第58話 明日への備え
大陸歴一四〇七年八月三日
夕暮れ、ゼダンたちが帰って来た。
行って帰って三日。近い。バウムゼンへの往復とは比較にもならない。
今後も物資調達の中心はフェルデンになるのだろう。
そう考えると、あの街を利用できるというのは思っていた以上に大きい。
さて、肝心の中身である。
運び込まれている荷を見れば、思った以上に量が多く上手く値切れたのか、それとも予想以上に物が余っていたのか、理由はまだ分からないが少なくとも悪い結果ではない。
多い分には困ることは無いし、ゼダンの事だから長期保管のできる穀物類を中心に調達してきているだろう。
これで急場は凌げたと言って良いはずだ。
それに見る限りだが、別途頼んでおいた物も仕入れてこれたらしい。
食糧が増え、備蓄が増えたことにより、今夜は少しだけ豪華な食事にすることも出来るだろうから、皆も喜ぶはずだ。
そして、それら全ての切っ掛けは何かと言えば、結局は一度の襲撃なのである。
畑を広げた訳ではなく、新しく何かを生み出した訳でもない。勿論、商売を成功させた訳でもない。
奴隷商隊を襲った。
ただ、それだけだ。
にも関わらず得られた成果は大きい。
人を襲い、奪い、それを元手に食糧を買い、道具を揃える。
結果だけ見れば、あまりにも効率がいい。だからこそ怖い。
俺たちが求めているのは賊行為そのものじゃない。自分たちだけで生きていける拠点だ。
その拠点を作り上げるための一助になる物でなければならない。
襲撃自体が目的になった瞬間、きっと何かを間違える。
難しいものだな。
襲わなければ生き残れないが、襲うことに慣れ過ぎてもいけない。
そんな事を考えながら、アルスは運び込まれる荷へ視線を向けた。
「砦主、只今戻りました」
ゼダン、マティアス、レオンの三人が揃って寄ってくる。
「ご苦労様。思ってたより嵩が有るように見えるけど」
「ええ。それはレオンの手柄ですな」
ゼダンが満足そうに頷く。
「商人とやり取りを私も横で見ておりましたが、実に見事なものでしたぞ。ここまで引き出すとは思いませんでした」
「そうなのか?」
「ええ。相手の話を聞きながら、こちらの条件も上手く通していました。交渉の才はなかなかのものですな」
そこまで手放しで褒められるのも珍しい。
「凄いじゃないか、レオン」
そう言いながら本人を見る。
だが当のレオンは、どこか浮かない顔をしていた。
褒められて照れている様子でも体調が悪そうでもなく、疲れているというより何かを決めかねているように見える。
実際こちらへ歩いて来る間も返事はしているものの、意識の半分は別の場所にあるようだった。
「少し疲れたか? 顔色が余り良くない」
そう声を掛けると、レオンは一瞬だけ思考を中断したようにこちらを見た。
「あ、いえ」
そして小さく首を振る。
「特に疲れは有りません。ただ色々と考えている内に拠点へ辿り着いてしまって」
そう言った後、少しだけ笑う。
「もう大丈夫です」
レオンはいつも通り笑った。
だが、どこか無理をしているようにも見える。
気にはなったが、本人が話したくないことを無理に聞き出すつもりはなかった。
「そうか。今日はゆっくりしてくれ」
「はい。そうさせてもらいます」
レオンは軽く頭を下げると、そのまま場を離れて行った。
去っていく背中を見送りながら、アルスは僅かに首を傾げる。
何を考えているのだろう。
少なくとも、商談が上手くいった人間の顔には見えなかった。
「行きの時からなんですが」
隣でマティアスが口を開いた。
「何か分かりませんが、少し思い詰めている感じがします。暫く様子見が必要かと」
どうやら違和感を覚えたのは自分だけでは無かったらしい。
「そうだね」
アルスも頷く。
「俺も気にしておくけど、マティアスは特にレオンと一緒に動く機会も多いから、悪いけど気を回しておいて」
「了解しました」
「さて、ゼダン。報告を聞こうか」
「はい。購入してきた食糧についてですが、先ほども報告しました通り、レオンの活躍により望外の量を賄うことが出来ました。大部分は小麦を中心とした穀物。それに芋類、豆類を購入しております」
「やはり穀物中心だね。助かるよ」
穀物は良い。腹を満たすという意味でも重要だが、それ以上に保存が利く。
今の拠点に必要なのは、今日食べる分だけの食糧ではない。
