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閑話3 化粧と木槌

 ディーに連れられて現れた若者を初めて見たとき、ウォルフは驚き戸惑った。


 若い。顔立ちだけを見れば、まだ少年と呼べなくもない年頃である。


 だが、その場に立っているだけで、周囲の視線が自然と集まっている。にもかかわらず、本人はそれを気にしている様子がない。人の上に立つことへ無理やり慣れさせられた者とも違う。もっと自然に、最初からそういう位置に立つことを前提として育った人間の空気があった。

 

隣ではヘルガが、いつものように堂々と胸を張っている。


 今日はかなり気合が入っていた。


 目の周囲には黒い線が引かれ、頬には赤。額にまで細い模様が伸びている。朝、本人は「今日は少し薄めにした」と言っていたが、ウォルフにはどこが薄いのか分からなかった。


 いや、おそらく本当に薄いのだろう。ヘルガ本人の基準では。その結果が、これである。


 ウォルフは小さく視線を逸らした。


 言ったことはあるのだ。昔から、それとなく。もっとこう、普通に出来ないのか、と。

 

だがヘルガは毎回、妙に真面目な顔で答える。


 「普通だろ?」


 全く持って普通ではない。


 少なくとも、町で子供が泣く程度には普通ではなかった。


 しかも困ったことに、ヘルガ本人は本気で美しいと思ってやっている。ふざけているわけでも威圧したいわけでもない。ただ本人なりに身だしなみを整えているだけであり、その結果がこれだった。


