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第43話 北側見聞録①

予約設定を間違えてUPしていなかったみたいです。このあと1時間後にもう一本UPします。

 大陸歴一四〇七年六月二十五日



 拠点の朝は、これまでとは明らかに違っていた。


 共同寝床の戸が開くたびに人が出てきて、泉の周囲には水桶を持った者たちが集まり、炊事場では朝から大鍋が忙しなく火に掛けられている。増えた人数は二十人に過ぎないが、もともと十八人で回していた拠点にとっては、元の人数を上回る増加であり、その変化は決して小さなものではなかった。


 朝の広場を横切る人影も増え、子供の声すら混じっている。以前の拠点で朝に聞こえる音と言えば、木槌の音か薪を割る音くらいのものだっただけに、それだけでもこの場所へ新たな暮らしが流れ込んできたことを実感させた。


 アルスは、自宅の前へ立ちながら、その光景をしばらく眺めていた。


「……一気に増えたね」


 その呟きへ、隣で腕を組んでいたゼダンが苦笑混じりに返す。


「食料計算はやり直しですな」


「畑を増やしてるけど、これじゃ全然追いつかないな」


「ええ。ですが、人手が増えた分、出来ることも増えます」


 その言葉に、アルスは小さく頷いた。


 実際、昨日拠点へ迎え入れた避難民の中にも、身体付きのしっかりした男は居た。疲弊し切ってはいたが、まともに食わせれば十分働けそうな者も少なくない。


 拠点の建設も畑の開墾も、狩猟に採集、保存食づくりに至るまで、この拠点は何をするにも人手が足りておらず、その意味では昨日迎え入れた二十人は単なる保護民ではなく、この場所を維持し、さらに広げていくための新たな働き手でもあった。


