閑話2 ティム、弓王すぎた結果
大陸歴一四〇七年四月四日
最初にゼダンが確かめたのは、獲物ではなく、戻るための道筋だった。
木々の間を抜ける風の向きと、踏みしめた土の感触、そして陽の位置を一度に繋ぎ合わせながら、ここからどの程度で引き返すべきか、その目安を頭の中で整えていく。そのうえでようやく、後ろにいる三人へと視線を向けた。
「いいか、今日は罠の確認を主とするぞ。獲物が居ても深追いはしない。当たれば取る、当たらなければ戻る。その後で合流だ」
アルスから受けた指示を、言葉として改めて置き直す。
単に伝えるためではなく、自分たちの動きをそこに縛るための確認でもあった。
レオンが小さく頷く。
「はい。時間を食うようなら、即座に切り上げます。合流を優先で」
言葉の端に無駄がない。すでに行動の順序まで組み上がっている声音だった。
「戻ることを優先する。合流が前提だ」
その一言で、今日の動きは定まる。
進み始めは、軽かった。
「罠を仕掛けるに良さそうな場が有れば、掛けていくぞ」
ゼダンの言葉に、クラウスは無言で頷き進む。
森の中に入っても足取りは崩れず、ティムの弓はいつも通りの静けさで仕事をする。狙いを定めるまでの時間も、引き絞る動作も、すべてが無駄なく繋がっており、放たれた矢は迷いなく兎の動きを断ち切る。
跳ねるよりも先に止まる。
その結果を見届ける前に、ティムは次の気配を拾っている。
レオンはすでに動き出していた。倒れた獲物を素早くまとめ、血の処理も最小限で済ませる。動作に迷いがなく、時間を削るための手順が身体に染みついている。
続けて、鳥をもう一羽。
「弓王降臨!」
ティムが胸を張り、顔を上げつつ天を見る。
その瞬間、レオンがゆっくりと顔を上げた。
「……土器王が、いつもお騒がせしています」
ゼダンへ軽く頭を下げながら言う声は淡々としているが、その目だけは隣へ向いている。そして、その隣に立つティムへと向けられた視線は、獲物を射抜く時よりも遥かに冷たかった。
「何でだよ!?」
「自覚がないのが、一番酷いところです」
ティムが抗議の声を上げるが、レオンはすでに視線を外している。
ゼダンはそのやり取りを見て、小さく苦笑を漏らしたのち、
「……戻るか」
とだけ言った。これで終わるはずだった。
――その流れは、途中でわずかに歪む。
「……鹿」
レオンの声が落ちた瞬間、それまで個々に動いていた四人の意識が、まるで引き寄せられるように一点へと揃い、結果として全員の動きが同時に止まる。
視線が集まった先、木々の隙間の向こう側で、大きな影がゆっくりと移動しているのが見える。枝葉の揺れ方と足の運びから、その正体を見誤る余地はない。
風向きは問題ない。匂いは流れていないし、こちらの気配もまだ拾われていない。距離もあるが、届かないほどではなく、むしろ構えれば十分に仕留められる間合いに入っている。
「……どうする」
ゼダンが低く問う。
今の位置で、ティムならば「当てられる距離」であることは、誰の目にも明らかだった。
レオンが、わずかに間を置いてから口を開く。
「当てて、そのまま戻るなら、まだ間に合います。処理を絞れば、合流も可能です」
あくまで条件付きの肯定であり、どちらか一方に振り切ったものではない。
だが、その言葉は確実に「やる」側へと重心を傾ける。
ゼダンは一拍だけ空を見上げ、陽の位置と戻りに要する時間を頭の中で重ね合わせ、それから小さく頷く。
「やれ」
その一言で、揺れていたものが固定される。
放たれた一射は迷いなく獲物に届き、次の瞬間には、その巨体が音を伴って地面へと崩れ落ちる。その衝撃は、先ほどまでの兎や鳥とは明らかに異なる重さを持って、周囲の空気をわずかに震わせた。
レオンはすぐに近づき、すでに次の段取りへと移っている。
「最低限で済ませます。解体は後回しに」
手を動かしながら言葉を置き、処理の範囲を最初から限定する。
ゼダンは再び空を見て、陽の傾きを確認する。
合流は、まだ可能だ。
「狩ったは良いが、どう運ぶか」
ティムが問う。
「細い木を二人で担いで、前足後ろ足をそれぞれ縛れば運べる」
レオンが即座に返す。
だが、そのあとに続く言葉が、わずかに遅れる。
「ただ、このまま合流は――」
その先を言い切る前に、ゼダンが切る。
「戻るしかなかろうな。合流はその後だ」
当初の予定に比べれば遅れるが、まだ取り返しのつく範囲に収まっている――そんな認識が、その場の空気として共有される。
だが問題は、その直後に起きる。
「罠がそこに掛けてあります」
クラウスが顎で方向を示す。