 今も、若者――アルスとか言ったか――の後ろにいた兵の一人が、ちらりとヘルガを見たあと、妙に真顔になっていた。


 ああ、またかと、ウォルフは内心だけで溜息をつく。


 その隣で、ヘルガはまったく気にしていない。むしろ今日は仕上がりに満足しているのか、少し機嫌が良さそうですらあった。


 ディーが言う。


 「ふたりとも大工仕事ができる」


 アルスはウォルフの手元を見る。木槌。そしてヘルガの持つ、釘の打ち込まれた棍棒。


 少しだけ間があった。


 ああ、終わった。また町を変えることになるかもしれない。


 ウォルフがそう思った直後、アルスは小さく頷いただけだった。


「分かった。よろしく頼むね」


 それだけだった。


 ウォルフは逆に困った。


 普通なら、まず警戒される。武器を見る。流れ者を嫌がる。事情を探る。少なくとも、“なぜ町で暮らせなくなったのか”くらいは聞かれるものだ。


 だがこの若者は、それをしなかった。


 隣ではヘルガが「お願いします」と頭を下げている。礼儀正しい動きのはずなのに、化粧のせいで山賊の脅迫みたいになっていた。


 誰も彼も、何かしら訳ありであることが最初から前提になっているような空気があった。だから見た目だとか過去だとか、そういうものをいちいち掘り返さない。


 掘り返したところで、碌なものが出てこないと知っている人間たちの空気だった。


 ウォルフは少し混乱した。聞くのは、出来ることだけなのだ。誰も、こちらを必要以上に見ない。それが逆に妙だった。


 皆に混ざり話を聞いていたアルスは、俺たちの後ろへと視線を向ける。


 「そっちは?」


 そこにいたのは、さらに妙な連中だった。


 大柄な男が一人。その後ろに、痩せた子供が二人。


 兄の方は、こちらを見た瞬間に顔を引きつらせていた。


 特にヘルガを見た時が酷い。反射的に妹を半歩後ろへ下げ、完全に警戒している。


 ウォルフは目を閉じたくなった。


 だから言ったのだ。もっと薄くしろと。


 だがヘルガは気付かない。


 「何だい」


 むしろ普通に声をかける。


 兄の方が硬直した。


 アルスは全員を一度見回し、それから短く言った。


 「一緒に来るか?」


 兄の方はまだ警戒した顔をしていたが、それでも妹の手を握ったまま、黙って後ろへ付いた。


 その横で、ヘルガが小声で言う。


 「……少し色味を増やした方が良かったかい」


 ウォルフは少し迷った。迷った末、答える。


 「今のヘルガが一番だ」


 嘘だった。


 だが今ここで本当のことを言えば、ヘルガはたぶん化粧を直し始める。しかも良かれと思ってさらに足す。


 それだけは避けねばならなかった。


 ヘルガは化粧を落とすと、実は物凄く器量が良い。本音を言えば、化粧を落として欲しい。いや普通の、本当に普通の化粧にして欲しい。


 以前にそれを切に願ったことがある。


 「アタイのことを何も分かっていない」


 そう返したヘルガは目に涙を湛え、あの釘付きの棍棒を振り回しながら、夜が明けるまで追い回してきた。


 ……うん。あの時まで俺は”死の恐怖”というものを、本当の意味で知らなかったんだろう。


 だからウォルフは、それ以上何も言わず、肩に担いでいた木槌を持ち直す。


 そして、ゆっくりと動き始めた一団の後ろへ、無言のまま続いて歩き出した。




 町を離れてからしばらくのあいだ、一団の空気は妙に静かだったが、先ほど焼かれた荷車を見てから急に緊張感が高まっている。


 人数は決して少なくない。馬もいる。荷車も軋む。兵たちは互いに短い言葉を交わし、周囲への警戒も怠っていない。ただその緊張からか、全体としては不思議なほど騒がしさがなかった。


