第89話 食糧の使い道
大陸歴一四〇七年十一月二十四日
午前の仕事を終えた頃、交易班の帰還を知らせる声が拠点へ響いた。
俺はゼダンと共に昇降機のある崖へ向かい、荷を運び上げる準備を進める者たちの間から下を覗き込む。
ほどなくして、荷を積んだ荷車と共に交易班の姿が森の中から現れた。
今回の帰還は、前回と比べると随分早い。新しい村の発掘を今回はしなかったのだろう。
「おかえり、マティアス。どうだった?」
先頭で上がってきたマティアスへ声を掛ける。
「只今戻りました」
そう一礼してから、少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「詳しくはヨアヒムに確認していただきたいのですが、余り良いとは言えませんでしたね」
「おや?」
思っていた返事とは違う。
前回は予想以上の成果を持ち帰ってきただけに、今回も多少は期待していたのだが。
「ヨアヒムは?」
「今回は下で最後尾を見ています」
「へえ」
思わず感心した。
前回は荷を放り出し真っ先に昇降機へ乗り、一番乗りで拠点へ戻って来た男である。
少しは成長したのだろうか。
「変わるもんだねぇ」
俺がそう言うと、マティアスは何とも言えない表情を浮かべた。
「いえ、今回も一番で上がろうとしたので、さすがに止めました」
「あ、だよね……」
思わず苦笑が漏れる。
ヨアヒムが自分から率先して最後尾を引き受ける姿を想像した俺が馬鹿だった。
そういう意味では、あいつは期待を裏切らない男なのである。
そのやり取りを聞いていたゼダンも小さく肩を震わせて笑っていた。
そんな他愛のない話をしながら荷揚げが終わるのを待っていると、やがて最後の荷が崖の上へ運び込まれ、その後を追うようにヨアヒムが姿を現した。
「総帥。ただいま戻りました」
額の汗を拭いながら歩み寄ってくるヨアヒムへ、俺は笑って頷いた。
「うん。ご苦労様。今回はどうだった?」
ヨアヒムは一つ頷くと、今回の交易について話し始めた。
「前回、魚や貝を仕入れた村との取引は問題ありませんでした。ですが、それ以外の村では食糧をあまり出したがりませんでしたね」
「やっぱり冬支度だから?」
「その可能性が高いかと」
確かに時季を考えれば不思議な話ではない。
収穫を終えたばかりとはいえ、これから厳しい冬を迎えるのだ。蓄えを減らしたくないと考えるのは当然だろう。
「まだ収穫からそれほど経ってないのにね」
「ええ。ですが、今安く手放すよりも、冬を越して値が上がってから交換した方が得だと考えている村もあるのでしょう」
値が上がってきたころに交換した方が良いのは間違いないだろう。なかなか賢い選択だ。
「なら冬の間は無理して回る価値が無いと考えた方が良さそうかな」
「いえ、そんなことは無いと思います。冬を考えて交換を控えているだけという村を回る分には、少しずつでも食糧を出してくると思いますよ」
うん?少し引っかかる物言いだな。
控えてるのではなく、純粋に出せないという村が有るという事か?
俺がそんなことを考えていると、ヨアヒムが少し言いにくそうな表情を浮かべた。
「食糧が有りませんなどとは言いませんが、明らかに苦しそうな村も幾つかありました」
なるほど。ヨアヒムは食い物に関しては良く見ている。
その雰囲気を感じ取ったというか、勘が働いたという所か。
「……と、マティアスさんが言ってました」
「おい」
思わず突っ込んでしまう。
今の流れだと、ヨアヒム自身が感じた話かと思うじゃないか。
「じゃあマティアスに聞こう。どう感じた?」
話を振られたマティアスは、少し考えるように顎へ手を当てた。
「私見ですが、収穫量は村ごとに違います。同じ天候でも土地の良し悪しや作付けの出来で差は出ますから」
そこまで話してから続ける。
「今年が特別なのか、それとも毎年そうなのかまでは分かりません。ですが、冬越しの備えが十分な村もあれば、そうではない村もあるのでしょう」
「なるほど……」
自然相手の仕事なのだから、全ての村が同じだけ収穫できる訳ではない。
豊かな村もあれば、不作に苦しむ村もある。
今まで何となく同じようなものだと思っていた近隣の村々にも、それぞれ異なる事情があることを、俺は改めて実感した。
アルスは腕を組みながら考えた。
「となると、やはり備えが十分な村を重点的に回った方が良さそうかな」
余裕のある村なら、食糧を分けてもらえる可能性も高い。
そう思ったのだが、マティアスは静かに首を横へ振った。
「いえ、私は逆だと考えます」
「逆?」
「食糧が不足している村へこそ、食糧を持って行けば良いのです」
一瞬、その意味が分からなかった。
「でも、食糧が足りない村じゃ交換できないんじゃ……」
「食糧以外の交換物資を持っている村は少なくありません」
マティアスは落ち着いた口調で続ける。
「木工品や織物、山で採れる産物など、村ごとに持っている物は違います。ただ、食糧が足りないために、それらを活かせていないだけです」
「ああ……」
そこでようやく理解した。
俺の頭の中では、食糧は備蓄する物という考えが強過ぎた。
だが、相手が欲しがるのであれば、それ自体が立派な商品になる。
「そうか。食糧を持ち込めば、それを交換材料にできるんだ」
