表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ち延びた三男坊、山で拠点を作ったらやがて帝国になった ――逃避行から始まり、拠点を作って勢力拡大。気付けば、帝国に成ってしまった件について  作者: 六駿
第二章 礎石

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
83/127

幕間21 故郷を失った者たち

 ローデンの空へ、退避を告げる鐘の音が響き渡った。


 祭りでも火災でもない、有事の際にのみ鳴らされる鐘である。だが、その音を聞いたからといって、誰もが即座に破滅を悟った訳ではなかった。


「領境で戦が始まったらしい」


「サエル様が出陣なさったんだろう?」


「なら大丈夫だ。数日もすれば戻れる」


 市場でも通りでも、そんな声が交わされていた。不安げな顔はあっても、泣き叫ぶ者は居ない。多くの者にとって退避とは、あくまで一時的に危険を避けるためのものだった。


「三日分もあれば十分だろう」


「すぐ戻れるさ」


 焼き上がったパンを包みながらそう話し、子供たちの中には遠出でもするような顔をしている者さえ居た。


 だが、その空気は館の方角から現れた荷車によって変わり始める。


 使用人たちが慌ただしく荷を積み込み、馬丁は馬を宥めながら門を出ていく。


「……館の人たちまで?」


「本当に危ないのか?」


 領主が戦場へ出たにも拘らず、館の者たちまで避難を始めているのならば、自分たちも動かなければならないのでは、という思いは静かに広がっていった。


 もっとも、全員が逃げた訳ではなかった。


「儂は残るよ」


 市場近くで雑貨屋を営んでいた老人は首を振る。


「こんな歳で山なんぞ歩けん。それに、どうせすぐ戻るんだろう?」


 息子夫婦が説得しても、最後まで動かなかった。


「足手まといになるだけだ。ほれ、さっさと行け」


 笑って手を振るその姿を前に、それ以上は何も言えなかった。


 病に伏せる者。歩けぬ者。家を守ると決めた者。様々な理由でローデンへ留まる者たちが居た。


 一方で、逃げると決めた者たちは最低限の荷を抱えて街を出る。


「母ちゃん、どこへ行くの?」


「さあねぇ」


「いつ帰れる?」


「すぐだよ」


 母親に確信は無かったが、子供を不安にさせたくなかった。


 街道には同じように歩く者たちの姿が続いていた。


「とりあえず山へ」


「戦が終わるまで隠れてれば良い」


 行き先は曖昧だったが、一人ではないというだけで少しは心強かった。


「戻って来たら、また店を開かないとな」


 誰かが笑い、誰かが頷く。


 こうしてローデンの住民たちは山へ入っていった。


 三ヶ月に及ぶ逃避行になるとも、この時別れた者の中に二度と会えぬ相手が居るとも知らぬまま。


 山へ入って数日が過ぎると、誰もが思い描いていた避難とは違うことを理解し始めた。


 道らしい道は無く、水場を探すだけでも苦労する。大人ですら疲弊する山道は、子供連れにはなお厳しかった。


 それでも人々は互いを励ました。そうしなければ歩き続けられなかったのである。


 やがて同じようにローデンから逃れてきた別の一団とも出会い、そのまま行動を共にするようになり、夜には焚火を囲んで残してきた者たちの話をした。


 だが誰も大丈夫だとは言えなかった。


 それでも、同じ言葉を交わせる相手が居るだけで少しは救われた。


 そうして避難の列は、寄り添いながら進む小さな共同体へ変わっていった。この時の彼らはまだ、戦が終わればローデンへ帰れるものだと疑ってはいなかった。


 十日ほどが過ぎる頃には、食糧にも限界が見え始めた。


「そろそろ戻っても大丈夫なんじゃないか」


 その言葉を否定する者は居なく、まずは町の様子だけでも確かめることになった。


 一行は、ローデンを見渡せる尾根へ向かい木々を掻き分け、ようやく視界が開けた時だった。


「……館」


 誰かの声に視線が集まる。


 ローデンの中心にあるはずの領主館は焼け落ち、その姿を失っていた。


「旗だ」


 城壁に翻っていたのは、ミュラー家の旗ではなく見知らぬ色。見覚えの無い紋章。


 その事実だけで尾根の上へ沈黙が落ちた。


「……ローデンが」


「落ちた……?」


 戦が終われば帰れると信じていた故郷は、既に自分たちの知る場所ではなくなっていたのである。


 やがて長い沈黙の末、一人の男が口を開いた。


「……俺は南へ行く。妹が嫁いだ村があるんだ」


 それを切っ掛けに別れの言葉が交わされ始めた。


「俺は街道へ出る」


「北に知り合いが居る」


「正直、どうすれば良いのか分からん」


 誰も正解など持っていないが、立ち止まる訳にはいかなかった。


「達者でな」


「生きてたら、またどこかで会おう」


 短い別れを交わしながら、人々はそれぞれの道へ散っていく。


 残された者たちの前には、幼子を抱く母親と不安そうな子供たちの姿があった。


「……俺たちはどうするか」


 その問いに答えたのは一人の女だった。


「東へ行きましょう。ここに居ても仕方ありません」


 根拠など無いが、前へ進むしかない。


「……そうだな」


「行くか」


「生きるためにな」


 こうして彼らは再び歩き始めた。


 ローデンの住民としてではなく、行き先も定まらぬ流民として。それでもなお、生きることだけは諦めぬ者たちとして。


 山の上では、初夏の風が静かに吹いていた。



 東へ向かうと決めたところで、行き先が定まった訳ではなかった。


 どこへ行けば助かるのかを知る者は居らず、地図がある訳でもない。それでも、一度歩き出した以上は前へ進むしかなく、人々は川沿いを辿り山道を越え、ときには獣道のような細い道を選びながら、人の気配を探して東へ向かった。


 途中では、同じように故郷を追われた流民と出会うこともあった。ローデンから逃げてきた者、郊外の村を離れた者、帰ろうとして帰れなくなった者――互いの事情を詳しく語ることは少なかったが、失ったものは皆よく似ていた。そのまま別れる者もいれば、しばらく行動を共にする者もあり、一団の人数は増えたり減ったりを繰り返した。


 持ち出した食糧はやがて尽き、川で水を汲み、食べられる物を探し、僅かな食糧を分け合いながらその日を凌ぐ暮らしへ変わっていった。


 それでも、不思議と誰も「ローデンへ戻ろう」とは言わなかった。山の上から見た焼け落ちた館と見知らぬ旗が、故郷はもう失われたのだと誰の胸にも刻み込まれていたからだ。


 やがて人々はいつ帰れるのかではなく、今日をどう生き延びるかを考えるようになっていた。そうして季節が移り、気付けばローデンを離れて三ヶ月以上が過ぎていた。


 ようやく街道へ辿り着いても歓声は上がらなかった。それは目的地ではなく、ただどこかへ続く道に過ぎなかったからだ。それでも歩けない者には肩を貸し、幼子を抱える母親には荷を分け合う。血の繋がりを越えて支え合ったからこそ、二十人は今も欠けることなく歩き続けていた。


