第45話 北方見聞録③
昨日は2話更新しています。読み飛ばしに、ご注意ください。
大陸歴一四〇七年六月二十五日
その言葉が落ちたあと、広場にはしばし静かな間が生まれた。
朝の空気はまだ僅かに冷たく、家の脇へ積まれた薪の匂いが、風に乗って微かに流れて来る。
丸太へ腰を下ろしたまま、アルスは少し考えるように視線を落としていた。
正規軍ですら所在を掴み切れていない湖賊の根城。
それも、半ば成り行きのまま足を踏み入れたなどと言われても、すぐには現実感が湧かない。
先に口を開いたのはウォルフだった。
「……で、実際どうだった」
短い問いに、レオンが苦笑混じりに肩を竦める。
「いやあ、正直な話をするとですね。俺もマティアスさんも、もっとこう……酒臭い荒くれ共が集まってるような場所を想像してたんですよ。ところが、着いてみれば随分と予想が違ってましてね」
マティアスが静かに後を継ぐ。
「湖の中央よりでしょうか、浅瀬になっていました。深い所を縫うようにしばらく船で進み、その先に見えて来たのは、島とも中州ともつかない場所です。浅い湖面へ無数の杭を打ち込み、その上へ桟橋や小屋を継ぎ足して作り上げた集落でした」
ティムが感心したように眉を上げる。
「集落って……そんな大きいのか?」
「ええ」
マティアスは頷いた。
「もっとも、一つの土地へ綺麗に纏まっている訳ではありません。船を半ば家代わりにしている者も多く、桟橋や浮橋で繋がっている場所もありました。陸の町というより、水の上へ無理やり広げた生活圏と言った方が近いでしょう」
アルスは自然とその光景を思い描いていた。
陽を反射する湖面の上へ突き出した無数の杭。
古い船殻へ板を渡し、さらに別の小屋を繋ぎ合わせながら、長い年月を掛けて少しずつ膨らんでいった奇妙な集落。
まるで湖へ根を張るように作られた町だ。
レオンが笑う。
「しかも意外だったのが、普通に暮らしてるんですよ、あいつら。網を直してる爺さんが居て、魚を捌いてる女衆が居て、その横を子供が走り回ってる。賊の根城っていうより、湖の漁村をそのまま大きくしたみたいな場所でしたね」
ゼダンが腕を組みながら、小さく頷いた。
「……湖で生きる者達の町、か」
ティムが感心したように息を漏らす。
「なんか面白そうな場所だな、それ」
「面白い、で済ませていい場所ではありませんでしたがね」
マティアスが苦笑する。
「まあ、退屈はしませんでしたが」
その横で、ウォルフが腕を組んだまま低く唸る。
「……杭を打って桟橋を継ぎ足したと言ったな」
「はい」
「湖の上で、それだけのもんを維持してるなら、相当慣れた手が居るぞ」
職人としての視点なのだろう。
ウォルフは僅かに眉を寄せながら続ける。
「しかも話を聞く限り、後から継ぎ足し続けてる。そりゃ片手間じゃ無理だ」
「ええ。実際、船大工のような連中もかなり居ました」
マティアスが頷く。
「それに、あそこだけで暮らしている訳でもないようでした」
アルスが視線を上げる。
「どういうこと?」
「湖の中には、似たような場所が他にも点在しているそうです。同じように、小屋や桟橋を広げて暮らしていると案内していた男が話していました」
ゼダンが腕を組む。
「一ヶ所に集まっている訳ではないのか」
「ええ」
マティアスは静かに頷いた。
「普段はそれぞれ分かれて生活し、必要な時だけ集まる形なのでしょう。漁をしながら暮らしている者が多いようでした」
レオンが続ける。
「まあ、魚だけで食ってる訳でもないみたいで、頭領の指示で賊仕事や密輸のような事もしているみたいですね。案内役の男も、昔は戦場で槍持ってたとか言ってましたし、元兵士や傭兵崩れが多いみたいな話はしていました」
ティムが少し眉を上げる。
「じゃあ、戦争帰りの連中が、そのまま湖へ住み着いたってことか?」
「そんな感じかな」
レオンは肩を竦めた。
「ただ根っからの漁民という感じではなかったですね」
そこでマティアスが、小さく息を吐く。
「……なるほど、とは思いました」
アルスが視線を向ける。
「何が?」
「正規軍ですら、掴み切れない訳です」
マティアスは落ち着いた声で答えた。
「彼らは一つの砦へ集まっている訳ではありません。湖そのものへ、点々と張り付くように生きていました」
その言葉に、広場へ短い静寂が落ちる。
そしてレオンが、その空気を変えるように笑った。
