閑話5 獣の休業日
大陸歴一四〇七年八月一日
クラウスはティム、リッキー、そして昨日加入したばかりのゲーフと共に森の中を歩いていた。
今日の狩猟組として選ばれた面々であり、いつもならここにゼダンの姿もあるはずだった。
だが今回は買い出しのためゼダンは不在だった。
もっとも、狩猟そのものに問題はない。
この森も、仕掛けた罠の位置も、既に身体が覚えている。
罠に獲物が掛かっていないか確認するだけの簡単な仕事だ。
掛かっていれば仕留め、掛かっていなければ次の罠へ向かう。
壊れていれば修理し、修理に手間が掛かるようであれば新しい罠と交換して古い物を持ち帰る。
狩猟と言えば弓や槍を持って獣を追う姿を想像する者も多いだろうが、実際には毎日森を回り続ける地道な積み重ねの方が遥かに重要なのである。
だからこそクラウスは、この仕事を嫌いではなかった。
成果は運だけでは決まらず、どこへ罠を仕掛け、どう手入れをするか。
どの道を獣が通るか積み重ねた経験が、そのまま結果になる。
少なくともクラウスはそう信じていた。
そして今日も、いつも通り森を回るだけの一日に成るはずだった。
そう、いつも通りの一日に成るはずだったのである。
クラウスは前を歩く三人を見た。
ティム。
リッキー。
ゲーフ。
改めて見ても嫌な予感しかしない顔触れだった。
……いや、今にして思えば、森へ入る前の時点で気付くべきだったのかもしれない。
今日は、いつもの狩猟ではないのだと。
森へ入ってからというもの、三人はずっと喋り続けていた。
「だからよぉ、お前らがそっちから追ってくれれば、俺が弓でシュパッと射貫いて終いなんだって」
「それを言うなら、わざわざ弓なんて使わなくたって、俺が斧で刈り取ってやるから、お前がこっちへ追ってこいよ」
「そんなんしなくても、見かけたら蹴るだけだろうに。それなら血抜きはちゃんとできるし、旨い肉になるぞ」
朝から半日。三人とも、ずっとこの調子である。
既に太陽は高く昇り、森の中にも昼の気配が満ちている。
それにも関わらず、会話は一向に途切れなかった。
狩猟の話をしていたかと思えば、今度は武器の話になり、次は食べ物の話になり、気付けばまた狩猟の話へ戻っている。
しかも全員声が大きい。
非常に大きい。
いや正直に言って、五月蠅い。
罠に掛かっていた獲物は幾つか回収したが、それ以外の獣は一向に姿を見せない。
当然の話で、これは狩猟なのだ。
何故これほど大声で喋りながら森を歩いているのだろう。
獣からすれば、「人間が来るぞ」どころではない。
『危険!キケン!きけん!』
『大騒ぎしてる』
『急いで逃げろ』
もし獣が口を利けるのであれば、そんな話が森中駆け巡っていることだろう。
そして言葉通り、この辺り一帯の鳥獣は全力で避難しているのではないだろうか。
「それにしても獣の少ない森だな」
ゲーフが辺りを見回し口を開く……大声で。
「これだけ深ければ、普通は兎や狐くらい幾らでもいるだろう」
「いや、普段はもっと居るんだぜ」
ティムが答える……大声で。
「前なんて鹿に猪に鳥に兎にって、運ぶのに苦労したこともあったんだからな」
「確かにこれだけ見かけない日も珍しいな」
リッキーが腕を組むつつ続ける……大声で。
「今日は休みかもしれん」
鳥獣の休業日という、なかなか革新的な説だった。
少なくともクラウスは聞いたことがないのだが、この場で最も革新的なのは、その理論を誰も否定しないことだった。
三人とも真剣に考え込んでいる。
もしかすると本気で有り得ると思っているのだろうか。
どうせこの調子では今日は駄目だろう。この騒ぎの中、獣が姿を見せるとは思えない。
いっそ自分もこの馬鹿馬鹿しい会話に混ざってやろうか……。
そんなことを考えながら、クラウスは小さく溜息を吐いた。
「あ、鳥が居た」
不意にティムが足を止めた。
視線の先を見ると少し離れた木の枝に、大振りな野鳥が止まっていた。
躊躇なく腰の矢筒から一本引き抜き、弓へ番える。
弦が鳴ったと思った次の瞬間には、矢が飛び野鳥が枝から落ちていた。
見事な一射で、誰が見ても文句の付けようがない。
だからこそ、クラウスには理解できなかった。
……何故だ。何故あの鳥は逃げなかったのだ。
先程まで、この男たちは大声で喋っていたのである。
森へ入ってから今に至るまで、静かだった時間を数えた方が早い。
普通なら近付く前に飛び去る。
いや、鳥だけではなく、兎も狐も鹿も猪も逃げるのが当たり前だ。
だというのに、あの鳥は平然と枝へ止まり続けていた。
もしかすると耳が悪かったのだろうか。
いや、鳥がそんな状態で生き残れるとは思えない。
それとも無いとは思うが、昼間から眠っていたのか。
