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落ち延びた三男坊、山で拠点を作ったらやがて帝国になった ――逃避行から始まり、拠点を作って勢力拡大。気付けば、帝国に成ってしまった件について  作者: 六駿
第二章 礎石

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幕間12 湖上の戦い(三)支えられた戦線

大陸歴一四〇七年六月八日


 湖上では既に各所で舟同士が入り乱れ、木材のぶつかり合う鈍い音と怒号が絶え間なく響いていた。


 共同軍の舟は依然として統制を欠いている。櫂の動きは揃わず、列を組もうとしては崩れ、進もうとしては味方同士で進路を塞ぐ有様だった。


 だが、それでも脅威でない訳ではない。


 彼らは戦慣れした湖の民ではなくとも正規軍であり、その背後には幾つもの領地が控えている。一隻沈めた程度で戦力が尽きる相手ではなかった。


 実際、湖賊たちが敵舟を沈めれば、その後ろから新たな舟が押し出される。横へ回り込めば別の舟が現れ、湖岸からは弓兵たちが絶え間なく矢を送り続けていた。


 数が圧力となって押し寄せているのである。


 そのため湖賊たちは、目の前の敵だけを相手にしていれば良い状況ではなかった。


 舟を操りながら周囲の動きを見極め、さらに岸から飛来する矢にも注意を払わなければならない。


 普段の湖上戦とは比べものにならないほど神経を削る戦いだった。


 中央を受け持つシーザーは、混戦の中を縫うように舟を走らせていた。


 前方では共同軍の一隻が隊列から遅れ、味方との間に隙を作っている。


 櫂の動きは乱れ、舟首はわずかに外を向いていた。


 湖で育った者なら、それだけで十分だった。


 水の流れに逆らい櫂の力が揃っていない。結果、隣の舟との距離も開く。


 次に何が起きるかは考えるまでもない。


 シーザーは舟首を振ると、その隙間へ滑り込み、すれ違いざま全身の力を込めた櫂を敵舟へ叩き付ける。


 乾いた破砕音と共に櫂が折れた。


 推進力を失った舟はたちまち向きを乱す。


 湖の上では、動きを失った舟から沈むのは、湖賊たちにとっては常識だった。


 周囲の舟から矢が浴びせられ、兵たちが身を伏せた隙に横から押し込まれる。


 敵舟は大きく傾き、そのまま湖へ転覆した。


 だが、それで戦況が楽になる訳ではない。


 敵舟が沈んだ直後、今度は岸から放たれた矢が味方の舟へ突き刺さった。


 短い悲鳴が響き、一人が湖へ落ちる。


 助けを求める声も聞こえたが、誰も舟を止められなかった。


 止まれば次の矢が飛び、次の敵が迫る。


 そして何より、動きを失った舟がどうなるかを誰もが知っていた。


 だから湖賊たちは歯を食いしばりながら櫂を握り続けるしかなかった。


 敵を沈めても苦しく、押しているように見えても楽ではない。


 湖賊たちは優勢を維持しながらも、確実に血を流し続けていたのである。


 右を受け持つサウザンと左を受け持つバルサミコも、その現実を痛いほど理解していた。



 湖上だけを見れば勝負にならない。


 共同軍の操船は拙く、隊列は乱れ、孤立する舟が次々と生まれる。


 そうした舟を見付けるたびに湖賊たちは襲い掛かり、櫂を叩き折り、体当たりを浴びせ、あるいは矢で動きを奪って沈めていった。


 湖面には既に残骸が浮かび始め、沈みかけた舟へしがみ付く兵の姿も珍しくなかった。


 沈んだ舟の数だけを見れば、共同軍の損害は湖賊を大きく上回っているのだから、遠目に見れば誰もが湖賊優勢と判断しただろう。


