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第44話 北側見聞録②

予約ミスで昨日UP出来ていなかったみたいです。そのため今日は二本UPします。これはその二本目です。

 大陸歴一四〇七年六月二十五日


 「……続いて、街道沿いで確認した戦について報告します」


 マティアスは一度だけ言葉を切り、机上へ視線を落としてから続きを口にした。


 「我々は湖東岸まで進みましたが、その先で道が途切れていました。湖岸そのものが湿地に変わり、荷馬車どころか馬でも進行が難しい状態であったため、帰路として同じ街道を戻りつつ、途中の町々で話を聞きながら帰ることにしました」


 そこでわずかに息を挟む。


 「その途中、湖岸付近にて、正規軍と湖賊と思われる集団が交戦寸前の状態にあるのを確認しました。街道自体が既に軍勢によって塞がれていたため、これ以上進むのは危険と判断し……どうせ通れぬのであればと、少し離れた場所から戦を見届けることにしました」


 軽く肩を竦めるように言ったが、その後に続く声は自然と重くなる。


 「正規軍側は、レーヴェン家の旗が主でした。加えてヴァルケン、グライフの紋も確認しております。三家による共同討伐軍と思われます」


 アルスは何も言わない。ただ続きを促すように視線だけを向けた。


 「戦は、我々が観戦を決め込んでから間もなく始まりました」


 マティアスはそこで、当時の光景を思い返すようにわずかに目を細める。


 「正規軍は近隣の町村から集めたのでしょう、小舟を大量に並べて湖へ兵を送り出しました。ですが、見た限りでは兵数に対して船の数が明らかに足りていない。しかも船に慣れていないのでしょう。進むだけで精いっぱいという有様でした。櫂の動きも揃わず、前へ出る船と止まる船が噛み合わない。列を組もうとしているのは分かるのですが、湖へ出た瞬間に形が崩れるのです。岸から見ていても、あれでは指示が届いていないのが分かりました。……ただ、それでも正規軍でした。数が違います。多少崩れようが、次から次へ船を押し出してくる――」


 マティアスは手でゆっくり湖面をなぞるような仕草をした。


 「対する湖賊側ですが……あれは、完全に別物でした。湖賊側は一隻の小舟が突出し、それを追う形で次々船が出てきました。船の動きに無駄がありません。小舟同士がぶつかることもない。狭い隙間を滑るように抜け、隊列を整え切れない正規軍の外側へ回り込み、孤立した船を一隻ずつ潰していく。ある船は横から突き当てられ、そのまま転覆しました。別の船は櫂を叩き折られ、動けなくなったところへ矢を浴びせられていた。湖の上では、一度止まった船から順に沈んでいきます」


 そこまで言ったところで、マティアスは小さく息を吐いた。


 「ですが、湖賊も楽ではありませんでした。正規軍は湖へ出ること自体には苦労していましたが、湖岸を押さえている以上、陸から大量の矢を飛ばせる。船の上では避けきれず、湖賊側もかなり被害を出していました。実際、沈んだのは正規軍の船だけではありません。火矢を受けた船もありましたし、矢を受けてそのまま湖へ落ちた者も大勢いました。落ちた者の全てが浮いてくるわけでもない」


 広場が静かになる。


 マティアスは少し間を置いてから続けた。


 「結局、その日の戦は決着しませんでした。双方とも、このまま押しても損害だけが増えると判断したのでしょう。日が傾く頃には自然と距離を取り始め、湖上には折れた矢と、流された船板だけが残っていました。正規軍は岸沿いに陣を敷き、湖賊側もそれ以上は追わなかった。我々も、その日は少し離れた場所で野営しております」


 そして、そこで初めてマティアスの声色が変わる。


 「……問題は、その夜でした」


 「夜そのものは妙に静かでした。湖ってのは夜になると音がやたら遠くまで流れるんですが……その夜は逆に、何も聞こえなかった。静かすぎたんです。正規軍側も警戒はしていました。焚火も多かったですし、見張りも立っていた。ですが、戦が終わったと思っていたのも確かです。少なくとも、あそこまで大胆に来るとは考えてなかったでしょうね」