クラウスが真剣に考え込んでいる横で、ティムは落ちた鳥を拾い上げていた。
「よし」
短くそう言って鳥を拾い上げる様子にも、クラウスは妙な違和感を覚えていた。
あれだけ喋りながら歩いていたにも関わらず、鳥を見つけた瞬間に矢を放っている。
普通は集中していて初めて出来る芸当ではないのか。
何故会話と狩猟が両立しているのか理解が追い付かない。
そんなクラウスの困惑など気にも留めず、ティムが豪快に笑った。
「ふははは。やはり弓王。どっかの誰かのように、追っかけ回さなければ獲物が獲れぬ奴とは違う」
「うるせえな。偶然だろ、偶然!」
リッキーが不機嫌そうに怒鳴り返した。
その直後、すぐ近くの茂みが大きく揺れ何事かと思う間もなく、一羽の兎が飛び出した。
どうやらリッキーの大声に驚いたらしい。
そして、その飛び出した先には。
「おっ」
ゲーフが居た。
短く声を上げると同時に蹴り飛ばし、空中で弾かれた兎はそのまま近くの木へ叩き付けられる。
鈍い音が森の中へ響いた。
「おっと、俺も獲ったぜ」
何事も無かったかのように歩み寄り、兎を拾い上げたら慣れた手付きで首元へ刃を入れ、手際よく血抜きを始めた。
……解せぬ。
何故これで狩りが成立するのだろう。
狩猟とは本来、人と獣がお互いの知恵を絞り、生を得るために駆け引きを行う厳粛な営みである。
獲物の動きを読み痕跡を追い、風向きを考え気配を殺しながら近付く。
そうして初めて、一つの成果を得るものだと、少なくともクラウスはそのように考えてきた。
勿論、貴族の娯楽として狩猟が行われることも知っている。
獲物を追い回し、その過程そのものを楽しむ者達も居るが今の自分達は違う。
今日を生き、明日を生きるための糧を得るために森へ入っているのだ。
「ふざけんな。お前らばっかり狩りやがって。見てろ、俺だって負けてねえ」
リッキーが肩を怒らせながら森の奥へ進んでいく。
しかも足音を隠す気配すら無く、むしろ踏み鳴らしている。
獣は音に敏感なのだから、それが駄目だと言うに。
そんな歩き方をしていては――。
「鹿だ!」
リッキーが叫んだ。
クラウスは反射的に顔を上げると、確かに一頭の鹿が少し先の木々の間に立っていた。
「俺の獲物だ! 待て!」
いや、お前が待て。
鹿が本気で逃げるのを、人間の足で追い付ける訳が無かろうに。
案の定、鹿は一目散に駆け出した。
そしてそれをリッキーも全力で追う。
「あ、駄目だ!」
リッキーの向かう先を見て、思わずクラウスも走り出す。
待て。いや本当に待って。
そっちには罠がある。それも苦労して仕掛けた罠だ。
それは壊されたら困る。
リッキーを止めようと駆け出したクラウスの後を、ティムとゲーフも追い掛けてくる。
そして立ち尽くすリッキーの元へ辿り着いたクラウスは、その場で足を止めた。
そこには暴れてはいるが、完全に動きを封じられている鹿がいた。
どこからどう見ても立派な成果だったのだが、問題があるとすれば、それは自分が数日前に仕掛けた罠だったということくらいだろう。
そして、その前でリッキーが頭を抱えている。
「ぬをーっ! 誰だ! こんなところに罠を仕掛けた奴は!」
えっと……俺です。
クラウスは口を開き掛けたが、閉じた。
何と言えば良いのか分からなかったのだ。
結果だけ見れば大成功であるのだが、リッキーは悔しそうだった。自分で捕らえるつもりで追っていたら、勝手に罠に嵌まっていた。納得がいかないのか、まるで幼子のように地団駄を踏み始めた。
しばし沈黙が流れ、我に返ったクラウスは、やむなく口を開いた。
「リッキーが上手く追い立ててくれたので、鹿を罠へ誘導できたな」
なるべく自然に。
なるべく穏便に。
「これはリッキーの手柄だろう」
そうリッキーを宥めつつ、さり気なく後ろの二人を見る。
頼むから煽るなよ、お前ら。本当に頼むぞ。
「なるほど」
ゲーフは感心したように何度か頷きながら、罠に掛かった鹿とリッキーを見比べた。
「罠に追い込むというやり方か。上手いこと考えたな」
どうやら本気でそう思っているらしく、リッキーの表情が少しだけ緩んだ。
良かった。これで丸く収まる。
そう思った瞬間だった。
「そうなのか?」
ティムが首を傾げた。
嫌な予感しかしない。
「誰がこんなところに罠を仕掛けたんだとか言ってなかったか?」
おい。やめろ。頼むからやめてくれ。
折角直り掛けていた機嫌を、即座に砕きに掛かるな。
「いや、結局罠っていうのは待ちの作業だからな」
クラウスは慌てて割って入った。
「こうやって追い込んでくれると本当に助かる。リッキーのお陰だ」
これで手打ちにして貰えませんでしょうか。