 もっとも、それも限界に近付いていた。


 食糧は乏しく、街道沿いの村へ立ち寄ったとしても、余所者へ分け与えられるほど余裕のある者は少ない。


 僅かな野菜を恵まれることもあれば、露骨に追い払われることもあり、そうした積み重ねによって誰もが心身共に疲れ果てていた。


 それでも歩くしかなかった。


 立ち止まった先に待つものが何かを、既に知ってしまっていたからである。


 そんなある日のことだった。


「……馬だ」


 前を歩いていた男の掠れた呟きに、周囲の者たちも顔を上げる。


 街道の向こうから、二頭の馬がこちらへ向かって近付いて来ていた。


 これまでも似たような場合は難癖を付けられては嫌だと、すれ違う際は脇へと寄せてやり過ごしてきた。


 今回も同様に街道脇で自然と身を固くする中、一人の男だけが前方を凝視したまま目を見開き、「……あれは」と呟いた。


「どうしたんだい」


 問い掛けられても答えない。


 ただ前方を見つめ続けていた男は、やがて半ば信じられないものを見るような声で、その名を口にした。


「……マティアスさん?」


 掠れたその声は、静かな街道へ確かに響いた。


 次の瞬間、その男は半ば縋るように前へ飛び出していた。


「マティアスさん!」


 二頭の馬が足を止める。


 手綱を引いたマティアスは、声の主へ目を向けた。


 痩せ細り薄汚れた男の顔を見つめ、一瞬だけ目を見開く。


「……お前たちは」


 そこにいたのは、マティアスの近所に住んでいた男だった。


 他にも視線を巡らせる内に、港の魚屋の隣で店を営んでいた男や市場で見掛けた女など、記憶の断片が少しずつ繋がっていく。


「ローデンの者です」


 男は泣き笑いのような顔で頷いた。


「俺たち……ローデンの者です」


 マティアスはしばらく無言のままだった。


 その視線は、避難民たちの間を静かに巡っていく。


 幼子を抱いた母親や疲れ切った子供たち、痩せ細った男たちと女たちの姿は、三ヶ月を超えるだろう逃避行での苦難を雄弁に物語っていた。


「……まさか」


 誰かが目に涙を浮かべる。


「こんなところで会えるとは……」


 その言葉に、マティアスは迷わなかった。


「良くぞ、生き抜いたな」


 その一言だけで、堪えていたものが決壊した。


 その場へ崩れ落ちる者や顔を覆って泣き出す女が現れ、大人たちの様子を見た子供たちまで声を上げて泣き始める。


 逃げ続け、彷徨い続け、明日すら見えぬまま歩いてきた果てに、自分たちを知る者へ辿り着いたのである。


 マティアスはそんな彼らを見つめ、小さく息を吐いた。


 そして隣のレオンと顔を見合わせると、静かに口を開く。


「……行き先が無いのだろう」


 避難民たちは涙を拭いながら顔を上げた。


「付いてくるか」


 その言葉に、ようやく助かったのかもしれないという思いが胸に芽生え始める。


「拠点までは、まだ少し歩く。覚悟しておけ」


 もっとも、その『少し』がどれほどのものなのかを、この時の彼らはまだ知らなかったのである。



「俺の家族がどうなったか、誰か知っているか」


 歩き始めてしばらくした頃、マティアスは近所に住んでいた男へ静かに問い掛けた。


「奥さんも、お子さんもローデンに残りましたよ。少なくとも、俺たちが逃げ出した時には家に居ました」


「そうか……」


 短い返事だった。


 その声音に滲んだものを、誰も指摘しなかった。


 避難民たちはマティアスやレオンと順に言葉を交わしながら歩き続けた。


 正直なところ、身体はとうに限界を迎えていた。


 三ヶ月以上も彷徨い続けた疲労が消えるはずもなく、先程まで涙を流していた者たちも、いざ歩き出せば重たい足を引き摺るように前へ進むしかない。


 それでも、不思議と足取りは先程までより軽かった。行き先があるというだけで人をもう一度歩かせる理由になるのだと、誰もが身をもって知ったのである。