 しかし実際に戦場を支えている者たちの表情は重かった。


 問題は敵ではなく、味方の被害だった。本来なら、ここまで傷付く戦ではない。


 湖賊たちは敵を湖の奥まで誘い込み、陸からの援護が届かなくなったところで包囲し、一方的に仕留めることで生き残ってきた。


 だが今は違う。


 戦いが始まった場所そのものが悪かった。


 湖岸は近く、共同軍の弓兵たちは安全な陸地から矢を撃ち続けている。


 敵舟を沈めても矢が飛び、敵を追っても矢が飛ぶ。


 優勢であるにもかかわらず、被害だけは積み重なっていく。


 しかも共同軍は領主の軍だ。


 兵を失えば徴兵でき、舟を失っても集め直せる。


 だが湖賊たちは違う。


 沈んだ舟は戻らなければ、死んだ仲間も戻らない。


 それは単なる戦力の減少ではなく、昨日まで同じ飯を食い、同じ酒を飲み、同じ舟に乗っていた仲間を失うということだった。


 だからこそ三人には分かっていた。


 この戦は長引くほど苦しくなる。


 それでも崩れる訳にはいかない。


 とはいえ戦端をここで開いた以上、今さら退くのは更なる大損害を招くことになる。


 妹の舟は依然として最前線近くにあり、その周囲を三兄弟の舟が絶えず動き回っている。


 シーザーが正面を支え、サウザンが右を繋ぎ、バルサミコが左を削る。


 三人は声を交わす余裕すら無かったが、共に育ち、共に戦ってきた経験によって自然と動きを噛み合わせていた。


 本来なら敵をさらに沖へ誘い込んでから戦列を組むはずだった。


 しかし今回は違う。


 突出した妹を守るため、敵の眼前で即席の戦列を築き上げるしかなかったのである。


 無茶な戦いだった。


 それでも三兄弟は持ち堪えていた。


 敵を沈め、崩れそうな場所へ飛び込み、戦線の形だけは何とか維持し続けていたのである。


 だが、その負担は確実に限界へ近付きつつあった。


 シーザーは櫂を握りながら歯を食いしばった。


 それは辛うじて持ち堪えているというだけの話であり、あとどれだけ維持できるのかは自分にも分からなかった。


 その時だった。


 敵舟へ視線を向けていたシーザーの目が、不意に湖面の一点で止まる。


 混乱する戦場の中を、不思議なほど真っ直ぐ進んで来る一隻の舟。


 その舟首に立つ男の姿を認めた瞬間、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。


 幼い頃から見慣れた姿だった。


「親父か」


 思わず呟く。


 その視線を追ったサウザンも、少し遅れて気付いたバルサミコも、ほんの一瞬だけ互いに顔を見合わせた。


 言葉は無いが意味は同じだった。


 ここまでは何とか持たせた。


 崩れ掛けた戦線を繋ぎ止め、戦場を支え続けてきた。


 だが限界も近かった。


 だからこそ、湖面を切り裂くようにこちらへ向かって来るその姿が、これほど頼もしく見える。


 助かった。


 三人とも同じことを思ったが、誰も口には出さなかった。


 父を再び危険な前線へ引きずり出したくはないし、自分たちにも守るべき誇りがある。


 それでも胸の奥に浮かんだ安堵だけは否定できなかった。


 父が来た。


 湖賊たちの頭領が、ついに戦場へ姿を現したのである。


三兄弟にとって、それは単なる増援ではなかった。


 頭領が到着した以上、もはや自分たちだけで戦場全体を背負う必要はない。


 崩れそうな場所を探して走り回る役目も終わる。



 後は親父が何とかする。



 少なくとも三兄弟は本気でそう信じていた。


 そして、それは再び一部隊長として戦えるという意味でもあった。