戻り道からほんのわずかに外れた位置で、回り道と呼ぶほどでもない距離だが、意識して寄れば確実に時間を使う場所でもある。
「ああ。確認だけしておけ」
軽い口調で返される。
だが、その「だけ」が何を意味するのか、この時点ではまだ誰も具体的に測れていない。
レオンが、間を埋めるように言葉を差し込む。
「新しい罠どうします。若は増やせと言ってましたが……」
ただの確認ではある。
だからこそ、ゼダンは短く息を吐く。
「今日はそこまでは無理だな。さっさと戻って合流するぞ」
その判断は正しい。だが同時に、それがこのあと実行されない言葉になることを、この時点ではまだ誰も知らない。
「……かかってる」
クラウスの声が落ちる。
全員で向かうと、視線の先で猪が暴れている。罠に掛かりながらも、まだ力を残したまま、地面を削るように荒く動いている。
「おい……どうすんだ、これ」
ティムが低く漏らす。
ゼダンは、ほとんど間を置かない。
「……やれ」
ここで見送るという選択は、誰の中にも残らない。
仕留めるまでは、やはり早い。
だが、終わったあとに残るものは、はっきりしている。
増えた。
量ではない。重さが。
鹿に加えて、猪。
最初に取った兎と鳥が、ほとんど意味を持たなくなる。
「嬉しいんだけど、嬉しくないんだが……」
ティムが言う。
その言葉は軽口の形をしているが、実際に感じている重さをそのまま表している。
「ここで捨てるという選択はない」
レオンが静かに返す。
クラウスが肩越しに言う。
「持って帰るのか……」
ゼダンは全員を見て、結論を置く。
「分けて持つ。俺が兎と鳥を持とう」
ゼダンがさり気なく、大物を回避しようとするが、その意図は即座に見抜かれる。
「おい、こら、ゼダンの旦那よう。鹿と猪を三人で、どう持てっつうんだ」
「そこはどうにかしろ。弓王なんだろ」
「それとこれと何の関係が有るんだよ」
「俺とクラウスさんで、鹿を持っていきますので、あとは宜しく」
二人のじゃれあいに被せるように、レオンが冷たく言い放ち、そのままクラウスと共に先に動き出していく。
この時点で、「合流」という言葉は、完全に消える。
それどころか、置いて行かれたゼダンとティムが、その場に残される。
「おい、旦那。どうすんだよ。この猪もだけど、鳥に兎まで抱え込んで」
「俺は鳥と兎の担当だ。猪は任せた」
「無理に決まってんだろ。そもそも”……やれ”とか、渋い声出して言ってたの旦那だろ」
「知らん」
「知らんじゃねえ。ああ、もう。棒を伐ってこい。担ぐしかねえだろ」
形を整え、棒を通し、担ぎ上げるための準備を整える。
持ち上げる。
――重い。
一歩で分かる。
腕にかかる負荷だけでなく、踏み出した足に遅れて乗ってくる重さが、身体の中心を引き下げる。
「……なんで俺まで鳥や兎をぶら下げるんだ。旦那の分だろ」
ティムが吐き出す。
「文句はお前の息子に言え」
ゼダンが返す。
「それはそれで言うけどよ。そうじゃねえだろ」
ティムの声が森に響く。
進む。
一歩ごとに、重さがずれて乗る。
「なかなか、出来た息子だと思うぞ」
ゼダンが急にレオンを持ち上げるので、言い返そうとティムが前を向くと、そこにはレオンとクラウスが立ち止まり、こちらを待っている。
レオンは何も言わない。
ただ、遅れを確認しているだけの視線。
「おら、レオン。お前も少しは鳥か兎を持ちやがれ」
ティムはレオンへと悪態をつく。
「そういうことを言うな。良い息子じゃないか。お前を心配して待っていたんだろう」
ゼダンはレオンを持ち上げる。
「ゼダンさん。少し持ちますよ」
レオンはゼダンの腰から、わずかに受け持つ。
「親父はまだ元気そうなんで、クラウスさん行きましょう」
「おい、レオン。レオン、レオン。レオンさーん」
ティムの声はまた森に木霊するだけだった。
やがて、木々が開ける。
拠点の手前だと分かるだけで、わずかに力が戻る。
ゼダンが軽く振り向き、ティムに声を掛ける。
「何とか成るもんだな」
「ああ。ってか、旦那は少し軽いってこと解って言ってるか。……いや、待て。……なあ、本当にこれ担いで――」
一度、息を吐く。
「これ登れってのか……?」
ゼダンが振り向くと、視線の先にあるのは、拠点へ続く上り。逃げ場のない急勾配。
「……」
すぐには何も言わない。
この重さを抱えたまま、あの坂を登らなければならないという事実だけに、絶望と言う言葉以外で、合う言葉があるのだろうか。
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