ローデンを知っていて土地勘があり、出来れば現地で協力者を作れる程度には人脈も欲しい。
そんな人材が居るだろうか。
ゼダンは指を折るように整理し始めた。
「まずマティアスは駄目です」
本人を見る。
「近くまで行けば、必ず無理をします」
マティアスは何か言い掛けたが、結局黙った。
「オットーも同じですし、ヴァルターもです。更に言えばクラウスも、マティアスの弟という立場上、適任とは言えません」
アルスも頷く。
誰も家族を見捨てられる人間ではない。
「私は顔が知られ過ぎています」
ゼダンが肩を竦めた。
「流石に目立ちますな」
「となると……」
アルスは腕を組む。
頭の中で一人ずつ消えていった結果、可能な名前が一つだけ浮かんだ。
「ひょっとして、ヨアヒムしか居ないんじゃない?」
ゼダンは微妙な顔をした。
「……それは、出来れば避けたいですな」
「うん。なんでだろう。俺も同じ意見だ」
「少々、選びにくい選択肢ですな」
珍しく歯切れが悪い。
いや、駄目とは言わないよ。ヨアヒムだって、大事な仲間、大事な部下だ。全否定のようなことをするつもりは無いけれど、何故だろう、そこはかとなく不安が……。
「でも他に居ないよね」
「いえ」
ゼダンは首を横へ振った。
「あと二人おります」
「誰?」
「ティムとレオンです」
「あ……」
アルスは思い出した。
ティムも元ミュラー家臣として長くローデンで暮らしていたし、レオンは幼い頃から館へ出入りしていたのだから、土地勘も人脈も十分ある。
「でもティムは……」
「私同様、顔を知られております」
ゼダンが即答する。
「ですので実質一人ですな」
アルスも自然と頷いた。
「レオンか」
「ええ」
ゼダンは静かに答える。
「まずは本人と話をしてみるべきでしょう」
アルスは少しだけ考え、それから頷いた。
「分かった」
答えは一つだった。
「まずはレオンの所へ行こうか」
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