 ウォルフは荷車の横を歩きながら、その空気をぼんやりと眺めていた。


 流れ者の集団というものは、普通、もう少し落ち着きがない。誰かが必要以上に喋り、誰かが威張り、誰かが他人の過去を探る。そういう無駄な音が、どこかしらに必ず混じる。


 だが、この一団にはそれが少なかった。


 互いに踏み込みすぎない。だからといって無関心というわけでもない。必要な時だけ声をかけ、必要以上には触れない。妙な距離感で成り立っている。


 先頭近くでは、アルスがゼダンと何かを話している。声までは届かない。だが、話しているというよりは確認しているような空気だった。


 そのさらに周囲では兵たちが森へ視線を走らせている。警戒はしている。だが肩に力が入り切っているわけではない。緩い。しかし緩みきってはいない。


 ウォルフは小さく息を吐いた。


 どうにも、ただの寄せ集めには見えなかった。


 隣では、ヘルガが荷車を見上げている。


 荷台には、あの孤児兄妹が乗せられていた。兄の方は未だにこちらを警戒している。特にヘルガを見る時の顔が酷い。完全に“何か危険なもの”を見る目だった。


 無理もない、とウォルフは思う。


 今日のヘルガは、かなり仕上がっていた。


 以前、「今日のアタイは完璧だ」と満足げに言っていた日に、町の子供を三人泣かせたことがある。


 あの時は本当に申し訳なかった。


 ヘルガは兄妹を見ながら、不意に口を開く。


 「寒くないかい」


 兄の肩が跳ねた。


 「……え」


 「山の方は夜冷えるからね。今のうちに慣れといた方がいい」


 黒と赤の線が入った顔で真顔のまま覗き込まれると、どうしても脅しにしか見えない。


 兄は完全に固まっていた。妹の方は半分ほど兄の後ろへ隠れている。


 ウォルフはそっと視線を逸らした。


 やはり少し薄くした方が良いのではないか。


 そう思う。思うのだが、まだ死にたくはない。


 ヘルガは兄妹を見て、少し首を傾げる。


 「腹は減ってないかい」


 兄は数秒迷ったあと、小さく首を横に振った。


 「そ、そうかい」


 ヘルガは少し残念そうだった。


 悪い人間ではないのだ。本当に。……ただ、顔が怖いだけで。


 そのとき前方から、がこん、と鈍い音が響いた。


 荷車が大きく揺れる。馬が鼻を鳴らし、兵たちが足を止めた。


 「止まれ」


 短く声が飛ぶ。


 列が止まり、周囲への警戒がわずかに強まる。その中で、ウォルフはすでに荷車へ近づいていた。


 片側の車輪が沈んでいる。軸が僅かに傾き、車輪が浮いていた。


 ヘルガもすぐ横へしゃがみ込む。


 「割れてはいない」


 ウォルフはその言葉を聞きながら、車輪の縁を押した。壊れる一歩手前だった。


 腰の道具袋を外す。


 その横で、アルスが近づいてきた。


 「直せるかな」


 短い問いだった。


 ウォルフは車輪を見たまま答える。


 「ああ。大丈夫だ」


 「なら頼むね」


 それだけ言って、アルスは兵へ視線を向ける。


 余計な口出しはない。どこをどう直すのかも聞かない。必要な人員だけを動かし、あとは任せる。


 ウォルフはそこで少しだけ目を細めた。


 職人仕事というのは、分からない者ほど口を出したがるものだ。だがアルスは違った。直せるかと確認すると、あとは任せる。それだけだった。


 ウォルフは楔を打ち込み、浮いた車輪を締め直す。木槌の音が山道へ響く。乾いた、確かな音だった。


 急ぎではある。だが焦ってはいない。焦れば歪む。歪めば次で壊れる。


 だから手だけは狂わせない。一度、車輪が噛み合わずに止まる。だが次の瞬間、すとん、と収まる感触があった。


 ウォルフは小さく頷く。


 「回せる」


 ヘルガが車輪を押すと軽く回る。

 

 それを見て、アルスやゼダンが頷いている。


 ウォルフは少しだけ妙な気分になった。


 信用されている、というより、“最初から役目として組み込まれている”ような扱いだった。


 出来る者がやる。出来ない者は邪魔をしない。単純な理屈だ。だが、それが出来る集団は案外少ない。

 

 荷車が再び動き出すが、揺れはまだ少し大きい。だが進めないほどではない。


 荷台では、妹の方が少し安心したように息を吐いていた。


 ヘルガはそれを見て、安心させようとしたのだろう。にっと笑った。


 ……怖かった。とてもとても怖かった。


 妹がびくりと震え、兄の後ろへ完全に隠れる。


 ヘルガは少し考え込む。


 「やっぱり今日は、線の流れが良いのかね」


 「何の話だ」


 「目元さ。いつもより綺麗にまとまった気がするんだよ」


 ウォルフは黙った。


 何も言うまい、と心から思った。


 ここで余計なことを言えば、たぶん次はもっと増える。


 だからウォルフは、ただ静かに前を向き、軋みながら進み始めた荷車の後ろを歩き続けた。



 アルスたちがバウムゼンから戻ってきた頃には、既に夜の闇へと沈み始めていた。


 荷を下ろす音があちこちで響き、馬が鼻を鳴らし、誰かが鍋を覗き込み、別の誰かが薪を積み直している。


 決して整然とはしていない。それでも以前のような、ただ人が集まっているだけの場所とも違った。荷を置く場所や火を使う場所が自然と定まり始め、この砦跡は少しずつ拠点の形を取り始めていた。


 最初にここへ来た時、この場所はまだ拠点というより、“人が留まっている場所”に近かった。だが今は違う。木柵が増え、通る道が踏み固められ、道具を置く場所も何となく決まり始めている。


 そして今日、四人増えた。つまり、……狭くなるということである。


 ウォルフは焚き火のそばへ腰を下ろしながら、ちらりと寝床へ使われている建物へ視線を向けた。


 元々、それほど大きな建物ではない。


 最初の頃は全員入れていた。だが余裕まではなく、寝返りを打つだけでも隣に肘が当たるような状態だった。


 そこへさらに四人。無理ではないか、とウォルフは薄々思っていた。


 だが、食事の最中、誰もその話題には触れなかった。

 