「まあ、そんな感じで情報収集がてら話をしていましたら『頭領の身体が空いたから会わせてやる』って、一番大きな建物へ案内されました」
レオンは一度皆を見渡す。
「頭領って話だったんで、もっと粗暴な男を想像してたんですよ。ところが実際に出て来たのは、妙に落ち着いた男でした」
マティアスが静かに続ける。
「年は四十前後でしょうか。フレンチ、とだけ名乗りました。こちらへ席を勧め、まずは話を聞かせてくれと言って来ましたので、こちらもある程度は正直に話しました」
アルスは黙って耳を傾けていた。
「どこから来たのか。何を見て来たのか。正規軍との戦を観戦したこと。それから、山側へ拠点を置いていることも。領主たちと敵対している以上、場合によっては関係を築ける相手かもしれないと判断しましたので、我々がミュラー家の残党であることも伝えています」
そこでレオンが苦笑した。
「いや、そしたら向こうの食い付き方が予想以上でしてね。『ミュラー家? 西部四十八家の、あのミュラー家か』って」
マティアスが続ける。
「その反応には少し戸惑いましたが、既に家が滅び、今は僅かな残党が山中へ逃れていることを伝えました。するとフレンチは急に黙り込み、しばらく考え込んでいましたね『……そうか。ミュラー家が滅んだか』と」
レオンがそこで肩を竦める。
「いや、あの時は流石に俺達も驚きましたね。いきなり空気が変わってしまったんで」
マティアスが静かに続ける。
「そして少し考え込んだ後、『そういう話であれば、これも何かの縁かもしれんな』と言いまして。そこで初めて、自分の昔語りを始めました。その際、改めて名乗られたんです。フレンチ=ドレッシン、と」
「何!?」
それまで腕を組んでいたゼダンが、そこで初めて大きく反応した。
「ドレッシンだと……あのドレッシン家の人間が、湖賊として生き延びていたのか」
その様子に、アルスが思わず目を向ける。
「……ゼダンは知っているのか? そのドレッシン家というのを」
「ええ」
ゼダンは低く頷いた。
「元は西部四十八家の一つで、南部の湿地帯を含む地を治めていた家ですが……」
そこで一度言葉を切る。
「確か、かなり前に滅んだと聞きました」
レオンが肩を竦める。
「向こうの話だと、親の代で流れ着いたそうですよ。それで湖へ住み着いて、今の形になったみたいですね」
広場へ、しばし静かな空気が落ちる。
ミュラーと同じく西部四十八家として活動していた家の生き残りが、今は湖賊の頭領として生きている。
それはアルスにとって、ただ拠点に籠るのとは、別の形を見せ付けられたような話として胸に落ちた。
そしてレオンが苦笑する。
「まあ、そんな訳で妙に話が盛り上がってしまいましてね。その後も色々話を聞かせてくれって流れになって、俺達は結局十二日もあそこへ足止めされることになったんですよ。その後は半ば客扱いでしたね」
レオンは呆れたように笑った。
「流石に自由に出歩ける訳じゃありませんでしたが、宴にまで呼ばれましたし」
ティムが少し身を乗り出す。
「宴の飯って、どんなのだったんだ?」
「魚ですよ。ひたすら魚です」
レオンが即答した。
「焼いた魚、干した魚、あと湖貝の煮込みみたいなのも出ましたね。ただ、味は意外と悪くありませんでした」
マティアスも静かに頷く。
「香草や燻製を上手く使っていました。保存食ばかりではなく、その日捕れた魚も出るので、思っていた以上に食事は整っていましたね」
アルスは自然と、その光景を思い描いていた。
陽が落ち始めた湖で、杭の上へ作られた細い桟橋。
あちこちへ灯された小さな火が、風に揺れながら黒い湖面へ細長く反射している。
仮の隠れ家ではない。そこには確かに、人々の暮らしが根を下ろしていた。
レオンが小さく笑った。
「いや、本当に不思議な場所でしたよ。もっと殺気立った連中の巣かと思ってたんですがね。賊の根城というより、あれはもう湖の民の町でしたね。子供も居ましたし、年寄りも居ました。湖の上に、そのまま町が浮いてるみたいな感じでしたね」
ウォルフが低く唸る。
「……根を下ろしてるんだな」
「ええ」
マティアスは静かに答えた。
「恐らく、もう何十年も」
そして、その食事の席だったでしょうか。
途中から、頭領の息子達も顔を出しましてね――
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