第51話 獲物を探す
大陸歴一四〇七年七月十二日
会議の翌日から、裏手の見張りはさっそく始まった。
といっても、大げさなものではない。誰が何刻から何刻まで立つなどと細かく決めたわけでもなければ、常に誰かが張り付くようなものでもない。今の自分達は街道を襲って生きている賊ではなく、まずはこの場所で暮らしていくために動いている集団なのだから、そんな余裕は無かった。
水を汲む者がいて、薪を割る者がいて、畑を広げる者がいる。その中に、裏手を見る者が一つ増えただけだった。
手が空いた者が登り、別の仕事があれば代わる。子供が混ざる時だけは必ず大人を付ける。それだけ決めて、あとは適当に回している。
そんな日が何日か続いた頃には、それも少しずつ日常の中へ混ざり始めていた。
「お前そっち見てろ。寝るなよ」
「寝ないよ」
「昨日も昼飯食ったあと寝てたろ」
「あれは違うって」
アルスは少し離れた場所から、風に乗って流れてくる声を耳にして、小さく笑った。
昨日まで無かったものが、今日はもう当たり前みたいに動いている。
最近はそんなものが少しずつ増えていた。
見張り場所も、いつの間にか少しずつ変わっていた。
最初はただ斜面を登って、木々の隙間から街道を覗いていただけだったが、何度も登っているうちに少しずつ手が入っていく。
誰かが座るための丸太を運び、誰かが足元の石をどける。見通しを悪くしている枝だけが少し払われていた。
「ここ邪魔だな」
「切るか?」
「いや、切り過ぎると逆に目立つ」
「じゃあ枝だけ払っとく」
誰に言われたわけでもない。
水汲み場や薪置き場と同じで、何度も使っているうちに使いやすい形へ勝手に変わっていく。
ある日、裏手へ周ったアルスは少し首を傾げた。
数日前までただの斜面だった場所に、腰掛けるための丸太が置かれている。足元の石も、いつの間にか片付けられていた。
「誰がやったの?」
「知らない。昨日来たら、もうあった」
その場に居た避難民の男児に聞くと、そういう話らしい。
見張りが始まってから、アルスも時々裏手へ周るようになった。
木々の隙間から見える街道を、何もせず眺める。
少し前まで、自分達は街道から見つからないように行動していた。
だが今は逆で、人が来るのを待っている。
誰かから逃げるためではなく、誰かを襲うために。
「……変な感じだ」
アルスは小さく呟いた。
見張りを始めて四日ほど経った頃、最初の報告が来た。
「荷車一台!」
薪を割っていたアルスは手を止めた。近くにいた何人かも顔を上げる。
街道が見える場所まで登って確認してみれば、確かに荷車はいた。
ただ、それだけだった。
馬は一頭。護衛らしい男が二人。荷台に積まれているのは干し草や農具ばかりで、商売道具というより、どこかの村へ運んでいる荷のように見える。
「……駄目だね」
「何も無いな」
「戻るか」
集まった面々は、そのまま何事も無かったように散っていった。薪割りをしていた者は薪割りに戻り、水を運んでいた者は桶を持って下へ降りていく。
見張りを始めたからといって、毎回何か起きるわけではない。
それから二日後の発見は逆だった。
荷馬車は八台。馬も多い。護衛の姿も見えているだけで二十人を超えていた。
「多いな」
「多いね」
アルスは木の陰から街道を見下ろした。
「あれ駄目なの?」
見張りをしていた子供が少し不思議そうに言った。
「いっぱいあるのに」
リッキーは木の幹にもたれたまま笑った。
「いっぱいあるから駄目なんだ」
「何で?」
「大物が消えたら、大物が探しに来るからだ」
「……ああ」
分かったような分からないような顔をしていたが、アルスは少しだけ納得した。
自分も数日前なら、多分同じことを考えていた。
荷が大きいということは、それだけ利益も大きいのだろう。だが、大きな荷には大きな理由が付いてくる。
軍の物資かもしれない。大店の商隊かもしれない。
もしそんなものを消せば、ただ荷が消えたでは済まない。捜索隊でも出されたら、この拠点そのものが危うくなる。
「やめよう」
誰も異論は無かった。
その翌日には、奴隷商隊らしきものが現れた。
荷馬車二台。
縄で繋がれた人数は十人ほど。
思わず何人かが顔を見合わせた。
「それっぽいな」
けれど近付いてくるにつれ、その空気は少しずつ消えていった。
前に二人。後ろに二人。
それだけではない。
荷馬車の横にも四人ほど歩いている。さらに後方にも数人いた。
「……多いな」
「護衛だけで十人超えてます」
その日、見張りを務めていたオットーは目を細めた。
「何か理由がありそうですね」
結局、その日も見送り、また数日が過ぎた。
少しずつ、報告自体は増えていた。
最初は誰かが「何か来た」と叫んでいたものが、そのうち「荷馬車何台」「人数何人くらい」と変わり始める。
誰に言われたわけでもない。見て、報告して、それを繰り返しているうちに自然とそうなっていた。
「何台だ?」
「二台!」
「馬は?」
「……え?」
「護衛は?」
「えっと……」
最初の頃はそんなやり取りばかりだった。
数を聞かれても、どこを見れば良いのか分からない。街道を見ているつもりでも、目に入るのは荷車だけだったり、人だけだったりする。
けれど何度か答え合わせをしていくうちに、少しずつ見る場所が変わっていった。
荷馬車の数。馬の数。人数。そして護衛の位置。
大陸歴一四〇七年七月二十三日
それからさらに二日ほど過ぎ、見張りを始めてから十日以上が過ぎていた。
アルスが薪を束ねていると、坂道の方から足音が近付いてきた。
「来た!」
息を切らした子供が、少し興奮した様子で叫ぶ。
「荷馬車二台!」
「人数は?」
「十人……いや、もっといる!」
「護衛は?」
「わかんない!」
そこまで言ったところで、後ろから一緒に見張りをしていた大人が歩いてくる。
「人数まではまだ見えてない。ただ、荷馬車二台だ」
アルスは立ち上がった。
「見に行こう」
何人かも道具を置いて立ち上がり、斜面を登り裏手へと周ると木々の隙間から街道が見えた。
街道そのものは遠い。顔までは分からないが、荷馬車の形や人数くらいなら十分見える距離だった。
「あれか」
荷馬車は二台。
御者台には一人ずつ人影があり、その前にも二人、後ろにも三人が歩いている。そして二台の荷馬車の間には、まとまって歩いている集団が見えた。
アルスは目を細める。
何人かの男が歩いているだけに見えた。
「……縄?」
距離があるせいか、最初はよく分からなかった。
けれど目を慣らしていくうちに、それが一本の縄で繋がれていることに気付く。手首を一人ずつ縛っているわけではない。何人かをまとめ、列を崩さないようにしているらしかった。
数は十二人だろうか。
服装も揃っていない。だが体格を見る限り、農民というより兵士に近い。
「十二……かな」
「護衛は前二、後ろ三……御者も入れて七」
七人。
想定していた数字と、ほとんど変わらない。
誰もすぐには何も言わなかった。
アルスは、もう一度街道へ視線を戻した。
鎧だけを失った兵士らしき男達は、黙って前を向いたまま歩いていた。
一本の縄に繋がれ、荷馬車に挟まれながら、南西へ向かっている。
二台の荷馬車に十二人ほどの奴隷。そして護衛は七人。
会議で並べていた条件が、そのまま目の前へ現れたようだった。
「……どうする?」
誰かが小さく言った。
少しだけ沈黙が落ちる。
アルスは街道を見たまま答えた。
「あれにしよう」
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