第60話 覚悟
大陸歴一四〇七年八月十五日
それはマティアスとレオンが、南西街道まで引く道の選定を始めて五日目の出来事だった。
片道三日も掛かっている道を少しでも短縮するため、二人は森の中を歩き回りながら、通れそうな場所へ一本ずつ縄を引いていた。
どこを道にするのか決め、その後ヴァルターが実際に伐採可能かどうかを確認し、ようやく作業が始まる。
考えてみれば、まだまだ先の長い話だが、それでもその道が完成すれば拠点は今より遥かに動きやすくなる。
一日でも早く完成して欲しいと思いながら待っていたのだが、だからと言って、その間何もせず過ごせるほど拠点には余裕がある訳でもなかった。
結局は木を伐り、狩りをし、畑を耕し、日々を暮らすための仕事へ戻る。そんな毎日が続いていた。
ところが、その予定は突然変わった。
森から戻り一休みしていたマティアスが、拠点の裏手の街道を見張っていた者から一つの報告を受け取ってきたのである。
「奴隷商隊です」
マティアスは、続けて静かに言った。
「前回より規模は大きくなりますが、狙う価値は十分に有ると思われます」
その報告を受け、アルスは腕を組む。
前回の襲撃からまだ日も浅く、本来であれば拠点整備を進めるつもりだった。
ようやく道作りと昇降機の話が動き始めたばかりなのである。
「今回は見送るという手も有るよ。規模も大きいんでしょ」
アルスがそう言うと、マティアスは珍しく間を置かず答えた。
「いえ、やるべきです」
その声は静かだったが、はっきりとしていた。
アルスは思わずマティアスを見る。
普段の彼であれば、ここまで強く意見を押し通そうとはせず、まずは判断材料を並べ最後はアルスへ委ねる。
それがいつものやり方だったが今回は違う。
「あれくらいの規模なら勝負できます。今回は見送るべきではないと考えます」
珍しく断言だった。
その場へ沈黙が落ちる。
隣ではゼダンも腕を組んだまま考えていたが、やがてゆっくり口を開いた。
「私も、今回はマティアス殿へ同意します」
「ゼダンまで?」
「ええ」
ゼダンは頷く。
「多少無理をすることに成るかもしれませんが、襲撃を行う方向で良いと思います」
理由はともかく、二人が同じ意見を押してくることは滅多に無い。
だからこそ、アルスも迷った。
拠点整備を止めることになり、縄を引き始めたばかりの道作りも、一度中断しなければならない。
だが二人がここまで言う以上、それをするだけの何らかの理由があるのだろう。
「……分かった」
アルスは決断した。
「今回は予定を変更する。道整備は一旦中断して、襲撃準備へ移ろう」
「ありがとうございます」
マティアスは小さく頭を下げた。
その表情はいつも通り落ち着いていた。
だからこそ、アルスには少しだけ気になった。
そこまでして、この商隊を狙う理由は何なのだろうか、と。
そんなあれこれが有ったうえでの、今は迎えた襲撃当日の朝であった。
速足で準備は進められ、前回使った街道封鎖用の倒木がまだ使えるかの確認や、待ち伏せ場所の準備も終わり、アルスたちは街道脇の森の中で身を潜めていた。
既に奴隷商隊が二股の分岐を曲がり、こちらへ向かっていることも確認済みである。
前回と同じく街道を倒木で塞ぎ、相手が止まった瞬間を狙うところまでは変わらない。
違うのは、こちらの顔触れだった。
今回参加しているのは、アルス、ゼダン、ティム、マティアス、レオン、クラウス、ヴァルター、ウォルフ、ヘルガ、リッキー。
そこへゲーフを始めとする元ナユリ兵十二名が加わり、総勢二十二名。
前回参加していた避難民たちは外し、その代わりに元ナユリ兵を組み込んでいるため、人数だけでなく純粋な戦力としても前回とは比較にならなかった。
前方はウォルフ、ヘルガ、リッキーに加え、ゲーフが推薦した四名を配置する。
後方にはゲーフ自身が残る七名を率いて回る。
そしてマティアスとレオンは前回同様騎馬で待機し、逃走者が出た場合の追撃役を担うことになった。
前の経験を踏まえ、最も効率が良さそうな形へ配置を変えている。
相手は荷馬車は四台、馭者役含めて護衛十六名そして三十名もの奴隷を連れた、前回より一回り大きな商隊だった。
正直、不安はある。
