第55話 初陣
大陸歴一四〇七年七月二十七日
「今だ――掛かれ!」
アルスの号令が森へ響いた。
その声に応じ、誰よりも先に森の中から飛び出したのはウォルフだった。巨体が草を踏み潰しながら街道へ躍り出る。その速度は、とてもあの体格から想像出来るものではない。
倒木の前では、異変に気付いた護衛が慌てて振り返ろうとしていたが遅い。
「おらァ!」
大木槌が振り上げられる。
護衛はようやく剣へ手を伸ばしたが、そこまでだった。
轟音が響く。振り下ろされた木槌は男の肩口へ直撃し、その身体ごと地面へ叩き潰した。
土が弾け、枯葉が舞う。男は悲鳴を上げる暇すらなかった。
「うお、速ええ」
その様子を見たリッキーが思わず声を上げる。
「なんて足の速さだ」
だが感心している時間はなく、リッキーもまた二本の斧を左右へ構えたまま前へ飛び出し、そのまま別の護衛へ突っ込んだ。
「よし、次は俺だ!」
護衛が剣を抜くがリッキーは止まらない。
右の斧を振るうと護衛が慌てて受けるが、そこへ左の斧が飛んだ。
「なっ――」
驚きの声を上げる間もなく、二撃目が胴へ叩き込まれる。
護衛はよろめきながら後退し、そのまま倒れ込んだ。
「やはり斧は二本に限るな!」
上機嫌な声が響く。
その横では、さらに酷い光景が広がっていた。
荷馬車の御者台から慌てて飛び降りた男は、何が起きたのかも理解出来ていない顔のまま立ち尽くしていた。その正面には、残念ながら既にヘルガが立っている。
「アタイも負けらんないねえ」
そう言いながら振り上げたのは、無数の釘が打ち込まれた棍棒だった。
男の顔が引き攣り逃げようとしたが間に合わない。
鈍い音が響いた。
棍棒は真正面から男の顔面へ叩き込まれ、その身体を荷馬車の車輪へ吹き飛ばすと、男は崩れ落ちそのまま動かなくなる。
前方の制圧は、一瞬だった。
護衛たちは不意を突かれただけではなく飛び出して行った連中が、想像していた以上に荒事へ慣れていただけだった。
ウォルフ。
リッキー。
ヘルガ。
三人ともが自分の得物を振るい、反撃の隙すら与えず相手を制圧していた。
商隊の前方は、圧倒していた。
しかし後方では違った。
クラウスとヴァルターは、それぞれ護衛と剣を交えていた。
不意打ちそのものは成功したのだが、簡単に制圧とはいかなかった。
護衛たちも商隊を守るために雇われた人間であり、少なくとも剣を握ったこともない素人ではない。
金属がぶつかる音が響き、クラウスの剣は護衛兵に弾かれ、ヴァルターの斬撃も別の護衛に受け止められる。
前方のような一方的な展開にはならず、後方では戦いそのものが続いていて、次々と敵を打ち倒した三人とは対照的であった。
それを隙と見たのか、後方の荷馬車の側にいた護衛と馭者は周囲を見回し、ほぼ同時に同じ判断へ辿り着いたらしい。
逃走である。
クラウスたちの横を抜けるように駆け出した。
その先にいたのは槍を持たされた四人の避難民たちだったが、当然ながら根っからの兵士ではない。
彼らもまた、その瞬間までは自分たちだって役に立てる。自分たちだって戦えるのだと思っていた。
だが実際に、二人の男がこちらへ向かって走り出した途端、それは勘違いであったと判明する。
「ひっ……!」
避難民の誰かが声を漏らした。
護衛は剣を抜いていた。
さっきまで遠くに見えていた戦いが、突然目の前へ現れたことで動揺したのだろう。
避難民の一人が後ずさり、別の一人は槍を握り締めたまま動けない。
何をすればいいのか分からなくなったのか。
待ち伏せだという話は言っていたし、自分たちが勝つ側なのだとも伝えていた。だが実際に人が殺される場面を見るのは初めての経験だったのだろう。目の前へ剣を持った男が迫ってくる状況に動けなくなっていた。
そして、その恐怖に最初に耐え切れなくなったのは一人の男だった。
男は尻餅をついた。
「く……来るな!」
そのまま槍を振り回す。
構えも何もなく、ただ恐怖に任せて振り回しているだけで、穂先は空を切り、身体は震え、顔からは血の気が失せていた。
その姿を見た別の避難民が悲鳴を上げる。
「無理だ!」
そして森の中へ走り出した。
逃げた。
それを見た瞬間、残った避難民たちの顔色も変わる。