 頭領が来たという事実は周囲の湖賊たちにも伝わり、沈みかけていた士気を再び押し上げていく。


 こうして湖上の戦いは、新たな局面へ移ろうとしていた。




 フレンチの舟は速度を落とさなかった。


 周囲で矢が飛び交おうと、舟が入り乱れようと構わない。


 真っ直ぐ前へ進むその姿は、戦場へ殴り込んでいくようにも見えた。


 だがフレンチの意識は戦況ではなく、ただ一人へ向いていた。


 娘である。


 敵舟の位置も味方の損害も今は後回しだった。勝手に飛び出したあのお転婆を確保しなければ話にならない。


 娘を見つけるのは難しくなかった。


 突出した小舟を中心に三兄弟の舟が囲み、その周囲では湖賊たちが慌ただしく戦列を組み上げている。


 事情を知らぬ者が見ても、何か予想外の事態が起きていると分かる光景だった。


「馬鹿娘!」


 怒声が湖上へ響くと、姫は反射的に振り返った。


 その顔を見た瞬間、なぜか背筋が冷えた。


 敵は怖くなかったのだが、今の父は怖かった。


 娘が勝手に出撃したと聞き、慌てて戦場へ飛び出してきたのである。


 機嫌が良いはずがない。


「と、父さ――」


「黙れ」


 短い一言だった。


 それだけで反論は消えた。


 次の瞬間には襟首を掴まれ、そのまま半ば荷物のように自分の舟へ引き寄せられる。


 周囲の湖賊たちは思わず視線を逸らした。


 誰も助けようとはしない。


 湖賊の姫であり、つまり頭領の娘でもある以上、口を挟める者など居なかった。


「怪我は」


 姫は一瞬言葉に詰まる。


 怒鳴られると思っていた。


 殴られるかもしれないとも思っていた。


 だが返ってきたのは怪我の有無を確かめる言葉だった。


「な、ない」


「そうか」


 フレンチは短く頷く。


 それで終わりだった。


 無事なら今は十分であり、説教は後からでも出来る。


 だが戦は待ってくれない。


 そう判断すると、フレンチは初めて戦場全体へ視線を向けた。


 すると状況は最悪で、長引くほどこちらが削られる展開であることが瞬時に把握できた。


 だが戦線を維持し、被害を抑えつつ日暮れまで持たせる必要もある。


 フレンチは三人の息子へ視線を向けた。


 三人ともよくやっている。


 誰か一人でも欠けていれば、とっくに戦線は破綻していただろう。


 本来の想定と異なる盤面が舞台にも関わらず、無難に戦場全体を支えている。


 その働きがあるからこそ、まだ戦線は保たれている。しかし余裕は無く、このまま時間が経てばどこかで綻びが生まれることも明らかだった。


 だからこそフレンチは迷わなかった。


「シーザー!」


「正面を押さえろ!」


「サウザンは右だ!」


「バルサミコは左を食え!」


 現状の追認に過ぎないが、頭領という立場から指示が飛んだ瞬間、それまで三兄弟が背負っていた重荷は大きく軽くなった。


 戦場全体を見る必要はなく、崩れそうな場所を探し回る必要もない。


 自分の持ち場で戦えばいい。


 それだけで良くなったのである。 


 真っ先に動いたのはシーザーだった。


 もともと正面を支えていた舟がさらに前へ出る。


 敵舟との距離を一気に詰めると、そのまま横合いへ潜り込み、勢いを乗せた体当たりを叩き込んだ。


 鈍い衝撃が湖面へ響く。


 共同軍の舟は大きく傾き、兵たちが慌てて体勢を立て直そうとするが、その頃には既に後続の湖賊たちが殺到していた。


 矢が飛び、槍が突き出される。


 動きを乱した舟は瞬く間に包囲され、やがて耐え切れず横転した。


 


