第62話 一言とは
大陸歴一四〇七年八月十八日
森を抜け、拠点へ帰り着いた頃には、陽も少し傾き始めていた。
戦いは終わったが、仕事はまだ終わらない。むしろ本番はここからだった。街道から運んできた荷馬車四台を森の奥へ隠し、荷を一つずつ砦へ運び上げなければならない。
昇降機の建設は、まだ計画をし始めたばかりだから、結局今回も人が担ぎ、人が運ぶしかなかった。
「砦主、おかえりなさい」
拠点へ戻ったアルスたちを迎えたのは、留守を預かっていたオットーだった。
その視線は、アルスではなく後ろへ並ぶ、運び積み上げている最中の荷へ向いている。
「これはまた……随分と壮観ですね」
思わずと言った様子で感嘆の声を漏らした。
荷馬車には布袋や木箱が山のように積まれていた。
他に縄で繋がれた三十人の奴隷たちと、四頭の荷馬まで加われば、拠点には少々場違いに思えるほどの大荷物だった。
「本当にね」
アルスも苦笑する。
「これで交易商ではなく、奴隷商が奴隷のついでに運んでいただけの品だというんだから。見た時は思わず目を疑ったよ」
「ええ」
オットーも頷く。
「これは大きな戦果です」
その返事を聞いて、アルスは少しだけ首を振った。
「もちろん、それもあるんだけどね」
「違うのですか?」
「うん」
アルスは荷馬車へ視線を向けた。
「初めてバウムゼンから、ここに向かう時のこと、覚えてる?」
「皆で荷物を担いで行こうとしていた頃ですか」
「そう、それ」
アルスは笑う。
「結局はディーが荷馬車を用意してくれたから助かったけど、あの頃はそれでも何とかなるという程度の量しかなかったんだ」
保存食も毛布も鍋も道具も、一つずつ取捨選択しながら揃えてきた。
それが、この荷馬車へ積まれた物資を前にすると、嫌というほど思い出される。
「なのに今は」
荷馬車を見渡す。
「奴隷のついでに運ばれていた荷物だけで、これだけある」
苦笑が漏れた。
「俺たち、こんなついでに運ぶ程度の量すら揃えられないくらい、貧しかったんだなって思ってさ」
オットーも荷馬車へ目を向ける。
しばらく黙って眺めたあと、静かに笑った。
「砦主」
「うん?」
「逆ですよ」
「逆?」
「何も無いところから始めたのに、この短い間でここまで来たんです」
荷馬車、荷馬、食料、武器そして仲間。
「そう考えれば、十分誇って良い話ではありませんか」
アルスは少しだけ目を丸くした。
その考え方は、この前自分でも考えていたのだった。
無いものばかり数えるのではなく、ここまで積み上げてきたものを見る。
そう考えれば、確かに少しだけ景色が違って見える。
「うん」
アルスは笑った。
「そうだね」
「ええ」
オットーも笑い返す。
「胸を張って良いと思います」
二人が話している間にも、周囲では荷運びが始まっていた。
荷馬車から降ろされた木箱を担ぎ、何度も坂を上り下りする。昇降機さえ完成していれば、この作業も随分楽になるのだろうが、今はまだ人の力へ頼るしかない。
それでも誰一人、不満を口にする者はいなかった。
これだけの物資を運べるということ自体が、拠点にとっては喜ぶべきことだったからである。
アルスは荷運びを続ける仲間たちを見回したあと、小さく息を吐いた。
「さて」
視線は縄で繋がれた三十人の奴隷たちへ移る。
「まずは、あの人たちのことから始めようか」
オットーも頷き、奴隷たちを見回した。
「今回は女性もいるんですね」
「うん」
アルスも人数を数えながら答える。
「三人だけだけどね」
男ばかりの中に、三人だけ女性が混じっている。
それだけでも前回とは違っていた。
「やはり大半は男ですね」
「そうだよ。元々その男を兵力に、から始まった奴隷商隊襲撃だしね」
アルスは苦笑する。
「だから多分、ほとんどが元ナユリ兵だ」
戦力として考えれば申し分ない。
実際、今回の襲撃でも元ナユリ兵たちは期待以上に戦ってくれた。
だが、それは別の問題も意味していた。
「また兵士が増えるね」
オットーも静かに頷く。
「ええ」
「兵が増えること自体は悪くないんだけど」
アルスは荷運びを続ける仲間たちへ目を向ける。
