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第50話 袋小路の先

 大陸歴一四〇七年七月十一日


 拠点へ戻った頃には、陽は既に西へ傾き始めていた。


 砦跡の周囲では今日も人が動いており、運び込んだ木材を切り分ける者や畑の土を均している者、水桶を抱えて歩いている者の姿が見える。少し離れた場所では、子供達が何かを追いかけながら走り回っており、笑い声まで風に乗って聞こえてきていた。


 数か月前には崩れた石壁と草しかなかった場所だったことを思えば、その変化は十分すぎるほど大きかった。


 まだ何もかもが足りていない。建物も道具も不足しており、畑も収穫には遠い。それでも、この場所は少しずつ人が暮らす場所になり始めていた。


 荷台を引いていたレオンが、不意に何か思い出したように顔を上げる。


 「……あ」


 アルスが振り返った。


 「どうした」


「そういえば、例の庵を確認するのを忘れていました」


 「ああ、あの人の気配だけする場所か」


 「ええ。また今度ですな」


 マティアスが言うと、レオンが苦笑する。


 「今日は別の話ばっかりしてましたからね」


 そう言われて、アルスも少しだけ笑った。


 確かに、今日はずっと別のことを考えていた。


 夕方になる頃には、運び込んだ荷の整理も一通り終わっていた。


 塩や釘は倉庫代わりに使っている建物へ運ばれ、馬も繋がれ、日中の慌ただしさも少しずつ落ち着き始めている。


 ただ、そこに至って尚、帰り道で話していた内容だけは頭から離れなかった。


 しばらくして、近くを通り掛かったゼダンへ声を掛ける。


 「少し集まってもらっていい?」


 ゼダンが足を止めた。


 「何かありましたか」


 アルスは少し考えてから言う。


 「さっきの話、もう少し詰めたいんだ」


 ゼダンは何も聞き返さなかったが、少しだけ視線を向ける。


 「誰を呼びますか」


 アルスも少し考える。


 「ゼダンとマティアスとレオンはそのままで、後は……クラウスとティム、それからリッキーも」


 「実際にやる話になるなら、俺だけじゃ分からないことが多すぎると思う」


 ゼダンは小さく頷いた。


 「承知しました」




 全員が集まった頃には、空はすっかり赤く染まり始めていた。


 アルスの家の前の広場へ、適当に木箱や丸太を運んで腰を下ろしていく。


 クラウスは近くに落ちていた枝を拾って手元で弄び、ティムは弓を脇へ立て掛ける。リッキーは適当な木箱へ腰を下ろしたまま、足を投げ出していた。


 アルスは全員の顔を見回してから口を開いた。


 「帰り道で話してたことなんだけど、金を得るのに策が無いし、賊しかないかという話に成ってね……奴隷商人が狙い目だって話、もう少し現実的に考えてみたい」


 言葉が落ちる。


 だが意外にも、誰も驚かなかった。


 帰ってくるまで散々話していた内容であるし、拠点に残っていた人間からしても、不思議に思う話でもない。


 アルスは続ける。


 「やるかどうかはまだ置いとくとして、もしやるなら何が出来て、何が無理なのかを知りたい。今の俺たちで、どこまで相手できるのかなって」


 少し考えていたゼダンが口を開いた。


 「まずはこちら側の人数ですな」


 「三十八人全員を連れて行く訳にはいきません」


 レオンも頷いた。


 「畑などの仕事がありますし、女子供もいます。幼児を抱えて突撃という訳にもいきません」


 マティアスが腕を組む。


 「戦える人間だけで考えるべきでしょう」


 アルスは少し考える。


 今の拠点は人数こそ増えていたが、その全員が戦える訳ではない。


 避難民として流れてきただけで、戦いなど経験したことのない者が多かった。


 するとリッキーが口を挟む。


 「戦えるって言ってもなあ、木切るのと人斬るのは別だ。数だけいても意味ねえぜ」


 その言葉に誰も反論しなかった。


 ティムも頷く。


 「まあ全員が全員駄目とは言わねえが、少しは選ばなきゃ足引っ張られるだけだな」


 クラウスは手元の小枝を地面へ置きながら言った。


 「待ち伏せするなら地形もありますけど、結局は止める役と囲む役が必要です。少ないと抜かれます」


 しばらくしてゼダンが静かに言った。


 「仮に十人程度の奴隷を運ぶなら、護衛は何人程度だろうか」


 マティアスは腕を組んだまま少し考える。


 「十人なら十人近く付けると思います……いや、そこまでは出さないかもしれませんね」


 アルスが首を傾げる。


 「その意味は?」


 マティアスは頷いた。


 「相手からすると運ぶだけですから、奴隷が逃げなければいい。しかも縛っているなら、そこまで人数を付ける意味もありません」


 ゼダンが頷いた。


 「確かに縛っているなら無駄に見張りを増やす必要はない」


 マティアスも頷き返した。


 「ええ。なら五、六人程度かと。逆に三十人、四十人も連れているなら話は別です。人数が増えれば護衛も増えますし、仮に護衛が少なくても、今度は奴隷側が暴れ始めた時に抑え切れなくなります」