「はい」
マティアスは頷いた。
「幸い、今の拠点にはある程度の余裕があります。必要としている村へ持ち込めば、双方に利益のある交易ができるでしょう」
ただ蓄えるだけではなく、食糧を使って新たな品を手に入れるという考え方もあるのか。
俺が感心していると、マティアスは少しだけ口元を緩めた。
「そして、その結果足りなくなれば我々には非常手段もありますので」
その一言に思わず苦笑する。
非常手段とは、もちろん言うまでもなく、商隊襲撃のことだ。
マティアスよ。お主も相当な悪よのう……。
そんなことを考えていると、横からもう一人の悪い奴が口を開いた。
「いえ、足らなくなってからでは遅いですな」
その一言に、俺はゼダンへ視線を向ける。
「総帥。既にフェルデンで購入した食糧は全て運び終えています。この先、どれだけの民が拠点へ来るか分からぬ以上、保存の利く食糧は安いうちに買えるだけ買っておくべきでしょう」
「つまり?」
ゼダンは当然のように答えた。
「もう一度、商隊を襲いましょう」
「いや、今更駄目とは言わないけど……」
俺は思わず聞き返した。
「そこまでする必要がある?」
「ええ」
ゼダンは迷いなく頷く。
「今、マティアスたちから聞いた話を踏まえれば、近いうちに襲うべきですな」
俺は首を傾げた。
食糧事情の話は分かったが、それが商隊襲撃へどう繋がるのかまでは理解できない。
今の話のどこかに襲撃を決断させるだけの話が有っただろうか?
「……ごめん。分からない」
素直に両手を上げる。
「ゼダン、説明して」
ゼダンは少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「承知しました」
出来の悪い生徒で申し訳ないね。
「まず我々は、以前から人員を増やすことを前提に動いております。そして近々旧ミュラー領から到着し始めるでしょう」
「うん」
「しかし、どれほど集まるかは分からない。それが今の悩みでした」
そこまでは理解している。
だからこそ、備蓄も多めに用意してきたのだ。
「そして交易班は、単に物を売買するためだけに村を回っていた訳ではありません」
「近隣へ俺たちの存在を知らせるため、だよね」
「その通りです」
ゼダンは満足そうに頷いた。
「村に我々という選択肢があることを知ってもらう。それも目的の一つでした」
俺も以前、その説明は受けている。
だからヨアヒムへ付き添ってゼダン自身も村々を回った。
「では、そこへ今日の話を重ねてみてください」
「今日の話?」
「村によっては、この冬を越えられるか苦しんでいる可能性がある、という話です」
そこまで聞いた瞬間、頭の中で点と点が繋がった。
「あ……そうか」
これまでは、食糧が足りなければ飢えるか、村で分け合うか、あるいは奪うか。
その程度しか選択肢は無かった。
だが今は違う。困った時は、俺たちの拠点へ来るという道を示している。
食糧不足に苦しむ村が増えるほど、こちらへ流れて来る者も増える可能性がある。
「その受け皿になる食糧が必要なのか」
「その通りです」
ゼダンは頷いた。
「ですが、今は資金がありません」
「だから商隊を襲って資金、あるいは換金できる物を手に入れ、それで食糧を買う」
「ええ」
今なら収穫直後だ。
街には食糧が集まり、価格もまだ安い。買い集めるなら、これ以上ない時期だった。
「なるほど」
俺は大きく頷いた。
「意味は分かったよ」
「いえ、足りません」
だが、ゼダンは静かに首を横へ振った。
「まだ理由が一つ残っています」
ゼダンはそのまま続ける。
「先ほどマティアスが、食糧不足の村へ食糧を持ち込めば良いと言いましたな」
「うん」
「あれは、ただ商売をするという話ではありません」
俺は黙って耳を傾ける。
「食糧は、なるべく安く交換するべきでしょう」
「儲けるなってこと?」
「その考えでも間違いではありません」
ゼダンは少し笑った。
「ですが、本質は別です」
「それは?」
「拠点へ流れ込む人数を調整するためですな。食糧不足を理由に余りに多くの人間が一度に押し寄せれば、今の拠点では受け止め切れません。拠点入りを求める者を増やしすぎるなということです」
その言葉に俺も頷く。
俺たちの事を知る元々ミュラー領の民であれば、多少人数が増えても何とかなる。
だが、食糧だけを求めて見知らぬ人々が大量に集まれば、統率も管理も難しくなる。
「だから食糧は備蓄するだけではなく、配るためにも必要なんだね」
「そうなりますな」
ゼダンは静かに頷いた。
一つの策だと思っていたものが、実際には幾つもの目的を同時に満たす戦略だった。
俺は改めて、ゼダンの先を読む力へ感心していた。
「受け入れること自体は問題ありません。しかし、助けられる村は交易で支える。その方が混乱も防げますし、その後にも繋がります」
俺は息を吐いた。
「分かった」
俺は二人を見回した。
「その方針で行こう」
マティアスもゼダンも静かに頷く。
「早急に次の獲物を選定する」
恐らく、今年最後になる商隊襲撃。
その準備が、こうして正式に始まることになった。
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