「戦う人ばかり増えて、それを支える人が増えない」
兵士は食べなければ戦えないし、武器も修理しなければならない。
服も作り、畑も耕し、家も造り、保存食も作る。
戦う者が一人増えれば、その一人を支える仕事もまた増えていく。
「今回の収奪物で当面は何とかなるだろうけど」
アルスは木箱へ視線を向ける。
「これは蓄えが増えただけで、生産力が増えた訳じゃないんだよね」
「その通りです」
オットーも同じ考えだった。
「物資はいずれ尽きます。ですが、人が作れる量は急には増えません」
「結局そこか」
「ええ」
オットーは頷く。
「兵が増えれば食べる量も増えます。今のままでは、またすぐ同じ問題へぶつかるでしょう」
アルスは腕を組む。
戦力は間違いなく強くなったのだが、その戦力を維持する土台は、全く追い付いていない。
今回の勝利は前進ではある。
しかし同時に、新しい課題まで連れて来てしまった。
「一度、皆で考えないと駄目だね」
「そう思います」
オットーは迷わず答えた。
「兵を支える人間をどう増やすのか。食糧をどう確保するのか。今後の拠点運営で避けて通れない話になります」
「うん」
アルスは小さく笑う。
「その辺も含めて、一度問い詰めたい相手がいるんだ」
「マティアス殿ですか」
「そう」
今回の襲撃を最も強く進言したのはマティアスだった。
そして、その意見にゼダンが賛成したことでアルスは受け入れた。いや、受け入れざるを得なかったが正解か。
ティムやリッキーならともかく、あの二人が理由もなく動くとは思えない。ゼダンの狙いは襲撃中に何となく見えてきた。だが、マティアスがここまで襲撃へ拘った理由だけは、今も分からなかった。
「きっと今回の襲撃には、俺がまだ気付いていない理由がある」
アルスは奴隷たちへ視線を戻した。
「まあ、でもその前にまずは奴隷だった皆の話を聞こう。あれを放置してマティアスと話し込む訳にもいかないしね」
オットーとの会話が一段落したので、アルスは奴隷たちが待機している場所へ向かった。
流石に素性も分からない者たちを、そのまま拠点へ混ぜる訳にはいかない。
戦闘へ参加した者たちの中でも主要な面々は荷運びへ加わらず、監視を兼ねて話を聞いていた。
「どうだい、ゼダン」
声を掛けると、ゼダンは振り返り軽く頷いた。
「概ね把握できました」
「何か分かった?」
「まず女が三人おります」
うん。それは知ってる。「こう見えて実は一人、男です」と言われたら驚くけど。
「どうやらフォーゲル軍が村を襲った際、乱取りに遭った者たちのようです」
アルスは小さく目を伏せた。
「……そういうことか」
詳しく聞く必要はなかった。
ゼダンも、それ以上は説明しない。
「商品価値が落ちたため、こちらの商隊へ回されたのでしょう」
「そうか」
短く答えるが、重い話だった。
するとゼダンが続けた。
「ヘルガが、自分へ任せて欲しいと言っております」
「ヘルガが?」
「ええ」
ゼダンは苦笑する。
「ああ見えて面倒見は悪くありません」
「確かに、ああ見えてね」
アルスも思わず笑う。
「本人は認めないだろうけどね」
「恐らく、ああ見えて」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
「なら、その三人はヘルガへ任せよう」
「承知しました」
ゼダンは頷くと、今度は別の方へ視線を向けた。
「残る二十七名ですが、二十五名は予想通り元ナユリ兵です」
「やっぱりか」
「現在はゲーフが話をしております」
少し離れた場所では、ゲーフが元兵士たちを相手に何やら話をしていた。
笑い声まで聞こえてくる。
「随分打ち解けてるね」
「元々立場はともかく、同じ軍ですからな」
ゼダンもその様子を眺める。
「話は早いでしょう」
「それは助かる」
アルスも安心したように頷いた。
「残る二名は?」
「料理人が一人と、野菜を扱っていた農民が一人です」
「料理人と農民?」
それは思わぬ収穫だった。
「二人とも兵ではありません」
ゼダンは続ける。
「私が直接話を聞きました」
「どうだった?」