 幼子を抱えた母親たちは互いに支え合いながら歩き、子供たちも疲れた顔をしながら、それでも文句を口にすることはなかった。


 ようやく終わるのかもしれないという、そんな期待が誰の胸にも芽生えていた。


 一行は街道を外れ、森の中へ足を踏み入れた。獣道のような細い道を進み、木々の間を縫うように歩いていく。辺りは次第に薄暗くなり始めていた。


「少しだけ寄り道をしていく。君たちはレオンに従って、先に行ってくれ」


 マティアスはそれだけ言って、一行を抜けていった。


「どこへ……」


「ああ、この近くに庵が有るんだ。そこに向かったんだと思う」


 避難民の何気ない呟きにレオンが返す。


「あ、聞こえてましたか」


「そりゃ、今は俺が任されてるんだから、当然全体の把握をしてるさ」


「え……全体ですか。いやそんな事できるんですか」


「さあ。出来てるつもりでやってるだけで、出来てるかは知らない」


「そんな物ですか」


 そのまま半日ほど進むとマティアスが追い付いてくる。


「駄目だ。また留守だった。絶対誰か住んでると思うんだがな……」


「居ない物は仕方ないですよ。それよりマティアスさん、この辺りで一晩越しましょう。もうこれ以上は無理です」


 確かに辺りは暗く成りはじめたのもあるが、何より避難民たちが限界だったのだ。



 翌日は早朝から歩きはじめる。


「マティアスさん、まだですか……?」


 誰かが力なく呟く。


「もう少しだ」


 前を歩くマティアスは、振り返ることなく答えた。


 その「もう少し」を信じて、一行は再び歩き出す。


 日が傾き始めるころにやっとマティアスが、待ち焦がれた言葉を告げた。


「……着いたぞ」


 ようやく足を止めて発したその言葉に、避難民たちは一斉に顔を上げた。


 終わった。助かった。ようやく休める。


 そんな安堵にも似た思いを胸に、視線を前へ向けた次の瞬間だった。


「…………え」


 誰かの口から、間の抜けた声が漏れた。




 目の前にあったのは、ただの絶望だった。




 絶壁の斜面をそのまま登るような急勾配であり、思わず言葉を失うほどの坂だったのである。


 見上げた先には、木々の隙間から石壁のようなものが僅かに見えている。


 だが、それ以上に目を引いたのは、その坂そのものだった。


「……あれを登るんですか?」


 一人の男が呆然と呟く。


「ああ、拠点はあの上だ」


 マティアスは何でもないことのように頷くと、その場へ沈黙が落ちた。


 誰も動こうとしなかったというより、あまりの光景に動けなくなっていたのである。


 ここまで歩いてきたのだ。


 山を越え、川を渡り、食糧を分け合いながら三ヶ月以上も彷徨い続け、ようやく辿り着いた先で待っていたのが、この坂だった。


「いや……冗談ですよね?」


 一人の男が力なく笑う。


「うん。頑張れ」


 答えたのはレオンだった。


「ちなみに、荷物を持ったままだと結構きついぞ」


 その言葉に、幼子を抱えた母親たちは坂を見上げたまま言葉を失い、子供たちですら顔を引き攣らせていた。


 ようやく助かった。もう歩かなくて済む。そんな希望は、目の前の坂道によって無残に打ち砕かれたのである。


 ただただ苦笑いしか出てこない。


 疲れ切った末に漏れたその笑いは、諦めにも似た響きを含みながらも、不思議と暗いものではなかった。


「……登るしか、ないか」


 誰かの呟きを切っ掛けに、一人、また一人と前へ出る。


 幼子を抱き直す母親、子供の手を握る父親、互いの荷を分け合う者たち。そうして避難民たちは、最後の力を振り絞るように急峻な坂道を見上げた。


 この先に、本当に自分たちの居場所があるのだと信じながら。

もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、ページ下部の☆を押して評価をお願い致します!


作者の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