 そう言ったのはレオンだった。


 それまで黙って聞いていた彼は、壁にもたれていた身体をわずかに起こし、思い返すように視線を上へ向ける。


 マティアスが頷く。


 「夜明け前でした。空が白み始める少し前、湖の上に靄が出ていたんです。風も弱かった。だから最初は、何が動いているのか分からなかった」


 レオンはそこで軽く肩を竦める。


 「いや、正確には“気付くのが遅れた”ですね。湖賊の船、音をほとんど立てなかったんですよ。櫂で漕いでいるはずなのに、水音がやけに小さい。船同士の間隔も広いから、一隻一隻が靄の中から滲み出てくるように見えるんです」


 アルスは黙ったまま聞いている。


 レオンは続けた。


 「ある程度まで近付いたところで、一斉に火が上がりました。最初に燃えたのは船でした。岸に繋いであった小舟や補給用の荷船に火矢が突き刺さり、そのまま火が走ったんです。油でも撒いていたのか、燃え方が妙に早かった。しかも丁度その頃から、湖側から風が吹き始めた」


 マティアスが静かに引き継ぐ。


 「朝の湖風です。火は風に押され、そのまま陣地へ流れ込みました。布陣そのものは整っていましたが、船と荷が近過ぎたのでしょう。火が移り始めてからは早かった。天幕が燃え、積まれていた矢束に引火し、馬が暴れ出す。正規軍側も即座に動き始めていましたが、火の広がる速度の方が速かった」


 レオンが苦い顔をする。


 「正直、あそこまで綺麗に決まるとは思いませんでした。湖賊側、最初から風向きまで計算してたんでしょうね。火を放ったあと、深追いせずにすぐ引いていた。あれ、多分、火で混乱させたところへ突っ込むのが目的じゃない。“燃やして崩す”ところまでが作戦だったんでしょう」


 マティアスは小さく頷いた。


 「実際、正規軍は崩れました。ただし、壊滅ではありません。指揮そのものは残っていました。燃えた場所を切り捨てる形で後衛が下がり、残った兵をまとめて撤退を始めたのです。その際、湖賊側もかなり近くまで寄っています。火に乗じて船を出し、逃げ遅れた兵や荷を狙っていた」


 レオンが鼻で笑う。


 「ところが、そこを逆に射掛けられましてね。正規軍側、退きながら弓兵を残してたんです。火の向こうからでも矢を返してくるし、岸際へ近付き過ぎた湖賊は普通に落とされてました。実際、燃えてる最中の岸辺、かなり酷かったですよ。湖賊の船も何隻か燃えてましたし、逃げ損ねてそのまま水へ飛び込んだ連中もいた」


 マティアスはそこで一度言葉を止める。


 「結局、夜明けが完全に来る頃には、正規軍は湖岸から離脱していました。撤退です。ですが、潰走ではない。隊列を保ったまま退いています。恐らく、これ以上は損害に見合わないと判断したのでしょう。一方、湖賊側も追撃を深くは行いませんでした。……いや、出来なかったと言うべきかもしれません。勝ちはしましたが、向こうもかなり削られていましたから」


 広場の中に短い沈黙が落ちる。


 そしてレオンが、ぽつりと付け加えた。


 「だから、多分どっちも負けてますよ、あれ」


 軽く言った言葉だった。だが、その軽さの奥にある疲労だけは隠れていなかった。


 その後、マティアスたちはすぐには動かなかった。


 街道そのものはまだ不安定であり、下手に移動すれば、撤退途中の正規軍か、あるいは警戒を解いていない湖賊側と鉢合わせる危険がある。結果として彼らは、少し離れた高所から、半日ほど湖岸の様子を見続けることになった。