十日後、一月後、そして冬へ向けて残していける食糧だった。
「ええ。収穫までを繋ぐという意味は勿論、狩猟や採集の結果によっては消費せず貯蓄へ回せるものとして準備しました。保存方法に注意は必要ですが、差し当たっての問題は回避できたかと」
もっとも、これで十分という訳ではない。
今は八月の頭だから、本来であれば収穫を待つ時期であり、穀物が安く手に入る季節ではない。
今回の結果としては確かに望外の量だったが、五十人という人数が冬まで食べ続けられるほどの量には程遠かった。
だからこそ重要なのは、手に入れることと同じくらい、失わないことなのだろう。
苦労して集めた食糧も湿気で傷めれば終わりだし、鼠に荒らされても終わり、管理を誤っても終わる。
人数が増えた今、問題は食糧を集めることだけではなくなっていた。
どう残し、どう守るかという方が、重要になり始めているのかもしれない。
「うん。その辺りはウォルフやヘルガ、それにオットーも交えて、保存庫の造りや管理方法を決めていこう」
今までは人数も少なかったし、保存する量も高が知れていたから、食糧庫と言っても実質的には置き場で済んでいた。
だが今は違う。
居住者が五十人を数え、今後も増える可能性が高い以上、きちんとした保存庫を作る必要がある。
それも単に雨風を防ぐだけではなく、湿気や害獣も考えたものだ。
冬を越えるというのは、食糧を集めることだけではなく、その集めた食糧を春まで残すことなのだから。
「それで宜しいかと。それから砦主に指示されたものも、ほぼ揃え切れたかと思います。反面、今回の襲撃で得た金銭は、これで使い切ったと覚えおきください」
「分かった。そうすると近々次の獲物を仕留める必要があるという事だね」
「ええ、その通りです。そして、そうすると恐らくまた口が増えることに成ります。鼬ごっこに成らない手段の構築を考える必要が有ります」
「うん。分かってる。そのために色々買ってきてもらったんだから。上手くいくと良いけど」
食糧が増える速度と、人が増える速度、果たしてどちらが速いのか。
ゼダン、マティアスと今回の成果について話を終えると、アルスは早速養鶏を担当している男の子の元へ向かった。
「あ、砦主。それってもしかして」
目敏く気付いた男の子が、アルスの後ろを歩くゼダンとマティアスへ視線を向ける。
その先には籠があった。
「ああ。前から考えてたんだけど、鶏を増やすための手段だね」
そう言うと、ゼダンとマティアスが籠を下ろした。
中から現れたのは雄鶏一羽と雌鶏二羽。
数だけ見れば大した話ではない。
今夜の食事に即変化が出る訳ではないし、明日の食糧事情も何も変わらない。
だが半年後や一年後なら話は別だった。
卵を産み、その卵からまた鶏が増え、更に卵を産む。
そうやって少しずつ数を増やしていけば、やがては拠点を支える食糧源の一つになるかもしれない。
襲撃で得る食糧は今を生きるためのものだが養鶏は違う。
今日の空腹を満たすためではなく、半年後や一年後のために行う投資だった。
だからこそ、数は少なくても必要だったのである。
「まだまだこれでは増やすと言っても、たかが知れてるけどね」
そう言うと、男の子は真剣な顔で鶏を見た。
「そんな事ない。これで多分一気に増やせるよ」
そして少し考え込む。
「前の雄鶏はどうすれば良い?」
「とりあえず一時的に隔離して、この雄鶏でちゃんと生まれるか確認しようか」
アルスは答える。
「それで問題なければ絞めてしまおう」
「うん。分かった」
返事は実にあっさりしたものだった。
そして男の子は新しく来た鶏を抱え、嬉しそうに鶏小屋へ向かっていく。
うん、凄いね。
この辺りは育ってきた環境なのだろう。
可愛がっていた鶏を絞めると言われても、まるで動じていない。
勿論、何も感じていない訳ではないのだと思うが、食べるために飼う以上、いつかはそうなるものだと理解しているのだろう。
家畜を飼うというのも、ある意味では戦場と同じなのかもしれない。
生きるために必要な事を受け入れる。
それは襲撃の際に森へ逃げ込んだり、尻餅をついていた避難民達にとっても決して特別な事ではなく、この男の子同様迷わず鶏を絞めることが出来るのだろう。
そして、その積み重ねこそが拠点を支える。
今日のためではなく、冬を越え、その先まで生き残るための備えだ。