「ナユリ軍相手に屋台で商売をしていたところ捕まったらしく、家族が居るので帰りたいとは言っております」
当然だろう。
アルスも頷く。
「ですが」
ゼダンは静かに続けた。
「現状、それが不可能であることも理解させてあります」
「まあ、フォーゲルを抜けて帰るのは無理だよね」
「ええ」
なので大きな問題にはならないでしょう、とゼダンは答えた。
アルスは改めて奴隷たちを見回す。
三十人。
つい数日前までは何の縁も無かった人たちだが、今日からは共に暮らすかもしれない人々でもある。
兵士も居れば、料理人も居る。農民も居れば、傷付いた女たちも居る。
同じ奴隷という一言では、とても括れない顔触れだった。
ゼダンが一歩前へ出る。
「では、皆を受け入れましょう」
ゼダンは奴隷たちの前へ一歩進み、大きく息を吸い込んだ。
「全員、傾注!」
低く通る声が砦へ響く。
荷運びをしていた仲間たちまで手を止め、自然と視線が集まった。
三十人の奴隷たちも顔を上げる。
静まり返った空気の中、ゼダンは一歩だけ横へ退いた。
「よく聞け」
厳かな口調で続ける。
「我が拠点の掟は、ここに居られる砦主たるアルス様だ」
これ前にゲーフ達を受け入れる際にも聞いた奴だ。何、またやるの?
アルスは心の中だけで苦笑する。
最近、紹介の仕方が少しずつ大袈裟になっている気がする。
「アルス様が良いと言えば良い。悪いと言えば悪い。それが我らの掟であり、それさえ守るのであれば、皆等しく仲間である」
ゼダンは奴隷たちを見回した。
「今日より、お前たちもその一員となる」
静かな声だったが、不思議と誰も口を挟まない。
そして最後にアルスへ向き直る。
「では砦主、一言お願い致します」
……え?
そういうの、やるならやると先に言っといてよ。
皆の視線が一斉に集まる。
うわ……やりにくい。
アルスは軽く咳払いをすると、小さく笑った。
「俺がアルスだ」
一度皆を見回す。
「一緒に頑張ろう」
それだけ言って終わろうとした。
その瞬間、横から妙な圧力を感じ振り向くと、ゼダンが無言でこちらを見ていた。
何も言わない。
だが、その目だけで「終わりですか?」と言っている。
だって一言って言ったじゃないか。
……駄目?やっぱり?仕方ない。
アルスは小さく息を吐いた。
「皆も事情は様々だと思う」
今度はゆっくりと言葉を選ぶ。
「戦って捕まった者もいる。商売をしていて巻き込まれた者もいる。家族と離れ離れになった者もいるだろう」
三十人は静かに耳を傾けていた。
「そのことについては、俺も同情する」
一度言葉を切る。
「だけど、俺たちにも俺たちの事情がある」
アルスは正直に続けた。
「君たちを奴隷にしたフォーゲルを、俺たちも敵としている」
だから今回襲撃をして、ここで出会った。
「ここへ来た以上、色々と慣れない事や好まない事も、やってもらう事になるだろう」
奴隷たちを見回す。
「ただしそれは、奴隷としてではなく、一緒に生きる仲間としてだ」
少しだけ笑う。
「皆の力を貸してほしい」
言い終えると、周囲は静まり、誰もすぐには口を開かなかった。
その沈黙を破ったのはゼダンだった。
「砦主、ありがとうございます」
一歩前へ出ると、三十人を見回す。
「良いな、お前たち」
低く通る声が響く。
「今日より共に生き抜くぞ」
「おお!」
すぐに返事が上がった。
元ナユリ兵の中から六、七人ほどが勢い良く声を揃える。
ああいう空気で迷わず声を出せる人間は、きっと良い奴に違いない。
良し。顔を覚えておこう。
そう思って一人一人へ視線を向けた。
だが、その隣には返事をしなかった者も居る。
……返事をしなかった奴は要注意かな。
ならば、顔だけは覚えておこう。
アルスは順番に視線を送る。
気付くと三十人に…………。
あれ?
結局全員覚えることになるんじゃないか。
アルスは一人、小さく苦笑した。
こうしてアルスたちの拠点は、新たな仲間を迎え、また一つ大きくなったのであった。
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