 隣では、ヘルガがいつものように機嫌良さそうに鍋を覗き込んでいた。


 今日はかなり気合が入っている。目元を囲う黒線はいつもより鋭く跳ね、頬の赤も濃い。


 本人曰く、「最近は角を意識している」らしい。


 何の角なのかは、ウォルフにもよく分からない。


 ただ、その顔で鍋を覗き込みながら「今日は良い匂いだねぇ」と笑う姿は、どう見ても襲撃前の山賊だった。


 実際、今日新しく来た四人のうち三人までが、ヘルガと視線が合うたび微妙に顔を引きつらせている。


 だが当の本人は、まったく気付いていない。


 最近では、「この拠点の人たちは化粧を見る目がある」とまで言い始めていた。


 たぶん……いや、絶対に違う。


 ウォルフは内心だけでそう思いながら、黙って木椀を口へ運ぶ。


 その横で、ヘルガは新入りの一人へ気さくに話しかけていた。


 「肉は食べときな。山だと体力落ちるよ」


 声は優しい。内容も普通であるが、顔が怖い。


 新入りは「は、はい」と返事をしながら、妙に背筋を伸ばしていた。


 もはや慣れた光景だった。


 そんなふうにして食事が終わる頃には、空気は自然と“今日はもう寝よう”という流れへ変わり始めていた。

 

 やがて、寝床として使われている建物の前へ人が集まり始めた。


 その中で、奥を覗き込んでいたヨアヒムが声を上げた。


 「……あれ、これ全員入れるか」


 ウォルフも黙って人数を数えるが足りない。かなり足りない。


 横向きになれば何とか――とも思ったが、それでも厳しい。


 ゼダンだけは最初から分かっていたような顔で、特に驚いた様子もなく建物を見ていた。


 その少し後ろで、アルスが小さく息を吐く。


 「……足りないな。そうか、造る時の人数しか考えてなかったね」


 困ってはいる。だが慌ててはいない。


 アルスは少し考えるように周囲へ視線を巡らせ、それから言った。


 「空いてる建物、二つだったよね」


 その言葉に、ウォルフは少しだけ顔を上げた。


 それは以前、自分たちが建てた小屋のことだった。


 本来は作業小屋か、道具置きに使うつもりだった建物である。急ごしらえではあるが、雨風くらいは十分凌げる。


 アルスは一つをワーラー家で使うよう指示して、その視線がそのままこちらへ向いた。


 「もう一つは、二人が使って」


 一瞬、意味が分からず、ウォルフは反射的に聞き返す。


 「俺たちがか?」

 

 アルスは軽く頷いた。


 「建てたのも、二人だしね」


 それだけだった。


 深い意味があるようにも、何も考えていないようにも聞こえる言い方だったがウォルフは、すぐには返事が出来なかった。


 自分たちが建てた。確かにそうだ。だが、それは自分たちが使うための建物ではない。必要になるだろうと思って作っただけの小屋だった。

 

 流れ者というのは、そういうものだ。作る。直す。置いていく。そしてまた次へ行く。泊まる場所はあっても、“帰る場所”という感覚は薄い。


 雨を凌げれば十分で、壁が傾けば直し、壊れれば別の場所へ移る。荷は増やさない。増やせば、次に動く時に困るからだ。だから、“自分たちの家”という言葉そのものが、ウォルフにはどこか落ち着かなかった。


 その隣で、ヘルガも珍しく少し黙っていた。

 

 すぐには口を開かない。


 やがて二人は小さく視線を交わしてウォルフは、静かに頭を下げた。


 「……ありがたく使わせてもらう」


 それで話は決まった。


 アルスがふと思い出したようにこちらを見る。


 「そうだ、ついでに一つ」


 ウォルフとヘルガへ視線を向ける。


 そこから始まるアルスの話は、深く考えている様子はないが、不思議と自然と胸に落ちた。


 保存庫。道具小屋。長屋。


 言葉だけを並べれば、それはどこの村にもある当たり前のものだったが、ここにはまだ村などない。あるのは、砦跡と、寄せ集めの人間だけだ。


 にもかかわらず、アルスはまるで、その先の形が既に見えているかのように話していた。


 アルスはそのまま、何事もなかったように寝床へ向かっていく。


 ウォルフはしばらく、その背中を見ていた。


 その横で、ヘルガが小さく呟く。


 「……忙しくなりそうだねぇ」


 その声は、どこか少しだけ嬉しそうだった。



 やがて灯りが一つ、また一つと落とされ、拠点はゆっくり夜の静けさへ沈み始めていた。


 焚き火の火はまだ残っている。だが食事の時の賑わいは既になく、聞こえてくるのは薪の爆ぜる音と、時折どこかで鳴る馬の鼻息くらいのものだった。


 ウォルフは新しく割り当てられた小屋の前に立ち、何となく腕を組んだまま建物を見上げていた。

 

