幕間15 湖上の戦い(六)湖賊の夜
大陸歴一四〇七年六月九日
夜になると、湖に築かれた拠点の広場は、昼間までの慌ただしさが嘘のような喧騒に包まれていた。
館の中へ収まる人数ではない。
戦へ出た者も、留守を預かった者も、老人も子供も、女たちも、それぞれ酒や料理を手に広場へ集まり、あちらこちらで笑い声を上げている。
フレンチは客人であるマティアスとレオンを伴い、その様子を見渡した。
「さあ、皆」
杯を掲げる。
「今回もまた我らが湖を守り切った。盛大に騒げ。我らの勝利だ」
歓声が上がった。
どのような形であれ、これは勝利である。
確かに失ったものは少なくない。だが共同軍を退け、この湖を守り抜いたのもまた事実だった。
だからこそ、今宵は勝利の宴だ。
戦に出た兵だけではない。この拠点で暮らす老若男女、誰もが共に騒ぎ、笑い、生き残ったことを祝う。
無論、本当に全員が揃っているわけではない。
別に点呼を取っているわけでもないし、謹慎中の馬鹿娘とその舟に乗っていた連中は顔を見せておらず、三人の息子たちも遅れて参加する予定である。
だが、大切なのはそこではなかった。
誰がいたかではなく、皆で勝利を祝ったという事実そのものが大事なのだ。
それが明日からも生きていく理由となり、失った者たちへの手向けにもなる。
フレンチは満足げに頷くと、広場へ向き直った。
「さあ、酒はいくらでもあるぞ。魚も貝も好きなだけ食え。陸の奴らが置き土産として残していった物もあるからな」
今回はこちらから敵陣へ火を放ったこともあり、思いのほか回収できた物資は多かった。
もっとも、継続して手に入るものではない。後生大事に抱え込むくらいなら、こういう時に惜しみなく使ってしまった方が後腐れもない。
フレンチは近くに置かれていた焼き魚を手に取ると、向かいに座る二人へ視線を向けた。
「そら御両所も遠慮するな。陸の物は食い飽きておるかもしれぬが、魚や貝などは食う機会も少ないだろう」
「いえ、食い飽きるなど。なかなか腹いっぱいという程、食うこともありませんので……」
そう答えたマティアスの隣で、レオンが慌てたように口を挟む。
「いやいや、マティアスさんは好みにうるさいだけですよ。俺は毎日、肉を嫌になるほど食ってますよ」
うん?
杯へ口を付けながら二人のやり取りを頭の中で反芻し、フレンチは小さく納得した。恐らく、最初に口にしたマティアスの方が実情に近く、それをレオンが慌てて打ち消したのであろう。
となれば、まだ食糧事情は安定しておらず、仮に即座に手を結んだとしても物資の融通は一方的な支援に近い形となるだろう。
ならば、それはこちらの無理を利かせる材料にもなる。
少し突いてみるか。
「ほう。マティアス殿は肉は好かぬか。なら魚は如何かな」
「好物ですね。頂戴します」
即答だった。
「そうか、好物か。では先ほどの話で、魚をそちらへ送るのも有りだな。代わりに我らは肉を貰うべきか。それとも穀物にするか」
「あ、いや、それは……」
言葉に詰まるマティアスだったが、その隣でレオンは表情を崩さない。
「そうですね。その辺りは私たちの独断とも参りませんので、主と相談のうえで返事をさせて頂きたいですね」
「ふむ」
レオンの方が一枚上か。
このマティアスという男、折衝役を務めるには少々腹芸が苦手というところかな。
頭は悪くないのだろうが、考えたことをそのまま口にする気質なのか、話していて分かりやすい。
ならば、マティアスから情報を抜きつつ、実際の詰めはレオンと行うのが正解か。
とはいえ、現状こちらも肉や穀物を欲しているわけではない。
必要以上に追い込む話でもないな。
「それはそうだな。少し気が逸ってしまったわ。儂の悪い癖でな。せっかちだとよく言われる」
「いえいえ。前向きに考えて頂けているということですから。こちらとしては有難い話です」