というか、何故俺がこんなに気を遣わなければならないのだろう。
「へへへ。まあな」
リッキーが鼻を鳴らす。
「俺に掛かれば、ざっとこんな物よ」
どうやら機嫌は直ったらしく、クラウスは胸を撫で下ろした。
良かった。本当に良かった。
そう思っている横で、ティムが不思議そうに首を捻っている。
おい。よせ。そこで考えるな。首を捻るな。気付かれたら全部台無しになるだろうが。
拠点の存続にも関わる重要な仕事である。
それにも関わらず、今日一日で起きたことを思い返すと、どうにも納得がいかない。
大声で騒いでいたら兎が飛び出し、それを蹴り飛ばした結果、獲物が増える。
それに腹を立てたリッキーが鹿を追ったら、罠に嵌まり更に獲物が増える。
果たして、このような狩猟が許されるのだろうか。
いや、現実に許されているから目の前に鹿が掛かっているのだが、どうにも納得がいかなかった。
その後も、似たようなことが何度も起きた。
ティムが見付ければ射落とし、リッキーが騒げば何かが飛び出し、ゲーフが見付ければ蹴り飛ばす。
その度にクラウスは頭を抱えた。
何故だ、何故これで獲れる。何故これで成立する。
理解しようと考える度に、更に理解できない現象が発生するため、途中から考えること自体を諦めた。
世の中には理解しなくても良いことがある。
きっと、そういうことなのだろう。
そして気付けば荷は増え続けていた。
罠に掛かっていた獲物も含めれば、今日一日としては文句の付けようがない成果である。
いや、むしろ大成功と言って良い。
途中からは獲物を持つ人間の方が足りなくなり始めたほどだった。
「まだ先にも罠があったよな?」
ティムが荷を担ぎながら言う。
「あるぞ」
「行くか?」
クラウスは荷の量を見てから、三人を見る。そして、もう一度荷を見てから少し考えた。
「……いや、今日は戻ろう」
これ以上増えたら本当に持てなくなる。そして恐らくまだ獲れる。
何故かは分からないが、獲れる気しかしない。
だからこそ引き際も大切だった。
結果として、いつもの順路を最後まで回ることなく拠点へ戻ることになった。
これ以上獲物が増えれば運び切れなくなる以上、それも仕方のない判断だったが、ならば明日は逆から回るべきかもしれないと考えながらクラウスは坂道を登っていく。
相変わらず、この拠点前の坂だけは何とかならないだろうか。
獲物が増えれば増えるほど辛くなる。
材木を引き上げる時のように縄と敷板でも使えれば、かなり楽になると思うのだが。
今度、砦主へ提案してみようか。
そんなことを考えながら、クラウスは今日一番重い鹿を担ぎ直した。
ただ一つだけ、最後まで分からなかったことがある。
何故これほど騒がしかったのに、今日の狩猟は大成功だったのだろうか。
考えれば考えるほど分からない。
恐らく明日も分からないだろう。
そして、それが少しだけ悔しかった。
拠点へ戻ると、ちょうど広場の方からアルスが歩いてきた。
こちらの姿を見るなり目を丸くする。
「おかえり。今日は凄いね」
視線は自然と獲物の山へ向いていた。
鹿に兎、鳥に加え、罠に掛かっていた獲物まであり、四人で担いでいるとはいえ、なかなか壮観な量だった。
「いつもこの調子だと助かるんだけどな」
嬉しそうに言うアルスへ、クラウスは苦笑する。
「砦主、それは贅沢ですよ」
今日の成果は認める。
認めるが、決して再現性のあるものとは思えなかった。
「今日だって偶然の産物ですから」
「またまた、そんなこと言って」
アルスは笑う。
「立派に結果を出してるじゃないか」
そう言って、少しだけ考える素振りを見せた。
妙に嫌な予感がするのは何故だろう。
今日は、この手の予感だけはよく当たる日の気がする。
「よし。また明日も同じ面子でお願いね」
「はい。分かりました」
反射的に答えた。
砦主の指示であり、断る理由も無いから自然に返事をした。
アルスも満足そうに頷き、そのまま別の作業へ向かっていく。
クラウスも獲物を運ぶため歩き出した。
暫く進んで、ようやく気付く。
……あれ?
俺、今何気にとんでもない事を引き受けなかったか?
明日も、この三人と?
クラウスはゆっくりと後ろを振り返った。
ティムは獲物を担ぎながら、何やら得意げに語っている。
リッキーは鹿を見ながら、自分が追い込んだから獲れたのだと主張していた。
ゲーフはそれを真面目な顔で聞きながら頷いている。
夕暮れの拠点へ、三人の声が元気よく響いていた。
クラウスは静かに空を見上げた。
どこか遠くで鳥が「アホー」と鳴いたような気がした。
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