 一方、右方へ回ったサウザンは孤立した舟を狙い続けていた。


 共同軍は数こそ多いものの、操船技術の差からどうしても隊列に綻びが生まれる。


 遅れる舟や流される舟、隙間を作る舟。


 そうした一隻を見付けるたびにサウザンは舟を滑り込ませ、自ら仕掛けることもあれば味方へ合図を送り包囲網を築かせることもあった。


 逃げ道を失った舟は次第に追い込まれ、やがて湖面から姿を消していく。


 孤立した舟に逃げ場は無い。


 そして敵舟が減るほど、湖賊たちはさらに自由に動けるようになった。




 左方ではバルサミコが暴れていた。


 彼が好むのは敵兵を倒すことではなく、舟そのものを殺す戦い方である。


 すれ違いざまに斧を振るい、狙うのは兵ではなく櫂だった。


 櫂を失った舟はたちまち動きを乱す。


 向きを変えることも逃げることも出来なくなった舟は、湖の上で進退が極まる。


 そこへ周囲の湖賊たちが群がる。


 こうした戦い方こそが湖賊たちの本領だった。




 狭い隙間を縫うように走り、孤立した舟を食い破り、動きを失った舟を決して逃がさない。


 湖上だけを見れば、その技量差は圧倒的だった。


 沈んでいく舟の大半は共同軍のものであり、各所で押し込まれているのも共同軍だったからである。


 しかし、その光景を見ているフレンチの表情は少しも緩まなかった。


 彼の目に映っていたのは湖岸から飛来する矢だった。共同軍の舟を沈めるたびに、どこかで味方が矢を受ける。舟へ矢が突き刺さり、肩を押さえて蹲る者が出る。そのまま湖へ転げ落ちる者もいる。火矢を受けた舟からは煙が上がり、消火に追われる舟まで現れ始めていた。


 共同軍の舟を沈めても、その代償として味方が傷付く。一団を押し返しても、別の場所で新たな被害が出る。優勢ではあるのだが、その優勢を維持するための代価が重過ぎた。


 共同軍には、何より湖岸を押さえた陸上部隊の援護があり、苦労して沈めた舟の後ろからは次の舟が現れ、戦場は一向に静まらない。


 フレンチは湖岸へ視線を向け、なお高い位置にある太陽を見上げた。


 まだ日は十分に残っている。つまり戦もまだ続くということであり、だからこそ焦らない。無理に勝負を決めようとも思わなかった。


 今日必要なのは勝利ではなく戦線の維持だった。


 夕暮れまで持たせる。


 それさえ出来れば湖は守れる。


 そして、そのための戦いはまだ終わっていなかった。




 フレンチが戦場全体を引き受けたことで、三兄弟は本領を発揮し始めた。


 湖賊たちの中でも特に前へ出て戦うことを得意とする三人が、存分に暴れられるようになったということでもあった。


 もともと三兄弟の胸中には鬱屈したものも少なくなかった。


 妹が勝手に飛び出し、戦場は崩れ、本来なら避けるべき場所で戦わされている。


 想定外の戦を押し付けられた苛立ちは、むしろ三人の闘志を強く燃え上がらせていた。


 各所で共同軍の舟が沈み、湖面には折れた櫂や砕けた舟板が流れ続ける。


 後にこの戦へ参加していた湖賊の一人は、湖上に三体の鬼神が降臨したと語ったという。


 もっとも、それだけ暴れてなお戦は終わらなかった。


 フレンチが危惧していた通り、この戦場は長引くほど湖賊に不利な場所だったからである。


 双方とも次第に限界へ近付き始めていた。


 やがて西の空が赤く染まり始める。


 朝から続いていた戦いも終わりの時間が近付いていた。


 湖上ではなお散発的な矢の応酬が続いていたが、次第に双方の舟は距離を取り始め、無理な追撃も見られなくなっていく。


 そしてフレンチの命令によって、湖賊たちも徐々に戦線から離れ始めた。


 


 だが、その後に始まったのは勝利を祝う時間ではない。


 湖へ落ちた仲間を探し、負傷者を回収し、流された舟を曳航し、一人でも多く連れ帰るための仕事だった。


 湖賊たちは慣れた手付きで湖面へ散っていき、舟板へしがみ付く者を見付ければ引き上げる。


 負傷者を見付ければ手を貸し、流された舟を見付ければ縄を掛ける。


 そして時には、静かに湖面へ浮かぶ仲間へ舟を寄せることもあった。


 それは撃退法が確立されて以降、久しく見なくなっていた光景だった。


 先程まで怒鳴り声を上げていた男が、今は静かに湖面へ揺られている。


 血の繋がった家族ではない。だが、それでも長い年月を共に過ごしてきた仲間であり、その重みは家族と変わらなかった。


 だから誰も騒がないし、勝った負けたを語る者も居ない。ただ黙って舟を寄せ、仲間を引き上げ、帰るべき場所へ連れて帰る。


 夕陽に染まる湖面には、そうした舟が幾つも行き交っていた。


 こうして長い一日の戦いは終わりを迎える。


 しかし、その代償がどれほどのものだったのかを、この時の湖賊たちはまだ知らない。


 そして、その現実こそがフレンチに次の決断を下させることになるのであった。

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