一人が逃げれば、逃げたいという気持ちはあっという間に伝染する。槍を握る手は震え、呼吸は荒くなり、誰もが今すぐこの場から逃げ出したいという顔をしていた。もはや待ち伏せなどではなく、ただ怯えた人間たちが立ち尽くしているだけだった。
護衛たちは、それを見て足を止めた。
避難民を見て、そして剣を見ると次の瞬間、進路を変えた。
こいつらは兵士ではない、突破できると判断したのだろう。剣を構えたまま避難民へ向かって突進する。
空気が変わった。待ち伏せが崩れたのだ。
避難民たちへ向かって護衛と馭者が駆ける。
その距離はあまりにも近かった。
ゼダンは即座に異変へ気付いた。
「まずい!」
即座に駆け出すが間に合わない。
街道の反対側では、マティアスとレオンも騎馬を走らせていた。
木々の間を縫うように駆けるが、それでも遠い。
それよりも避難民たちの方が近かった。
クラウスとヴァルターも状況を理解していたが動けない。
目の前の敵を放置すれば、自分たちの背後へ回られる。
援護へ向かう余裕などなかった。
前方のウォルフたちも同じだった。
「くそっ!」
リッキーが叫ぶ。
だが荷馬車が邪魔をして真っ直ぐ走れなく、回り込めば間に合わない。
このままでは誰も届かない。
避難民たちは完全に取り残されていた。
剣を構えた護衛が迫るも、尻餅をついた男は動けない。
残った二人も顔面を蒼白にしたまま立ち尽くしている。
誰も槍を構えられなかった。
そして護衛が剣を振り上げる。
その瞬間、何かが飛んだ。
風を裂く音と共に護衛の頭が大きく揺れた。
矢である。
「な……」
驚愕の声を上げる間もなく、二本目が飛んだ。
今度は背中へ突き刺さる。
護衛は数歩よろめき、その場へ膝をついた。
樹上の枝葉の隙間には、弓を構えたティムの姿があった。
だがそれでもまだ、終わりではない。もう一人馭者役の男が残っていた。
矢が護衛へ刺さったことで、一瞬だけ足を止めていたが、それだけだった。
避難民へ向き直り、剣を握る手はまだ生きていた。
距離も近く、今度こそ間に合わないと思われた次の瞬間。
馭者の身体が横へ吹き飛ぶ。
「がっ!?」
鈍い音が響いた。
即座に何が起きたのか、理解できた者はいなかった。
ただ目をやると、そこには一人の男が振り抜いた形で足を上げていた。
奴隷たちの最後尾の縄で繋がれたままの大男だった。
その男は頭から顎へ四本の傷が走る、奴隷の中でも頭一つ大きい巨体だった。
その足が、馭者の脇腹へ叩き込んだのだ。
馭者は地面を転がり、背中から街道へ叩き付けられる。
そこでようやくレオンが辿り着いた。
馬から飛び降り剣を握るが、馭者はまだ動き起き上がろうとしていた。
レオンの足が止まる。
レオンにとって、人を斬るのは初めてだった。
迷いが無かったわけではないのだろう。ほんの一瞬だったが、レオンは動きを止める。
それでも剣を振るわなければ仲間が傷付くと考えたのか、次の瞬間には剣を振り下ろしていた。
馭者は動かなくなる。
戦いが終わったわけではないが避難民たちは救われた。
その間にも再び矢が飛び、クラウスと斬り結んでいた護衛の背へ突き刺さった。
「助かる」
クラウスは短く言い、その隙を逃さず剣を走らせると、護衛は崩れ落ちる。
残るはヴァルターと対峙する護衛だけだった。
そこへクラウスが加わり、さらに前方からウォルフ、リッキー、ヘルガが駆け寄ると護衛の顔色が変わった。
もう勝負にならないのは明らかである。
それでも男は剣を捨てず最後まで抗おうとするが、ヴァルターが踏み込み剣を走らせると、後方を気にして目を逸らしていた護衛はその場で崩れ落ちた。
こうして戦いは終わった。
敵は全滅し、こちらには死者はいないという、結果だけを見れば完勝だった。
だがアルスの胸中に残っていたのは達成感ではなかった。
一歩間違えば味方に死人が出ていたという事実の方が重かった。
戦いは終わったが、胸の奥に引っ掛かる結果であった。
アルスはまず避難民たちの方へ向かう。
「怪我はないか」
声を掛けると、尻餅をついていた男が情けない顔で笑った。
「尻が痛いです……」
その言葉に周囲から苦笑が漏れる。
だが別の男は顔を伏せた。
「すみません」
「ん?」
「怖くて逃げました」
消え入りそうな声を出したのは、森へ逃げ込んだ男だった。責められると思っているのか、顔を上げられない。