すると、今度はレオンが手にした貝を眺めながら感心したように口を開いた。
「それにしても、魚も貝も旨いですね。これは沢山獲れるらしいですね? 我々が肉を得るには獣を追わねばなりませんが、先ほど他の方に聞いたら、こちらでは案外簡単に捕れると聞きましたよ」
そう来たか。
警戒すべきは、やはりこのレオンだな。
当てずっぽうではあるまい。恐らく本当に誰かへ聞いて回ったのだろう。
肉は手間が掛かるが、魚や貝は容易に得られる。
そういう構図を作り、肉の価値を魚介より上へ置こうとしている。
もし今後の取引を見据えているのであれば、割を良くするための布石としては悪くない。
いや、悪くないどころか、このような男が下に居るのは主としては楽であろうな。
間違いない。この男は使える。
「まあ、日や時季にも拠りますがな。なかなか収穫量は多いので、食いきれない量を取らぬよう気を付けているくらいです」
その言葉に、向かいの二人が揃って目を見開いた。
もっとも、同じ驚きでも中身は違うのだろう。
マティアスは純粋に収穫量の話へ驚いたに違いない。
だが、レオンの驚きは別だ。
恐らくあれは、儂がそれを認めたことへの驚きである。
魚や貝は容易に手に入り、食い切れぬほど獲れ、湖側にとって魚介はさほど価値の高いものではない。
先ほど肉の価値を引き上げようと探りを入れてきた男からすれば、こちらがあっさり手の内を晒したように見えたのだろう。
もっとも、儂とて馬鹿ではない。
それを明かした上で、なお困らぬと判断したからこそ口にしただけの話だ。
ふふふ。まだまだ青いな。
さて、この若者をどう料理してくれようか……。
「遅くなったな。皆の衆、騒いでおるか!」
思案をしていると、広場の喧騒を突き抜けるような声と共に、三人の男たちが姿を現した。
長男シーザー、次男サウザン、そして三男バルサミコ。
儂の息子たちである。
あ奴らは分かっておるのかおらぬのか判断に困るところがあるのだが、こういう場では不思議と頼りになる。
酒を掲げ、周囲の肩を叩き、適当なことを叫んでは笑いを誘い、沈みかけた空気を力任せに持ち上げていく。
戦場では命のやり取りをしていた連中も、気付けば杯を片手に笑い声を上げていた。
揃いも揃って楽天家の気があるからな。こういう場では、戦場以上に働きよるわ。
そんなことを考えていると、こちらへ気付いたバルサミコがにやりと笑った。
「親父。何か悪そうな顔してるな」
「何?」
「顔が悪いのは仕方ないが、悪い顔は良くないぜ」
バルサミコの奴、親に向かって何ということを。
思わず額を押さえたくなる。
「先に顔を洗って鏡を見てこい」
「ん?」
「恐らく同じ顔が映っておるぞ」
三人の中でも、見た目に関しては一番儂に似ている息子へそう返してやる。
するとバルサミコは豪快に笑った。
「ははは! 違いねえ!」
そこは否定せんのか。
まあ、怒る気も失せたわ。
「おっ、客人か?」
「親父が話してた奴らだな」
「よく来たな、客人。楽しんでるか」
三兄弟は揃ってマティアスたちへ近付いていった。
そのまま自然な流れで客人の前へ腰を下ろし、
「お、旨そうだな」
そう言いながら、レオンの前に置かれていた焼き魚へ手を伸ばした。
そして何の躊躇も無く、ぱくりと口にする。
「あ」
レオンが間の抜けた声を漏らす。
「旨いな、これ」
「親父、これもっと無いのか?」
「貝も食え。貝も旨いぞ」
「おう、じゃあそっちも貰う」
ぱくり。
あれ?
……教育、失敗したかもしれぬ。
マティアスやレオンへ感じた、あの場に応じた振る舞いや所作。
礼を尽くすべき場では礼を尽くし、相手を立てながら言葉を選ぶあの気遣い。
……少なくとも、儂の息子たちからは欠片も感じられぬ。
ねえねえ、君たち。
元は西部四十八家の一つ、ドレッシン家の血を引く子たちだよね?
分かってる?
一体どこの賊だい?