 自分たちで建てた小屋である。


 材を切り、柱を立て、屋根を組んだ。壁板の歪みも知っているし、床板の癖も分かる。どこに節があり、どこの木が少し反っているかまで覚えていた。


 だからこそ妙な感じがする。


 雨風を凌ぐ小屋なら、今までいくらでも作ってきた。だがそれらは全て、その場を回すための建物であって、自分たちのための家ではなかった。

 

 だから、“自分たちの家”という言葉そのものが、ウォルフにはどこか落ち着かなかった。


 「……いいのかね、俺たちが使っちまって」


 隣では、ヘルガも同じ小屋を見ている。


 化粧はまだ落としていない。


 焚き火の残り火に照らされたその顔は、夜になると昼以上に迫力が増していた。黒線が影に沈み、頬の赤だけが妙に浮くせいで、もはや山の呪術師かなにかにしか見えない。


 「決めたのはあの人さ」


 それだけ言って、少しだけ視線を寝床の方へ向ける。


 「けど、あのままじゃ、申し訳ないね。訳ありの私たちを何も聞かずに、迎え入れてくれただけでも有難いのに」


 ウォルフはその言葉に応じることなく黙り込むが、それでも何を思っているのかは、わざわざ言葉にしなくとも分かっている。


 その時だった。

 

 背後から、静かな足音が近づいてくる。振り返ると、そこにいたのはゼダンだった。


 いつものように無駄な気配がない。近づいてくるまで気付かなかった。


 ゼダンは二人の前で足を止めると、小屋を一度だけ見上げ、それから静かに口を開く。


 「一つ、頼みがある」


 ウォルフとヘルガは顔を見合わせた。


 ゼダンは少しだけ視線を周囲へ向ける。


 夜の拠点は静かだった。寝床へ戻った者たちの声も、もうほとんど聞こえない。


 その静けさを確かめてから、ゼダンは再び二人を見る。


 「まず最初に、若様の小屋を用意してほしい」


 ウォルフは一瞬、言葉の意味を測りかねた。


 「若様の?」


 「ああ」


 ゼダンは短く頷く。


 「立派なものである必要はない。形だけでいい。長屋でも保存庫でもない。先に“中心”を定める」


 ウォルフは黙ったままゼダンを見る。


 「主が主として在る形を、先に整えるべきだ」


 その言葉の意味は、すぐには飲み込めなかった。


 若い領主候補の小屋を先に作る。言葉だけなら分かる。だが、アルス本人はたぶん、そんなことは気にしていない。


 むしろ最後で良いと思っている顔だった。


 寝床が足りないと分かった時も、自分の場所をどうするかなど一切口にしなかった。人の増える先の話ばかりしていた。


 だからウォルフには、少し意外だったが気持ちは同じだった。


 隣で、ヘルガが小さく「ああ」と呟く。


 その声音で、ウォルフは妻も理解したことを知った。


 ヘルガは少しだけ間を置き、それから言う。


 「明日、先に作るべきもんがあるね」


 ウォルフはゆっくりと頷く。


 「ああ」


 その一言だけで十分だった。


 ゼダンはそれ以上言葉を重ねることなく、小さく頭を下げると、そのまま静かに踵を返した。

 

 足音はすぐ夜の中へ消える。


 ウォルフはしばらく、その背を見送っていた。


 まだ村ではない。寄せ集めの人間が山の中へ留まっているだけの場所だ。


 それでも、その静けさの奥では、何かの形だけが少しずつ整い始めている。


 中心だけは、先に生まれようとしていた。

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