さらに別の男も口を開く。
「砦主」
「どうした」
「俺たちには無理かもしれません」
その言葉に反論する者はいなかった。四人とも似たような表情を浮かべており、さらに言えばアルスの傍に控えていた二人もまた同じ顔をしている。
戦いが終わった安堵というより、自分たちは戦えないと思い知らされたような顔に見えた。
アルスは少しだけ考える。
今回の計画は成功したはずだったが、実際には違った。
もしティムがいなければ。
それ以前に、あの奴隷が動かなければ今頃どうなっていたか分からない。
避難民が悪いのだろうか。いや、そうではない気がした。
だが何が違うのかは、まだ分からない。
だがアルスはその考えをそこで止めた。
今はまだ答えが出ないと感じたのだ。
「ご苦労様」
アルスはそう言った。
「それでも皆のおかげで勝てたんだ」
避難民たちは複雑そうな顔をしていた。
納得しているわけではないが少なくとも、責められはしなかったことで安心したのだろうか。
アルスはそのまま視線を奴隷たちへ向けると、その中でも一際大きな、先ほど馭者を蹴り飛ばした男が目に付いた。
縄で繋がれているにもかかわらず妙な存在感があり、周囲の奴隷たちもどこか一歩引いているように見えた。
「助かった」
アルスは素直に言った。
「礼を言う」
男は鼻を鳴らした。
「あ?」
「お前のおかげで仲間を失わずに済んだ」
すると男は少しだけ面白そうな顔をする。
「そんなもん大した理由じゃねえよ」
「というと?」
「俺たちを奴隷だと思って鞭を振ってた連中だ」
男は死体の方を顎で示した。
「いい気味だと思っただけだ」
アルスは小さく頷く。
納得できる理由だった。
「それでも助かった」
「へぇ」
男は肩を竦める。
「感謝するなら、このまま解放してくれるとありがたいんだがな」
「それは無理かな」
「即答かよ」
「皆には俺の拠点へ来てもらう」
「まあ、そう上手くはいかねえか」
男は笑った。
縄で繋がれているというのに妙な余裕があり、まるで今の状況に怯えていない。
度胸が有るのか、達観しているのか、ただ並みの精神でないのだけは確かだった。
その時、後ろからの声が届いた。
「やはり俺様、弓王!」
森の奥から響く聞き慣れた声だ。
アルスが振り返ると、そこには胸を張りながら堂々と歩いてくるティムの姿があった。
「いや遅いだろ」
リッキーが即座に言う。
「もっと早く射てれば簡単に終わったものを」
「何言ってやがる」
ティムは鼻で笑った。
「俺が全部倒しちゃ悪いだろう。お前らの見せ場を作ってやったんだよ」
「抜かしやがる」
「感謝しろ」
「するか」
周囲から笑いが漏れる。
張り詰めていた空気が少しだけ緩み、戦いが終わったのだと、ようやく実感が湧いてくる。
「砦主」
ゼダンが声を掛けてきた。
現実へ引き戻すような声である。
「勝ったとは言え、いつまでもここに留まるのは得策ではありません」
周囲を見回しながら続ける。
「誰に見られるとも限りません」
アルスも頷いた。
戦いは終わったが、それで仕事が終わった訳ではない。
「うん。そうだね」
アルスは周囲へ声を上げる。
「急いで片付けるよ。出来る限り元の状態へ戻す。護衛は身ぐるみを剥いで森へ捨てて。荷馬車と奴隷たちは連れて帰る」
返事が上がる。
それぞれの胸に様々な思いを抱えたまま、人々は撤収の準備を始めた。
街道から荷馬車が拠点へと向け動き出す。
倒木は片付けられ、死体は森の街道から見えないところへ運ばれていく。
つい先ほどまで殺し合いが行われていたとは思えないほど、戦いの痕跡は少しずつ消えていった。
アルスはその様子を見ながら馬を進める。
荷馬車も奴隷も手に入り、誰も失わなかった。
結果だけを見れば完璧だったが、それは紙一重でもあった。
あと少し何かが違っていれば、きっと別の結果になっていただろう。
まずは全員で帰ることが何より優先だった。
森を抜ける風が頬を撫でる。
アルスは前を向いた。
こうして、アルスの初陣は終わったのであった。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、ページ下部の☆を押して評価をお願い致します!
作者の励みになります!




