第49話 現実的な手段
大陸歴一四〇七年七月十日
翌日、フェルデンを出てからしばらくの間、誰も口を開かなかった。
荷台に積まれているのは、塩と釘、それに糸と油だけだった。
必要な物ではあるが、それだけだった。
布もあった。鶏もあった。道具もあった。
欲しい物がなかったわけではなく、ただ自分たちには買えなかっただけだ。
アルスは荷台の端へ視線を向けたまま、小さく息を吐く。
このままでは、また同じことになる。
ディーから借りた金も、残りはそう多くない。
畑はまだ実りには遠く、建物を建てたところで腹が膨れる訳でもない。
今のアルスたちには、売れる物がなかった。
「……何かないかな」
ぽつりと漏れる。
「金を作る方法」
前を歩いていたレオンが笑う。
「大儲けする方法ですか」
「いや、そんな大金じゃなくてさ。少しでも回るような何か」
少しの沈黙。
その後で、マティアスが口を開いた。
「物を作れないのであれば、運ぶ方に回るという手はあります」
アルスが顔を上げる。
「運ぶ?」
「拠点の向こう側です」
マティアスは進行方向へ軽く視線を向ける。
「バウム領へ入るまでの辺りは、おそらくグライフ領ですが、あの辺りは管理がかなり薄いはずです」
「薄いというより、放置ですね」
レオンが軽く引き継ぐ。
「税を取る人間も来ないし、兵も見ません。前に覗いた村は、管理されてるはずのバウム領でしたが賊化してましたよね」
「そうだったね。あの時は身の危険を感じて、すぐ撤収したんだったね」
マティアスは小さく頷く。
「あそこですら賊化していたのです。グライフ領の村はもっと酷いでしょう。そしてそういう場所は、隣村同士ですら繋がりが薄いことがあります」
「必要な物があっても手に入らない。逆に余っていても外へ出ない」
「もし、その間へ入れるなら――」
アルスが言葉を拾う。
「……行商みたいな感じ?」
「ええ。あるいは御用聞きでも構いません」
「欲しい物を聞いて回り、別の場所から持ってくる」
「その間で利鞘を取れれば、少なくとも金は回り始めます。金の無い村なら、代わりに別の物を受け取れば良いでしょうし」
アルスは少し考える。
作れないなら運び、持っていないなら間に入る。
それなら今の自分たちにも出来るかもしれない。
少しの間を置いて、ゼダンが頷いた。
「……悪くない。少なくとも、何もないよりはずっと良い」
行き止まりだと思っていた場所に、ようやく細い抜け道が見え始めていた。
しばらくの間、誰も口を挟まなかった。
頭の中で、それぞれが形を組み立てていた。
どの村を回り、何日掛け、その為には何人必要なのか。
少し前まで何もなかった場所に、ようやく考える先が出来ていた。
だが、その考えはすぐに別の壁へ突き当たる。
「……あれ」
アルスが眉を寄せる。
「最初って、何持って行くの」
誰も答えない。
アルスは続ける。
「いや、だってさ。村に行って、『何か必要な物ありませんか』って聞くのはいいけど、その後どうするんだろう。他の村と交換してきます、って言っても……」
そこで言葉が止まる。
考えるまでもなかった。
何も持っていない人間へ、自分たちの生産物を預ける者はいない。
まして、顔も見たこともないような集団ならなおさらだった。
ゼダンが腕を組む。
「信用がありませんね」
「担保もありません」
マティアスも続ける。
「最初に何かを回し始めるための元手が必要です」
「……うちに何かありましたっけ」
レオンが難しい顔で言うが、その後には誰も続かなかった。
塩も、釘も、糸も、油も、自分たちが使うために買ったものだった。
売るためのものではない。
行商をするにも元手がいるが、その元手がない。
しばらくして、ゼダンが前を見たまま静かに口を開いた。
「……だったら、奪うしかありませんな」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
ゼダンは前を向いたまま続けた。
「この拠点の立地を使うのです」
拠点から北西へ進めば、エリクセンとフォーゲルを繋ぐ街道へ出られる。
南西へ向かえば、バウムゼン側へ続く道へ辿り着く。
そしてその二本は少し離れた位置で交差している。
拠点そのものは街道から外れているが、完全に切り離されている訳ではない。
むしろ裏手から見下ろせば、直接降りる道は無いものの、エリクセン-フォーゲル街道を真下に確認できる位置にあった。
ディーがここを紹介した時にアルスが口にした「喉元」という言葉は、まさにこの位置関係を指していた。
「流れが見える場所です。ならば、その流れを押さえることも、荒らすこともできましょう」
アルスは眉を寄せる。
「……やっぱり、街道に手を出すしかないかな」
「ええ」
ゼダンは淡々と頷いた。