本当であれば元ナユリ兵という未知数の戦力を、一度も試さず計算へ入れることは避けたかったし、相手の規模も出来ればもう少し小さい方が良かった。
それでも今回は、マティアスが強く進言し、それを聞いたゼダンも賛成した。
さらに元ナユリ兵を預かるゲーフも、「任せろ」と胸を張った。
だから最後はアルス自身が決めたのだ。今さら迷っても仕方がない。やると決めた以上、後は全員を信じるだけだった。
森の中は静かで、誰も口を開かない。
街道の向こうから聞こえてくる荷車の軋む音だけが、少しずつ近付いてくる。
奴隷商隊はゆっくりと街道を進んでいた。
前中後と護衛は分かれ、縄で繋がれながら歩いている奴隷たちを囲んでいる。
やがて先頭の護衛が街道を塞ぐ倒木へ気付き、手を上げた。
「止まれ!」
荷馬車が次々と止まり、護衛たちの視線が一斉に前方へ集まった。
その姿を見たアルスは剣の柄へ手を添え、一度小さく息を吐いてから口を開く。
「今だ――掛かれ!」
アルスの号令が森へ響くと、誰よりも早く森を飛び出したのは今回もウォルフである。街道脇の草を踏み潰しながら駆ける姿は、人間というより獣だった。
他の者たちも同時に飛び出しているはずなのだが、距離はみるみる開いていく。
「だから速ええんだよ、お前は!」
後ろから飛び出したリッキーが思わず叫ぶ。
ウォルフは一番最初に護衛へ辿り着くと、そのまま迷いなく大木槌を振り下ろした。
「おらァ!」
轟音が響き、護衛は剣へ手を伸ばす暇すら無く、その場へ叩き潰された。
土が弾け、枯葉が舞うその横へようやくリッキーが追い付く。
「よし、次は俺だ!」
二本の斧を左右へ構え、そのまま護衛へ突っ込んだ。
一撃目を受け止めた護衛へ、間髪入れず左の斧を叩き込み、更に横にいる護衛へと旋回しながら右の斧を振り切った。
二人の護衛は共によろめき、同じような体勢でそのまま倒れ込んだ。
「やっぱり二本有ると違うな!」
上機嫌な声が響く。
少し遅れて到着したヘルガは、そのまま荷馬車へ向かう。
御者台から飛び降りようとした馭者の前へ立つと、鉄釘の打ち込まれた棍棒を軽く担ぎ直した。
鈍い音が街道へ響き、男の身体が荷馬車へ叩き付けられる。
これで前方は一気に崩れ、三人が切り開いた場所へ、今度は元ナユリ兵四名が雪崩れ込む。
相手も慌てて剣を抜き迎え撃とうとするが、その動きには迷いがあった。
四人は互いの間合いを崩さず、槍と剣を連携させながら前方に残る二名の護衛を押し込んでいく。
飛び抜けた強さではないが乱れもせず互いの位置を理解し、前へ出る者、支える者が自然と入れ替わっていた。
ゲーフが選んだ四人というだけのことはあって、前方は完全に押さえ込まれていた。
他方、ゲーフ率いる後方も数の差を生かして押し込み、中央ではティムの矢が護衛を射抜く。
前方も後方も崩れ、中央も矢で潰される。商隊は反撃の形すら作れなかった。
前回より明らかに敵は多いのだが、それでも戦場では護衛たちを圧倒していた。
避難民たちが担っていた場所へ、今は元ナユリ兵たちが立っている。
その差は、想像していた以上に大きかった。
前方はほぼ決着が付き、後方も時間の問題、残っているのは中央にいた護衛二人だけであるが、その二人も剣を構えたまま動けずにいた。
前を見ればウォルフ、リッキー、ヘルガと元ナユリ兵四人は中央へ向かい始める。
後ろを見ればゲーフ率いる元ナユリ兵たちが戦闘中。
さらに樹上にはティムと、どこを見ても逃げ道が無い。
「よし」
アルスはゼダンを見る。
「ここからは俺たちだね」
「ええ」
ゼダンが静かに頷いた。
アルスの左右にはクラウスとヴァルターが並び、そのまま四人でゆっくり街道へ姿を現す。
中央に取り残された護衛二人が、ようやくこちらへ気付いた。
「な……何者だ!」
その声を聞いた瞬間だった。
ゼダンが小さな声で言う。
「砦主」
「うん?」
「煽ってください」
「……今?」
「今です」
何で今なんだろうと思ったが、昨日の夜にも同じことを言われていた。
敵は怒らせ冷静に戦わせないのは戦術の一つです、なので練習しましょうと。
理屈は分かる。
分かるのだが。
「ええと……」
アルスは護衛を見る。
「ここまで我々のために奴隷を運んでくれてありがとう」
護衛が眉をひそめる。
「有効活用させてもらうよ」