……あ、ここの湖賊だったわ。
納得。
すると当のレオンは、魚を奪われたにも拘らず苦笑していた。
「随分と賑やかな御子息たちですね」
「賑やかというか何というか……」
マティアスもまた、どこか呆れたような顔をしている。
「ですが、皆さん楽しそうですな」
「まあな」
フレンチは広場を見渡した。
笑い声が飛び交い、酒の匂いが夜風に混じり、誰かが騒げば誰かが応じる。その輪の中心では、馬鹿息子どもが相変わらず好き放題やっている。
騒がしく、品もなく、賊らしいと言えばそれまでだ。
だが、これこそが湖だった。
儂らが守り続けてきた、儂らの暮らしなのである。
三人の息子と二人の客人は、いつの間にやら打ち解けたらしく、魚の食い方だの山での狩りだの、取り留めのない話へ花を咲かせていた。
そんな様子を少し離れたところから眺めていると、不意にレオンがこちらへ顔を向けた。
「フレンチ殿」
「うむ?」
「御三方とも、なかなか楽しい御子息ですね。お子さんは三名ですか」
黙っている儂に気付いて話を振ったか、気遣いもできるか。
「いや」
フレンチは杯を傾けながら答えた。
「あと一人、娘がおる」
「ほう」
レオンが素直に頷く。
それを見ながら、フレンチは小さく目を細めた。
今が頃合いか。
今回、この二人を宴へ招いた理由は、当然ながらミュラー家の実情を探るためである。
だが、それだけではなくもう一つ、別の思惑もあった。
もっとも、それは息子たち含め誰にも話しておらぬ。
せっかく水を向けてくれたのだ。この機に乗るとしよう。
「シーザー」
「おう?」
「お前が呼んで来い」
そう声を掛けつつ、目配せで近くへ寄らせる。
シーザーは一瞬だけこちらの顔を見たが、何も言わず腰を屈めた。
「良いか。連れてきて挨拶だけさせよ。儂の娘だと言うだけで良い。そしてそれ以外は何も喋らせず、裏方が忙しいからと退かせろ」
小声でそれだけを告げる。
シーザーは僅かに視線を動かし、何事か考えるような素振りを見せた後、
「分かった」
とだけ答えて席を立った。
細かくは聞かぬか。
まあ良い。
意図の全ては分からずとも、儂なりの考えがあると察して動いたのだろう。
それで十分である。
それから暫く歓談を続けていると、人混みの向こうからシーザーが戻って来た。
その後ろには、あの馬鹿娘が続いている。
「お客人ようこそ」
娘は二人へ向き直ると、淀みなく頭を下げた。
「ごゆっくりしていってください。申し訳ありませんが、私は裏方が少々忙しいので失礼します」
それだけを一息に言い切ると、返事を待つことなく再び一礼し、シーザーに伴われて去っていった。
実に見事であった。
余計なことは言わず、慌てもせず、愛想を振り撒き過ぎることもなければ無愛想でもない。
言うべきことだけを口にし、きちんと礼を尽くして退いていく。
うん。
満点。
やはり、やれば出来る子じゃないか。
どうだ。うちの娘は良い子だろう。
フレンチは満足げに頷いた後、改めて二人へ向き直った。
「すまんな。マティアス殿、レオン殿。どうしても、このような宴の際は家の女も色々と忙しくてな」
するとレオンは、少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。何気なく尋ねたばかりに、余計な手間を取らせてしまいましたね。娘さんにも、詫びを伝えておいてください」
素直に頭を下げる辺り、やはり気の回る男である。
その隣では、マティアスも何度か頷いていた。
「いや、フレンチ殿や三人の兄君に比べて、大人しく物静かな素晴らしい女性でしたな」
マティアス君。やはり君は素直で隠し事ができない人間だな。だからこそ、その言葉は実に信用できる。
横を見ると、サウザンとバルサミコは勿論、いつの間にか戻っていたシーザーまで神妙な顔で頷いていた。
「そうだろう」
「昔から出来た妹だった」
「俺たちとは違うからな」
何を他人事のように言っておるのだ。
だが、珍しく三人の意見が一致している辺り、やはり皆同じことを考えていたらしい。
それで良い。分かっておるではないか。
「さあさあ、まだまだ宴はこれからだ」
フレンチは杯を掲げた。
「折角の縁だ。暫く逗留されるが良い。儂もまだまだ話したいことがある」
すると三兄弟も、待ってましたとばかりに声を上げる。
「そりゃそうだ。俺たちなんて、まだ今来たところだ」
「お客人、陸の話を聞かせてくれ」
「山ってのは、本当に熊がその辺を歩いてるのか?」
「それはお前の想像する山が極端なんじゃないか?」
早速好き勝手に話し始める息子たちへ、マティアスとレオンも苦笑を浮かべた。
笑い声が広場へ広がる。
酒が注がれ、魚が焼かれ、誰かが騒げば誰かが囃し立てる。
誰も彼もが同じ宴の中で杯を交わしていた。
宴は盛り上がり、夜は段々と更け行く。
だが、湖賊の夜はまだ始まったばかりだ。
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