 「妙だったのは、その後です」


 マティアスが静かに続ける。


 「湖賊側は、勝ったからと騒ぎ立てる様子がありませんでした。むしろ、壊れた船から使える材を外し、負傷者を運び、沈みかけた船を引き上げる。まず始めたのは、戦場の後始末でした。最初は、被害が大きかったから追撃する余力がないのだと思っていました。実際、それも間違ってはいないのでしょう。ですが、見ているうちに印象が変わりました。疲弊はしている。損害も出ている。ですが、誰が指示するでもなく、見張りを置く者、怪我人を運ぶ者、船を直す者、それぞれが自然に役割へ戻っていくのです」


 そこでレオンが苦笑混じりに口を挟む。


 「一通り片付くと、今度は普通に飯を食い始めたんですよ。と言っても、大したものじゃありません。干し肉や保存食をそのまま齧ってる程度です。火も焚いてませんでしたし、長居する気もなかったんでしょうね。でも、妙に落ち着いてたんです。寄せ集めの賊って感じじゃないんですよ。もっと……慣れてる。戦の後に何をするか、最初から身体に入ってる連中みたいな空気でした」


 マティアスも頷いた。


 「船の扱いも同じです。継ぎ接ぎだらけの船も多いのですが、手入れだけは異様に行き届いている。それに、鐘や板を叩く音で互いに合図を送っていました。あれは、一朝一夕で身につくものではありません」


 広場に短い沈黙が落ちる。


 そしてレオンが、少しだけ笑う。


 「……見ているうちに、何だか気になってきましてね。敵って感じでもないし、かと言って普通の湖賊とも違う。なんか面白い話が聞けそうだったんで、少し近寄って話しかけてみたんです」


 その瞬間、アルスが思わず顔を上げた。


 「……え、話しかけたの」


 驚き半分、呆れ半分の声だった。


 レオンは悪びれもせず肩を竦める。


 「だって、面白そうな連中じゃないですか。次また会える保証もありませんし、この湖に住んでるなら、ある意味お隣さんみたいなものでしょう。挨拶くらいしておこうかな、と」


 「えー……危ないなあ」


 アルスは率直にそう言ったが、レオンは苦笑するだけだった。


 「まあ、今考えると確かに危ないかもしれません。でも、その時は妙に気になったんですよね」


 マティアスもそこで静かに補足する。


 「実際、我々も完全に警戒を解いていたわけではありません。武器は持ったままでしたし、逃げる準備もしていました。ただ……向こうに、必要以上に殺気立った様子がなかったのです」


 レオンが続きを引き取る。


 「なので、湖岸へ少し寄って声を掛けました。『あっちの山に住んでるんだけど、少し話を聞かせてくれないか』って。場所はぼかしました。流石に、いきなり拠点の話をするほど馬鹿じゃありませんし。最初はかなり警戒されましたよ。弓も向けられましたし、『何者だ』と何度も問い質されました。ただ、こちらが正規軍とは無関係だと分かると、向こうの空気も少しずつ変わっていったんです」


 レオンはそこで小さく笑った。


 「何だかんだ話してるうちに、『なら頭に会ってみるか』って流れになりましてね」


 「……なったんだ」


 アルスの声に、今度は純粋な困惑が混じる。


 「なりました」


 レオンは平然と頷いた。


 「まあ、向こうも向こうで、我々を測ってたんでしょう。変な連中だと思われたのは間違いありません」


 マティアスが静かに続ける。


 「その後、小舟を一隻寄越されました。こちらの馬もそのまま乗せられる程度の船です。ただし、一つだけ条件がありました。『場所は教えられない』と」


 広場が静かになる。


 レオンは少し面白そうに笑う。


 「で、そのまま目隠しですよ。馬ごと船へ乗せられて、どこへ向かってるのかも分からないまま、湖の上をしばらく運ばれました。いやあ、流石にあの時は、途中で湖に沈められる可能性も少し考えましたね」


 レオンがそう笑う横で、マティアスが静かに言葉を継ぐ。


 「――そうして我々は、正規軍ですら掴み切れていない湖賊の根城へ、半ば成り行きのまま足を踏み入れることになりました」

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