そして、こうした備えが積み重なれば、やがては拠点そのものを支える力になる。
戦場で剣を振るう者だけが戦力ではない。
この小さな鶏たちもまた、未来の拠点を支える戦力なのかもしれない。
ゼダンたちに頼んでいた食糧以外の物である鶏は無事拠点に根付くことだろう。ただその他に買ってきてもらった物については、些か問題が発生した。
先程から頭の片隅に引っ掛かっている、レオンの事である。彼次第で構想を手直しする必要が出てきた。
本人は大丈夫だと言っていたが、あれは単純な疲労の顔ではなかったように思う。
長旅の後で疲れている者なら、もっと分かりやすい。肩を落とし休みたそうにし、飯を食って寝たいという顔になるものだが、レオンの場合は違った。
迷っているというべきか、考え続けているというべきか、そんな表情に見えたのである。
だからこそ、今すぐ何かを任せるのは違うだろう。
もっとも、それとは別の話として、フェルデンでのレオンの働きである。
正直に言えば、今回の結果には少し驚かされた。
商人相手に物怖じせず話をし、当初の想定以上の成果を引き出したらしい。
恐らく、口にはしていないがゼダンの補助があったことは間違いないだろうし、経験不足な部分も多かったはずだ。
それでも、報告で聞く限りフェルデンで見せた立ち回りには光るものがあった。
少なくとも俺には、偶然とは思えない。
元々フェルデンへ向かわせる前から、その役目についてはレオンが向いているのではないかとは考えていた。
そして今回の件で、その考えは間違いではなかったと証明してくれた。
だから任せたい。いや、いずれ任せるべきだろう。
だが今は違う。
あの表情を見る限り、何かを抱えているのは間違いない。理由は分からないが、だからこそ急がせるべきではない。
この件は今日明日で決めなければならない話でもない。拠点がもう一段先へ進む時、その時に必要になる話だから少し時間を置こう。
ゼダンとマティアスには、フェルデンへ向かう前に考えだけは伝えてあった。
「ねえ、レオンの件だけど、傷むものでもないし少し時間を空けようか」
「そうですな」
ゼダンが頷く。
「次の襲撃後で良いのでは有りませんかな。当面の危機は脱しました」
「私も同意見です」
マティアスも異論は無いようだった。
「それに次も成功させられれば口こそ増えますが、何より色々と動かせるだけの余剰人員も生まれます。それからでも遅くはないかと」
「ならそうするか」
俺も頷いた。焦る必要は無い。
まずは次を考えられるだけの余裕を作ることを優先し、レオンの件は、それまで様子見をした結果で考えれば良いだろう。
今回の買い出しで当面の危機は脱したが、もう大丈夫と言い切れるほど楽観的ではない。
食糧は手に入ったが冬を越せる量ではないし、今回の襲撃で得た金銭も使い切った。
近々に次の襲撃が必要になるだろう。
ただ人が増えれば食べる量も増え、結局のところ問題そのものが解決した訳ではなかった。
それでも今日だけは少し違い、奴隷商隊への襲撃は成功した結果、食糧も確保でき、養鶏を一歩進めるための新しい鶏も手に入った。
今すぐ腹を満たしてくれるものではないが、この数日間で積み上げた物は決して小さくないと、少なくとも俺にはそう思えた。
「じゃあ、今日はせっかく色々買ってきてくれたし、いつもより少しだけ贅沢な晩飯にするように言いに行こうか」
「良いですな」
ゼダンが機嫌良さそうに頷く。
「皆も喜ぶでしょう」
「やりすぎには注意が必要ですが」
マティアスも苦笑しながら続けた。
「今日くらいは良いかと思います」
「だよね」
俺も笑う。
明日の心配は明日すれば良い。
勿論、本当にそういう訳にはいかないのだが、それでもたまには顔を上げる日があっても良い。
毎日が苦しいだけでは人は前へ進めないのだから、今日くらいは喜ぼう。
ほんの少しだけ。
こうしてアルスの指示により、その日の夕食は宴と呼ぶには程遠いながらも、普段より幾分豪華なものとなった。
笑い声が増え、食卓の会話もいつもより賑やかになる。
誰もが明日の不安を忘れた訳ではない。
それでも今夜だけは、その不安を少しだけ脇へ置いて笑うことができた。
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