第47話 増えた声
大陸歴一四〇七年七月一日
マティアスとレオンが拠点へ帰還してから、七日が過ぎていた。
あれほど静かだった拠点は、今では夜明け前から人の気配で満ちている。
まだ陽も昇り切らぬ内から、炊事場では火が起こされ、水場では桶の触れ合う音が響き、長屋建設へ回る男達が材木を抱えて行き交う。以前までなら朝に聞こえる音と言えば、夜明けを告げる鶏の鳴き声か、薪を割る斧の音くらいのものだったが、今は違う。誰かが誰かを呼び、その返事が返り、別の場所では指示が飛ぶ。その全てが絶え間なく重なり合い、拠点全体が朝から動いていた。
無論、それは良いことばかりではない。
保存庫の中身は、以前より目に見えて減るのが早くなっていた。
「……干し肉、また減ったな」
朝の確認を終えたアルスが呟くと、保存庫の整理をしていたオットーが肩を竦めた。
「そりゃあ二十人近く増えりゃ減りますよ。むしろ今までが減らなさ過ぎたんです」
そう言いながらも、オットーの手は止まらない。
これまでは、保存食作りも燻製作業も、ほぼ彼一人で回していた。だが今では避難民の女達が補助へ入り、干し肉を吊るす者、塩漬けを作る者、保存棚を整理する者と、作業自体が完全に分業化され始めている。
その代わり、塩の減り方が異常に早かった。
「砦主、塩は次の買い出しで優先した方がいいと思います」
「そんなにか」
「そんなにです。あと香草類も。……いや、まあ、飯が美味くなったのは良いんですがね」
そこまで言ってから、オットーが苦笑する。
実際、食事は目に見えて変わっていた。
避難民の母親達が炊事へ加わったことで、温かい汁物が並び、肉には香草が使われるようになった。その分だけ塩や調味料の減り方も早い。
人数が増えたことで、建設速度も目に見えて上がった。ウォルフとヘルガ夫妻だけで回していた頃とは比較にならない速度で長屋の骨組みは組み上がり、切り出された材木も次々と加工されていく。だが、その分だけ木材の消費も早かった。
「お、砦主。丁度良かった」
建設現場の方から、ウォルフが片手を上げた。
肩には木屑が積もり、既に朝から作業へ入っているのが分かる。
「今の人数なら、次の長屋も早めに組み始めた方が良さそうだ。今ある分だけじゃ、増えたらまた足りなくなる」
「俺もそう思ってた。突然増えるなんて考えてなかったからな……」
「人手はある。前より大分早く進むぞ」
そう言ってから、ウォルフが視線を森側へ向ける。
「……まあ、その分、木材の減り方も洒落にならんが」
だがそれは、建設が進んでいるということでもあった。
「ヴァルターの方は?」
「朝からもう入ってる。人数増えたお陰で伐るのは楽になったが、選別に時間が掛けられなくて大変らしい」
「ふ……そうか。でも、それなら当面は回るかな」
「夕方の引き上げが追い付けばな」
ウォルフが苦笑する。
その言葉通りだった。
人が増えたことで、拠点は確かに動き始めている。その代わり、何もかもが以前より速く減るようになっていた。
「砦主、少し宜しいですか」
今度は別方向から声が掛かった。
避難民の中年男が、どこか遠慮気味に歩み寄って来る。
「採集班の件で……。昨日より、もう少し南側まで入ろうかという話が出ています」
「近場が減って来たか」
「はい。人数が増えた分、どうしても」
それも当然だった。
採集量自体は以前より遥かに増えている。だが、採れる場所が無限に広がっている訳ではない。人数が増えれば、その分だけ周辺は早く薄くなる。
「……分かった。今日はマティアスが外へ出る。帰ったら地図確認だ」
「承知しました、砦主」
男は深く頭を下げ、そのまま去って行く。
気付けば拠点の中では、誰もが自然にそう呼ぶようになっていた。
若様ではなく砦主と。
昼前、狩猟組が鹿を一頭抱えて戻って来た。
前はそれだけで拠点中の視線が集まっていたが、今では建設や伐採の音に紛れ、拠点全体が動き続けている。
「オットー! 持って来たぞ!」
「おう、そっち置いとけ!」
保存庫脇では、既に解体用の台が組まれていた。
保存食と同じく、オットー一人で回していた解体作業も分担された。結果、効率は良くなってるのだが、狩猟そのものは別だった。
「人数増えたなら、狩りももっと増やせるんじゃないですか?」
避難民の男の一人がそう言うと、鹿を降ろしたゼダンが苦笑する。
「そんな簡単な問題ではない」
横で弓弦を確認していたティムも、小さく頷いた。
「人数増やしゃ、逆に獲物逃がす。森に慣れてねえ奴が混ざると危ねえしな」
「罠も同じだ」
クラウスが回収して来た罠を並べながら口を挟む。
「場所覚えるだけでも時間掛かる。誰でも出来る仕事じゃねえ」
結局、人数が増えても、狩猟だけは以前と同じ顔触れで回り続けていた。
養鶏小屋の周囲は、以前より随分と騒がしくなっていた。
「だからそっちは卵用だって! 踏むなよ!」
小屋の前で声を張り上げているのは、相変わらず養鶏担当の男児だった。
以前までは、一人で水やりから掃除まで全てを回していたが、避難民の子供達が加わったことで、最近は完全に“教える側”へ回っている。
もっとも、本人にその自覚があるかは怪しかった。