「な……なんだ貴様らは!」
よし、怒った。ここまでは良い。
「我々は――」
危ない。普通に名乗りそうになった。
「我々は……」
何だ。何なんだ俺たち。
「我々は……、なんだろう?」
砦軍……いや違うな、なら避難民……これも違う。
考えれば考えるほど分からなくなる。数瞬考えた末、ようやく答えが出た。
「通りすがりの山賊だ」
一瞬だけ空気が止まる。
「悪いとは思うが、その命ここで散らしてもらうよ」
隣から溜息が聞こえた。
「砦主」
ゼダンである。
「悪いは余分です」
「あ」
そうだった。
「悪いは余分だ!」
「違います」
即座にゼダンが注意する。
「少し落ち着いてください」
クラウスが肩を震わせ、ヴァルターも必死に真顔を維持していた。
護衛の男は顔を真っ赤にする。
「貴様……!」
剣を握る手が震えていた。
「人を馬鹿にして遊んでいるのか!」
いや、遊んでいるつもりは全く無く、本人は必死である。何せ敵前に初めて姿を晒しうえ、この後もあるのだ。
緊張のあまり、何を言えば良いのか途中から自分でも分からなくなってしまっただけだった。
それでも結果だけ見れば、護衛は完全に冷静さを失っている。
ゼダンは満足そうに頷いた。
「まだまだですが」
小さく呟く。
「目的は達しましたな」
どうやら、これでも一応成功らしかった。
中央での戦いも終わりに近付いていた。二人の内の一人はクラウスとヴァルターが襲い掛かり、前方から来たウォルフが止めを刺す。
最後に残った護衛の周囲は完全に囲まれ逃げ場を失うが、それでも男は剣を握り直し、最後まで抵抗しようとアルスたちを睨み付けた。
ゼダンが静かに言う。
「では砦主」
その声にアルスは振り向く。
「お覚悟を」
短い言葉だったが、その意味だけは痛いほど伝わってきた。
昨夜、焚き火の前で交わした話を思い出す。
前線で戦えと必要はないが、人の上に立つのであれば、命を奪う覚悟だけは避けて通れない。
この先、アルスが築こうとしているものは、多くの人間を守るためのものだが、それはどこまで行ってもアルス側の都合であって、誰しもが諸手を挙げて受け入れる話ではない以上、必ずいつの日か自らが敵を斬る場面が来る。
その時に躊躇をして機会を逃したり、危機を招いては意味は無い。ならば経験をしておくべきだという話であった。
「クラウス」
「はい」
「ヴァルター」
「了解です」
ゼダンの声に二人は同時に動き、左右から一気に間合いを詰める。
護衛が剣を振るうより早く、クラウスが腕を払い、ヴァルターが身体を押し崩した。
男が地面へ倒れる。
なおも暴れようとするが、その腕をクラウスが押さえ込み、ヴァルターも反対側から肩を押さえ付けた。
「リッキー」
「おうよ」
リッキーが背中へ膝を乗せる。
身体が地面へ押し付けられ、護衛は身動きが取れなくなったが、それでも必死に暴れる。
土を掴み、身体を捩り、歯を食い縛るのだが、さすがに三人の力には敵わなかった。
周囲では戦いを終えた仲間たちが静かに集まる。
誰一人声を発さず、その視線だけがアルスへ向けられていた。
ゼダンが一歩横へ退く。
「どうぞ」
その一言だけだった。
ここからはアルス自身が決めるしかないのだ。
アルスはゆっくりと前へ歩き、護衛の前で立ち止まる。
いまだ男は押さえ付けられたまま必死に身体を動かしていた。
「離せ!」
怒鳴り声が森へ響く。
「離せぇ!」
拘束された腕が震えるが誰も力を緩めない。
アルスは腰の剣へ手を掛け静かに引き抜くと陽光を受け、刃が鈍く光る。
心臓の音だけが妙に大きく聞こえていた。
皆が見ている。逃げるわけには行かない。
もちろん、今ならゼダンへ任せることも出来るし、それをやってもきっと誰も責めないだろうが、それでは駄目なのだ。
自分が皆を巻き込み、この道を歩き始めたのだから、自分もその覚悟を決めるべきなのだ。
これから先、どれだけ血に塗れた道を歩くことに成っても、決して自分は譲らないという揺るがぬ覚悟を。
アルスは剣を握り直す。
そして、ゆっくりと男の首元へ切っ先を当てる。
……俺は今から、この護衛の命を絶つ。
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