 リッキーが鼻で笑った。


 「そりゃそうだ。護衛が十人いても、荷が三十人暴れたら結局大騒ぎだ」


 レオンが苦笑する。


 「結局、ほどほどの獲物探しですね」


 クラウスも頷く。


 「少なすぎても駄目です」


 アルスが視線を向けた。


 「どうして?」


 クラウスは地面へ置いた小枝を軽く動かしながら答えた。


 「一人二人なら、行商と変わりません。命張る割に、中身が干し肉だけだったら最悪です」


 今度はリッキーが笑った。


 「逆に大きすぎると、今度は俺たちが狩られる側だな」


 言われてみれば、その通りだった。


 大きすぎても駄目。


 小さすぎても旨味がない。


 しかも逃がしても駄目だった。


 今まで考えていたのは、ただ「襲えるかどうか」だった。


 だが今は違う。


 初めて、その中身を考え始めていた。


 アルスが問う。


 「実際、奴隷商人に拘ってるわけではないよね。例えば小さな商隊や、行商のような者を見つけたら、それでも良いという話だね」


 ゼダンは間髪入れず頷いた。


 「ええ。その考えで間違いはありません。ただ、奴隷商人には利点があります。遠目でも判別しやすく、しかもフォーゲル側から流れて来るのであれば、向かう先もある程度予測できます。裏手で確認してから先回り出来るという話ですな」


 少しだけ間を置いて続ける。


 「ですが、今砦主が言われたような小さな商隊や行商人ではそうはいきません。どこへ向かうかも分かりませんし、荷の中身も見えない。苦労して襲っても、大した物を持っていない可能性があります」


 誰もすぐには口を開かなかった。


 狙いやすさだけで言えば、奴隷商人の方が都合は良い。


 向かう先もある程度読めるうえに、荷以外にも馬や武器が手に入る。更に人まで増える可能性がある。


 話だけを聞けば、悪くない条件にも思え皆が成功した場合ばかりを考えていた。


 だがしばらくして、レオンが顎へ手を当てながら小さく口を開いた。


 「……でも、もし賊行為をするなら、失敗した時のことも視野に入れるべきではないでしょうか」


 言葉が落ちた瞬間、それまで動いていた会話が不意に止まった。


 今まで話していたのは、何人なら相手に出来るかという話だった。


 何人を連れて行き、護衛が何人までなら狙えるのか、どの程度の規模なら勝てるのか。


 だが今出たのは、その先だった。


 勝てるかどうかではなく、失敗した時に、何が起こるのかという話だった。


 レオンは続ける。


 「例えば、一人でも逃げられたらです。護衛でも奴隷でも誰でも良いですけど、『誰かに襲われた』だけではなく、『この辺に何かいる』って報告された場合です」


 誰もすぐには答えなかった。


 今の自分たちは、既に領主の管理の外側で勝手に動いている。


 放棄された砦を使って拠点を作り、人を集め、畑を作り、少しずつ共同体として形を作り始めていた。


 そして何より、ここは偶然選んだ場所ではない。


 フォーゲルとエリクセンを繋ぐ街道を見下ろせる場所であり、敵の動きを見るために選んだ喉元だった。


 もし今の状態が知られれば、ただの避難民の集まりでは済まされない。


 誰かが何をしているのか、確かめに来ると考えるべきだった。


 それは最初はただの確認の隊かもしれない。


 あるいは端から賊と決められ、正規軍による討伐かもしれない。


 今の自分たちでは、そんな相手を正面から受け止められるほどの力はまだ無い。


 アルスはしばらく黙ったまま視線を落としていたが、やがて小さく言った。


 「……失敗できないな」


 今の自分たちは弱いから、大きな相手を狙えないのではない。


 一度でも痕跡を残せば、そのまま終わりへ繋がってしまう恐れがあるからだ。


 拠点が消えるだけでは済まない。


 自分たちを含む、ここで暮らしている人間ごと全部失うことになる。


 その事実だけが、今まで獲物の大きさを考えていた話を一気に別の重さへ変えてしまっていた。


 アルスは広場の向こうへ視線を向けると、夕方の作業はもう終わり掛けていた。


 水桶を抱えていた者たちも、それぞれの建物へ戻り始めている。


 あとはこの話が終われば、皆で材木の引き上げ訓練へ移るだけだった。


 いつもと変わらない光景だった。


 人が働いていて、人が笑っていて、明日のために動いている。


 だが、その全部は余裕のある上に積み上がっている訳ではなく、少し足を踏み外せば崩れる程度の場所でしかなかった。


 もし他に方法があるなら、そちらを選んでいたかもしれない。


 だが、今の自分たちにはそれを探している時間も、何かを生み出す元手も無い。


 しばらく黙っていたアルスは、ようやく小さく口を開いた。


 「……やるしかない。先のことはまだ全然分からない。一回だけで終わるのか、それとも何度もやることになるのか。今だけなのか、この先も続くのか、そこまではまだ考えられてない」


 言葉はそこで少し止まる。


 それは投げやりだからではなかった。


 今は先を見るより先に、まず目の前にある袋小路を抜けなければならない。


 アルスはもう一度前を見た。


 「……でも、やろう」

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