「水は先に替えろって言っただろ! あと薪! 薪は乾いてる奴選べ!」
「わ、分かってるよ!」
「分かってねえから言ってんだよ!」
先輩ぶった声を出しながら、小屋の中を忙しなく走り回っている様子を見ていたアルスは、思わず小さく笑った。
新しく補助へ入った子供は二人。
どちらも避難民側の年長組で、今は水運びや薪拾い、小屋掃除などを手伝っている。
「砦主! 今ならもっと増やせると思うんだよ!」
丁度その本人が、鶏を抱えたまま勢い良く振り向いた。
「増やせる?」
「人手あるし、前より掃除も早いし、卵も増えて来た。絶対もっといける!」
興奮した様子で一気に捲し立てる。
以前なら、増やそうと努力するだけで精一杯だった少年が、今は増やした先のことまで考えるようになっている。
その横では、以前まで薪拾いへ回っていた孤児の妹が、今は幼い子供達の手を引いて歩いていた。
「こら、走ると転ぶよ」
鶏を追い掛けて転ぶ子供を追い掛けながら、慣れたように声を掛けている。
気付けば、この拠点には教わる側だった者達が、少しずつ教える側へ回り始めていた。
「……前より、随分賑やかになったな」
アルスが呟くと、近くで柵を直していた男が苦笑した。
「子供が増えると、こういうもんですよ」
そう言ってから、男はふと思い出したように馬の方へ視線を向ける。
拠点脇へ繋がれている三頭の馬は、以前と変わらず静かに草を食んでいた。
「しかし、鶏増やせるなら、馬も何とかならんもんですかね」
「馬を?」
「今いるじゃないですか。だったら、その内増やせねえかなって」
「簡単に言うなあ……」
近くにいた別の男が呆れたように笑う。
「冬越し考えるなら、山羊なんか居ても良いかもしれませんな」
「乳も取れるしな」
そんな話が自然と飛び交う。
少し前まで、この拠点で交わされていたのは、今日食べる物があるかという話ばかりだったが今は違う。
増やせるか。育てられるか。冬を越せるかと、そんな先の話をする人間が増え始めていた。
そして、それはきっと悪い変化ではなかった。
陽が傾き始める頃になると、活動していた者達が少しずつ集まり始める。
採集班が籠を背負って戻り、建設組が工具を片付け、畑の拡張へ回っていた男達も土に汚れたまま戻って来る。
ようやく畑にも継続して人手を回せるようになっていた。
そして拠点の空気がもう一段変わる。
「よし、持て!」
湖側の斜面から、ゼダンの声が響いた。
伐採された材木を、湖畔側から拠点まで引き上げる作業。
ゼダンが提案した、夕方の戦闘訓練前に全員で材木を引き上げる形での準備運動だ。
そう言えば聞こえは良いが、実際には全身を使う力仕事である。
「踏ん張れ! そこで止めると余計きついぞ!」
掛け声と共に、縄を握った男達が一斉に身体を倒す。
避難民側の男達も、最近はこの作業へ加わり始めていた。
最初の頃は途中で息を切らしていた者達も、今では最後まで縄を離さなくなっていた。
そして、その先頭には――。
「砦主! 前出過ぎです!」
後方からゼダンの怒鳴り声が飛ぶ。
振り返るまでもなく、言われている相手は分かっていた。
縄の最前列の最も負荷が掛かる位置で、アルス自身が丸太を引いている。
「いや、人数足りてるなら前の方が――」
「そういう問題じゃねえ!」
ティムが半ば呆れたように吐き捨てる。
「砦主が真っ先に潰れてどうする」
「潰れてないって!」
「今はまだな!」
周囲から苦笑が漏れた。
もっとも、笑いながらも誰も手は止めず、掛け声と共に再び丸太が少しずつ斜面を登り始める。
避難民側の男達も、息を荒げながら縄を引いていた。
木を運び、畑を広げ、槍も握り始め、少しずつ、この拠点の暮らしそのものを支える側へ回り始めていた。
材木を引き上げ終える頃には、辺りはもう夕焼けへ染まり始めている。
そのまま広場では槍訓練が始まり、怒鳴り声と足音が拠点内に響き渡った。
「腰落とせ!」
「槍だけ前に出すな!」
汗を流しながら槍を構える男達を眺めていた時、不意に入口から声が掛かる。
「砦主」
振り向けば、そこにはマティアスとレオンの姿があった。
二人とも外套へ土埃を付け、手には巻いた羊皮紙を抱えている。
「南側、少し見て来ました。採集時の踏み跡も増えて道に成りつつあります。そろそろ地図にまとめた方が良いかもしれません」
そう言いながら、レオンが小さく肩を回した。
避難民到着後、二人は内部対応へ回る時間が増えていたが、今日からようやく本格的に周辺調査を再開出来るようになったのだ。
それはつまり、拠点全体に少し余裕が戻り始めたという事でもある。
アルスは、夕暮れの砦を静かに見渡した。
長屋建設の音。鍋を掻き回す音。子供達の声。訓練の掛け声。
以前より遥かに騒がしくなった拠点の中で、それでも不思議と、ようやく“元の動き”が戻って来たような感覚があった。
人が増えたことで問題も増えた。だが同時に、この拠点は少しずつ、生き延びるだけの場所ではなくなり始めていた。
その実感だけは確かだった。
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