だがアルスは即座に首を振る。
「まだ無理だよ。軍を襲ったら正規軍が来るし、徴税隊なんか襲ったら絶対終わると思う。それに商隊だって同じだよ。襲われたって分かったら、絶対探される」
ゼダンは否定しない。
ただ静かに聞いていた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
アルスの言っていることは正しい。
奪うとしても、相手は何でも良い訳ではない。
その沈黙の後で、ゼダンが静かに口を開いた。
「追われにくく、なおかつ荷を持つ相手が必要ですな。……ならば、奴隷商人に絞ってみてはどうでしょう」
アルスが顔を上げる。
「……奴隷商人」
「はい。軍ほど大きく動きませんし、徴税隊ほど執拗に追われる理由も薄いでしょう。商隊のような大規模な護衛も少ないはずです」
ゼダンは前を向いたまま続ける。
「それに、得られる物も荷だけではありません。馬車も得られますし、武装や馬も手に入るでしょう」
一拍だけ間が空く。
「……そして、人も」
アルスは眉を寄せる。
「人って……奴隷?」
ゼダンは頷いた。
「フォーゲル側から流れてくる奴隷商人が連れているのであれば、おそらく戦時奴隷でしょう。ナユリ王国兵です。捕虜として確保され、身代金が支払われなければ、軍費にするため奴隷として処理される。そして払い下げられた奴隷は、商人の手で各地へ流されます」
マティアスが腕を組む。
「領内に敵兵を大量に抱えるのは、フォーゲルとしても面倒でしょう。バウム領のような他の領地へ流した方が都合は良いでしょう。あそこなら人も物も集まりますから」
レオンが小さく呟く。
「でも絶対じゃないですよね」
ゼダンは頷いた。
「ええ。エリクセンへ向かう可能性もありますし、他へ流す可能性もあるので、見つけても空振りは十分あります。ただ、もしバウムゼンへ向かうのであれば話は別です」
ゼダンは続ける。
「裏手で確認して即座に動けば、先に南西側へ回り込めます。もちろん確実ではありませんが、待ち伏せ自体は可能でしょう」
拠点から南西へ出れば、バウムゼンへ続く街道へ先回りすることは十分可能なはずだ。少なくともこの距離であれば、裏手で見つけてから動いても間に合う。
レオンが少し考える。
「でも、それだと本命の金や荷より、人が邪魔になりますよね。追い出しますか」
その言葉で、少しだけ空気が止まった。
アルスも考える。
追い出す。
言葉にすれば簡単だった。
だが、次の瞬間には別の問題が浮かぶ。
「……いや、待って。追い出すのは無理だと思う。一回こっちへ連れてきたら出ていかせる訳にはいかないし、拠点の場所が知られたら今度は俺たちが終わる」
誰も否定しなかった。
街道を見下ろせるこの場所も、今は知られていないから意味がある。
知られれば終わる。
しばらくしてから、マティアスが静かに言う。
「……なら抱え込むしかありませんね。出せないなら、中へ入れるしかない」
アルスは少しだけ視線を落とした。
そして考えるように言う。
「奴隷から解放して……その代わり、俺たちの仲間になってもらうってことか」
アルスはそれだけ言うと、そのまま口を閉ざした。
先ほどまで話していたものとは、少し性質が違っていた。荷を奪うだけではない。馬車や武器だけでもない。
人そのものを、自分たちの側へ取り込む話になっていた。
沈黙の後で、マティアスが静かに言う。
「しかも、戦時奴隷なら元は兵でしょう」
アルスが顔を上げる。
「兵?」
「ええ。ナユリ王国兵なら、少なくとも戦場経験者です。男が多くなるでしょうが、戦える人間が増えるという意味では悪くありません」
ゼダンも続ける。
「数だけ増える訳ではありませんな。仮にフォーゲルを敵とするのであれば、共通の敵と言う意味で利害も一致する可能性があります」
アルスは何も言わなかった。
視線だけが前へ向く。
荷を奪い、金を得る。
そこまでは分かる。
だが今は、その先まで話が進んでいた。
今までは、人を受け入れてきた。それもディーの紹介という、行き場を失った者という分かりやすい立場の人間に、居場所を作ってきただけだ。
だが今話しているのは、そうではなく、自分たちから奪いに行き、その結果として人を抱え込む話だった。
生き残るために人を集めることと、生き残るために誰かを襲うことは、同じようでいて少し違う。
その違いだけが、胸の中に重く残っていた。
馬車は揺れ続けている。
遠くには木々の切れ間から、街道が細く見えていた。
アルスはしばらくそれを見たまま、ようやく小さく口を開いた。
「……一度、本気で考える必要がありそうだな」
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