 もっとも――。


「寝床は、もう余裕ないよね」


「長屋の空きも、ほぼ埋まりましたな」


 ゼダンがそう言ったところで、不意に後方から豪快な声が飛んできた。


「長屋が完成していて良かったな。こりゃすぐに二棟目を建てないとな」


 振り返ると、ウォルフが大股でこちらへ歩いてきていた。


 朝から既に作業へ出ていたのか、肩には木屑が付いている。


「おはよう、ウォルフ」


「おう。お前さんら、呑気に突っ立ってる場合じゃねえぞ。人が増えたってことは、何もかも、全部足りなくなるってことだ」


「分かってる」


「分かってる顔じゃねえ」


 そう言いながらも、ウォルフの顔にはどこか活気があった。


 元々この男は、拠点の建設そのものを楽しんでいる節がある。人が増えれば、作る物も増える。それは即ち、自分の仕事が増えるということでもあった。


 やがて広場の中央では、木箱や丸太を並べ始める者たちが現れた。


 アルスの家の前に作られたこの広場は、今では自然と、拠点の話し合いの場になっている。


 そして今日行われるのは、四十日に及んだ遠征の報告だった。


 やがて、マティアスとレオンも姿を見せる。昨日よりは幾分ましな顔色だったが、それでも長旅の疲労は完全には抜け切っていない。


 さらに少し遅れてティムも現れると、広場の空気が自然と引き締まった。


 全員が揃ったことを確認し、アルスは丸太へ腰を下ろす。


「じゃあ、始めようか」


 その言葉に、マティアスが一歩前へ出て、腰の袋から紙切れを取り出す。


「では、順に報告します」


 マティアスはそう言うと、その紙切れへ一度目を落とした。


「まず、北西側の探索結果ですが――拠点から山裾沿いに進んだ場合、一日ほどで街道へ出られる獣道を確認しました」


 その言葉に、ゼダンが僅かに眉を動かす。


「一日か」


「はい。これまでバウムゼンへ向かう際に使っていた南西側の道より、かなり近いです。傾斜も比較的緩く、馬を使った荷運びも不可能ではありません」


 アルスもまた、小さく目を見開いた。


 これまで外へ出る際は、南西方向へ三日掛けて街道へ出て、そこからさらに南東へ進み、ようやくバウムゼンへ辿り着いていた。


 だが今回確認された道を使えば、そこまで大回りをせずとも街道へ接続出来る可能性がある。


「そんな近くに出られる道があったんだ……」


「恐らく、元々は猟師や山民が使っていた道かと」


 そう答えたのはレオンだった。


「完全な道というほど整ってはいません。ただ、人が継続して通っていた痕跡があります。途中には刃物で枝を払った跡も残っていました」


「つまり、俺たち以外にも、この山を出入りしてる人間が居るってことか」


 ウォルフの言葉に、マティアスが頷く。


「ええ。実際、街道へ出る少し手前で、森の中に庵を一つ見つけています」


 そこでアルスが顔を上げた。


「庵」


「はい。街道側からは見えません。山裾沿いの獣道から少し外れた場所です」


 マティアスは紙へ目を落としながら続ける。


「訪ねた際は留守でしたが、火を使った跡がありました。薪も新しく、畑らしき場所もあります。誰かが生活しているのは間違いないかと」


 その言葉に、ゼダンが静かに腕を組む。


「……隠れるように住んでおりますな」


「街道沿いでは生きにくい人間なのかもしれません」


 レオンがそう付け加えると、ウォルフが鼻を鳴らした。


「山の中で一人暮らしとは、随分な変わり者も居たもんだ」


「接触はしていません。ですが、少なくとも、この周辺が完全な無人地帯ではないことは確かです」


 そこまで話したところで、マティアスは紙を一枚捲った。


「そして、その獣道を抜けた先ですが――」


 広場の空気が、僅かに引き締まる。


「街道へ出ました」


 マティアスはそう言うと、一度紙へ目を落とした。


「そして、その街道を北東へ半日ほど進んだ場所で、町を確認しています」


「やはり有ったか」


 アルスが思わず聞き返す。


「はい。街道沿いに形成された宿場町です。名をフェルデンと言います」


 マティアスはそこで小さく頷く。


「町の入口には、グライフ家の紋章が掲げられていました」


 その言葉に、ゼダンが静かに頷く。


「……やはり、この周辺はグライフ領ということですな」


「荷馬車も出入りしていました。旅人向けの宿や厩舎もあります。完全な辺境の集落という感じではありませんでした。恐らく、この周辺では最も大きい町かと」


「フェルデン……」


 アルスには聞き覚えのない町名だった。


 だが、それも無理はない。小さなミュラー領から見れば、この辺りとは特別な縁もなく積極的に関わる土地ではなかった。


「町の様子は?」


 ゼダンの問いへ答えたのはレオンだった。


「市場が立っていました。規模は小さいですが、人の流れはあります。保存食や毛皮、木工品を扱う商人も見ました」


「鍛冶屋もありましたな」


 マティアスが補足する。


「品数は多くありませんでしたが、鉄製品の補充程度なら可能かと」


 その報告に、ウォルフが僅かに目を見開いた。


「鉄が買えるのか」


「ええ。少なくとも、完全な僻地ではありません」


 アルスはそこで小さく息を吐いた。拠点を出てわずか一日、そこからさらに半日進んだ先に、市場が立ち、鍛冶屋まである町が存在していたという事実は、これまで何日も掛けてバウムゼンへ通っていた自分たちにとって、驚きと呼ぶほかなかった。思っていた以上に、この山は人の世界と近い場所にあったのだ。


「……思ったより、ずっと近くに人の世界があったんだね」


 アルスの呟きへ、マティアスは静かに頷いた。


「フェルデン到着後、一泊。翌日朝より我々はさらに街道を北東方向へ進みました」


 そう言いながら、紙へ視線を落とす。


「街道は東側の水域に沿うように伸びており、途中には何度か別方向へ分かれる道も確認しています」


「村へ向かう脇道か?」


 ゼダンの問いへ、今度はレオンが答えた。


「それも有るでしょうし、他の街道との交差と思われる物も有りました。荷馬車の轍もあり、人の往来自体は思っていたより多かったです」


 マティアスも続ける。


「ですが今回は、水域沿いの地理確認を優先しました。その為、途中で分かれる道には入っておりません」


 そこで一度言葉を切った。


「街道は北へ向きを変えながら、水域に沿うように続いていました。さらに進むと、今度は逆に水域の東側へ回り込む形となり、そこから再び北東へ伸びていきます」


 ゼダンが僅かに目を細める。


「……つまり、水域の北を回ったのだな」


「恐らくは」


 マティアスは頷いた。


「その先も水域は続いていました。ただ、方角から見て、この拠点側へ回り込む形になっていたため、大まかな広がりは把握できたかと」


 広場に居た何人かが、小さく顔を見合わせる。


 この辺りの地理を知る者など、誰も居なかった。


「我々は結局、拠点を出て十五日目の地点まで到達しています」


 そこでマティアスは紙を畳んだ。


「ですが、その頃には街道は徐々に北へ離れ、水域沿いを進む道も確認出来なくなっていました。大筋は達成したとみて、探索はそこで打ち切っています」


 アルスは腕を組みながら、小さく息を吐く。


 拠点を出て十五日目の地点まで進んでもなお、水域は終わらなかった。そこまでの道程を考えれば、あの水域を一周するだけでも二十日か二十五日は掛かるのだろう。その規模は、アルスがこれまで漠然と思い描いていたものを遥かに超えていた。


 しかも、その周囲には道があり、人が暮らし、町や村が存在しているのだから、自分たちが身を潜めているこの場所もまた、思っていた以上に人の営みと繋がっていたのだと、アルスは改めて実感していた。


 だが、マティアスたちが持ち帰ったものは、地理や交易路の情報だけではなかった。むしろ、この報告の本題はここから先にあった。


 広場へ吹き抜けた風が、積み上げられた木材を小さく鳴らす。


 マティアスは一度紙を持ち直すと、僅かに表情を引き締めた。


「……続いて、街道沿いで確認した戦について報告します」

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